My Dear Creature -2-
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連載:My Dear Creature
それから彼女は俺に言葉と文字を教えてくれた。彼女の家には本がいくつもあったから、それを読み聞かせてくれた。俺は本が大好きになった。それを教えてくれる鹿乃も大好きだった。俺は彼女と本から人間の生活や物語を知った。本当は冷たいばかりじゃない、暖かい愛が人には存在することを彼女は本を通して教えてくれた。
「いつか行ってしまうの?」
「行くってどこにだ」
「もしあなたの記憶が元に戻ったら、ここから去ってしまう?」
目が覚める前の記憶を持たない俺に彼女は「記憶喪失かもしれない」と診断した。だから、この頃の俺は自分をそう思っていた。
「ここに居てもいいか」
「いつまでもいてください」
俺は鹿乃を愛していた。愛とは、本で読んだ通りだった。暖かくて優しい感覚のそれは心地よく手放しがたいものだった。
けれども俺たちの生活は長く続かなかった。彼女の亡くなった父の貯金が底をつきそうだったけれど、女一人では満足な仕事もないこと。生きることに困窮していることを教えてくれた。それなのに彼女は、残り少ないパンや、父の遺物の衣服を俺に分け与えてくれたのだ。
「いいんです。一人で食べたら寂しくて死んじゃいそうだったから。大事な人と食べるから価値があるの。でももうパンも手元にないし、貴方にあげられる物がなくなっちゃった…」
鹿乃は花売りの仕事をしていたが、1日に稼ぐ賃金は雀の涙ほどだった。「もう体を売るしか」と口に漏らす彼女を思いとどまらせ、俺は町へ降りて行った。俺一人生きていくなら森に入っても食べ物はあるけれど(本が教えてくれた)鹿乃はそうはいかない。家が建っている土地には税がかかっていて、それを払うのに精一杯だったようだ。俺ほど体も強くない彼女にはあの家が必要だった。最近寒さで体調を崩していたようだったし、暖かい毛布一枚でも欲しい。
森を出て町を歩き回ったが当時の不景気で仕事どころか浮浪者が街に溢れかえっていた。人々の話は疫病の噂で持ちきりだったので、路上に座り込む浮浪者の中には息をひきとるものもいるのに誰も触れようとはしなかった。
勿論顔を隠したままの俺を受け入れてくれる場所もなく、仕方なく林で食べられそうな山菜や果物を探すために森へ戻った。彼女に良い報告をできないので気が滅入ったが、そんな気分は小屋に戻ると悪い意味で吹き飛んでしまった。
「とりあえず家具は後日だ。金目のものを探せ!」
中から聞こえてくるのは明らかに男の声だった。小屋に駆け入ると、数名の男が部屋を物色していた。彼女の姿が見当たらず、俺は困惑と怒りで男たちの一人に飛びついた。
「鹿乃はどこだ!」
途端、男たちの叫び声。俺の顔を見たのだ。やはり恐ろしいと見える。彼女はいつも俺に微笑みかけてくれたけれど、彼女以外の人間には俺は完全に怪物なのだ。
「なんだこいつ!」
「この家に娘がいただろう!どこにやった!」
「こ…ここの家は地主が買い戻した。俺たちは雇われて荷物を回収しに来ただけだ…!娘は疫病に感染していたから隔離施設に…」
男が言い終わるや否や俺は駆け出した。町の人間に施設の場所を片っ端から聞いて回ったので大騒ぎになった。勿論あの時と同様民衆は俺に罵声や石を浴びせ捕まえにかかろうとしたが、あの時ほど怖いものはなかった。彼女を連れ戻すことで頭がいっぱいだったのだ。
路地裏へ逃げ込み施設への道を走った。
町外れにある暗い建物がそれとわかり足を踏み入れると異様な気配を感じた。死臭だ。何人もの患者が放り込まれ、治療など施されないまま遺体の捨て場所となっていた。こんなところに鹿乃を閉じ込めたのだろうか。俺はめいいっぱい彼女の名前を叫んだ。
「怪物さん」
細い声が微かに聞こえて、声を頼りに施設を回った。低い鉄格子の先に掘られた牢屋があり、彼女は暗く冷たい石と土の壁の中裸足で座っていた。
「私病気なんですって。感染るから、来ないで」
「どうしてだ、帰ろう!」
「でも、あなたに感染る」
「俺を一人にしないでくれ」
「私も一人は寂しい…!帰りたいよ…あの家で、あなたともう少し一緒に暮らしたかった…」
彼女が体を震わせて泣いていた。俺は鉄格子を握る腕に力を入れ、それを取り外そうとしたが、それは大きく軋み、そこから壁にヒビが入った。これ以上壊すと彼女を牢に埋めてしまいそうだったので俺は鉄格子から手を離した。
「それが外れたところで、入り口がこんなに狭かったら無理です」
囚人に酸素を供給しているだけの、床からたった数センチしかないに窓に俺は這いつくばって顔をのぞかせた。
「お前を俺から奪った奴らが憎い」
「憎い?」
「殺してしまいたい」
「人を傷付けないで。おねがい。愛してます。だから…本当は私だってここから逃げてあなたと…!」
「お前を愛しているんだ!」
「ありがとう。最後に優しくしてくれて」
それは俺のセリフだ。彼女はさらに言葉を並べようとしたけれど、俺を追ってきたのか、人々の足音がそれをかき消してしまった。
「火をつけろ!」
「怪物と感染者たちを殺せ!」
建物の外から民衆の声が聞こえた。
それからのことは記憶が曖昧だ。火が建物を包み、俺は酸素を求めて苦しむ彼女に手を伸ばしたくて鉄格子を無理やり壊した。牢は簡単に崩壊した。俺を取り囲む人間たちは各々の得物を俺に向けたが、それを全てなぎはらい、火の迫る瓦礫の中から彼女を引っ張り出して俺は逃げ出した。
― 人を傷つけないで
あの子はそう言ったけれど、それでも人間が憎い。憎くてたまらない。俺は雪の積もる極寒の山へ彼女を抱いて登って行った。俺はまったく寒くなかったし、彼女の心臓は遠に止まっていたから震える姿を見ることもなかった。いっそ安らかで愛らしい鹿乃の死に顔は眠っているだけのようで、俺は悲しんでいいのかよくわからなかった。
ただ鹿乃の亡骸を抱いて雪の中を歩いていた。彼女の体がどんどん凍っていくのを見ながら俺はゆっくり鹿乃の死を実感していった。
また一人になってしまったのだ。
雪の中に鹿乃を横たえ、その冷たい寝顔を眺めた。愛し合う人間同士がするようにキスをした。子供向けの絵本にあった王子と姫がキスをするシーンを彼女は気に入っていたのだ。けれども俺のそんな愛情表現を喜んでくれる彼女はすでにここには居なかった。
さよならだ。俺の愛した人。俺を愛してくれた人。
ただ存在しているだけだった俺に生きる目的を与えてくれた彼女を失って、再び意味を失ってしまった俺の生は一体これからどこへ行こうというのだろう。だらしなく垂れた腕をコートのポケットに突っ込んだ。
「ん?」
硬いものが手に触れて、取り出してみると一冊の日記が入っていた。どうして今まで気づかなかったのだろう。今なら文字も読める。そう思って日記を開いた。彼女の隣の雪のベッドに横たわりながら、俺は日記を開いた。いつも彼女が1日の終わりにベッドで本を読んでくれたように。二人で最後の時を過ごそうと思ったのだ。日記の内容は、一人の男の何気ない日常の思いの吐露だった。
― ◯月×日
― 故郷から悲しい知らせが届いた。愛してやまない母がこの世を去ったのだそうだ。父の涙ながらの手紙が痛々しい。人が死ぬのは悲しいものだ。もしも人を生き返らせることができたら…僕は子供の頃からずっとそれを考えている。
そんな出だしではじまった日記。日記の主は愛する人を失って悲しんでいるようだった。今の俺と一緒だ。
― ◯月×日
― 尊敬する教授が秘密裏にしてた研究を見せてくれた。再生の研究だ。理論は僕の考えとそんなに違わなかったが引っかかっていた問題についてよく考察されていた。さらに実験を続ければ光明が見えてくるはずだが、教授はなぜかいい顔をしてくれなかった。なぜ彼はこの研究をやめてしまったのだろう。
― ◯月×日
― 電気だ。電気が足りない。雷雲でも来なければ人一人蘇生させるのは難しい。
― ◯月×日
― 尊敬する教授が亡くなった。彼は疫病を食い止めようと人々に注射を打って回っていた。ワクチンを恐ろしい薬だと勘違いした無知な患者が彼を殴り殺してしまった。なぜあんな崇高な人が、あんな簡単に死ななければならいのか。やはり、死は、あってはならないことなのだ。
― ◯月×日
― 友は反対したが、私は霊安室に忍び込んで教授の遺体から脳を摘出し、こっそり持ち出した。もっと早く知っていれば母も生き返らせたかもしれないと思うと気持ちが逸る。さらに金を払って、亡くなったばかりの身寄りのない丈夫な青年の体を数体買った。これで部品は揃った。
― ◯月×日
― 私はとんでもないことをしてしまった。目が覚めた時には遅かった。神よ。この行為は神を冒涜している。許されることじゃなかた。教授があの研究をあそこで止めていた意味がようやくわかった。僕は神でもないに一個の命を創造してしまったのだ。しかもそれは、歪で恐ろしい姿をした怪物だった。この怪物はこの世にいてはいけない…。僕はそれを葬ってやる責任がある。
日記はここで途切れていた。
「怪物」
それが俺のことを指しているのは明らかだった。強い殺意が再び芽生えた。この日記には狂おしいほどの死への憎しみと自分のしでかしたことに対する懺悔と後悔が切々と綴られていた。まるで俺がこの日記の主の罪そのもののように。ページをめくるたびに俺の指は震えた。何かの間違いであって欲しかった。最後のページの殴り書きされた文字が俺への責め苦のように感じられて、その理不尽さに雪の中言葉なく吼えた。
人間が憎い…!
俺を作ったこの日記の主も。石を投げ、罵倒する民衆も。彼女を俺から奪う奴らも…!!
此処は良い。寒いが人間ほどじゃない。孤独が俺を暖めてくれる。それでも苦しくて仕方なかった。俺は鹿乃を暖かな雪のベッドの上に残し、立ち上がった。日記を読み込み、この北の山を越えた先に創造主の故郷があることを突き止めた。
創造主の名は、若王子貴文という。科学者の男だった。日記には時々、彼の恋人の名前や愛猫の悪戯について記されていた。彼はきっと悪人ではないのだろうということがこの日記から読み取れた。それどころか、愛情に溢れていて、知性と教養を兼ね揃えた貴族であることがわかる。そんな彼の日記を読んでも、俺の気持ちは収まらなかった。怒りだけではない、孤独や虚しさをこの男にぶつけたい気持ちでいっぱいになった。
俺はきっと、助けてほしかったのだ。
けれどもただ縋るために会いに行くのではない。なんとも言えない感情に突き動かされて、俺は雪山を超えた。
つづく
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