My Dear Creature -4- last

18禁
小説
迫バン
連載

 美しいレースのカーテンがそよぐ窓。屋敷の一番高い場所。若王子がなんども「開けてはダメだ」と念を押していたのに、この娘はその日、晴れた夜空の星を眺めようと不用意に開けていたのだ。俺は驚かすつもりも隠れて忍び込むそぶりも見せず、ただ彼女の前に立った。そして言葉を失い狼狽える娘の口を塞いで部屋のベッドに押し倒した。

「恨むなら、俺を創造したお前の恋人を恨むんだな」

 彼女の首に手をかけて力を入れた。ちょっと力を入れたら簡単に潰れそうな細い首だった。空気を求めて喘ぐ娘がかすかに口にした

「貴文さん…愛してる…」
 
 
 
 ああ!
 
 
 
 ちくしょう!
 
 
 
 わかっている!俺の中に鹿乃の愛があり、それが俺の手を娘の首から離させた。俺は子供みたいに両手で顔を覆って泣いた。目の前で泣き始める怪物に、娘は困惑していたが、どこか悲しそうに俺を見つめていた。廊下から足音が響いてくる。若王子が来たのだということがすぐにわかった。

「デイジー!」

「寄るな!」

 俺は彼女の体を抱き上げて窓辺に立った。さっきまで星の見えていた夜空は急な暗雲が立ち込め、雨を降らせた。天が俺を諌めているのだろうか。冗談じゃない…!

「俺が根っからの怪物だと思っているだろう!先天的な悪魔だと」

 若王子が青い顔をしている。そりゃそうだろう。俺がその気になればここからこの子を落とすなんて造作もない。手も足も出ない創造主に俺は思いの丈をぶつけた。

「それなら!俺は生まれてすぐ受けた太陽の恩恵や小鳥のさえずりや小川の潤いに心を喜ばせただろうか?!そしてお前の恋人の首に手をかけたとき何とも言えぬ悲しみと痛みに身を焦がしただろうか?!」

「彼女を離してくれ」

 俺の気持ちの半分も聞こえていないようだ。この男にはこのデイジーという娘がそれほど大事だった。俺は知っていたのだ。彼がどれほど愛する人の死について恐れているのかを。あの日記に記されていたのだから。

「俺が喜々として殺戮をするとでも?!この苦しみがお前にわかるか!お前にも味あわせてやってもいいんだぞ!この女を殺して…!応えろ若王子貴文!父よ!俺にだって心がある!それはお前が与えたものじゃないか!」

 俺の腕の中の女が涙を流していた。どこか、その泣き顔は鹿乃に似ていた。

「俺は大それたものを求めているのか?神の慰めを求めるのは罪か?なあ創造主よ、俺はお前のアダムじゃないか…だがアダムならイヴがいた。俺にはいない!」

 これ以上ここにいても虚しいだけ。そう思って俺は娘を部屋の方へ突き飛ばし、逃げ去った。
 俺だってあの男の気持ちがわかる。死は…死は…この身のようになんと疎ましい。
 
 
 
 鹿乃
 
 
 
 
 
 
 鹿乃
 
 
 
 
 
 
 お前に会いたい…!
 
 
 
 
 
 
 神よ。俺は禁忌の存在かもしれないが、俺の愛は本物だ…!
 
 
 
 
 
 
  ◇
 
 
 
 
 
 
 雨の中、俺は若王子の研究所へ走った。俺の知る神の場所。教会の十字架の前に跪いて、俺はただ祈るのでもなく願うのでもなく鹿乃のことを考えいた。サイドに立っていたマリア像が優しく微笑んでいたから、せめて場所を借りようと思い、像の後ろに体を沈めて目を閉じた。雨音はどんどん強くなり、体は冷えていたが、やっぱり俺は辛くなかった。心だけがとても冷たかった。俺の意識が夢へ途切れかけたその時、教会の扉が開く音がした。雷鳴で教会の中に鋭い光が入り込む。

「神よ、許したまえ、僕の傲慢で生まれたあの哀れな命をお救いください」

 ステンドグラスの十字架に祈りを捧げると、声の主ー若王子は脇の扉から研究室へ入っていった。扉の中でどんな死者蘇生が行なわれているか、見当もつかなかった。中に入って確かめてもよかったが、そんな気力さえなかった。

「ああ、なぜ動いてくれない。鮮度が悪かったのか?いや、そんな…」

 中から若王子の声がする、俺はこのまま去ろうとも考えたが、最後に一言、父に声をかけていこうと思った。鹿乃に出会えたその一点だけは、俺が存在していたから感じられた喜びなのだ。

 動かぬ遺体に布をかぶせた若王子は、扉の前に立つ俺に気付いて振り返った。

「すまない、失敗した。この遺体は雪山で見つけたんだ。非常に良い状態で横たわっていたから…。新しい遺体を霊安所から譲ってもらおう」

「もういい、父よ。もういい、有り難う。俺を一人にしてくれ。何処へでも消えてくれ。もう何も恨まない。何も…望まない…」

 若王子も俺も顔を合わせて泣いていた。彼が初めて俺へ向けてくれた慰みの涙だったのだろうか。

「さようなら。僕の、息子…」

 それだけ呟くと、彼は部屋を出て行った。そしてドアの先で教会の入り口の重たい扉が重厚な音を立てて閉まったのを遠い気分で聞いていた。直後、俺の涙は滂沱として溢れ落ち、生まれてから今までのことが走馬灯のように頭を過ぎていった。

「名前も…名前もくれなかった…っ、あの男は! でももう、憎む気も失せた」

 俺の力ない叫びをかき消すように雷が強くなっている。若王子はちゃんと屋敷へ帰れただろうか。ここからあの屋敷は近い、大丈夫だろう。今はもう必要のない心配をしながら、俺は何をするのでもなく立ち尽くしていた。

「神よ。もう何も望まないが、ひとつだけ願うなら、俺を静かに彼女のところへ連れて行ってくれ」

 そして目をとじた。
 
 
 
 瞬間。
 
 
 
 雷鳴が轟き、その音は俺の耳を劈いた、天の槍がこの身に落ちたのか。彼女の元へ行けるのかと、本気で思えるような強光が降り注ぐ。
 実際は研究所に雷が落ちただけで、光も音もすぐに消えてしまった。驚くのも忘れて俺はその一瞬に身を委ねていた。そのあとも、俺は動けずにその場に縫い付けられていたみたいに立っていた。

 ゆっくりと、目の前の布が動いたのだ。いや、正確には布を被せられた遺体の腕がぬっと天に向かって伸びた。布がゆっくりと床に落ち、その手術台に横たわっていたものが姿を現した。

 華奢な体が上半身を起こし、手術台に座ってきょろきょろと周りを見回していた。”彼女”の顔がこちらを向き、じっと俺を見つめていた。体は傷だらけだし、縫い合わされた跡が痛々しかったが、それは見間違えることもなく、彼女だったのだ。
 
 
 
 どうしてだ…!
 
 
 
 いや、今はそんなことどうでもいい。彼女だ!
 
 
 
 
 
 
 鹿乃!
 
 
 
 
 
 
 彼女が口を開いて何か言いかけたが、うまくいかないようだった。駆け寄って彼女にコートをかけてやる。すると、手の甲にキスをされた。

「やっぱりお前だ」

 俺が語りかけると鹿乃は言いたげに口を動かしていたが上手に喉を使えないようだった。それでも、彼女が俺を覗き込む瞳は何もかも語っているようだった。

「慣れないだろう。ゆっくりで良いから…な…」

 言葉が理解できたのか、そう言うと彼女は安心したように微笑んだ。
 俺たちは涙を流してただ禁忌の再会を喜んんでいた。

 それから暫くもしないうちにこんな噂が流れて来た。北の山の深くに、醜い怪物が二人、隠れるように寄り添いながら住んでいると。
 
 
 
 
 
 
  ◇
 
 
 
 
 
 
 暖炉の薪がパチリと音を立てて、話に聞き入っていた私はハッと顔を上げた。それを見て先生が笑っていた。

「覚えてますよ。先生が私を助けてくれた事。なんとなく遠い記憶だけど」

 先生と違って私の体は遺体の保存状態が良く、臓器をそのままに蘇らせたせいもあって、生前の記憶がうっすらと残っていた。死ぬ直前の記憶がより濃く、遠い日の両親の記憶は本当に些細で、時々それが悲しくもあるけれど、先生のことはよく覚えているから、辛くはない。

 死の間際、先生は狭い鉄格子から手を伸ばして私に触れようとしていた、私がそれに捕まる前に、脆い建物は音を立てて崩れていったのだ。その時の絶望は今でも覚えている。寂しさはないけれど、時々その時のことを思い出して体が震えた。それでも、先生にねだれば彼はいつだって私を力強く抱きしめてくれた。
 彼がふと、物憂げな瞳で私を見つめる。時々見せるその表情の理由、今までは聞けないで居たけれど。今なら教えてくれるかもしれない。

「なぜ悲しそうなの?」

「え?」

「ここの暮らしが嫌?私と二人きりだと、寂しいですか?」

 私は真剣だった。それなのに、彼は一変して笑っている。「そうじゃない」と一言入れてから、私に向き直った。

「…お前にずっと謝りたかった。俺のわがままでお前は生み出されてしまった。俺と同じ悲しみを味会わせてしまっていると。醜い外見で悲しんでいるかもしれないと。お前は女の子だからな」

「でも先生は、一度だってそれを責めたりしなかったじゃないですか。私のことを、可愛いって言って愛してくれる」

 私の過去の記憶…人間だった時の美意識が、自分の体がいかに醜いか教えてくれたけれど、彼が私のことを愛してくれるたびに自分の醜さで悲しむこともなかった。だから、人里へ降りることを許してくれた先生が

「絶対に顔を隠すと約束してくれ」

 そう言って私の醜い顔を隠すために注意したとしても、私は何も不愉快にならない。

「好きな洋服を買ってやるから。そしたら家で俺だけに着て見せてくれ」

 そう。私がオシャレをしたら彼が見てくれる。褒めてくれる。愛してくれる。だからいいんだ。
 私たちは怪物だけれども…でも、何も恐れるものなんてない。

 見たこともないお父様。神様。

 他に何も望まないけれど、いつまでもこの人と一緒に要られましょうに。

 私が先生の言葉に頷くと、彼は窓の外を遠く眺めるように目を細めながら私に諭した。
 
 
 
「覚えておけ。人間はとても恐ろしく、愚かで、でもそれ故に、愛おしいのだと」
 
 
 
fin