薔薇姫のお相手 – 距離

小説
平バン
連載

「始めてだー北海道!」

カレンが大はしゃぎで華鹿に走り寄ってきた。自身の荷物は既にバスに預けたのか手ぶらである。

「ねぇねぇ、写真撮ろうよ」

「まだ出発前なのに」

 スカートのポケットから取り出したスマートフォンを構えるカレン。後ろからみよが加わり、いつもの三人になった。
 確かに、三人は自由行動が一緒なので後からいくらでも写真を撮れる。集合場所のバス停留所でわざわざ撮る必要は無い。

「問題はどうやって平くんと思い出を作るかだよ」

「流石に無理」

 みよとカレンは華鹿と健太の交際を知っている。それが公にされていないことも。大胆に行動を共有すればあっという間に噂になるだろう。修学旅行中に団体行動以外で健太と会うのは難しい。せめて、すれ違うぐらいに接触はほしい。

「あ!」

 生徒らの仲に、健太の姿を見つけた。バスの運転手と担任に荷物の確認と引き渡しをしている最中だった。

「今なら写真ぐらい」

「確かに」

「今なら」

 バスに乗り込む前の健太に向かってカレンが軽やかに駆け出した。彼女の行動力にはいつも驚かされる華鹿だったが、それは非常に心強い。

「ねえ、タイラー!」

 すっかり顔馴染みになってしまった花椿カレン。彼女も華鹿と同じかそれ以上に学園の話題になる女子である。タイラーの前後に居た彼の友人らはざわついた。だが

「こっちにきて写真撮るの手伝ってよ」

 とカレンが言うと、彼らは笑った。

「お前、また雑用かよ」

 うるさいなぁ、と友人らへぼやきながら、健太はカレンの後について行った。背中から担任が「あと10分で出発するぞ。そろそろ乗ってろ」と周囲に呼び掛けていた。

「さくっと撮っちゃいましょ」

 と言うカレンに健太は自分の携帯を取り出す。「違うわよ!」とカレンに促され、健太は華鹿の隣に立たせられた。

「おはよう、健太くん」

 華鹿は上がる口角を押さえられられず、俯いて笑った。照れが伝染したのか、健太も照れ臭そうに「おはよう」と返す。

「急に呼び出してごめんね。今しか撮れないと思って」

「そっか。そうだね」

「はいじゃあ、撮るよ!」

 カレンがスマホを構える。

「あれ!タイラー、源さんと写真かよ!」

「私も入れて!」

 カレンがシャッターボタンを押す直前、フレームに数名のクラスメイトが入ってきた。カレンの舌打ちが隣のみよだけに届く。さらに、健太が人の良さを発揮して「うん。いいよ」などと返したものだから、周囲の生徒たちがわっと寄ってきたのだ。カメラを構えたカレンから鋭い視線を感じた健太が「しまった」と顔をひきつらせた。

「はーい、じゃあ撮るよー…」

 と、急に不機嫌になったカレンがカメラを構えたが、フレームを覗いて少しだけ笑った。

 
 
 こっそり繋がれた二人の指。
 
 

 後にカレンはこの写真を同級生らに「間違えて消しちゃった☆」と宣って二人にだけ送信した。

「バスが出るぞ!早く乗れ!」

 担任の号令で、同級生たちがバスへ乗り込んでいく。一台の窓から男子が一人健太に声をかけた。

「お前の席取ってるから来いよ」

 健太がつるんでいる男子グループの一人だ。

 修学旅行の数日は彼とあまり話せないだろう。寂しさでアンニュイな気分に浸りながら、華鹿はバスに乗り込む健太の背中を眺めて、自分もそれに続いて乗車した。

「みよ、そこでいいの? 隣、誰?」

「知らない」

 2列の座席が中央を挟んで左右に配置された一般的なバス。3人グループのキューティー3は、3席空いている場所に座った。カレンと華鹿で並び、後ろにみよが座る。みよの隣のシートには男子のジャケットが無造作に掛かっていた。
 バスがエンジンをかけたころ、長い手足を狭苦ししそうに折り曲げながら、一人の男子が席に着いた。みよの顔を見て、染めた金髪が光る前髪の影から彼女ににこりと笑いかける。

「あ、みよちゃんだ」

「桜井琉夏。ちゃんて呼ばないで」

 みよの隣は学園で一番有名人の不良兄弟の弟の方が座った。みよが琉夏に一瞥したあと手元に視線を戻すと同時に、バスガイドも兼ねた担任が出発の合図をすると、バスが走り出した。

「なにそれ。綺麗な石だね」

「なんでもいいでしょ」

 みよの手元には手のひらサイズほどのローズクォーツがビロードのハンカチの上に置かれていた。高価なものではないが、細く白いみよの掌に収まっていると、不思議な価値があるように見える。

「桜井兄と一緒じゃないの?」

 無遠慮に手元を覗いてくる琉夏の関心を逸らそうと。みよは彼に片割れについて聞いてみた。悪びれもせず、琉夏は座席の後方を指差す。

「遅刻したから、お互い空いてる席。コウは後ろ」

 シートに掛かっていたジャケットはどうやら、琉夏の後ろの席の男子のものらしい。それを持ち主に返すと、彼はシートに座り直した。

「せっかく隣になったんだから、お喋りしない?」

 長旅になるだろう車内で、みよはこの王子様の相手をしなければいけない数時間を覚悟した。人懐っこそうな少年は、体は大きいくせに威圧感はなく、儚げなオーラを放っている。みよにとって息苦しさはないのが幸いであった。手元のローズクォーツが何かを予言するように柔らかく光っていた。

 
 
 
・・・
 
 
 

 高校生は元気な盛り。バスの中は生徒らの談笑で騒がしかった。トイレ休憩の道の駅へ着く頃まで、それは続いた。

「あ…?!」

 キューティー3がトイレから戻ると、何故かルカが居た席に健太が座っていた。それを見たカレンとみよは目配せすると、さっさと2人席に座ってしまう。華鹿は誘導されるままに健太の隣に座った。

「どうしたの?ルカ君は?」

 嬉しい誤算に華鹿は笑みを隠しきれず健太に話しかけた。健太が言うにはどうやら、強面の桜井兄が座った席の隣の男子が、健太に懇願して席を換えて貰ったらしい。それに気付いたルカが、健太と席を交換するよう頼んだのだった。
 華鹿は健太に「嬉しい」と耳打ちした。くすぐったさに健太は身をよじって座席に座り直す。

「この前のテストどうだった?」

「俺は勿論、平均点だったよ」

「勿論?」

 健太は肩を竦めた。彼はいつも平均点を取って赤点も無難に回避しているように見える。

「平くんて、自分のこと平凡とか平均て言うよね。もしかして、わざと?」

「まさか。…でも、平均って楽だなと思うよ」

 まだまだ、自分の知らない平健太が居る。そんな気がした。あれから何度かデートを重ねたし、一緒にテスト勉強したり、メッセージをやり取りしてきたが、新しい情報が出る度に、華鹿は健太の魅力に気付いていった。
 健太は健太で、華鹿に対する印象はここ数ヵ月でガラリと変わった。華鹿の近寄りがたい印象は、彼の中からすっかり払拭されていた。

「なんだよタイラー。源さんの隣?ラッキーだな。学園のヒロインと相席なんて」

 トイレから帰ってきたクラスメイトがからかう。彼らがバスの後ろの席へ戻ると、華鹿が隣にしか聞こえない声で悲しげに呟いた。

「やっぱり、私たち釣り合わないって思われてるのかな」

 バスのエンジン音が鳴り始め、道の駅を離れる。彼女の声はガイドの声にかきけされそうになる。

「ヒロイン扱いされても嬉しくない…」

「…ごめん。皆、悪気はないんだ」

 こんな時でも友人をフォローする健太。そんな優しさが華鹿には切なく思う。横目に彼の悲しげな表情を捕らえて、華鹿の嫉妬心が芽を出した。

「ねえ」

「ん?」

「健太くん、て、呼んで良い?」

「えっ」

「二人きりの時だけ」

「…」

「こんなことで対等に成れる訳じゃないけど」

 健太はそこで華鹿の気持ちを察した。そして、こっそり呟きを返した。

「いいよ。俺も、名前で呼んで良い?」

「うん…」

 人目を忍んで、数秒だけ指を重ね合った。

 修学旅行の奇跡はこの一回だけで、その後は健太と華鹿がゆっくり語るチャンスは来なかった。

 
 
 
・・・
 
 
 

「タイラー。今回頑張ったな!」

 二年目の学期末。担任が、健太の答案用紙を褒めながら渡して、友人たちがそれを覗いた。どの教科も平均点を少し飛び出して8割ほどの成績を納めていた。

「タイラーすげぇな。一人だけしっかり勉強しやがってー!」

「教えろよ!」

「くっそー!理科は負けねえぞ!」

 友人たちの好意的な反応に、健太は危惧していた小さな不安がいかに無用だったか知った。周囲は変わらず平和である。

(誰も妬んだり貶したり、茶化したりしない。当たり前だよね)

 今回のテストに力をいれたのは理由があった。確かに健太にとって平均点を取るのは大きな負担はないが、それを上回るにはいつも以上の努力が必要だ。苦しいが、成績という分かりやすい形で、少しでも華鹿に近づきたいと思った。
 お互いの関係において、それは無用の努力なのかもしれない。だが、彼女の心が少しでも軽くなるなら…。隣に立つ自分が少しでも相応しく在りたいと願い、行動するのも悪くないと思ったのだ。

 
 
 

「タイラー、位置に着け!」

 体育の授業。100m走のタイムを測るため、大迫がストップウォッチを構えた。

「はい!」

 健太は笛の音と同時にグラウンドを蹴る。

 いつもよりも早く、より、早く。足がもつれそうになるのを堪えて、息切れの負担に対する恐れも受け入れるようにして走る。

「お前、タイム結構上がってるな」

 ストップウォッチを見ながら担任が告げた。

「よくやった!少し休め」

「…?でもまだ」

 まだ二回目の計測が残っている。たが、健太はふらふらと地面に尻餅をついてしまった。思っていたよりも体が疲れていたらしい。それに気付いた華鹿がこちらに駆け寄ってきた。

「平くん、大丈夫?」

「うん。いつの間にか疲れてたみたい。大迫先生って、良く見てるよな」

「…私たちのことも気づいてたりして」

「…まさかね」

 笑う華鹿。

 この女の子に釣り合う自分に成りたい。健太は彼女の笑顔を見ながら密かにそう思う。グラウンドの硬い土に手をついて、勢い良く立ち上がった。

 
 
 
・・・
 
 
 

「最近、平くんが格好良い」

 みよがホットティのカップに口をつけている間、華鹿が呟いた。

「はぁ、またその話?」

「最近すごく頑張ってるの」

「ふぅん」

 興味無さ気なカレンがパフェのシリアルをスプーンでかき混ぜる。週一のファミレス女子会は窓際の端っこの席が明るくて広くて彼女たちのお気に入りだった。

「大迫先生の手伝いも、クラス委員よりやってるし」

「そういえば、よく連れ回されてるの見るわ」

 高校3年目の健太の奮闘ぶりは彼の周囲で密かに話題であった。

「モテちゃってたらどうしよう」

 華鹿は心配していた。人当たりも良く顔の広い健太に好意を寄せている女子は少なくない筈だ。…と、彼女は信じている。

「相手の居ない嫉妬は束縛」

「うっ」

「みよ、この前の体育祭のバンビ見た?」

 3年間、ついに彼とフォークダンスを踊る機会を逃した華鹿の落胆ぶりといったら哀れだった。その姿を思い出して2人は笑う。学園のヒロインが儚げに視線を落としている様は、端から見れば美しく写っただろうが、実情を知る2人には笑いの種となった。

「人前で堂々と踊れるチャンスだったんだよ」

「本当は皆に言い振らしたいんでしょ」

 その通りだ。華鹿はしょっちゅう男子から告白を受けるし、特定の男子がいればそんな煩わしさからも解放されるだろう。自分には決まった男性が居るのに、言い寄りるのは少しばかり迷惑である。

「気にしてるの? 釣り合わないって言われたこと」

「…少し。それに…」

「それに?」

 華鹿は数秒考えたあと、苦笑いして「なんでもない」と答えた。そして残りのアイスココアを一気に飲み干した。

 
 
 
つづく