エリザベス王女の結婚

ドニリズ
小説
捏造設定あり

 竜との戦いが終わってイーリスが平和を取り戻してしばらく、英雄たちはそれぞれの故郷に戻り、家族と再開し、戦いの中で愛を誓い合ったものは、ようやくゆっくりと婚礼をあげ、新しい生活を始めていた。

 
 
 
・・・
 
 
 

 そんな折の城下街

 国は現在、クロム王の不在だった。彼は戦争後、慣れぬ外交にも積極的に手を伸ばし、他国に遠征することが増えた大陸中が手を取り合い、復興することが求められていたのだ。

 その最中、国を任されていた王の優秀な側近である軍師ルフレに、彼女を悩ます事件が起きた。

「ルキナ様も健やかにお育ちで、将来が楽しみですな」

「年頃には良い王子と婚姻させねば」

「年頃と言えば、エリザベス王女は今年いくつになられた 」

「17…もう18だったかな?」

「そろそろお嫁ぎ先を考えねばならない」

 月に一度開かれる元老院会議。列席するのは各官職の責任者や宮廷法律家などの位の高い官僚たちだった。そこに、普段なら王も出席するのだが、王と王妃の不在時は、王が定めた側近が席につくこといなっているため、いち軍師に過ぎないルフレだが、クロムの指名であるので彼女が王の席についていた。

 国の取り決め事や現在起きている問題について話し合う場であり、隣国との外交についても話し合われていた。王族の嫁ぎ先と言うのも、政治のひとつ。勿論、あのエリザベス王女 ー リズが年頃になったと聞けば、議会の議題になる。

「いや、王女には決まった男がいます」

「なんと!」

 ルフレは、姫と婚約している青年を脳裏に思い出しながら、要らぬ婚儀の話を止めようと進言した。
 その青年ドニとは最近顔を会わせていなかったが、戦争中共に過ごした時間が彼女にドニをありありと思い出させていた。

「どこの国の王子で」

「ああ、いや、とある村の若者で」

 ルフレがドニについて説明する前に、会議の席が湧いた。

「村の?」

「若者?」

「ご冗談を」

 何がそんなに愉快なのか…。

 自分の言葉が冗談でないことを語気を強めて説明しようとしたルフレだったが、彼らの笑い声でその声はかき消されてしまった。
 彼女は王代理の立場ではあったが、城下滞在の日数もまだ日が浅く、出身についても極秘にされているために、いぶかしがって彼女を信頼に足る者と思わない重役も多かった。クロム王から直々に国の政について決定権を与えられていたが、実際のところルフレの発言力は強くない。それもそれも、皆クロム王が人を疑うことを知らない性分だ知っていることも要因である。

「隣国のアレン王子はいくつだったかな」

「ちょうど年頃かと。しかし豊かな南の国のアデル王子との婚約もイーリス発展のためには」

 リズの婚姻話が勝手に進んでいくのを危うい気持ちでルフレは聞いていた。口を挟むにも誰も聞いていない。だが、まさか本人たちが不在の時に大事な話を決めてしまうとは思っていなかった。黙っていると、やれリズ様は気の強い王子が良いとか、いや優しい王子が良いだとか、議論が白熱している。彼女が愛されている証拠なのだが…

「では、アダム王子に手紙をだそう」

 と、話が急に決まってしまったのでルフレは身を乗り出した。すぐに忙しなく席をたち始めた議員たちは、寧ろにこやかに部屋からいそいそと退席していった。

 そういえば、クロムの結婚もそうだった。王子の結婚を元老院たちはかなり急かしていた。彼らに深い意味があったというよりは、クロムの女性気の無さに元々気を揉んでいたのでこれ幸いと話を進めていたに過ぎない。

 同じように、彼らはあのお転婆なお姫様もさっさと嫁がせようと考えているようだった。純粋な好意だが、本人たちからしたら良いお世話なのだ。
 こうして王族というものは振り回される運命なのかもしれないと、ルフレは苦笑いした。

 
 
 
・・・
 
 
 

「リズ、結婚するって本当?!」

 ソールとカラムがマーケットを歩いているリズの姿を見つけて詰め寄った。周りが声を向けられた方に視線を投げたので、三人はその場をすごすごと後にし、路地裏へ逃げ込んだ。

「もーなんなの二人とも? ドニとはもう結婚したって皆に言ったよね」

「違うよ。君と他国の王子の結婚式が三日後に執り行われるって御触れが出てるんだよ、ほら」

ソールが懐から一枚の号外誌を取り出した。

【クロム王に引き続き、エリザベス王女ご結婚か?!】と大々的に記された号外誌には、リズと他国の王子との結婚話についての記事が載っている。

口をあんぐりあけて号外誌をひったくったリズだったが、よくよく読むと公式からは単にお見合いの席が用意されるとしか出ていない事がわかる。
だがこの号外誌は既に結婚が決まっているような印象を読者、つまり、国民に与えていた。

「ドニとリズの結婚式、僕楽しみにしてたんだよ。それなのに」

「だって…」

戦後すぐにクロムの結婚式が大々的に行われ、ルキナも既に産まれていたとあって、数年は国がお祭りムードだった。さらに、忙しい王と王妃の代わりにルキナの叔母であるリズがなにかと世話をしていたので、彼女も忙しかったのだ。赤子の世話自体はメイドたちが居るのだが、両親が側に居ないのをリズが哀れんで手をかけずにはいられなかった。

一方リズの婚約者であるドニも、戦後すぐに故郷の村へ戻り、復興作業を手伝っていたので、二人はしばらく会っていなかった。

それにリズは式のことなど考えていなかった。籍を入れれば夫婦になれるし、急ぐこともないと思っていたし、既に彼とは夫婦のつもりでいた。ウェディングドレスに憧れてはいたものの、戦時のことを思い返せば、ドニが生きていてくれただけでも彼女にとって喜ばしいことだったのだ。
結婚式よりも、早くお互いの仕事を片付け、ゆっくり夫と暮らしたいと願っていた。式はそのあとで、挙げるか挙げないか決めようと。その最中だった。

「ドニは何時戻るんだい?」

「この前僕に来た手紙には、近々リズに会いに城下へのぼるって言ってたけど」

ソールとカラムの話はもうリズの耳に入ってこなかった。彼女は口許をわなわなと震わせながら引ったくった号外誌を握りしめ、二人が呼び止めるのも聞かずを置いて城へ向かって走り出した。

「ルフレはどこ?!」

城へ帰ったリズはまずルフレの姿を探した。だが、彼女は見当たらない。近くのメイドが

「軍師殿は一週間ほどお出掛けになっております」

と、リズに会釈しながら答えた。

「じゃあ、アメリおばさんは?」

「秘書頭でしたら先ほど図書室でお見かけしましたが…」

聞くや否やリズは図書室へ走り出した。秘書頭なら今回の騒動も把握しているはずだ。図書室前の廊下を走っていると、二人のメイドを引き連れた上品な中年の女性が図書室から出てくるのを見つけてリズは駆け寄った。

「ねえ、私の結婚話が上がってるって本当?!」

秘書頭は眉を寄せてリズに振り向いた。リズのが突きつける号外を、眼鏡をかけ直して確認する。

「こんなものが出回っているのですか。気の早い。向こうの王子が姫の絵を見て是非にと」

「絵って…なにを送ったの?」

「ほら、去年かいてもらった肖像画ですよ」

「あ…」

覚えがある。一年前、兄の結婚の年、王と王妃の肖像画の制作がされたとき、リズの絵も描かれる事になったが、なにぶんじっとしていられない性分のリズは絵師に

ー「適当に美人に描いといて」

と言い残して自身はふらふら城下を飛び回っていたのだ。絵師は王女の命令通り、美しい女性にリズを描きあげた。

「姫様、良いじゃありませんか。隣国のアベル王子は、素敵な方とのお噂ですよ」

メイドの一人が戸惑っているリズを励まそうと声をかけた。

「会ってみたら恋が始まるかも!」

もう一方のメイドも乗り出してくる。二人の気遣いは嬉しいのだが、リズは俯いてもじもじと両手の指を絡め合わせた。

「実は私、結婚してるの…いや、婚約かな……」

「え?」

左手の薬指に嵌まるドニの手作りエンゲージリングをメイドと秘書頭に見せる。

「まあ!姫様、そんな大事なことをなぜ言って下さらなかったのです…!」

「だって、照れ臭くて…」

「どこの王子なのですか」

「へ?!ドニは別に王子じゃないよ。東方の小さな村で農業してた」

「の、農夫?」

「でも、自警団で活躍する傭兵だったよ?」

「傭兵?!」

「姫様、まさかたぶらかされたのでは」

「王子の件もありますし、あまり身分の事は申し上げたくはないのですか、王が下の身分のものを娶るのとは訳が違うのですよ」

リズは口を開けて三人を見上げた。マリアベルにも忠告された事だが、身分差の結婚は自分が思ったより簡単ではないらしいということを実感する。

この秘書頭やメイドは決して悪人ではない。寧ろ優しい人たちだ。だがリズを案ずるあまり、見知らぬドニ勝手に想像している。

「ドニを知らないから…」

「姫様?」

「私、結婚なんかしない!」

リズはその場を走り出した。メイドたちはお互いを見合わせるも、リズ普段の駆けっぷりをしっていたので追っては来なかった。

リズといえば、自室に隠り乱暴に鍵をかけ、ベッドの上で悔しさに一頻り涙を流したあと、むしゃくしゃした気分を張らそうと一旦外へ出ようとした。

「あ、あれ???」

部屋のドアが開かない。誰かが鍵をかけたのか。しかしリズはふと思い出した。
これはイーリスの風習のひとつだ。婚姻前の姫は部屋から出てはならず、召使いの乙女が入る以外は鍵を閉め、外部から男子の侵入を防ぐのだ。

「そ、そんな!出してよ!!誰か!」

廊下には誰も居ないのか。返事が返ってこない。

「こうなったら…!」

 
 
 
・・・
 
 
 

その時よりすこし前、ドニが城下町入り口の門をくぐった。
農作業の合間に暇を作って、しばらく会えていない婚約者を訪ねて城下へ来ていたのだ。それが今朝の、日も上らぬ早い時間だった。

本当はクロムから与えられた立派な馬があり、それを走らせれば3日もかからず着くのだが、村の復興のための大事な労働力になるので母のもとへおいてきた。そのため、一週間ものんびりかけて来てしまった。

時間も時間のため、ドニは宿をとり、身を清めてベッドに横になった。夜通し歩いて疲れきっていた彼が目を覚ましたのは当日の午後も遠に過ぎた頃だった。

「あっ!ドニ!」

宿を出て、城を目指しマーケットを歩いていたとき、つい先ほどリズに号外誌をひったくられたソールとカラムが、ドニの姿を見つけて声をかけた。

「ナイスタイミング!いや、逆に悪いのかも…」

というカラムにドニが首をかしげた。久しぶりの再会を喜ぶドニへの挨拶もそこそこに、カラムは自分の号外誌をドニに見せ、ソールが事態を足早に説明する。

「たぶんリズは部屋に鍵をかけられて出られないよ。男の僕らじゃドアの前を通ることもできない」

ソールの説明が終わらないうちにドニの顔が強ばっていく。

「お、おら…そんな事絶対認めらんねえ!」

ソールもカラムも神妙に頷いた。そして、一番近いソールの家へ場所を移した。ティアモがセレナを抱いて三人を出迎える。

「セレナ、おっきくなっただなぁ」

ドニとの再開も早々に、聡明なティアモは男たちのただならぬ空気を悟り、娘を寝室へ連れていった。
荒ぶっていたドニの気が、赤子の笑顔に鎮められたのをみてカラムはほっと息をつく。ソールが丁寧に紅茶をいれて持ってきた。

「ドニ。僕たち協力するよ」

「いや、ソールとカラムはナイト様だ。おらがこれからやろうとしてることなんか手伝ったらお尋ね者になっちまうべ」

「彼女を拐う気かい?」

「リズに会いに行く。そんだけだ」

「簡単に言うなぁ」

とカラムは腕を組んだ。ドニの戦ぶりを目の当たりにしているので、ドニがリズの元に辿り着くのを容易に想像できたが、そにために城は大騒ぎになるはずである。穏やかなカラムはそれを懸念せずにはいられない。

「リズに気持ちさ聞いて、おらのこと選んでくれるなら、そんときまた考えるべ」

「でも、リズの部屋は城の高い場所にあるよ」

「関係無え。おら行くべ。場所だけ教えてくんろ」

二人は顔を見合わせた。目の前の男は素朴な青年に見えるが、言ったことは必ずやる。自分達がなにか根回しできることがあるならそうしよう。そう約束し、ドニを送り出した。

 
 
 
・・・
 
 
 

見た目に沿わず直情に行動するドニである。それは直感が働くからであった。
彼はまず、リズが幽閉されているはずのイーリス城の周辺を遠回しり歩いた。普段、罠を仕掛ける前段階で立地を観察する時のように、堀や石垣を注意深く探る。そして、番兵の目を掻い潜りながら敷地内の森へと侵入した。

リズの部屋を確認すると、彼は森に身を潜め、日が暮れるのを待った。隠密行動は得意ではない。夜動いた方がよいと判断した。
一本の木上に体を休めるところを見つけると、そこはちょうど良くリズの部屋が見えた。

今すぐにでもあの部屋へよじ登って彼女の姿を見たい。そんな気持ちを押さえるように目を閉じる。城の敷地内とあって、時折巡回中のイーリス兵が足元を過ぎていくのを、ドニはじっと息を殺しながら日が沈むのを待った。

まだ夕日の光が城を照らしてはいたが、星がちらほら瞬いてきた頃。ふと、城の上層部の部屋の窓からなにかが身を投げたように見えた。あれはカラムとソールが教えてくれたリズの部屋のはずだ。
ドニは目を凝らした。良く見ると、布のようなものだった。するすると、垂れ下がっていくそれは、一定の長さで玉になっている。ドニはじっとそれを見た。
シーツ?布団?カーテン?
そして、下の部屋のベランダまで届く長さになると、布が顔を出している窓から、見覚えのあるレモンイエローの布が見えた。いや、あれは

(あんれ!リズ!)

リズが、心もとなく垂れ下がった布にしがみつきながら、ゆっくりと下の階へ降りようとしている。それを見ていたドニの心臓は飛び上がった。あまりに危険である。
日が沈むのを待ってられなくなったドニは木から飛び降り、リズの真下の石垣に絡まる蔦を飛ぶようによじ登った。

リズがなんとか下の階のバルコニーへ降り、息をついていた。

「厳しい…」

と漏らすも、これもドニに合うためだと思うと息を飲み込んで顔をあげる。バルコニーから下を覗くと、あと3階分はあるだろう高さだ。しかしリズが驚いたのはそれにではない。

(ドニ!)

ドニが、2階の部屋のひさしの上に立っていた。二人とも目が合うが、声を出せば誰かに見つかってしまう。感動の再開とは程遠いお互いの視線のやりとり。
「そこで待て」の合図として、ドニが手を伸ばした。しかし、リズはそれを「来い」と捉えたのか、バルコニーの端に絡まる蔦にてをかけて降りてこようとした。

「わぁ!待て待て!あぶねえ!」

「え?」

思わず叫んだドニに、リズが気の抜けた声を出して下をみた。途端、バルコニーからリズのブーツが滑り落ちて、リズがドニ目掛けて落下する。

ドニがリズの体を身で受けながら、一階まで落ちる。

衝撃を覚悟したリズだったが、ぐっと体が空で止まった。

「ふぅ」

というドニのため息に目を開けると、ロープが2階のバルコニーにしっかり縛り付けられ、ドニと自分を支えていた。ドニはロープを切ると、二人は今度こそ地面へ立った。

「死ぬかと思った」

「おらの台詞だべ!なんってことしてんだリズ!」

「ごめん…。でも、ドニはどうしてここに?」

あまりにも都合よく登場したヒーローのように見えるドニの出現。ドニ本人からしたら随分前から張っていたのである。

「閉じ込められてるって聞いたから」

「助けに来てくれたの?うれしい!でも私、窓から逃げてきちゃった」

へへっと笑って苦笑いするリズに、ドニは眉をひそめた。

「二度としねえでけろ…」

厳しい表情でこちらを見つめるドニに、リズは自分でも悪いと思っているのか、反省したように俯く。

「…でも、でも…ドニに会いたかったんだもの」

「う…!遅くなってすまねえ。とにかく、ここを離れるべ」

そして、リズはドニを城の隠し通路まで誘導した。自分が秘密裏に城下へ出かけるときに使っているものだ。もとは王族が敵の侵略から逃れるために作られたそこは、暗く狭い通路になっていて、しばらく進むと袋小路にたどり着く。
行き止まりの壁をリズがそっと押す。ドニの目には白いリズの腕がぼんやり映り、厳つい岩の壁を押したように見えた。壁が動くのを、驚きながら目を凝らして見てみれば、その壁は重厚そうに見えて薄く積まれたドアになっていた。
そこを通ると、広い地下道にでた。上から少しだけ太陽光が射し込み、視界が開ける。そして、いくつかの扉の一角の一つをリズが開けた。

「最近使ってないから、ちょっと借りよう」

「なんだべさ、ここは」

「まだ自警団が少人数だった頃、拠点で使ってたの。本当は別にもっとちゃんとした出入口があって、さっきの通路は私とお兄ちゃん、お姉ちゃん、それと数人しか知らないんだ。ドニも、他の人には秘密だよ」

そんな王族の秘密を簡単に教えられ、ドニは呆れ気味に笑った。この状況では仕方ないのかもしれないが、危なっかしい。リズは近くの松明に灯りを灯し、周囲を見回した。

「休憩スペースに、まだ布団が残ってた」

「有り難え。使わせてもらおう」

リズが「疲れたぁ」とぼやきながらベッドに腰を下ろすと、埃が舞った。

「うえっ、もー!やんなっちゃうよ」

「贅沢言ってらんねえべ」

「そうだけど…。それもこれもみーーーんなお城の皆のせいなんだから!急に結婚の話なんか出るんだもの」

リズの隣に腰を下ろしたドニが思い出したように身を乗り出す。

「リズはその結婚、受けるだか?」

「まっさかあ!私はドニのお嫁さんになるんだから!」

「リズ…!」

二人は埃舞うベッドの上でぎゅうっと抱き合う。途端、噎せて咳き込んだのでお互いすぐに離れた。

「好きな人と結婚したいってそんなに難しいのかな」

「え?」

「ドニが農夫って知ったら皆反対するの」

「…」

「皆ドニを知らないから。ドニがどんなに勇敢で、強くて、優しくて、賢いか」

確かにドニという青年は、身分を除けばクロム王が一目置くほどの、有能な戦士だった。彼から勇者の称号を与えられ、戦争の後は王から立派な鎧や馬を贈られて村へ帰ったのだった。

「身分なんか」

「皆リズを心配してんだ」

「…わかってる」

「そんな顔すんな、リズ。なんとかなるべ。間違った結婚だってわかったら、解消もできるべさ?」

リズの背をたたくドニ。しかしリズの顔は晴れなかった。

「でも、結婚って…式の後…」

「え?」

「式の後、夫婦でその…夜……」

ドニの顔がサッと青くなった。つまり、式の後、初夜の情事が義務付けられているということを、リズは言っているのである。

「え!そ、そうなのけ?!」

「ドニの村では違うの?」

「そんなこと、本人たちの自由だべさ!」

リズは頭を抱えた。そりゃあ普通はそうだろう。たが王族はそうはいかない。

「だから焦ってるのにぃ!」

「式はいつだ」

「明後日」

「う?!…クロム様は? ルフレさんは?」

恐らくこの騒ぎを止められるのは二人だけだろう。しかし

「お兄ちゃんは暫く帰ってこないよ。ルフレは一週間ぐらい出掛けるって。なにしてんのかなぁ。まさか式の準備じゃないよね」

「ルフレさんはおらたちを祝ってくれただ。会って話せば助けてくれる。それに、王がいないのに姫の結婚式なんかすんのか?」

「う~ん…珍しくはないかなぁ。結婚は政策の一つだし。私もよくわからないよ」

「王族って大変なんだべな…」

そして二人は沈黙した。あと自分達が出来ることは…

「このまま、リズを拐って逃げちまうべか」

ドニの表情も声も、冗談をいっているものではなかった。

「私も逃げたいな、ドニと…」

「おら、負けねえよ。誰にもリズを渡さねえ」

「知ってるよ。だから、私がここで頷けば、ドニは本当にお尋ね者になっちゃう」

「そんなこと良いんだ。リズを無理矢理抱こうなんて男が居たら、相手が王子様だろうが、殺してやる」

ドニが、普段通りの顔でそう呟いた。リズは一瞬だけゾッと背筋を凍らせる。
そしてドニはリズの胸中など知りもせず、彼女の顔を覗き込んで、物騒な言葉とは裏腹に優しくキスをした。

出会ったころの少年ではないのだ、目の前の男は。戦いの中で、否応なく育った攻撃性は、自警団のどの男も持っている。敵と見なせば容赦しない。そして、自分に危害を加えるものを、ドニは許さないということをリズは知っていた。

優しい少年を変えたのは、戦争か、自警団か、それとも自分なのか。わからない。ただリズはドニの首に手を回し

「うん」

とだけ応えた。

暫くじっと抱き合っていると、ドニがぴくりと肩を震わせた。

「……リズ、そのまま静かに」

ドニがリズの耳で囁く。遠くから足音が微かに聞こえてくるのをリズも聞いた。その音は、石畳によく響き、恐らく衛兵のものであると分かった。二人は立ち上がり、身構える。足音がすぐそばまで迫って来たが、この部屋は逃げ場はなく、二人は兵らの侵入を待つしかなかった。

「いたぞ!」

囲まれ、ドニは側の剣を手に取った。かなり錆びているが、振るえば凶器になる。部屋の入り口から一人がドニへ向かって槍を突き出すのを、リズを背に庇いながら払い、相手ごと得物を退けた。

「ドニを傷つけないで!」

背中からリズが声を上げた。
10人ほどだろうか、リズの声に兵士らはお互い顔を見合ってたじろいだ。だが

「リズ様、みな心配していたのですよ!」

「そこの賊!リズ様をどこへつれていく気だ!」

と、口々に二人へ良い放つ。ドニはなにを思ったか、剣を捨て、リズに振り返った。

「おら怪我なんかしねえ」

そして、両手を挙げて衛兵の中へ一歩歩きだした。

「と、止まれ!」

言われてドニは大人しく立ち止まった。

「エリザベス様誘拐の罪で逮捕する!」

そう宣告されながら、ドニは縄をかけられた。

「えええ!!」

リズの驚愕の声が拠点の廊下の先まで木霊した。

 
 
 
・・・
 
 
 

「ちょっとお!!ドニを放してよ!!」

城の地下深い場所に、簡易牢獄が設置されている。昨晩よりそこへ投獄されたドニは、自分の状況よりも目の前で喚き散らすリズに気を揉んでいた。

「そう言われましても…姫様どうか、衛兵長へお話を通してください」

ドニよりもリズに困っているのは牢の番兵だった。朝からリズはドニの牢屋から離れようとせず、地下室中に響き渡る声で騒ぎ立てている。

「リズ。その人、困っとるでねえか」

「ドニは何も悪いことしてないじゃない!どうしてそんな冷静なの?!もー!」

「だって、皆リズのこと心配してるだけだったでねえか。だからつい…」

つい、降伏の姿勢をとってしまった。そう言いたいのだろう。
確かにあの時、仮眠室の狭い部屋で剣を振るってリズに怪我をさせかねなかったし、自分が大人しくしていれば衛兵たちは粛々とドニに縄をかけるだけで騒ぎが大きくなることも無かった。

「この国の人がリズを無理矢理結婚させたりしねえ。でももし本当に式をあげるなら、そん時は、こっから抜け出して助けに行くべ」

ドニの言葉を番兵はいぶかしんで聞いていた。どうやってここから出るつもりなのだろう。

「ほらほら、リズはもう部屋帰って飯でも食うだよ。昨日からなんも食べてないべさ」

何故か囚人に諭されながら、リズはしぶしぶ牢屋を後にした。

リズがその場を離れると、暫くして番兵がドニに声を駆けた。
普段は囚人と不用意に話すことは禁じられているが、リズがあれほど気にかけているので、間違いがあるのではという疑問は、ドニを捉えた場に居た衛兵は皆持っていた。

とはいえ相手は形式上は囚人なので、番兵は無作法にドニを睨みつける。

「リズ様と良い仲なのか、お前」

「婚約したんだ」

ドニの方は、兵士たちになんの恨みもないため笑顔すら返した。それが余計に番兵を混乱させた。

「自警団に居たのか」

「んだ。クロム様とリズに救ってもらった村人だ。恩返ししたくて…いや、強くなりたくて、入団希望したんだ」

「リズ様がお前のような田舎者のどこに惚れたんだ」

「それは、リズに訊いてくんろ。あの人はちょっと変わってっかんな」

「言えてる」

言って、二人は微かに笑いあった。

「ドニと言ったな。私たち城の者は、リズ様を娘や妹のように慕っている。結婚されるとしたら良きお相手…と、皆が願っている。クロム王もリズ様も、私たちの家族のようなものなのだ」

ドニは牢の暗がりでじっと番兵の言葉を聞いていた。

「村人、仕事はなにをしている?」

「畑を耕してただよ」

「ファーマーか…。想い合っているのはわったけれど、お前が姫を幸せにできるのか?一介の農夫に?私はそれが…心配だ」

「おら、未来の結果は約束できねえ。でも、命かけて幸せにする気だ。リズのためなら何でもする」

「…」

「あんたらがリズを大事にしてると思ったから、大人しく捕まってっけど、誰かが彼女を傷付けるってんなら、容赦しねえ。明日の結婚式で、リズが望まない王子と結婚させられるってんなら攫いに行く」

「自由を奪われている囚人の身で何を言うんだ」

「言ったろ。おら、リズのためなら何でもする」

番兵は次第にドニに対する態度を変えていた。何の力も持っていないように見える青年だが、眼光だけは、その言葉が嘘でないことを語っているように見えた。番兵はドニがリズのために何を起こすのか気になった。単なる好奇心もそうだが、自分ではリズの望まない結婚を止められない事を解っていて、この囚人にはそれが出来るのではないかと言う希望が見えたのだ。

「ドニ、実は…。式は明日だが、夫婦の初夜は今晩なのだ」

「…え?」

「相手の王子が今晩リズ様の部屋へ通される」

「な!…それがどういうことか皆わかってんのけ?!」

「だが、ご結婚相手は紳士だと聞く」

「会っただか?!誰がそれを確かめた!」

「いや…だが…」

急に高ぶったドニの剣幕に番兵はたじろいだ。もちろんこれは彼の嘘だった。それを知る由もないドニは番兵と自分を隔てる鉄格子に手をかけ、力の限り圧し開こうとした。
番兵は一瞬、がっくりとうなだれた。ドニに対して希望を持っていたために、彼が何の策も打たず、ただ力任せに鉄格子にしがみついて喚くだけしかできないのかと呆れたのだ。ここは確かにB級犯罪者用の簡易牢ではあるが、こんな田舎者の青年に壊されるような柔な作りでは無いはずだった。

だが、すぐに番兵はその考えが間違いだったことに気付く。牢の石積の壁は不穏な音を立てる。

「ま、まさか…」

「ぐぅッ!…!!」

ドニがさらに力んだ。服でかくれた彼の筋肉が大きく膨張する。鉄格子の嵌っている冷たい石に、亀裂が入る。見張り番が戦いて牢から離れたその瞬間、番人の肩を叩くものがいた。

「ドニ」

「…あ!!ルフレさん!」

ドニはパッと鉄格子を離した。その反動か、地下牢にパラパラと細かい石が落ちる。

「危ない危ない。勇者をこんな簡易牢に入れて…壊されるところだったわ」

「す、すまねえだ!壊すつもりではあったけんども、中々かたくって困ってたんだ、ルフレさん、出してけろ!リズを迎えに行くんだ」

「そんなこと、しなくていいの」

「な、なして…!」

ルフレはニヤリと笑みを見せた。それは、戦争中にドニが何度も観た、彼女が勝利を確信したときの表情だった。

 
 
 
・・・
 
 
 

翌日

寝ぼけ眼のリズは日の出前からメイドの集団に起こされ花嫁の支度をさせられた。喚いて拒否しても良かったが、ドニの言葉が気になった。

ー 本当に式をあげるなら、そん時は、こっから抜け出して助けに行くべ ー

ドニを信じて待っていたが、ついに式が始まろうとしている。
若い乙女向けの物語でよく見る、誓いのキスの間際に「その結婚待ったーーー!」と訴えるシチュエーションを想像して「まさかね…」と呟いた。

リズは大人しくされるままに花嫁衣裳を纏いながら

「こうなったら、相手の顔を蹴り飛ばしてこんな式壊してやるんだから!」

と企んでいた。

城に併設されている教会は、普段は市民に解放されているが今日は限られたものしか出席していなかった。元老院数名は勿論、なぜか自警団のメンバーの姿もあった。
花嫁姿のリズが恭しくヴァージンロードを歩くのを、祝いの言葉も無く皆見守っていた。
それから、進行の秘書頭が大きく新郎の名を読みあげた。

「本日、エリザベス様との結婚式に馳せ参じられました。我が国に大きな戦力を提供し、勇気と知恵に富んだ由緒正しいお方です…

南東の勇者ディオニュシウス様…!」

リズはウンザリしながらその名を聞いていた。覚えにくいうえに聞いたこともない男の名である。

教会の入り口の扉が開く。外の日光でよく見えないが、白い花婿衣装の青年が立っていた。こっちにゆっくりあるいてくる。後ろで数名がざわつく声が聞こえたが、厳粛な雰囲気がありリズの耳には言葉は聞こえなかった。

リズは正面を向いていて、目を閉じて相手が隣に立つその時を待っていた。どんな面の王子だろうと、まずは睨みつえてやろうと、構えている。ああ、ドニ、今すぐ駆け出して会いに行きたい。折角のウエディングドレスを一番に見てもらいたかった。

「リズ」

隣にたった花婿が自分の名を呼んだのだ。ドニのことを想いすぎたのか、彼の声に良く似ていると思った。

リズが一呼吸置いて、隣を睨む

「…ディオ…ニュシウス様、お呼びして大変申し訳ないのですが、私、決めた男性がおりますので」

と、普段使ったこともないような敬語を絞り出しながら男を見上げる。

「…」

「…」

向かい合ってお互いの顔を見ると、リズは目の前の美丈夫が非常に婚約者ににているので言葉を失った。

「リズ、おらだべ」

化粧を施され、いつものドニとは少し分かりづらかったのもあり。何度も瞬きしながらリズはドニを見つめた。
固まってしまったリズに、ドニは小声で声をかける。

「ドニだ」

隣では神父が祝辞を唱えていた。リズが目を見開いて「なんで?!」という視線をドニに投げかける。

「ルフレさんに言われるまま…」

ルフレの名を聞いて、リズはゲスト席を見回した。元老院席の後方で、ルフレが二人に満面の笑みを向け小さく手を振っていた。

謀られた…!とリズはすぐに悟った。彼女の事だから何かあったのだと思うが、こんな性急に結婚式をされられる身になってほしい。とリズは内心恨み言を放った。

けれども、同時に感謝した。望まない結婚など最初から無かったのだ。このまま隣の愛する男と誓いを立てることができる。リズはようやく今の状況の幸せをかみしめた。言ってくれれば、もっとちゃんと鏡を確認して、素敵なレディーとして彼の隣に立てていたかもしれないと思うと少しだけ後悔した。

「この国の人たちは皆いい人だ。おらが居なくてもリズは幸せになれる。けんど…」

「…」

ドニがふっと微笑んだ。神父の言葉が教会に響いている。


愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません

 
 
 

「おら、リズをもっと幸せにしてえ」

 
 
 

ディオニュシウス、汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?

 
 
 
「誓います」
 
 
 
堂々と、力強い声でドニが言った。
 
 
 
リズの目頭が熱くなる。


王女エリザベス、汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?

 
 
 
「誓います」
 
 
 
リズがようやくドニに笑顔を向けた。それは幸せそうだった。
 
 
 
「それでは誓いのキスを」

 
 
 
 
 
 
・・・
 
 
 
 
 
 

「で、何でこうなったの?」

今しがた式を終えた花嫁と花婿に迫られ、ルフレは苦笑いした。
元自警団の面々は二人に各々祝福の言葉を投げかけて教会を後にしていった。皆が「ルフレに急遽招集されたんだ」と口々に言っていたのである。
「実は…」と、ルフレは事の流れを説明した。

リズのお見合いが決まったあとの事…

元老院が席を立ち始め、ルフレは焦っていた。お見合いを止めなくてはならない。そこで、部屋を出て行こうとする外交責任者に声をかけたのだった。

「そのお見合いの準備、私にお任せ頂けないでしょうか」

「ルフレどのが?しかしこれは国の重要なことで軍師どのには」

「じつはアダム王子とは面識がありまして…。以前クロム王の自警軍を指揮して領地をお守りしたこともあります。婚約と戦争は紙一重。税や輸出入でよりよい条件でイーリスが婚約できるよう根回し致しましょう。こちらに恩があるエーデン国ですから、拒みますまい。あなた方の懐も潤いますよ。その事を詳しく知る私にお任せいただけます?」

ルフレは噓八百を早口でまくしたてた。「それならば」と、連絡係を任せられたのである。

そして、ドニにこのことを説明しようとして、彼の故郷へ単身竜を飛ばしていた。だが、ドニは数日前に村を出て、イーリスへ向かっていたである。入れ違いに焦ったルフレだったが、ドニとリズの足取りを追う中で、強行して結婚式を執り行ってしまおうと考えた。

元老院らには「若い二人がお互い了承の事なので、見合いではなく式とする」と連絡し、式の準備をしながら伝令兵にかつての仲間たちを出席できるだけ集めたのである。

「じ、じゃあ、私の部屋に鍵をかけたのは誰?!」

「リズの部屋の鍵は壊れていたのよ」

「あ…」

ルフレが急いで城へ戻ると、リズのドアが開かなくなっていた。鍵師を呼び、診てもらうとどうも一部が破損していたらしい。リズは、あの時悔しさで乱暴にドアの鍵をかけたのを思い出す、居た堪れなくなって肩をすぼめた。

「今回は急だったし、形式上のものだったので、今度ちゃんとした式をドニの村で行っては?クロムも出席したいだろうし」

というルフレの提案に、二人は頷いた。軍師のこの策略のおかげで、今後はリズに不要な見合いの話も来なくなるだろう。

「ドニ様、ご無礼をお許しください」

1人の兵士がドニに声をかけた。あの番兵である。

「クロム様から勇者の称号を与えられた戦士が居ると一部でうわさになっていたのですが、貴方だったのですね」

クロムはよく、自警団の活躍を兵に語ることがあった。それぞれの活躍を語り継いでほしいという彼のささやかな願いからだ。その中に、先陣きって屍兵の中に突っ込む隊の話を、ドニの武勇伝としてクロムは話していた。

「やめてくんろ。おら本当に、ただの村人だべな」

頭を下げる番兵の手を取りながらドニが笑った。

「兵士さんにも誓うべ、リズの事、大事にする」

「宜しくお願いします…!」

そして、ドニが本当は身分も無い農夫だと知れ渡った後も、だれも彼とリズの結婚を反対する者は居なかった。元老院は彼の戦士としての功績を無視できなかったのである。城の者たちも、彼の人柄に皆喜んでリズを託した。

 
 
 
・・・
 
 
 

「うおおおおお!リズううううう!!!」

青空の下にクロムの叫び声が木霊する。村の小さな教会の前に、村中だけでなく、自警団も加わり大勢が集まっていた。あるカップルの結婚式が執り行われたのである。花嫁は、花婿の母の手で裁縫された美しい衣装を纏っていた。城での結婚式よりだいぶ質素であるが、リズは非常に気に入っていた。
ドニの母は涙を流しながら二人が大勢から祝福されているのを眺めていた。

「お兄ちゃん、煩いよ!」

人一倍涙を流しているクロムにリズがツッコんだ。笑い声が響く。僧侶リベラの合図とともに、フラワーシャワーが舞った。
咽返る花の香りと、青臭い木々の合間から落ちる光に包まれながら、二人は浮かれたキスをした。