欲しいのはうつつ

小説
甘め
迫バン
連載

「不思議です」

 と呟いたのは少女…といってももう良い歳の女性だが、俺にはいつまでも少女に見える。というのも、彼女が本当に少女のころから生徒として面倒を見ていた感覚の名残だろう。
 彼女の言葉に意味を訪ねるように首をひねった。

「不良だったんですか?」

 アルバムのいたる所に映る少年を見つめた彼女は問う。子供の頃の自分を眺められるのはなんだか気恥ずかしい。
 もしかして、以前話した”荒れていた”自分を捜しているのかもしれない。彼女からしたらアルバムに写る普通の少年の俺は予想はずれだったらしい。

「不良というのとは違うが…お前達とそんなに変らない。特に代わり映えもない泥臭い青春してたぞ。進路に迷ったり友達と馬鹿やって怒られたり。恋人に振られて落ち込んだり。普通だ」

 最後の言葉は余計だったかもしれない、と口を噤んだが出た言葉は元に戻せない。「すまん」と一言謝罪を入れた。それでも、彼女は俺の以前の恋人の事を聞きたそうな複雑な顔を横に隠していた。

「力さんが振られちゃったんですか?」

「うん…まあ、しょうがないな。夢を追いかけるのに夢中だったんだ。」

 未熟だったころの自分の苦い失敗を思い出して少しだけ切ない気分になる。

「彼女の事を大事にしなかった。だから彼女は、俺よりも彼女を愛してくれて、俺よりも背が高くて美しい、優しい男の所にいっちまった」

 語る自分の声が寂しさを孕んでいたのだろうか。そんなつもりが無かった俺は鹿乃が心配そうな顔で話を聴いている姿に苦笑いする。

「昔の話だ」

 鹿乃はそれでも切ない顔で俺の襟元に目を落としていた。
 この子はあまりじっと目を合わせてくれない。ちらりと何度か目を見てくれるけれど、すぐに視線は落とされてしまう。聞いたら、「恥ずかしい」だけだそうだ。それならば仕方ない。
 でもそっと鹿乃の瞼が上がったと思うと、じっと見つめられた。普段その瞳を上からのぞくようにしか見られないから、俺は珍しい物を見られた喜びで少しときめいた。

「力さんが一番素敵です。力さん”より”なんて人は居ません」

 その言葉は視線とともに俺を一気に甘やかした。そうだ。鹿乃はいつも俺に甘い。彼女の言葉はいつも自分を自惚れさせ、喜ばせる。
 そうして、乙女の従順さは男の加虐欲をかき立てるのだ。そんな俺の視線に気付いたのか気づかないのか鹿乃は身を捩る。

「俺よりお前を愛してくれる男が現れたらどうする」

「え!」

 突然の質問に間抜けな声を上げる恋人が面白い。

「俺よりも容姿端麗で、利口で、優しい。そんな男なんて巨万と居る。そいつがお前に求愛してきたら?」

「そ、そんな事現実には…」

「もしもの話だ」

「もしも…」

 ”一番でありたい”と思うのは男なら誰でも多かれ少なかれ持っている欲求だ。どうせなら世界で一番になりたいと思うもの。彼女の中で自分という男が多の追随を許さない地位を確立したいものだ。
 そんな子供っぽい欲求が胸の奥にちらりと現れる。

「いつも元気な先生は蓋を開ければ休日はかなりダラダラしてるしベッドから中々起きられないけ男だけど」

 そう一旦、自分の事を落として彼女に想像を促した。

「もしも毎週お前を元気よくデートに誘って、優しくエスコートしてくれる男が交際を申し込んだら」

「…」

 素直な鹿乃は言われるまま想像した。瞼を閉じ「…う~ん」と唸っている。悩んでいるようだった。
 彼女のそんな様子が気に入らないと思う自分と、「それは仕方の無い事だ」と告げている冷静な自分を同時に感じていた。
 目の前の恋人は自分を置いて脳内で別の男とデートをしている。それは俺からは見えないから一層苛立つ。だが、じっと待っていた。彼女からの回答に興味があったのだ。

「…」

 鹿乃はときどき眉を寄せて想像に身をゆだねていたが、たった1、2分で目を開けて「疲れた…」と脳内デートを終了させると一言そう言った。うんざりしたような声音に俺は声を上げて笑った。

「とても困ります」

「良い男に言い寄られて困るなんてお前も隅に置けないな」

 だって…と言いたげに口をへの字に曲げる彼女が、俺には可愛らしく思えた。彼女のこんな飾らない表情が好きだ。

「いくら格好良くても、力さん以外の男性に手を握られるのがもう…なんだか…気持ち悪くて…」

 その一言に、俺の中の苛立ちや諦めを司る人格が口を閉ざした。どうやら彼女の中で自分は「一番」ではないらしい。言い換えれば「唯一」。彼女に取って自分はただ一人の男なんだと、彼女の少ない言葉と瞳の熱から容易に感じ取る事が出来た。それはなんと嬉しいことか。
 鹿乃がどんな男とどんな風にデートをしたのか知らないが、そいつが彼女の小さな手を恭しく取って優しく引き寄せたのだろうと想像すると今度は嫉妬心が喚きだした。

「…ぇ」

 俺の突然の行為にさっと顔を赤らめる鹿乃。無意識の行動にそこでやっと自覚した。が、なんだか引き下がるのも癪だし恋人なのだからいいだろうという気持ちで彼女の手の甲を自分の唇に押し付けた。
 その指先がわずかに震え、肩に首を窄めて小さくなるだけで鹿乃はされるがままだった。そんな無抵抗ぶりが優越感に火をつけていく。

 俺だけが彼女に触れる事を望まれている。

 そう思うと俺はどんどん破顔していった。彼女が顔を上げたらニヤついている自分をどう思うだろうという心配してみるが、鹿乃ならそれでもいいと言ってくれる筈だ。底知れない安心感があった。
 考えている事が伝染したのか、少女はふっと顔を上げる。潤んだ瞳はこれでもかというほど喜びを訴えていた。

「なんで笑ってるんですか…」

 俺がどんな意地の悪い顔で笑っていたのかは知らないが、鹿乃が顔をそらすほどではあったのだろう。

「想像でもお前が他の男とデートしてると思ったら妬いた」

「力さんでも、妬くんだ」

「当たり前だ」

「嬉しい」

 こういうとき、彼女は思ったまま口にする。嬉しいなら嬉しいと。好きなら好きと。
 自分でも素直な方だとは思うが、そこら辺は彼女にかなうだろうか。別にそんなことは勝っても負けても構わないと思い、俺も素直になってしたいように手を伸ばした。彼女を抱き寄せるのに邪魔な大きなアルバムを端に追いやり、鹿乃を抱き寄せる。

「俺を放っといて誰と浮気してたんだ。こいつは」

 擽りに弱い彼女の脇腹に爪を立てながら尋問する
普段俺の腕でじっとしてるのが常の鹿乃だが、擽りの時は条件反射のように腕から逃れようと身を捩り笑い狂う。その姿が可愛いのやら滑稽なのやらで俺も大笑いした。
 「もう許して」と息苦しそうに訴えてきたので指の動きを止める。彼女をベッドに連れ込みたくなったが、もう少し遊びたかった。

「そんなに俺がいいのか。ん?」

 閉じ込めた腕の中で息を弾ませている鹿乃は何度も頷いた。鹿乃の気持ちをわかっていてそう聴いてしまう自分はやはりズルイ男なんだ。それなのに

「俺のこと、好き…?」

 とさらに言葉を強請ろうとするところ俺も結構欲深い。俺に縋って、他に言葉を知らないように、俺を好きだと言って欲しい。
 彼女にこんな身勝手な欲求を覚えたのはいつからだったか。以前はあんなに清々しい気持ちで愛していたのに。

「好きです…好きです…」

 俺が欲しい言葉を何度も何度もつぶやく鹿乃。俺がそうして欲しいように縋り付いて、泣きそうなほど表情に心を載せる鹿乃。俺が誘導すると素直に従う愚かな鹿乃。
 気付けば俺はまた笑っていた。これはいけないと思い

「あんまり男を調子に乗らせるな」

 と恋人に形だけの苦言を呈しても

「駄目なんですか?」

 と小首をかしげられた。駄目というわけではないんだ。なのに「貴方を調子の乗らせて何か問題でも?」と言われている気がして思わず噴き出した。
 お前のような女の子が変な男につかまって向こうの欲しいまま遊ばれたらどうするんだ、という教師のような説教が頭をよぎったが、それは今は意味が無いことだった。俺がずっと彼女を愛して、彼女もまた揺るがない俺への思いを抱いている限りそんな心配は要らない。

「いいさ」

とそれだけ口をついて出てきた。

「もっと言ってくれ」

 吐くように強請る。彼女の言葉も待たずに床に押し倒す。それをまた嬉しそうに受け入れる恋人が愛おしい。
 次は別の遊びをしよう。そう思って俺は彼女に覆いかぶさった。

Fin