二ノ姫と村人の婚約

ドニリズ
小説
捏造設定あり
連載

 乙女が恋煩いをしている一方、青年の方もまた溜め息をついていた。それはリズのような無邪気なものではなく、労働後の一息といった現実的なもののようにも見えたし、彼の頭でもわりと現実的な問題で悩んでいるようだ。

 多感な青年も恋をする。だがドニの想うその人は、自分と比べたらとんでもない身分の持ち主だった。相手は一国の第二王女様。一方自分は一介の…今は傭兵である。さらに言えば従軍前は農村の農民だった。当然釣り合うはずはない。
 だがそんな身分の差など頭に入っていないような呆気からんとしたお姫様は、毎日自分のところへ姿を見せ、やれ畑の水やりを手伝うとか、やれ勉強しようとか、何かと声をかけてくる。自分の恋心を解っていて笑顔を見せているのなら、とんでもない小悪魔だと思うが、彼女の事だから恐らくわかっていないだろうと、それはそれでドニは頭を抱えた。

「ここ、難しい。ねえドニ、教えて」

 談話室。リズが辞書を広げて見せてきた。勉強を教えてもらうはずが、彼女は時々自分にこう尋ねてくる。先生なのだからしっかりしてほしい。ヒントのページを指摘してやると大人しくなってそこを読み始めるリズ。ようやく自分の勉強に集中できると思っていると、今度は寝息が聞こえてきた。

「あれま。しょうがない人だ」

 彼女の肩をゆすって揺り動かそうとしたが、その時、テーブルに投げ出されたリズの細い指が目に止まった。

「…」

 ドニが瞬時に考えていてことは、自分にとって甘美かつ恐ろしいものだった。ただ、その考えを実行するかしないかは、思うこととは別である。テーブルの上にある文房具箱に入っているメジャーを取り出して、周りに人がいないことを確認し、彼女を起こさないようにそっと指に巻いた。

「細いなあ」

 メジャーを外して薬指のサイズを眺める。もし彼女の指に嵌るサイズの指輪を作ろうと思ったら、細かい作業になる。だが、まあ、作るだけ作ろうか。別に実際に何か渡すのではないのだし。言い訳がましく自分にそう言い聞かせながら、毎日時間を作って指輪製作に取り掛かった。

彼女を想うエネルギーを指輪製作に注ぎ込むことによって、無意識に安定を計っていたのかもしれない。

 数週間後、歪だが、女性の柔らかな指も傷付けないしっかりした指輪が出来た。鉱山地帯を進軍中に手に入れた鉱石を砕いて磨き、指輪の先にあしらう。

 やっと出来上がったそれを、美しく包装すれば良いのにそんな上質なベルベットの箱など無いので、そのまま上着のポケットに仕舞い込んで、ドニはベッドに倒れ込むようにして寝入った。

 翌日の目覚めは清々しかったが、連日の寝不足が祟ったのか意中の女性に心配そうに眉を寄せられてしまう。

「ちゃんと寝てるの?」

 若干、眠気で霞む視界に入るリズの顔がボケて、錯覚で輝いて見えた。そんな彼女の顔を見ていると自分の渾身の力作も霞んでしまいそうになる。所詮彼女と居られるのもこの戦の間だけ。そう思ったら、いつ死ぬとも知れぬこの命、思いを伝えることぐらい許されるのじゃないか?

 ポケットに入れたままの、なんの包装もされていない手作りの質素な指輪…。自分はこんなものしか彼女に贈ることしかできない。それを取り出して、手のひらでしげしげと眺めた。なんて小さいのだろう。おもむろに取り出された指輪を見てリズが驚いた。

「指輪?…誰かにあげるの?」

 そうだとも。あげる”だけ”なら何も問題ない。そうだ、いっそ、騎士のように、彼女を守ると約束する指輪とすれば良いのだ。そんなドニの苦悩の最中、リズはドニの踏み込まれたくない質問をあっさり投げかける。

「…好きな人に?」

「はい」

「プロポーズ…?」

 プロポーズ。確かにそのつもりで作った筈だった。その問いに黙っていると、さっきまで機嫌の良さそうだった彼女の笑みがそっと消えていった。みるみるうちに眉間にしわを寄せてドニに身を乗り出す。

「ダメ!」

「え…っ」

「…ま、まだ早いよ!ドニには。ね…?」

「早い?」

「だってほら、ドニは子供だし」

「そう…だべ…」

 弟扱いを再認識させられて、彼は内心落ち込む。リズは急に眉をハの字にして今度はうろたえ始めた。怒ったり悲しんだり、彼女は本当に忙しそうだ。

「待ってよ…そんなの急だよ…」

 彼女が何を言っているのかわからないドニは、混乱気味のリズの伏せられた顔を覗き込んだ。

「私、嫌だよ…。ドニか誰かのものになっちゃうの」

 思ってもみない言葉に今度はドニが狼狽えた。

(ああ、この人は、弟が居なくなると思って寂しいんだ)

 先日兄のクロム王子が婚約を発表したし、弟のように可愛がっていた自分も求婚すると言うので、一人取り残された気分なのかもしれない。今までだって姉のように自分に接してきたのだ。ドニはそれを確信して、男としての寂しさを押しとどめ、彼女に微笑んだ。

「心配しなくていいべ。リズさんが寂しがることなんか、何にも無え」

「…それって…その指輪、私にくれるってこと?」

「え?…こんな指輪、受け取ってくれるだか?」

 もとよりこの少女のためのもの。ドニが指輪を差し出す前に、リズは目を輝かせて

「欲しい!」

 と言った。

「そんなら、受け取って欲しいべ」

「いいの?」

 指輪を彼女に渡すとリズははにかんで、今度はドニに指輪を渡す。

「ねえ、ドニが嵌めて」

 いよいよ彼女は小悪魔なのではないかとさえ、ドニは思った。彼女の左手を知られないように一瞥して、リズの右手を取って中指に指輪をはめようとする。

「もお、違うでしょ!こっちだよ。左手の薬指」

「ええ!でも…」

 勿論、左手の薬指は意味のある場所である。リズの本意がわからずドニは恐る恐るリズの左手を取った。 そして、彼女の白い指に自分の作った指輪をはめた。
 真っ赤になっていたたまれなくなったリズは

「あっ、ありがとう!」

 と逃げてるように廊下を走って行ってしまった。

・・・

(きっと、ドニは私のことだって少しぐらい好きでいてくれたから、指輪くれたんだよね…?でも…)

— 心配しなくていいべ。リズさんが寂しがることなんか、何にも無え 

 そう言って微笑むドニ。リズは、自分が勝手に嫉妬して我儘を言っていたから、ドニが私に指輪をくれる気になったのかもしれないと、その時は思っていた。好きな女の子へプロポーズするのを諦めて、婚約指輪をくれたドニ。強請ってもらったその指輪は、それでも、自分のことを少しでも好意を持ってくれていたから渡してくれたんだと信じたかった。

 左手の薬指にはまったそれをじっと眺める。手作りだが、しっかり作られて、丁寧に研磨された指輪は指にぴったりと吸い付くようにはまっていた。まるでこの指に嵌るためにあしらわれたようなそれを、リズは罪悪感と喜びで撫でた。彼はこれを想い人を想いながら作ったのだ。その気持ちを思うと自分がしたことの重大さを後からじわじわ実感してしまう

「なんですの、その指輪」

 親友のマリアベルがリズの視線を追って指輪を目ざとく発見した。二人で紅茶を嗜んでいたところ、カップをもつリズの手に光るものがあることは先ほどから気付いていた。

「ドニがくれたの」

「まさか、婚約指輪ですの?」

「…そう」

「まあ!大変!」

「何が大変なの?」

「農民と王族の結婚ですもの。大変ですわ」

「農民と、王族…?」

「今は戦争で身分の隔てがないように思えますが、平和に戻れば顔も見ることが叶わないほど違う世界のお二人なのですよ」

「それは…」

 ドニにも何度か指摘されたことだった。リズの罪悪感は膨れ上がるように胸を突く。

「もちろん例外はいくらでもありますけれど…」

 マリアベルの言うとおり、ドニとはこんな戦時中だから出会ったのであって、自分は一国の姫なのだ。

「悪いことしちゃったのかな…」

「悪いことってなんですの?」

「ドニはこれを、他の女の子に渡す筈だったの。それを私がねだって…」

「まあ!」

 マリアベルは驚くも、その仕草は上品さを保ったまま。

「誰かにプロポーズするって言うから、咄嗟に、欲しいって言っちゃったの…だって私、ドニを誰にも取られたくなくて…!」

「それは、でも、どちらも悪くないですわ」

「そうかな」

「貴女はドニさんの1番でなくても良いからそれをねだり、彼は2番目以降の貴女を選んだ。言い方は良くありませんが、利害が一致しています」

 リズを大事にしているマリアベルとしては、リズを一番に大事にしない男などに彼女を預けるのは許しがたい気持ちだが、相手は一目置くドニであるし、お互いが了承している関係に一々口を出して野暮なことは出来なかった。それに、ドニならば、妻と迎えるからにはその女性は大事にしてくれるだろう。
 とはいえ片想いをしているリズに「二番目以降」というレッテルはやはりやりきれないものがあるし、マリアベルもそれは重々承知で言った。友人の本気を知りたかったのだ。

「う……私は、これから一番になるんだもん!」

 案の定、勝気というか、健気というか、リズの口から一途な言葉が出てきてマリアベルは微笑んだ。リズが選んだ道ならば、何かあれば自分が力になれる。万が一ドニが彼女を泣かすようなら容赦はしないとマリアベルは一人誓った。

「そうですわね。歴代の王と王妃たちの中にも、好きでもない相手と政略結婚させられ、それでも仲睦まじく生を全うした方もいますし」

「私も頑張って、彼に愛される素敵なレディになる」

「本気なのですわね」

 リズは困ったようにカップを呷った。

・・・

 それからそっと、二人の婚約の噂は広がっていった。夜には同室の兵士たちがドニを囲んで騒ぎ立てた。ソールがドニの隣に腰を下ろし

「ドニ、婚約おめでとう」

 と、祝いの言葉を送る。が、当のドニはキョトンとしてソールを見つめた。

「なんだべ?なんの話だ?」

「噂になってるよ。リズと君が婚約したって」

 いつにも増して表情を和らげたカラムが言った。

「ええ?!」

「”ええ”って…知らないのか?お前、プロポーズしたんだろ?」

ようやくヴェイグが怪訝な顔を表した。ソールとカラムが顔を見合わせる。

「リズの指に嵌ってるのは、君が夜な夜な作ってた指輪じゃないの?」

「そりゃあ、オラのだ」

「君が渡したんじゃないの?」

「お、おらが渡した…」

「やっぱりそうだったのか!こりゃめでたいな。おい皆!今夜は飲むぞ!」

 めでたい話に男達が好き勝手酒飲みをはじめた。ドニは訳が分からす話を合わせていたが、やがて酔って騒ぐ輪の中からそっと抜け出して、リズの部屋へ向かって走った。

 確かに、急に右手の薬指に指輪がはまっていれば婚約者と思われても仕方がない。リズが安易な気持ちで指につけっぱなしにしているのであれば、それを指摘してやらねばならない。
 リズの部屋がある棟に駆け込んで彼女を探した。幸い。夕食のかたづけを終えた帰宅途中の女性達の中のリズが、廊下で彼に声をかけてくれた。場所を中庭に移して、リズは改めてドニの困惑の理由を聞いた。

「ドニ、どうしたの?」

 と呑気なことを言っているリズにドニは力が抜ける気がした。

「大変だべ。オラとリズさんが婚約したって噂になってるだ。そんなところに嵌めて歩いてるからだべさ」

 彼女の指輪を指すと、リズは照れ臭そうに左手を撫でた。

「そうだね、なんか恥ずかしいね」

「なしてそんな落ち着いてるんだか。リズさんだって年頃の娘さんだべ。好きな男の一人や二人居いるだろ? その人に誤解さてちまっても良いんだか?」

「へ?」

 リズが大きな目をさらに見開いてドニを見た。今朝、この指輪を婚約の印にねだったはずだった。それなのにドニはそんな約束は誤解だと言う。浮かれいていたのは自分だけで、ドニには迷惑だったのだろうか。リズは羞恥心で顔を真っ赤にして俯いた。

「もしかして、誤解してたのは私…?」

「な、なんだべ…」

「私てっきり、ドニは私を選んでくれたって…」

  その言葉に今度はドニが驚く。「選んでくれた」?自分がリズを?今朝の会話を一つ一つ脳内で思い出せば、なるほど、自分が彼女にプロポーズしたと捉えることもできる。ドニは急に恥ずかしくなった。薬指に嵌めるよう促されたのも、彼女の気まぐれではなく本気だったのだ。

「ごめん、わ、私、勝手に浮かれてた…っ」

リズが指輪を外そうと手をかけた。ドニが咄嗟にそれを制するように、彼女の両手を掴む。

「待ってけろ!」

リズが肩を振るわせる。驚かせてしまったかと思ったが、ドニは手を離さず力だけ緩めた。

「その指輪は、リズさんのために作ったんだべ…!」

 と、半ば叫ぶように訴えた。

「リズさんが、好きだ」

 人通りが無いとはいえ誰が通るか分からない中庭。だがそんなことは二人の頭から吹っ飛んでいた。ドニ渾身の告白は神妙に二人の時間を止めて見つめ合わせた。

「ほんと…?」

「お願いだ。そのまま、指輪、しててけろ」

 そう言うと、リズはようやく顔を上げた。

「好きな人にプロポーズするって言ってた」

「だから、それリズさんの事だべ」

「もー!どうして今朝言ってくれなかったの!」

「そりゃお姫様に求婚なんて、恐れ多かったし、リズさんはおらのこと弟扱いしてたべ」

「うっ…でも、でも!私、言ったもん。他の人に取られたくないって。ドニが、好きだからだもん。ドニが鈍感なんだよ!」

「す、すまねぇべ…」

「ドニだって、私のことちょっとでも好きでいてくれたから…だから、この指輪、私にくれたんだって…思って…。無理やり強請ったのは悪いと思ったけど…。これから好きになって貰えるように頑張ろうって…」

 リズが捲し立てて赤裸々な言葉を投げかけてくる。でも、危なっかしい乙女心に、ドニはヒヤヒヤした。自分も中ば恋心を暴走させて指輪など作ったのだから人のことは言えないのだが。

「リズさん、何を言ってるんだ。他の女が好きな男と一緒になるつもりだったんだべか?自分は二番目でもいいって思っただか?」

「そんなの、本当は嫌だよ!でも、ドニが他の娘にプロポーズしちゃうって思ったから私、あの時は必死だったんだもん」

 リズが、彼女にしては珍しく静かに泣き始めたのに驚いた。いつもなら喚いて怒ってどこかへ逃げていく彼女が、そっと涙を流してじっと立っている。逃げないでそこにいてくれていることが、ドニには有り難かった。

「でも、おら達は身分が違いすぎるだ…」

「もし、身分が原因でドニと一緒になれないなら、私お姫様じゃなくてもいい」

「そんなこと、簡単に言っちゃなんね」

「簡単じゃ…ないもん…」

リズはスカートを握って俯いた。 ドニははっとして、リズの手をとった。

「おら、リズさんに釣り合うような、立派な男になるだよ! 王子様には成れなくても、きっと、リズさんを娶っても誰にも文句言わせねえぐらい、偉くなってみせる」

「ドニ…! 私には、ドニはもう王子様なんだよ」

 彼との思い出を振り返った。自分の手を大事に引いてくれたドニ。小さな傷ひとつでも心配してくれるドニ。彼はリズにとって既に王子さまなのだ。

「その指輪、ぴったりだべ?」

「…うん」

「リズさんの薬指、こっそり測ったから」

「いつそんなことしたの?」

「リズさんが居眠りしてっとき」

「もぉ…」

リズは漸く、これが自分のためにあしらわれた指輪だと実感したらしい、それが嵌った指を大事そうに胸に抱いた。

 心底ほっとしたように、リズは笑ったが、その笑顔はいつもよりずっと下手で、いつもよりずっと、ドニをときめかせた。

「めんこいなあ」

(めんこい?)

 と漏らしたドニの訛りの意味を知らないリズは首を傾げただけだった。