炎の印 – 別れ
「よう力、今月は早いな。もう米が切れたか?」
「ああ、ちょっとな」
「おい、後ろの娘は誰だ。これか?」
「アッハハ!違う違う。彼女ちょっと声が出せないんだ。でもいい子だから、次買い物来たら親切にしてくれな!今日は付き添い!」
「わかったよ!お嬢ちゃんよろしくね!で、今日は何キロ?」
周りの喧騒に負けないような大声で会話する力さんと米屋さん。力さんがお米を一袋買うと、それを肩に乗せた。
3軒隣のお店で油を買い、それをまた肩に引っ掛ける。荷物は全部彼が持って、私は本当に付き添いでお手伝いもできないまま彼と帰路に着いた。私の荷物といえば彼から預かった財布だけ。
「先生、来週の収穫祭うちにきてよ。サービスするから」
花屋を通りかかったら、店員の美しい青年が彼に声をかけた。
「ルカ。もうかりまっか?」
「ぼちぼちでんな。来週よろしくね」
そう笑顔で手を振る姿は絵本に出てくる王子様のようだった。
城下はとても華やいでいた。男性も女性も着飾り、店先には美しい服や小物やアクセサリーが飾られていた。
目新しさに思わず足を止めて視線を巡らす、なんて楽しいのだろう。
あれ?
前を歩いていた力さんの姿が人ごみに紛れてしまった。どうしよう!迷子になっちゃう!彼を呼ぼうにも声が出ないし、私は行く方向もわからず足を止めていた。
きっとあの坂を下りた方に海が見えるはず…。そう予想して駆け出す。
「カノ!」
と私を呼ぶ声。力さんの声だ。
「こら!そっちは違うぞ」
人混みを掻き分けて私の傍へ駆け寄ってくる力さんの姿を見つけてホッとする。彼に駆け寄って私は思わず抱きついた。慌てて離れると困ったような笑顔を返される。迷惑だったみたい。恥ずかしいし申し訳ない。
「今度ゆっくり案内するか、今日はまっすぐ帰ろうな」
優しく諭されて大人しく頷いた。そしてその機会は案外すぐに訪れた。翌週の城下の収穫祭に一緒に行くことになったのだ。そういえば、花屋の青年がそんなことを力さんに言っていた気がする。
「あいさつ回りするつもりだったんだ。せっかくだから遊びに行こう。菓子も配ってるぞ」
力さんはそう言って子供たちに楽しみを打ち明けるような笑顔で私を誘った。学校の生徒たちにも配るお菓子を買いに行く用事もあるようだった。
収穫祭1日目。私は力さんが最初に私に着せてくれた白いワンピースを着て、髪を丹念に梳いた。デートの気分で私は完全に浮かれていた。身を飾るアクセサリーは持っていなくても、小奇麗な格好で彼の隣を歩きたい。
約束の時間に力さんは私の部屋のドアをたたいた。
「今日は折角だから街で飯を食おう。そして、お前が行きたい所に行こう」
力さんはそう言って私の先を歩いた。
「今日はこの前よりも人混みが酷いだろうから、ちゃんと付いてくるんだぞ」
力さんが言った通り、先週の比にならないほど城下はにぎわっていた。空にはお祝いの花弁が舞い、石畳に落ちている上を、行商人や観光客が行き交う。力さんとはぐれないように彼の袖をつかんでいたが、それに気付いた力さんが私の手を握ってくれた。
先週も観た花屋の前を通りかかって、力さんが軒先で立ち止まる。
「大迫先生、ルカに用?」
花屋の奥から、先週とは違うガタイの良い男性が現れた。背が高くて威圧感があるが、優しそうに微笑む人だった。
「真咲さん。いや、忙しいだろうし、呼ばなくて大丈夫。薔薇を1輪買いたいんだ」
「毎度! そのお嬢さんにプレゼントかい?」
「ん、そうしようか」
力さんが頷くと、花屋の大きなお兄さんは奥から白く輝くリボンをたっぷり持ってきて、1輪の花に巻いてくれた。お会計を済ませた力さんが優しいピンク色の薔薇を私に手渡した。花を贈られるのは勿論初めてだし、気恥ずかしくて俯いてしまう。
花屋を出ると、広場で踊り子たちが艶やかな衣装でアクロバティックな舞いを披露していた。人々はダンサーのパフォーマンスに歓喜の声を贈る。
「あ!先生!」
テントの中から背の高い美男子が出てきた。ダンサーとまではいかないが派手なメイクと髪飾りを付けている。
「あれ、デート?」
「ニーナ、久し振りだな!お前、お役人じゃなかったか?こんなところで何してんだ」
「そっすよー!あそこでインバウンド客の案内。この格好はダンサーの皆がしてくれたんだ」
「相変わらずだな」
「その子、先生のコレ?薔薇送ったの?」
「ん…まあな」
「そうだ、お嬢さん、そのバラ貸してくれる?」
「…?」
力さんに視線を送ると笑って頷いていた。彼からもらったバラを美男子に渡すと、それを飾っていたリボンを私の髪に巻いた。
「これでよし」
後ろに結わいた私の髪に、薔薇を刺した美男子は満足そうに笑った。
「おお!流石ニーナ!洒落てんな」
「女の子なんだから、今日ぐらいお洒落したいデショ。ほら、先生」
「ん?」
「ん?じゃないよ。言うことあるでしょ」
「なんだ?」
「もう!”可愛い”とか”綺麗だ”とかさぁ」
「あ!流石ニーナだな。…か、可愛いぞ!」
力さんは慌てたように言った。そんな無理に言わなくても良いのに。私は苦笑いした。
「スマートじゃないなあ」
美男子はそう言って、先生とにこやかに挨拶すると仕事場に戻っていった。
「カノ、ホントに可愛いな、それ…あ、いや、花じゃなくてお前が…」
力さんが珍しく慌てて私を褒める。私は彼の手を取って、指に文字をなぞった。
― 嬉しい
「喜んでくれたか。よかった…」
力さんはほっとしたように笑った。
それから、広場の華やかな出し物を見物したり、お菓子を買って貰ったり、城の近くまで行って立派な建造を堪能した。
・ ・ ・
「大きなバラ!」
授業を受けに登校してきた生徒の一人がうっとりと窓辺に活けられた薔薇をみつめた。クラスの中で植物を愛する優しい少女だ。
「先生が買ったの?」
それに寄って来たのはクラスでも一際元気な赤毛の男子。まだ教室に居ない力さんの代わりに私が頷いた。
「先生、花なんか買うのか」
「違うわよぉ!カノちゃんへのプレゼントよ!収穫祭よ」
ミーハーでお洒落な女の子が会話に入ってくる。クラスに集まっていた子供たちがわっと沸いた。
「うわ、先生キザだな」
子供たちはニヤニヤしながらお互い見合った。楽しそうだ。
「カノちゃんお返事したの?」
返事?
「カノはこの国に来たばっかで知らないんだよ」
「そっか!あのね、収穫祭で大事な人に薔薇を贈るのよ。恋人とか家族とか」
「先生はカノが好きなんだ」
「結婚するの?」
「カノも先生が好きでしょ?」
「先生を嫌いな奴なんかいないもん」
「違うって。恋してるかって聞いてるの!」
子供たちからの質問にどぎまぎする。どう応えればいいのか。勿論彼の事は大好きだけれど…。
「先生の事好き?」
いつもは大人しい男子が上目づかいで私を見上げた。それに頷いて笑みを返す。そうするとクラスがまたわあっと湧き上がる。
「こらあ!近所迷惑になるぞ!元気なのはいいが」
と、力さんが入って来た。
「先生、カノと結婚する?」
「な、なに?!」
「この薔薇、カノちゃんへのプレゼントなんでしょう?」
力さんが、子供たちの輪の中心に目をやると、窓辺に活けられた薔薇を見つけた。
「そこに飾ったのか」
彼は気恥ずかしそうに笑った。
「お前らだってご両親やお爺ちゃんお婆ちゃんから薔薇、貰っり贈ったりしたろ? カノは俺たちの家族みたいなもんじゃないか。だから贈ったんだ」
「でも、カノは先生の事好きだって」
「ね!聞いたよね」
心臓が飛び上がる。確かに好きだ。でも、子供たちにそういう意味で言ったのではない。力さんからの視線を感じるが、恥ずかしくて見返せない。弁解しなければ、紙とペンが傍にあれば…。
「こらこら、カノが困ってるだろ。授業始めるから皆席に就け」
「はあい」
話題はそこで打ち切られ、私はほっと息をついた。彼には想っている女性がいたはずだし、私の事を気にかけて贈ってくれた薔薇にそんな深い意味は無いはずだ。そう思って、自分で少し落ち込んだ。
「カノ、すまないが、授業中お使い頼まれてくれないか」
来週の授業で使う貝殻が数十個欲しいという。私は了承して、籠を持って近所の浜辺に来た。私は言われた通り、割れていない貝殻を拾っては籠に入れていった。
「バンビ…!」
「?」
私のあだ名を呼ぶ声が聞こえた。そのあだ名で呼ぶのは友人二人だけだ。驚いて周りを見渡す。岩陰にキラリと輝く鱗が見えた。人目を気にしながら岩場に近づくと、ミヨとカレンが隠れるように水面に漂っていた。私がそばによるとカレンが堰を切って怒鳴りだした。
「バンビ!どうして何も言ってくれなかったの?!」
「カレン、今はそれどころじゃない」
ミヨが声を荒げるカレンを制して、肩から下げているカバンから鋭く光る刃物が妖しい短刀を取りだした。
「泡になってしまう前にこれで彼を…殺さなければ」
ミヨが物騒な言葉を言った半分も理解できなくて首をかしげる。あまり穏やかではない話に気を揉んでいると今度はカレンがミヨをなだめた。二人が二人とも混乱しているようだった。確かに黙って出て行ってしまって二人には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「私たち、魔女にあなたのこと聞いたの。人間に愛されなければ泡になって死んでしまうって」
「バンビ。このままじゃ魔法の効力が切れて泡になってしまうけど、人魚に戻る方法があるの。あなたが心奪われた男の心臓にこれを突き刺せば…」
ミヨが言い終わらないうちに、カレンがミヨの手の短剣をとって柄の部分を私に向けた。
「魚を食べる人間なんか、バンビを愛してくれるわけない…!どうせ正体を知ったら捨てられる」
彼女の気持ちはよくわかる。友達が死んでしまうのだ、きっと私でも同じことを言うかもしれない。でも…
二人とも、ごめんね。心配かけてごめん。
首を振るとカレンは泣きそうに目を見開いた。
「でも、泡になっちゃうんだよ!」
「バンビ…わかった」
「ミヨ!」
「カレン。わからないの?…もう、行かなければ」
ミヨがカレンへ向けた視線は強かったが、彼女の大きな瞳は涙をいっぱいにためていた。
「…バンビ。大好きよ」
「きっと消えないって信じてる」
二人は私にお別れを言うと名残惜しそうに海へ帰って行った。ミヨがカレンの肩を抱きながら「バンビが好きになった人だもの、大丈夫」と慰めていた。人間の体は彼女たちを抱きしめることもできないが、抱きしめる思いで二人が消えた水面を見つめていた。
もう、自分の命なんかどうでもいい。自暴自棄になっているのではない、それよりも大切なものがあるから、死に囚われていないだけなのだ。
約束の日の出まであと数日に迫っていたのだから…
せめて真実を伝えようと、彼から教えられた文字で今までのことを紙に綴った。彼を愛していたことも。長い手紙を数日かけて書いていた。力さんが時々覗き込もうとしたけれど、頑なに見せなかった。
「日記でも書いてるのか」
頷いて力さんに背を向ける。彼は特に気にかけることもなく私の好きにさせてくれた。
最後の日、彼に思い切り腕をふるった料理を出すと、彼は喜んでそれを食べてくれた。私の拙い料理で笑ってくれる力さん。せめてお礼のつもりだったけれど…これじゃ足りない。でも、私には恩を返す時間がなかった。
昨日書き終えた手紙をこっそり彼のベッドの枕元へ置いた、その足で自分の部屋へ戻ると部屋を掃除した。もう消えてしまうこの身には、何もいらない、せめて彼に買ってもらったこのワンピースをだけ、もらって行こう。
そして私は夜のうちに部屋を出た。
つづく