炎の印 – 再会

小説
迫バン
連載

 眩しい。

 海に差し込む日の光はもっと優しいブルーだったはずだ。真っ白の容赦ない太陽の光が瞼に降り注ぐ。

「こいつ、目を覚ますぞ!」

「構わねえ、袋に入れちまえ!」

 突然聞こえた二人の男の声と、無遠慮に伸びてくる腕。突然の恐怖に身がすくんだ。声も出ないので助けも呼べず混乱する。口を塞がれ、体を布で巻かれて抱き上げられた。

「なあ、こんな奴隷売れねえって、俺たちで食っちまわないか」

「奴隷にしちゃ傷もないが。捨てられた子供か?」

「臓器にすれば高く売れるだろう」

 なんて恐ろしいことを言うのだろうか。私は声も出せず竦み上がる。ああ、声はもう出ないのだった。そして、はたと思い出した。私はあの人を助けるために声を失ったはずだ。なんでこんなところで倒れているのだろう?

「おい!何をしている!」

 すぐそばで別の人間の声がした。

「まずい!警備隊か?!」

 私を背負っていた大男が私を砂浜に落とした。体を打ったが、砂が柔らかくたいした痛みではなかった。それよりも恐ろしさでいっぱいだった。

「馬鹿!逃げるぞ!」

 言いながら二人が私を置いて去っていく。どうしよう、縄で巻かれて身動きが取れない。体を動かしてみるが解けそうになかった。

「誰かいるのか?」

「!」

 天の助けか悪魔かわからないけれども、今度は違う人間がこちらに寄ってきた。

「人か?!」

 体を覆っている布を慌てて剥いでくれる人間。束縛が取れて息を大きく吸い込んだ。

「お、女の子?!あいつら人攫いだったか!おいお前、大丈夫か?」

 眩しくて目を開けられないが、親切そうな声だった。どこかで聞いたような…。

「とりあえずこれを着ろ」

 言って、男が自分の上着を私に着せようとした。日光が遮られ、そして、目の前の男性の顔がよく見えた。

!!

 彼は、私が助けに行こうとしていた人間のあの人ではないか。なぜか傷は消えていて、すっかり元気そうだった。

「…っ!」

 一瞬、彼の顔が強張って、私の二の肩から勢いよく手を離した。私もびっくりしたけれど、おずおずとまた触れてきて、安心したように息をついた男はやっと私に上着を着せてくれた。もしかして、二の腕の痣に驚いたのだろうか。あの時この人に付けられたものだが、もう痛みはない。彼の様子にとりあえず安心した。

 彼は私をとある家屋へ案内してくれた。玄関からは遠くに白いお城が見える。古い絵本で読んだことがあったが、本物はさらに美しい。
 彼の家なのだろうか、海に近い場所に軒を連ねる家の一軒だった。
 小さな椅子と長テーブルが置かれた広めの部屋を通り、階段を上るといくつかあるうちの一部屋へ案内された。
 彼が出してくれたお茶は少し熱かったけれど、人間の皮膚はカップに容易く触れることができて驚いた。

「さっきから黙ってばかりだけど、お前、何者だ」

 当然とも言える問い。それに応えようと声を出そうとするが、空気の音がするだけで何も音が出ない。

 聞きたいことが山ほどあった。傷はどうしたのか、今はもう何ともないのか。彼の名前は。地上の人は皆その美しい瞳なのか。

 そして、助けてくれたお礼も言いたかった。

 しかし、私の声は無情にも喉の奥で消えていった。

「もしかして、声が出せないのか」

 私がヒューヒュー喉を鳴らしているのを見かねてそう言って誘導してくれた。素直に頷く。

「家族は?友達は?なんであんなところに裸で捕まってたんだ。まさか、売られたんじゃないだろうな」

 なんと言えばいいのだろう。私が言い淀んでいると肯定の意味で解釈した相手が「そうか」と言った。

「行く当てはあるのか?」

 全く無計画できてしまった私はただ首を振った。私の望みは貴方を救うことだったのだ。行く当てはもうない。

 彼は暫く考えていると私に小さな鍵を手渡した。

「行くところがなければ暫くここに居ろ。狭いが、子供達の授業をやっている学校なんだ。休憩室や台所もあるから自由に使ってくれて構わない。俺は隣の家に住んでるから、必要なものがあればそこから持っていけ。行く場所が決まったら出て行けばいい。これはこの部屋の鍵だ。俺が普段使ってる休憩室だから、小狭くて汚いが急だったんで許してくれ。あとで掃除しような」

 思わぬ親切の連続に涙が出そうになる。私はやっとホッとして力が抜けたように肩を落とした。感謝を伝えたくても声が出ないから彼の手をとってなんどもお辞儀をする。

「喋れないから売られちまったんだなぁ。かわいそうに。仕事を探してやるから、安心しろ」

 優しく肩を叩かれて私はうなづいた。

「とりあえず…お前の着る物を探さないとな。その格好で出歩くのはちょっとイカン」

 確かに、人間には鱗がないから彼のように布を纏わなければならない。自分の格好が急に恥ずかしくなってきた。

「そうだ。名乗っていなかったな。俺は力(チカラ)っていうんだ。お前のことは、なんて呼べばいい」

「…」

「文字は書けるのか?…あ、ちょっとまて」

 力さんが、部屋を出て行って、すぐに何かのボードを持ってきた。そこに白い石で何か書いていく。人間の文字だ。私にはわからない。

「これが”あ”だ。お前の名前の最初の文字を指差してくれ」

 なるほど、音だけでも名前を教えられるということか。私は力さんが自分の名前の音を放ったところで文字を刺した。

「かの…?」

私は頷いた。

「よろしくな。カノ。さっきの人攫いのこともあるし、しばらく外出は控えろ。今日はゆっくり休め」

 彼はそう言って私を部屋に残して出ていった。しばらくしても戻ってこないので、彼の部屋にあるあらゆるものを眺めて待っていた。
 いずれも本で読んで知っていたが初めて見るものが多い。壁にかかった時計が規則的に針を動かしているのを飽きもせず眺めていたし、窓から見える青空に浮かぶ雲が不思議で仕方なかった。
 棚には本がぎっしり詰まっていて、その1冊を取り出すと、人間の文字は読めなかったが、幾つか美しい挿絵を見つけることができた。
 そんなことをしているとドアを叩く音がして、力さんの声が聞こえた。

「お前の服を買ってきた」

 彼が大きな紙袋を提げて部屋に入ってくる。
女性ものの服が何着も入っていた。買ってくれたのだろうか。申し訳なさに服に手を出せないでいると彼がそれを差し出した。

「気にするな。受け取れ」

「…」

「どうした。着てみろ」

 着てみろ、と言われてもどうやって身に纏うのかわからない。

「服の着方がわからない…のか?」

 正直にうなづいた。もしかして、可笑しいことなのだろうか。人間なら当たり前のことを知らないなんて…。人魚だとバレてしまうかもしれない。私は焦った。人魚だと知られれば、彼が愛する対象から外されてしまうかもしれないのだ。

「そんな顔をするな。よし、ちょっと待ってろ」

 そう言って、彼は部屋を飛び出した。そして、しばらくして部屋に戻ると、恰幅の良い女性を連れてきた。人間の女性は私ににこりと笑いかけた。

「この子かい?」

「そうなんだ。記憶喪失で、服の着方も忘れちまって」

「ありゃ、大変だ。力ちゃんは外で待ってな」

 二人で何か話していると、力さんは廊下に出てドアを閉めてしまった。

「お嬢ちゃん、大変だね。服をきせてあげるから覚えてね」

 頷くと、彼女は恐ろしく早い手際で下着から上着まで私に服を着せて行った。早口でまくしたてられて途中分からないいこともあったけれど、どうやら記憶喪失だと思われていたようなので、生活の基本的なことを教えてくれた。

「わからないことがあったら向かいの家へおいで」

そう言ってさっさと去っていった。

「忙しいところごめんな、おばちゃん!助かった!」

「いいんだよ、あんたの頼みだからね!」

 一言二言、階段の下で言葉が交わされているのを聞きながら、私は鏡に映る自分の姿を眺めていた。彼が買ってくれたワンピースは、絵本に出てくるお姫様のドレスよりはずいぶんシンプルだけど、私にはそれと同等にも美しく映った。

 身なりも人間になると、今度は彼が食事にしようと言ってくれた。

「服の着方もわからないってことは、料理も作れないよな。俺も得意じゃないが、ちょっと見てろ」

 私の眼の前で魚を捌き野菜を切り、フライパンに油を敷くと、彼がコンロのボタンをひねった。

「?!」

フライパンの下から火が溢れて驚く。軽い熱風が届き、身構えた。初めて見る火。

「驚かせたか。すまん。火傷に気をつけろよ。でも、熱を通さないと腹壊すぞ」

「…」

 人間は火を使わないと食事ができないのか。私の体は、今は仮にも人間だから、やっぱり焼かないとダメなんだろうか。
 野菜炒め、というものをお皿に盛られて、彼と食べた。暖かい食べ物は体に心地よい。なるほど、やはり私の体は人間になったのだ。

 仕事を探すにも、文字も知らなければ話にならないということで、私はしばらく彼に勉強を教わることになった。
 学校では生徒と一緒に授業を受け、夜は彼に本を読んでもらった。かろうじて食事や料理を覚えて、なんとか彼の手伝いをして数週間を過ごした。

「文字、上手くなってきたな」

 力さんは小さな小屋で子供を集めて教師をしていたから、私は彼の助手をしながら子供達と一緒に文字を覚えた。

ー有難う。力さんは親切。

 そうノートに書く。なぜか苦笑いされた。

「お前、どこから来たんだ。そろそろ話してくれないか」

ー 海から来ました。

 書いてから、慌ててそれを消した。気を許して人魚であることを明かしてしまったら…。親切な彼だけれども、人魚を愛してはくれないかもしれない。

ー 船に乗って。遠い国から。

「船か…」

 力さんが、少しがっかりしたような顔をしたけれど、なぜだろう。疑問に思っていると彼の方から

「探してる女性がいるんだ」

 ぽつりと、そう漏らした。

「3か月前、密航の賊を調査してたんだ。学校の維持費がかかるんで、警察の仕事もしてる。…ああ、国じゃなくて自警団のな。それでヘマやって、密航者にこっ酷くやられたんだ」

 力さんはそう言って額の傷跡を見せてくれた。
 あれが3ヶ月も前? そいえば、人間と人魚では寿命が違うというが、あれは陸と海の時間の流れが違うからなのだろう。私が魔女に助けを求めにいっている数時間で、此方では3ヶ月も経っていたらしい。

 もし力さんが本当に瀕死であったら助けられなかったのだ。魔女に騙された気分になって私は唇を噛んだ。だが、彼女はあのとき「貴女の想い人、まだ生きてるのね」と言っていた。私が確かめもせず瀕死だと思い込んでいただけなのだ。
 それに、私は確かに彼の瞳に魅入られていた。助けたい気持ちは本物だったが、また会いたい気持ちも強かった。とっさの事でもなければすべてを捨てて陸に上がろうなんて考えなかっただろう。彼にももう二度と出会えなかったのだ。
 そう思うと、魔女に対して不満の気持ちは沸かなかった。あの時急いで人間になる呪いを受けていなければ、彼との時間はどんどん離れていってたことだろう。

 それに、彼がいなければ死んでいた身なのだ。私は。救うことはできなくてもお礼ぐらい出来るはずだ。

「運良く岸に上がったらしいけど…」

 話の途中、そこで力さんは言葉を切った。おそらく、私が彼を陸へ上げた後、どこかの親切な女性が彼を助けてくれたのだ。彼はその人を探している。

 胸の奥がきゅうっと痛む。私のこの恋はきっと失うだろう。いつかその親切な女性が彼と出会うとき。いや、それを待たずしても、3ヶ月後にはもう私は海の泡なのだ。

 それに、人間と偽ってこの人に愛されても罪悪感で苦しいだけだ。
 いっそ人魚であることを、正直に言ってしまおうか? そしたら、捨てられてしまうかもしれない。食われてしまうかも。売られてしまうかもしれない。彼の優しい目が、私をただのモノのように見てくるかもしれない。それはやっぱり、恐ろしい。

ー その人を愛しているの?

 私は弱々しく筆を紙の上に滑らせた。

「どうだろう。忘れられない人だ。俺の意識を呼び戻そうと必死に呼び掛けて、額にキスしてくれた」

 そう言う彼の言葉に胸が苦しくなった。私だって彼を岸に上げるまでそうしていたのに…。私の王子様は、別の人を探している。

 でも、例え愛されたくたって…。

 沈黙を破るように、力さんが笑った。

「米と油が少ないな。明日、買い物に行こう。お前も来い。城下の市場は騒がしいけど、俺がついてるから安心しろ」
 
 
 
つづく