世界の終わりに夢を見よう

小説
迫バン

世界が、終わる

20年程前、ノストラダムスの大予言が流行って、やれ世界の終焉だとか、大災害の前触れだとか、メディアさえ騒ぎ出したことがあったらしい。
西暦1999年。その歳、私はほんの2歳で、お気に入りの毛布を捨てられて悲しかったという、まったくどうでもいい思い出しか残っていない。私が2つだということは、力さんは、10歳か。小学生の彼は、この大予言を当時どう思っていたのだろう。

「あったあった!終末ブーム!」

懐かしそうに笑いながら、彼は手を叩いた。

「終末ブーム?」

「ノストラダムスの予言を扱った特番がいくつも組まれたし、怪しい宗教が勧誘にやってきたり、なんとなく騒がしかった記憶があるな」

「そうだったんですね。世界が終わるなんて、信じられませんけど」

「子供だった俺も、あまり実感沸かなくて、怖いというよりちょっとドキドキしてた」

「ドキドキ?」

「子供の間では、夕方公園で遊んでいると、あの雲の形は地球が終わる前触れだとか、カラスが騒いでいるのを見ては大地震がくるぞとか、根拠の無い予想を立てて、まるで怪談でも話すみたいに半分楽しんでいたんだ」

子供の頃の彼を想像した。誰でも子供の頃は、怖いことや不思議な話を信じて怖がったりワクワクしたりしたものだ。彼もそうだったのだろう。自分にも覚えがある。

「時々、絵みたいに真っ赤な夕焼け空を見ると、なんだか現実味がなくなって、あー世界が終わりそうだなーって思う事、あります」

「ああ…確かに。夕日は好きだけど、時々怖くなるな」

「力さんでも、そう思います?」

「自然は色んな顔をする。畏怖の念は俺にもある。そういえば、今日も真っ赤だったな」

子供の時の不思議な感覚。私が感じているそれを、彼は畏怖の念と言った。確かに、そうかもしれない。
大人になるにつれて、その感情は薄れていくが、たまに思い出したように体が震えるときがある。
感動しているとか、恐れているとか、そんなものではない気がするが、兎に角心が揺さぶられて、気持ちが揺れる。

「そう、今日も。たがら、思い出したんです。世界が終わりそうだなって子供の頃考えてた事」

私のつたない言葉にすると、そうだ、「世界が終わりそう」そんな気分だ。

「子供の頃はとても怖くて怖くて。それを思い出したら、なんだか変な気分になって」

「何となく、その気持ち解るかもしれん」

言葉にできないのだ。語彙に豊かな力さんですら、そうなのだという。

「季節の変わり目に薫る懐かしさを覚える匂いにも、似ている」

「…そして、大切な夢を思い出せない寝起きみたいな気分になったり?」

力さんは、すこし驚いた顔を見せた。皆そうなのかな?と笑い会う。もしかして、感激屋な自分だからかと思っていた。お互いに。

「もしも世界が今、終わってしまうなら、力さんの傍に居て、たくさん大好きって言わないと…とか、考えちゃったりして」

「何時も言ってるだろ」

突っ込まれて、そうだったかな?と振り返る。確かに、彼に会うと毎回「好きです」と伝えている気がする。

「じゃあ、最期まで抱き合っているっていうのは?」

「そうだな。そうしていたいな」

思わぬ同意の言葉に、嬉しくなった。こんな風に空想に耽って戯れの言葉遊びのような会話をするのは、実は珍しいことじゃない。
私も力さんも、なんだかんだ対談を楽しめる性質を持っているようだ。喋るのが上手かと問われれば、私は違うが…。

「それから…」

「それから?」

「約束をして欲しいです」

「約束?」

大好きと伝えて、抱き合って、それから、約束をしたいと言う私の言葉に首を捻る。
世界が終ろうと言う時に、いったい何を約束するのだろう。果たす時間などないのに。

「力さんは、死んだ後の世界を信じますか?」

「信じてる」

「え?!」

「意外そうだな」

「意外です」

「男は皆ロマンチストだからなぁ」

そう言って、笑った。
確かに、力さんの言葉は時々理想的で、浪漫に飾られている場合があるが、その言葉に彼なりの裏付けがちゃんと存在していることは知っている。
しかし、それでも、男性はみんなロマンチストなのだろう。そんなところもカッコいいと思う。

もう夕日の落ちた空からは日の光なんか全く感じない、真っ暗な夜の帳がカーテンの先を隠していた。

世界が終わる。

漠然とした感覚。

勿論、世界はいつか終わるだろう。何億年先の事かわからないが。でも、その前に、私たちの方から世界から終わり、そう、それは、死というものだと思うけれど。

世界はいつか終わってしまうから、それが、いつかなんて誰にも知れないのだから、やっぱりその前に、この人に伝えたいことは伝えておきたい。

「力さんのこと、大好きです」

「うん、俺も」

「大好きですよ」

「俺も、お前が大好きだ」

そっと、はっきりと、想いを伝え合いながら、どちらかともなく抱き寄せた。
優しいキスがゆっくりと、何度も落ちてきた。直情的な私たちには似合わないようなやり取りだ。
まるで何かの儀式のようで、それが、余計に最期を感じさせた。
いつもとは違う、深く穏やかな心地がした。私は世界の終末を感じながら、同時にとても幸せだった。キスの合間に

「約束ってなんだ?」

と思い出したように聞かれた。それから何度か唇を塞がれて私が何も言えないでいるのに痺れを切らした彼は、そっと顔を離した。

「私、霊感とか無いから、死んだ後どうなるかなんてわからないんです。でも、天国とか地獄とか、なんとなーく信じてて」

「まあ、俺もそんなもんだ」

「だから、約束は生きている人間の自己満足なんですけど」

「ああ」

「もしも、この世界が終わったら、その先で、また出会って欲しいなって」

「あの世で?それとも来世で?」

「両方」

「そうだな」

「約束…してくれますか?」

「約束する」

力強く頷く彼を見ていると、なんだか本当にその約束は果たされるような気がして、そう考えてすぐ、私は自分を笑った。
この約束に意味なんか無い。きっと、約束は果たされないだろう。もし果たされるのなら、私は生前の約束を ―もし生まれかわりがあるのならば― 覚えているはずだ。
でも、それでもいいんだ。

「どうせ、約束なんか意味無いって、思ってないか」

唐突に、心を見透かされたようにそう言われた。「なんで…」と私が問う前に

「別にお前が考えてることがわかった訳じゃない」

と、力さんは「俺も思ったから」と笑った。

「どうせなら、夢を見よう」

「夢?」

「お前が約束を果たしてくれたから、今一緒に居るのかもしれない」

どこかで約束していた?力さんが「俺にまた出会って」と願ってくれたから、私、こんなに追いかけていたのかもしれない。

それって

「ロマンチック」

「夢があるな。女の子は、好きだろ?」

そう言われると、照れ臭い。私の夢見がちな乙女心を察して、彼はこんなことをいってくれたのだろうか?

「女だけじゃないぞ。前世譚は古くから愛されてるからな。皆好きだろ」

「そうなんですか?」

「日本最古の物語と言われる竹取物語がそれじゃないか」

「かぐや姫の前世は月の住人だったってことですか?」

かぐや姫は生まれ変わって、そしてまた、どうして月へ帰ってしまうのか。そこが、「帰る」場所だったのか。
ニライカナイだとか、エデンの園だとか、桃源郷とか、色々言うけれど、きっと、ここではないどこかへ「帰る」のだと、信じられていたのかもしれない。
その時に、残していく者と、残される者の、どうにもならない切ない別れが、その物語を読む人間に共通した組み込まれた感覚の何かに訴えるのだろう。

「夢を見るのは、知っているからだ。きっとな」

「信じます」

「夢を?」

「自分を」

「自分?」

「力さんを大好きな自分を信じます。そしたら、また会えますよね」

「そりゃあいい」

いつものように、朗らかに笑って。それなのに、また、恭しいキスをされた。

「世界が終わっても、お前なら大丈夫」

なぜか、それは清々しい別れのあいさつのようで、私は急に切なくなって、力さんの体を抱きしめた。
気持ちが伝染したのか、同じだったのか解らないけれども、力強い腕で抱き返されて、体がかっと熱くなる。

「次は俺が会いに行こう」

耳に聞こえる彼の声に、揶揄う色は無くて、真剣で、だから私は本当に、もういつ終わっても今全力でこの人を愛していれば何も怖いことなんかないって思えた。
それも全部、力さんのお蔭なんだ。

それから私はやっぱり何度も「大好き」と言って、力さんに笑われた。

「約束ですよ」

「約束だ」

世界の終焉の先で、私はまた夢を見るだろう。

Fin