ジンクス

小説
迫バン

公園でお散歩

 というのは、アウトドアな力さんとのデートの定番の一つだ。公園に行こう!と勇んで向かうわけではないけれど、日差しが暖かい天気の良い日は、語り合いながら歩くのに毎回近場の公園へ足を運んでいたというだけのこと。この前は現代アーティストのオブジェが立ち並ぶ美術公園に足を運んだし、その前は蓮池が有名な庭園を散歩した。
 今日は、アヒルが泳ぐ池があるという都内の広い公園に、いつものごとく立ち寄っていた。確かに、公園の真ん中に広々とした池があり、岸際にアヒルが戯れていた。しかし、アヒルよりも目立っていたのは…。

「ボートだ」

 池に何隻も浮かんでいるボートを指差して力さんが無邪気な瞳を向けてきた 。普通のボートの他に、アヒル型の足漕ぎボートを子供連れの家族が楽しそうに操縦しているのも見える。キラキラした池の光と人々の楽しそうな声が、一瞬で私たちの興味を攫っていった。

「乗ってみないか」

 池に反射する日光を背に、太陽にも負けないような眩しい笑顔を向けられて、私は頷く。対岸に見えるボート乗り場へ向かって池の外周を歩く最中、アヒルボートに乗るか、普通のボートにするか、二人で審議。どうせなら操作が難しそうな従来のボートにしようということに決まった頃、乗り場の受付へ辿り着く。力さんがチケットを買っているのを隣で待っていると、後ろの若い女性二人組が楽しげに女子トークを繰り広げていた。学生のころカレンとミヨの三人でお喋りしていたこ とを思い出して微笑ましい気持ちで聞き耳を立ててしまう。

「知ってる?カップルがここでボートに乗ると別れるらしいよ」

(え?)

「やだー!でも、ただのジンクスでしょ?」

「そうだよね」

 女子同士で来てる私たちには関係ないわ、とでもいうかのように噂話は早々に切り上げられてしまい、彼女たちはボート操縦マニュアルの看板を読むのに夢中になっているようだった。

「何してる、行くぞ」

 チケットを買い終えた力さんが私の肩を叩く。「乗るの、やめませんか」と口をついて出そうになったけれど、もうチケットは買ってしまったし、今更何も言えず

「あ…その…」

 ともごもご口を動かすことしかできなかった。乗り場ゲートへ歩き出した彼について 行こうとしたけれど、足取りが重い。

「どうした?」

「…いえ、なんでも…」

 大丈夫、ただの迷信だもん。でも、もし本当だったらどうしよう。

 そんなことを考えているうちに係員のお兄さんがボートを浅瀬に引き寄せて、私たちを誘導した。揺れるボートに先に降りた力さんが私の手を取って引き入れてくれる、そんなときめく瞬間も、先ほどのジンクスが頭から離れない今の状態では思い切り楽しめることができず、私は情けなくハラハラしていた。

 力さんが係員の簡単な操作説明を受けているのをボー…っと聞いていると、いつの間にかそれも終わっていて、私たちのボートは力さんのオール捌きであっという間に桟橋から離れてしまった。口では「難しいな」なんて言いながら、それでも軽々とオールを操り、見る間に池の真ん中までボートを漕ぎ着けてしまっている力さんは、やっぱり運動神経がいいんだなと頭の隅で思う。座ってるだけな ら安定感のあるボートの上は思ったより怖くなかったが、それよりも、彼とジンクスのあるボートに乗ってしまったことが少しだけ怖かった。

「お前もやってみろ。楽しいぞ」

「はい…」

「…どうしたんだ。水の上が強いのか?」

 言われてから自分の表情が硬くなっていることに気づく。笑顔を繕って首を振ると、力さんからオールを貰った。彼があんなに軽そうに操っていたオールは水の抵抗で思ったより重く、私が操縦するボートは池の真ん中で不格好に旋回するだけだった。それを見た力さんは楽しそうに笑っていて、まあ、この人が楽しそうなら、いいかと思う。

「ほら頑張れ!」

 なんて激励を受け、オールの操作に夢中になっていると、なんとか乗り場の対岸近くまでた どり着くことができた。とんだ重労働である。軽い汗をかいて息を吐 くと、力さんはまた笑ってくれた。

「上手くなったな」

 と褒められるのを清々しい気持ちで聞いていると、さっきの迷信のことで悩むのがバカらしいような気がしてくる。彼の笑顔を見ているといつも気持ちが軽くなるのだから、この笑顔にはきっと力があるのだ。

「俺の操縦どうだった?」

「え…?」

「ほら、さっき誘導員が言ってただろ。この池のジンクス」

 まさか、力さんの方から話題を振られるとは思ってなくて、私の気持ちはまた転がり落ちた。もしかして、力さんは知っていたのだろうか。その上で私と乗っているのだろうか。いや、この人は小さいこと気にしないのだろう。
 気にしていないのなら、言ってしまえ!半ば投げやりになって、私はおずおずと先程 聞いた噂を口にした。

「カップルがボートに乗ると…別れるっていう …?」

「へ?!そうなのか?!」

 力さんが驚いた顔をしたのを、私も驚いて見つめる。

「聞いてなかったのか?男が上手く舵取りすると、その二人は…」

「その、二人は…?」

「…お前が聞いてなかったならそれでいい」

 力さんが、急に赤くなってそっぽを向いてしまった。え、どうして照れるの?!

「もしかして、別れるっていうジンクス気にしてたのか? だからさっき浮かない顔してたんだな?」

「う…」

「しょうがない奴だ。頑張ったんだぞ、俺は…」

 何を頑張ったのかよくわからないが、珍しく彼は拗ねているようだ。どうしよう。話を聞かずにぼーっとしていた私が悪いのは明らかで、どうやって彼のご機嫌を取り戻そうか考える。

「かっこよかったですよ!だって、あっという間に操作覚えて漕ぎ始めちゃったし、その…その…」

 視線を横に向けていた力さんは私が辿々しく話す様子を見て、漸く笑顔を見せてくれた。やっぱり、彼の笑顔はホッとする。
 私の手からオールを受け取り、ボートを上手に旋回させて池の中心へ戻って行った。

「もう慣れたもんだろ」

 自慢げに胸を張る恋人が、何だか可愛らしい。この人は、普段大人だなと思っていると時々子供みたいに素直だ。そんな力さんのことを思い切り誉めそやしたくなるのは、惚れた弱みなのだろうか。いや弱みだとしても、甘んじて受け入れよう。

「すごいです!上手!」

 絶賛すると、満足げに高笑いしていた。さっきまで少年みたいだったのに、今度はおじさんみたい。変な人だ。すっかりご機嫌な力さんは私にオールを手渡そうとしていたけれど、疲れ切ってしまった私を見てすぐ漕ぎ手を代わってくれた。彼が操縦する船の上で、池の水面を撫でる涼やかな風を感じ、暖かい日の光に照らされて、なんだか気持ちがいい。夢のようだ。

「ジンクスを信じて落ちむなんて可愛いやつめ。アッハッハ!」

「う…っ」

 その”可愛い”は絶対に子供扱いしている。そう絶対だ。

「へえ。そうかそうか。そんなに俺と別れるのが嫌だったのか」

 といたずらっ子の瞳で揶揄われると肩身が狭いけれど、まあ、いいんだ。本当のことだもの。

「…気になるならどうして俺に相談しないんだ」

「え?」

「お前はすぐ言わずに溜め込む。寂しいぞ」

「寂しい?」

「男なら、好きな女からは頼りにされたい」

「…力さんでも、寂しいなんて思うんだ」

「当たり前だ。俺をなんだと思ってる。普通の人間だぞ」

「そうですけど」

「だから、不安なことがあったら言ってくれ」

 力さんが優しい表情で私に笑いかけてく れる。素直に頷くと、彼が満足そうにうなづいた。

「あの時は、もう乗る直前だったし、やめましょうなんて言えなかったし、ジンクスなんて迷信だってわかってましたけど…ちょっとだけ怖くなって」

 言って、少しの沈黙。

「…この池な」

「はい」

「カップルの男が上手く舵取りしてボートを漕ぐと、近い将来二人はゴールインするってジンクスがあるらしい」

「…ええ?!」

「迷信だけどな!」

 力さんが、私の顔を真剣な眼差しでジッと見つめた後、また笑った。わかってる。顔が熱いもの。絶対真っ赤だ。私のバカバカ!どうして話ちゃんと聞いてなかったんだろう!そんなジンクスならウキウキで乗り込んでいたはずだ 。それを一人で落ち込んで彼に心配かけて、本当に馬鹿みたい。

「このジンクス、俺は信じる!」

 落ち込んでいる私に彼が力強い声音で放つ。顔を上げると強い視線に射抜かれて心臓が跳ねた。

 それって…

「もう少し漕ぐか」

 詳しいことは明言せず、彼はまたオールを構える。こんなに女を弄んでおいて自分はボート漕ぎを楽しもうというらしい。それを悔しいと思うこともできず、私はただ熱を持った頬を彼が起こす風で覚まそうと顔を上げた。息を吸うと、清々い風の良い匂いがした。

Fin