薔薇姫のお相手 – 秘密

小説
平バン
連載

「源さんが好きです、付き合ってください!」

「ごめんなさい。好きな人が居るの」

 華鹿は、校庭の一角に呼び出され、男子の告白を浮けていた。二学期の中間試験が終わってしばらくのことだった。落ち葉が舞い、なんとなく雰囲気が出ていたが、そんな空気に流されずあっさりと告白を断った。

「まさか、カレシ?!」

 告白を断られた男子はかろうじて笑顔を作っていたが、悔しそうに眉を寄せていた。

「うん」

「だっ、誰?!」

「誰って……」

「はば学のヤツ? それとも、他校の男子? ハッ、大人?! まさか、教師じゃないよね?!」

「そんなわけ……!く、クラスメイトです」

「それって……」

 華鹿は口を噤んだ。これ以上口を滑らすわけにはいかない。健太の顔を思い浮かべながら、かつて同級生に言われた言葉を思い出す。

ー 釣り合わない

 彼の名前を口にして、また同じことを言われたら不愉快だ。華鹿は一言

「秘密」

 とだけ言って踵を返した。

 
 
 
・・・
 
 
 

「知ってるか。源さんてカレシ居るらしいぞ」

「えっ、初耳!」

「昨日、テニス部の3年が告白したら『カレシが居るから』って振られたらしい」

「相手は羽ば学生?!」

「秘密だって」

「クラスメイトって話」

「え、うちのクラスに居んの?!」

「断る口実だろ?」

 健太は友人たちの繰り広げる噂話を居たたまれない心境で聞いていた。勿論、源華鹿の彼氏とは自分のことだろうが、そんなことは口が裂けても言えない。言ったとしても誰も信じないだろうし、華鹿が秘密にしているのなら自分も相談無しに公にすべきではないのだ。

 「源華鹿の恋人が同じクラスに居る」という噂が学園中に静かに蔓延する中、生徒たちは学校非公式のとあるイベントを迎えようとそわそわしていた。

 2月の定番、バレンタインである。

 
 

「平くんに渡すタイミングがない」

 健太に告白してからすぐに年末年始を迎え、始業後もあまりゆっくり話す機会がないまま2月が近づいていた。学校で大っぴらに会話ができず、かといってコソコソ逢い引きすることも二人の性分でなかったのだ。2人の関係は自然消滅の危機に晒されていた。華鹿にとってバレンタインは絶対に成功させなければならないイベントだった。

「そりゃあタイラーだって、バンビからのチョコは期待してるよね。カレシだもん」

 カレンはショッピングモールのバレンタインフェアの可愛らしいラッピングを手に取りながらぼやく。

「でも、みんなバンビのチョコの行方に注目してる」

「あの噂か……」

「いいじゃん。もう皆の前で渡しちゃいなよ」

 華鹿は頷くことも出来ずにうつむいた。手元の板チョコを買い物篭に移す。
 思えば、彼の菓子の好みすらまだ知らない。普通のミルクチョコで良いのだろうか。ホワイトチョコか、ビターチョコか…。チョコが嫌いだったら?

「時々LINEするだけの関係に成り下がっちゃう」

「まさか、まだデートもしてないの?」

「……」

 世話の掛かる友人の前途多難そうな恋に、カレンもみよも溜め息をつくのであった。

 溜め息をついているのはなにも女子だけではない。健太はLINEのトーク画面を眺めながら、それを自室のデスクに置いた。この画面こそ、自分達がお付き合いしている唯一の証である気がした。華鹿とのささやかな電子のやり取りがなければ、昨年の告白が自分の身勝手な夢であると錯覚してしまいそうだった。

 健太の悩みは、身に余るこの状況に落ち着けないことだ。元から人より秀でたり、または劣ったりすることを落ち着かないと感じる健太は何事も平均点を保って生きてきた。両親の教育の基本方針も「普通が一番」というもので、健太はそれに疑問も抱かず、圧力にも感じず、平家の一人っ子として過ごしてきた。その言葉の通り、両親は健太を束縛し過ぎず、かといって放任し過ぎることもせず育ててくれた。
 居心地の良い場所に丁度良く安住できる要領の良さを持ちつつ、自分ではそれを自覚してはいなかったので、強い向上心や慢心は彼に生じなかった。そのため友人も幅広く居たが、自身の魅力など友人の数が多いぐらいだと健太は思っていた。

 ところが昨年の12月、彼の平均的な状況を覆す事態が起きた。学園のマドンナ的な少女との交際開始である。突然物語の主人公にでもなったような状況だ。急に燦々と当てられた人生のスポットライトから、逃れたい気持ちになっていた。華鹿が嫌いだとか、煩わしいとか、そういうことではない。美しい少女と恋人になれたことは一男児として素直に嬉しいものであったが、現実はそれを持て余すこととなったのだ。

(女子と付き合うのだって初めてだし)

 単純に何をしたら良いのかわからない。彼女は数ヵ月前まではただのクラスメイトだったのだ。そして、たぶんその関係は形式上カップルに成ったとしても変わっていない気がした。

 
 
 
・・・
 
 
 

「コラァ!ボーッとするな」

 ハッと顔をあげると。担任が側に立ってこちらを睨んでいた。ただ、この教師は成人男性にしては幼い顔立ちをしているので睨まれてもあまり怖くはない。彼が本気で怒るときはそんなこと関係なく恐ろしいのだが、普段は気の良い雰囲気を纏っている。
 思考の波を漂っていた健太は、今が現国の授業中であることを思い出して佇まいを正した。

「すみません」

 教科書を持ち直した生徒に担任はニコリと笑ってまた教壇に戻ると「お前ら、バレンタインデーだからって浮かれすぎじゃないのか」とジョークを言ってクラスの笑いを誘いながら授業を再開した。

「タイラー。女子から貰った?」

 休み時間になると授業中に注意されたことを友人たちがからかいにやってきた。男子たちはコソコソとチョコの話題で盛り上がる。

「まだ」

 と、健太は口をついた。

「なんだよ。アテがあるのか?」

「えっ?! …いや、ま、まだわからないだろ? それにほら、母さんが毎年くれるし」

「親は”女子”に入らねえよッ」

ーあはは!

 確かに、恐らく、たぶん…華鹿は自分にくれるはずだ。そう期待していた。その気持ちがうっかり「まだ」の一言に出たのだ。

「一つぐらい欲しいよなぁ」

 と漏らす友人たち。好きな子、気になる子、それぞれ居るだろうが、彼らの溜め息混じりの一言には、特定の人物からの情の欲求もあったが、思春期特有の漠然とした愛されたい気持ちも混じっていた。
 そしてそんな友人たちを眺めながら、健太は果たして自分は彼女からのチョコを心から欲しがっているのかわからなくなった。
 きっと、貰ったら嬉しいだろう。だが、それを誰かに知られたら? 妬みや嫉みが恐ろしいか? もっと自分に釣り合う平均的な女の子だったら? それはそれで嬉しいのではないか? 健太はまた考えながら言葉少なく友人たちの輪に溶けていった。

 ホームルーム後、チョコも貰えない寂しい男子たちでカラオケでも行こうということになり、男子グループはさっさと玄関まで降りてきた。

「下駄箱にチョコ入ってた奴はカラオケくんなよ」

 と、ふざけて言い合う。開けっ放しの玄関扉から流れる冷たい冬の空気は爽快であった。周囲の生徒たちは口々に「寒い」と呟きながら靴を履き替えた。健太も上履きを脱いで下駄箱をあける。

「あ」

 と言ったのが悪かった。目ざとい友人が一人、健太の下駄箱を覗き込んだ。

「チョコ?!」

 その一言で周囲の男子たちが一斉に健太の下駄箱に寄ってきた。本人はなぜか後ろに追いやられる形になる。健太は内心狼狽えた。もし華鹿からのものであったら…。

「ちょっと、勝手に開けるなよ?」

「誰からだ?」

 幸い、と言えるのか、送り主の名前は書いていなかった。ただ「平くんへ」と書いた上品なカードだけ、愛らしいマスキングテープで巾着に張り付けられていた。

「開けて見ろよ」

 健太はそっとオーガンジーの袋を開けた。中にはリボンで結ばれた白い箱が一つ入っているだけ。

「あ、源さん」

 誰かが口にした苗字に、健太は体を硬くした。

「帰るとこ?」

「また明日」

 と、友人たちが下駄箱の反対側に向かって口々に声を投げていた。見れば華鹿がカレンとみよを連れてこちらに手を振って玄関を出るところだった。その視線と一瞬ぶつかった気がしたが、彼女の健太への視線には健太以外、誰も気づかなかった。

「開けようぜ」

「さすがにこれ以上はダメ」

 チョコの箱に手を伸ばそうとする友人たちを制しながら、健太はいそいそと学生バッグにチョコをしまいこんだ。

 自室に戻ってから急いで箱を開けると、華鹿からのささやかなメッセージカードと、カラフルな飾り付けがされたチョコレートの香りのカップケーキが包まれていた。あそこで箱を開けていなくてよかった…。ほっとした気持ちと、初めて貰ったチョコレートに感動しながら、来月のお礼について思案を巡らせるのだった。

 
 
 
・・・
 
 
 

「その前に、デートにでも誘いなさいよ」

 カレンが健太を睨み付けた。背の高い彼女に上から冷たい視線を投げつけられるのは気分が良いものではないが、カレンの視線には友人への気遣いが込められているのを健太は感じ取った。
 お昼休みにたまたますれ違って健太からカレンへ声をかけたのだが、こんな廊下で話すような簡単な話題にならない予感がした。

「あんたたちはお互い何も知らなさすぎ」

 言われてから、妙に納得して健太は頷いた。その素直な反応にカレンは言葉を詰まらせる。よく考えてみれば、この少年を好きなのは華鹿の方なのだ。華鹿からデートに誘うのが筋なのではないだろうか。
 だが、2人は恋人同士なのだ。どちらが先に好きになったかなんて今は関係ない。それに、自分の大事な友人が何事も平均点を網羅するこの少年に恋愛で負けているような気がして、カレンは少し悔しかった。
 せめて、健太がデートに誘いやすいように、華鹿の好きそうなデートスポットをいくつか彼に耳打ちした。

「おいタイラー。美女とコソコソ何を話してんだよ」

 健太の友人が声をかけると、カレンはパッと離れて健太にウインクしながら去っていった。

「お前、最近花椿さんと仲良いな」

「パシらされてないか?」

「綺麗な女は怖いね」

「騙されんなよ?」

 友人たちが健太を囲みながら口々に言う。彼をからかう声、気遣う声、冗談を言う声、様々だ。

「…騙されてる…のかな」

 健太が呟いたが、その台詞の真意に気付く者は居なかった。

 
 
 
・・・
 
 
 

「わぁ…!」

 思わず感嘆の溜め息を漏らす華鹿。隣の健太はそれを見てこっそり息をついた。どうやら、水族館にデートに誘ったのは間違ってなかったらしい。
 今の今まで緊張と不安でいっぱいだった。女の子が喜びそうなデートスポットも、カレンの助言を元に調べたが、友人たちに相談もできずに不安感を拭えぬまま当日を迎えた。最近出来たばかりの綺麗な内装とクラゲの凝ったディスプレイを売りにしている水族館は、彼女の心をガッツリと掴んでくれたらしかった。

「誘ってくれて有り難う…!」

 華鹿が高揚した声で健太を見上げた。

「喜んで貰えてほっとしたよ」

「私から告白したのに、デートにも誘わなくてごめんね」

「そんなこと、謝らなくてもいいんだ。俺こそ今まで誘わなくてごめん」

「ふふ、平くんこそ、謝らなくていいのに」

 そんなやり取りに二人の緊張はそっとほぐれていく。微笑み合えば、さらに心が軽やかになった。きっと、周囲からはちゃんとしたカップルに見えるはずだと、華鹿は願った。
 クラゲのトンネルをゆっくり並んで歩く。

「男の子とデートなんて初めて」

「えっ、そうなの?」

「…意外?」

「ちょっと」

「男の子って苦手なの。あ、平くんは平気! なんでか解らないけど」

「……」

「乱暴なイメージあったんだ。そんな子ばかりじゃないって分かってるんだけどね。だから、今までお付き合いとか考えたことなかった」

 華鹿が嘘をついているようには見えない。彼女のふんわり染まった頬を見ながら健太は思った。

「でも俺、そんな良い男じゃないよ」

「え?」

 健太は言ってから苦笑いした。あまり気持ちのよい言葉ではなかったのを自覚する。本心が出たのだ。確かに自分は友人たちに比べたら大人しい方で、乱暴も好きではない。だが、それだけだった。

「平くんは、優しくて、頭もよくて、上品よ」

「上品?」

 健太が驚いて笑っているので華鹿の方がきょとんと目を丸くした。

「…私、変なこと言った?」

「いや、初めて言われたから」

 華鹿が冗談じゃなく、本気で褒めているらしいということが解り、健太は笑みを引っ込めた。世間一般の乱暴な男子…例えば桜井兄弟なんかと比べたら、そりゃあ、彼らのような荒々しさは無いかもしれない。健太は我が身を振り返る。

「それに」

 華鹿が照れ臭そうに俯いた。彼女の薄い髪色が水槽のブルーを反射させて神秘的な光を放っている。

「良い男とか、そうでないとか、どっちでも良いの。ただ、平くんのことが、す…好きなだけだもの」

「…」

 健太は、そこで妙に感心してしまった。相手が一般的に魅力的か否か、恋愛に置いて、重要でないのかもしれない。華鹿にとっては少なくともそうなのだ。
 急に、健太は目の前の少女を見つめ直した。華鹿は確かに世間一般的には魅力的な少女だ。だが、自分達の間ではそれは最重要事項ではない。そんな気がした。彼女がどんな人物なのか、もっと詳しく知りたくなった。噂のマドンナとしての彼女ではなく。本人の口から語る彼女の真実が、自分にとって重要で興味深い気がしてきた。

「他に」

 健太は華鹿の指にそっと触れた。自分でも大胆なことだと分かっていたし、心臓は跳ね上がった。嫌がられたら離そうと思ったが、華鹿はじっとしているだけだった。

「他に、何が好きなの?」

「え?」

「その…。君の好きな……食べ物とか、色とか、趣味とか」

 華鹿は顔を上げた、健太の後ろでクラゲが舞っていたが、彼女の目にはすっかり写らなくなっていた。数ミリ触れ合った指先を、華鹿はさらに絡ませた。

「購買の数量限定プディング」

 華鹿の答えに健太はふっと笑った。釣られて華鹿も笑う。自然と絡まる指はしっかり繋がれて、2人は歩き出す。

「平くんは?」

「購買の超熟カレーパン」

「あ!私も好き」

 お互いに吹き出した。クラゲのトンネルを抜けると、大きな水槽が目に入る。

「あれ、すぐ売り切れちゃうんだ」

「そうなの。一回しか食べたことない。しかもカレンと半分こ」

 健太が声を出して笑った。時々教室で見かけた屈託ない彼の笑顔。自分に向けてくれるのは初めてだ。華鹿の胸は高鳴った。

「平くんの笑顔が好き」

 すぐに健太が真っ赤になった。

 
 
 
つづく