二ノ姫と村人の身分違い

ドニリズ
小説
捏造設定あり
連載

「ドニ、ドニ!」

 砦の一角に朝早くからお転婆そうな少女の声が響いた。とはいえ自警団の朝は早いので、皆起きて各々支度をしているため誰もその少女の声に意識を傾けない。彼女が姦しいのはいつものことなのだ。
 一人だけ、一際早起きの青年が名を呼ばれて振り返った。

「お早う、リズさん」

 青年は鍬を置いて、手拭いで汗を拭う。
 すっかり耕された土はよく水を含み、輝いているように見えた。土を美しいと思ったことなどリズの人生で無かったので、ドニがそれを耕す姿に不思議な感動を覚えていた。

「お城じゃ土を触ると怒られたし、虫とかも苦手だった」

「だった?」

「今は…」

 先に続く言葉を飲み込み「虫はまだ苦手」と笑うリズにドニも笑った。そして、唐突に青年の手が顔に伸びてきてリズはドキリとする。
 ドニの手が頬の横を通り、乙女の髪に触れた。

「え…」

 と戸惑う暇もなくドニは直ぐにまた手を引っ込める。その指の先に、小さな

「アブラムシ」

 リズはヒャッと声をあげてしゃがみこんだ。
 虫をそっと払って逃がしてやると、ドニも屈んでリズの顔を覗き込む。

「もう行っちまったべ」

 リズに手を差し出す。
 アブラムシ一匹で声をあげて年下の男の子に心配されてしまったのが恥ずかしくなって、リズは何事もなかった体を装いながら、ドニの差し出した手を見ない振りをして立ち上がった。

「平気だよ」

 と言っては見たものの、あのアブラムシがいつから自分の髪にくっついて居たのかわからず、それを考えると少しだけゾワゾワする。

「もう付いてない?」

 ドニは立ち上がってリズの周りを一週する。
 ドニが回るのと逆に身を捻りながら、リズは自身も体を眺めた。どうやら大丈夫のようだ。

「花壇を通ってきたべ?」

「そうなの。あそこでルフレの本に落書きを………」

「落書き?」

 リズが口を押さえて言い淀んでいると、ドニが可笑しそうに声をあげて笑った。

「リズさんて悪戯っ子だなぁ」

「た、たまたま遊んでただけ」

「でも皆、リズさんの悪戯に困ってるって言ってたべ」

 リズは内心(なんでドニに言うのよー!)と悪態をつきながら悪戯を仕掛けた面々の顔を思い浮かべた。自業自得である。

「そう言えば、おらは悪戯されたこと無いだ」

「だって…」

 それは、彼の前では年上のお姉さんで居る手前、子供っぽいところを見せたくない意地があったからだ。

 ドニは年齢にしてはしっかりしたところがあるし、そんな彼に悪戯なんかしては子供扱いされてしまう。
 それに、彼にあまりカッコ悪い所を見せたくないという彼女なりのプライドがあった。

「弟に悪戯しないよ」

 そう、彼女の姉エメリナも、弟や妹に幼稚な悪戯などしなかった。ドニの前で、憧れの姉を演じようとしている自分にリズは気付いた。そしてそれが上手くいかないでいることも。

 つい今しがたまで楽しそうに笑っていたドニが、一瞬だけ眉を寄せたのを、リズは見逃さなかった。

「でも、おらは本当の弟じゃねえ」

「そうだけど」

「リズさんとは、他人だ」

「な、何でそんなこと言うの?」

「本当のことだべ」

 勿論それは真実だ。だが、急に冷たくなってしまったドニの声にリズは戸惑った。

「…怒ってるの?」

「違うけんども…」

 リズが視線を落としてドニの足元を見ていた。太陽はドニの背でゆっくりと上っているので、逆光でドニの表情が少し分かりにくい。
 もう少ししたら朝食の号令がかかるだろう。だから、この語らいの時間はあと僅かだと知っていたけれど、二人はお互いの答えを求め、言葉を探した。

「おらたちは、友達かもしんねえけど、戦争が終わったらもう会うこともないんだべ」

「ど、どうして…?」

「身分が違いすぎるだよ」

「そんなの…」

「それにリズさんはきっと、他所の国の王子様に嫁いで遠くに行っちまうだろうし」

「……え…?」

「だって、第二王女様だべ?王位は継がないんだもんな?」

「…そ…それは…」

 ドニが並べる事実の数々は、リズも、ドニ自身も追い詰めていくようだった。

「でも、でも!ドニは…それでも良いの…?」

「な、なんでそんなこと聞くんだ。そりゃ寂しいけんど、村人が口出すことじゃねえ」

 まったくその通りである。だがリズは、理由の説明できない切なさに顔をしかめた。じわりと涙が目に溜まり、それを目の前の青年に見せたくなくて思わず背を向ける。何が悲しいのか自分でも分からない。そんなリズを見て、ドニがハッと顔を上げた。

「…すまねえ。弟みたいに親切にされてんのに、おら、”お姫様”に口答えして」

「…(「お姫さま」って…)」

 ドニは極力優しい声音をつくって言ったつもりだった。けれども、リズは久しぶりに「お姫様」と呼ばれたことが、彼との距離が遠く離れてしまった証のような気がして嫌だった。最初こそ「お姫様」と彼は自分を呼んでいたけれど、最近は名前を読んでくれていたのだ。

 リズは身分の違いを突きつけられ、一方ドニは悪気なく弟扱いされ、二人がお互いに何故自分が傷付いていているのか分からなかったし、相手を傷付けるつもりはないのに、傷付けてしまっているとも感じていた。居た堪れなくなったリズはその場を去ろうと数歩駆け出す。

「あっ…リズさん…」

ドニの声に立ち止まるリズ。

「ねえ…また、会いに来ても良い?」

「も、勿論!何時でも来てくんろ!おら、嬉しいだ」

 ぎこちなかったが、お互い笑顔を見せてその朝は別れた。

・・・

 リズは自室に戻り、扉を閉め、息を吐く。それが思ったより深くて更に気が滅入る。

「考えたことなかったよ…」

 リズにとってドニは一番仲の良い男の子だった。ずっと、将来も一緒に仲良くできると根拠の無い確信を持っていた。

 でも確かに、お互いいつまでも子供では居られない。自分は身分の同等の男と結ばれるのだろうし、ドニだっていつか彼に見合うような、清く聡明なお嫁さんを貰うだろう。

「そんなの嫌…っ」

 自室のベッドに倒れこんで、枕に訴えてみても誰も返事などしてくれない。そして口にして初めて、自分が彼を好きなのだと気付いたのだった。

「でも」

 自分がどんなにドニに恋をしても彼は、リズのことは何処かの王子に嫁ぐと決めつけているようである。片想いの恋なのだ。ドニと結ばれる自分を夢想してみても、彼に突きつけられた言葉の数々がそれをか消してしまっていた。

 そうこうしていると朝食の時間になり、楽しみにしていたはずの食事を前にしたリズは、ため息ばかりついてフォークを置いてしまった。

「リズ、お腹でもいたいの?」

「ううん…」

 いつも跳び跳ねている彼女らしからぬ様子に、隣の席で食事をしていたリフレは驚く。

「心配事ですか」

「…別に、何でもないよ」

 明らかに何かある。ルフレはふと今朝自分のデスクに置かれていた本のことを思い出した。

「…リズ、また本に落書きしたね?」

「あ……ごめん…」

「……」

 いつもなら悪びれない笑顔で無邪気に謝ってきて、それをルフレが呆れるというお決まりのパターンなのだが、しおらしく謝られてしまってルフレはそれ以上叱る気になれなかった。

「ドニ、今日はよく食べるね」

 ふと、二つ向かいの席からカラムの声が聞こえて、ドニ名前に動揺しながらリズは耳をそばだてた。

「腹減っちまって」

「毎朝ご苦労だね」

「うん…」

こちらに背を向けているドニの表情は伺い知ることはできなかったけれど、いつもよりガツガツと元気そうに食事をしている後ろ姿を見ていると、彼のことで喉をつまらせているのが悔しくなって、リズは目の前の食事を半ば無理矢理胃に押し込めた。

(もー!私ばっかり気にしてるのバカみたい!)

苦しくて喉をつまらせているリズの目線の先で

「うぐ」

と同じように喉につまらせてむせているドニの背中を隣のソールが撫でる。

「ゆっくり食べなよ」

「すまねえ」

 ドニは渡された水を飲んで一息着く。そして目の前の皿に目を落としたが、彼の目は皿を見てはいなかった。

 食事をするのは好きだ。食べ物は命。それらを大事にいただくことは彼の故郷では当たり前だった。最近は畑仕事に加えて槍や剣の稽古、マリアベルやミリエルと勉学に勤しんだりと、毎日心身共に疲弊する。余計に食べる量が増えて行った。その分感謝して口にしようと心がけていたのに、今日はうわの空で皿を平らげてしまっていたことに反省した。

(あんな態度とるつもりじゃなかったのに…)

数刻前のリズの顔を思い浮かべる。彼女が無邪気に自分の事を弟扱いしていることが、最近は癪に触って仕方ないのだった。それがつい顔に出てしまった。いや、言葉にも棘があったはずだ。あの優しいお姫様はきっと傷付いただろう。それなのに、また会いに来てくれるという。嬉しいのに、申し訳ない気持ちだ。一方でドニはざわつく心を抑えられないでいた。

(おらの気も知らねえで…!酷いお姫様だ…。いやいや、一国のお姫様にこんな親しんでもらえるなんて光栄なことだべ。おらは罰当たりもんだ。だども…!)

年上の女性に弟扱いされたって良いじゃないか。しかも一国のお姫様に親しくされて、こんなに光栄なこともないのに、なにを自分は苛立っているのだろう。半分はその答えがわかっていたが、気付きたくなかった。

・・・

 午後の休憩時間。リズが一冊の本を抱えてドニの居る大部屋へ顔を出した。

「あ、リズさん!こ、こんにちは…!」

「ね、ねえ、お勉強しよう?教えてあげるから」

 場所を図書室へ移し、棚にある関連図書を取り出してリズの持ってきた本と一緒にテーブルの上に広げた。

「ーで、このアドニスはさっき勉強したドラゴン座の…」

「え?リズさん、それ、ドラゴン座じゃなくてワイバーン座じゃなかっただべか?」

「あ、あれ? そうだっけ?」

「んだ。で、そっちの星はアドニスじゃね、トリフィンヌだべ」

「う…」

 ドニが次々と自分の間違いを指摘していく。好きな男の子に情けない姿ばかり晒して、リズは段々と悲しくなった。今朝の不穏な空気を払ってしまいたかったのだ。それなのに、上手く行かなくて、少しだけ縮まったと思ったドニとの距離がまた空いていくような気がする。

(私の馬鹿ー!もー! 私、ドニと一緒に勉強もできないの…? どうしたらドニと一緒に…ッ)

「お勉強はもうおしまい!」

「え!」

 逃げるように図書室を出ていくリズ。後ろでドニの視線に後ろ髪をひかれながら、それでも足が止まらなかった。

「ドニなんて知らない!もうなにも教えてあげないんだから!…」

 解っている。自分は女の子らしく料理や裁縫も出来なければ勉強も苦手なのだ。一方ドニは、勇敢で、頭の回転も早くて、努力家で、逞しい。リズが持っていないものを全部もっている。そして、誰よりもリズは、彼が優しいことを知っていた。こうやって逃げ出してもドニは許してくれるだろう。

「甘えてるんだ」

 自分が甘えさせてあげる筈の年下の青年に、自分は甘えきっていた。わがままな自分の性分を、普段はなんとも思わないのに今日だけは嫌になる。

 彼が頑なに示してくる身分の差。勿論自分が上かもしれないけれど、その他はなにもかも彼の方が自分よりしっかりしていて、釣り合わない事に寂しくなる。

「いたっ」

 逃げ込んだ林の中。木の根にクリノリンがぶつかって、芝生の上に倒れ込んだ。倒れる際に体を支えた手は擦りきれて血が滲み、足には痛みが走る。

「しまった…」

 あの時と同じだ。こんなときドニが居たら、きっとあの時のように優しくリズの手を取ってゆっくり根を跨いでくれただろう。倒れても、支えてくれたはずだ。でも此処には居ない。自分自身で彼から逃げてきたのだから。

「バカだな…私…」

 いつまでも子供みたい。今すぐにでもドニに抱き付いて、さっきのことを謝りたい気持ちになった。帰ったら素直に言おうと心に決める。
 リズは痛みが引くまで大人しくしていようと座り込み、木々の合間に沈んでいく太陽を眩しげに見た。そのオレンジの光はリズを急かしているようで、誘われるように痛みが残る足にムチ打ち立ち上がると、遠くの方でがさりと葉を揺らす物音がする。

「!」

 空腹の狼か、気の荒れた猪か。どちらにしろこんな林の奥深く、日暮れに出くわす獣ほど恐ろしいものはない。リズは身を潜めて息を殺した。ああ、こんなことならもっとドニに親切にしておくのだったし、もっと早く彼への恋心に気付いておけばよかったと、竦み上がる身で考えた。今まで何度だって死線を潜り抜けてきたけれど、それはいつも強い兄や仲間たちが側にいたからである。そしてここ数ヵ月はドニがいつも側にいてくれた。

リズは、それでも、できる限り逃げようと身を屈める。

「…っ!」

 捻った足が痛み、思わず芝に手を着いた。枝が掌でパキッと乾いた音を立てる。

(見つかっちゃう!)

 思った瞬間、藪の中の影がリズの方を向いた。

「リズさん…?」

 その声は、会いたくて堪らなかった青年の声だ。探しに来てくれたのだ、自分の事を。

「ドニ!ここだよ!」

 自分の声は喉をつまらせて今にも泣きそうだ。ドニが身体中に葉や枝を纏いながらリズの前に飛び出し、跪いてリズの肩を抱く。

「どうしたんだべ、そんな葉っぱくっつけて。転んだのか?怪我したか?」

「あの…」

 先程のことを謝りたいのに、ドニが質問攻めにするからタイミングを得られないでもごもごと口だけが動く。

「あのね、ドニ、さっきは…」

 リズの言葉を聞いていないように、ドニはリズの投げ出された足首に目を落とすと、そこをそっと撫でた。

「足捻ってるでねえか!おぶってっからつかまってくんろ」

「う、うん…」

 自分とそんなに身長も違わない青年の背中に恐々体重をのせると、ドニは意外にも確りと立ち上がって歩き出した。きっと、ちんまいと言われている自分でも人間一人おぶれば重いに違いないはずだ。そんなそぶりも見せず、ドニは慎重に、しかし急いで林を歩いた。このペースなら日が落ちる前に砦に戻れそうだった。

「すまなかったべ」

「…どうして謝るの?悪いのは私なのに」

「そんなことねえ。リズさんが勉強教えてくんねかったら、おら本を読もうと思わなかったし、何も知らないままだっただ」

「…」

「感謝してんだ」

 リズは、もう足の痛みも手の痛みも何もかも忘れていた。それなのに、涙だけが止まらなくなって、ドニの肩を濡らした。

「…ごめんね」

「泣いてんのけ?痛むか?」

「平気だよ」

「でも、帰ったらちゃんと治療しような」

「うん」

 砦につくと、ドニはリズを治療室へ運び、言葉少なに挨拶をして帰ってしまった。

「お礼言ってないや」

 シスターの簡単な治療処置を受けながら、リズはポツリとそう漏らした。

・・・

 リフレがリズのテントに向かうと、彼女がテントのそばの切り株に座って本を読んでいた。見ると、星座の本だった。

「お勉強?」

「ルフレ、おはよう!」

「足を怪我したと聞いたけど、大丈夫?」

「ドニから聞いたの?」

 些細ないざこざで出来た小さな怪我。恐らく二人しか知らないことなので彼女は真っ先に彼の名前を挙げたのだろう。

「詳しくは知らないけど、自分のせいで怪我をさせてしまったと言ってたよ。謝ってた」

「ドニは悪くないの!それにもう大丈夫」

「なら良かった。歩けなくて、そんなしおらしく本を読んでいたわけじゃないのね」

「もー!」

 彼女は本をパタンとたたむと立ち上がって歩いてみせる。確かに、もう大丈夫なようだ。

「最近元気がないようだとクロムが心配していたの。怪我のせいかもと」

「違うの…別になんともない…」

「その本が理由?」

「そうじゃないけど…これはね、その…勉強。ドニと教え合いっこするの」

「へえ。二人はそんなに仲が良いの」

 ルフレは笑みを引っ込めるのに余裕がなかった。このお姫様はあの村人を相当気に入っているようだ。もじもじしながら本を胸に抱く姿は恋する乙女のそれだった。自分も乙女なので気持ちはわかる。なんと微笑ましいことか。

「ルフレ、ねえ、秘密だよ!聞いて!ドニはすごく頭がいいの。それに用意周到だし、優しいし、勇敢で…」

 彼女が手招きしてルフレをそばに呼ぶ、そして興奮したみたいに彼女に耳打ちした。女の子が大好きな恋バナ。妹姫は恋をしているのだ。けれど少し引っかかることがある。彼女は継承権こそ三位であるけれど、多くの民を統べる王国の王女で、想う男は一介の兵士でもない、村人なのだ。いや、ここに従軍している間は傭兵と見なしてよいかもしれないが、彼の身分はそこで止まる。

 ルフレは恋する少女の微笑ましい姿を愛おしく思う反面、心配になった。ドニとの思い出を楽しそうに話すリズはこの一時、第二王女でもなんでもない、ただの女の子なのに、政治情勢が一歩傾けば簡単に覆されてしまう二人の関係。だがクロムの強い瞳を思い出したルフレはふと考えを改める。絆を何より大事にするあの王子が守る国ならば、障害は大き過ぎることはない筈だ。

「ドニの事が好きなのね」

「え…!」

 リズは面食らって驚くもすぐに顔を真っ赤にして、それも「秘密だよ」と言わんばかりにルフレに耳打ちした。

「好き」

「そっか」

 今後の事はわからないが、それでも今だけは「身分が違う」なんて言って、若い二人を引き裂こうなんて誰にもできないだろう。

「クロムはリズの恋を応援するよ。相手が誰だかは知らないようだけど、ドニのことは「良い面構えの青年」だって」

 兄の言葉を軍司伝いに聞いた彼女は嬉しそうだった。好きな人が大事な家族に良いように言われるのは誰だって気分が良いものだ。

「彼に見合うように、素敵なレディになりたいの。手伝ってくれる?」

「勿論。じゃあ、勉強頑張ろっか」

 そう言うと、リズは苦笑いをした。