発汗作用

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連載

 
 
 

 熱い。

 
 
 

 とても熱い。ベランダの窓は虫除けの網戸を閉めただけで開けっ放しである。そこからむわっと熱気が入り込んでは部屋の中の人間を意地悪く掻き回す。
 しかし閉め切ってはさらに熱い。こうして風が入るだけマシなのだろう。有り難いのか憎らしいのか解らない風から意識を反らして携帯電話の通話を切った。

「修理、午後来てくれるって」

 もちろん、この熱さから身を守ってくれるエアコンの修理だ。今日が休日で本当に良かったと思う。そうでなければ週末まで熱い夜を過ごさなければならなかった。

「それまで扇風機付けましょう」

 そう言って鹿乃は重そうに扇風機を運んできた。コンセントにコードを差し込みスイッチを入れると先ほどよりも幾分涼しい風がリビングを巡る。

「ああ涼しい」

 扇風機の前でゾンビのようにだらしなく立つ少女に色気も可愛気も感じられなかったがその姿は滑稽でつい吹きだした。
 それに、気持ちもわかる。今日は本当に熱い。普段元気が取り柄の自分ですらソファーを立ち上がるのが億劫だった。
 ふらっと台所に消えていった鹿乃は氷と麦茶を入れたグラス2つを両手に持って出てきた。それを差し出されると思い出したように喉が渇き、感嘆の声を上げる。

「おお!有り難う!」

 グラスを受け取ると麦茶を一気に飲み干す。汗をかいていた。水分はどんどん失われる。

「入れてきますか?」

「いい、自分で入れる」

 彼女の親切を遠慮して立ち上がる。台所の冷蔵庫を開けると冷気が気持ちよかった。
 麦茶を注いでリビングへ戻ると鹿乃が溶けたように背もたれにもたれかかっている。隣に座ると膝に彼女の頭がこてんと落ちてきた。
 甘えてきたのか?と意外になる。普段ならわざわざ許可を求め、それからやっと甘えてくる。この子は甘えるのが下手だ。
 それが夏バテも手伝ってか素直に膝枕を強請っている。しかし折角なのだが…

「お前の頭、熱い」

 される側は熱くてしょうがない。

「…ごめんなさい」

 そう言って残念そうに、申し訳無さそうな表情で起き上がろうとする。それをやんわり制してもう一度寝かせた。

「このままで良いぞ」

「…有り難う…ございます」

 急に照れはじめ、顔をそむけられた。視線を外に向けたまま、鹿乃はぽつりと呟く。

「くっつくのは嫌いですか?」

 嫌いじゃない。好きだ。でも今は熱い。つい苦笑いの表情を見せてしまう。

「汗かきなんだ、俺。お前が気持ち悪いだろ」

 折角の膝枕からふっと起き上がる鹿乃。恐らく汗をかいているであろう二の腕にぎゅっと掴まってきた。
 熱いが。悪い気はしない。今日はどうしたのだろう。何か俺に訴えられているのだろうか?女の無言の言葉はなかなか分かりにくい。
 俺は彼女の様子をうかがう事しかできなかった

「嫌じゃないですか?」

「嫌なもんか」

 こんなむず痒い恋人同士の会話のさなかだって真夏の熱気は容赦がなかった。体は密着しているし、お互い薄着だったので肌がふれあう。肌と肌の間を汗がつたい、二人でしっとり濡れていた。
 しかし、彼女はそんな事はお構い無しのようだ。それを見ていると、なんだか俺までどうでもよくなってきた。
 喉が乾き、空いた手で麦茶を飲む。彼女にも水分補給を促すと返事だけが帰ってきて飲もうとしない。

「脱水症状になるぞ」

「もうちょっとこうしていたいんです…」

 目の前のテーブルに置いてあるグラスを取って飲むだけの行為が面倒なのか、くっついていたいだけなのか、両方なのかわからないが、いつもの彼女らしからぬ様子に多少心配になりながら、俺は自分の持っているグラスに残った麦茶を傾けて彼女の口に持っていった。
 そうすると素直に口を開け、喉を鳴らしてそれを飲んだ。
 ペットに餌を与えている気分だ。ペットとは失礼か。もしかして具合でも悪いのだろうか?と、彼女の顔に手を当てて体温を確認した。別になんともないようだ。
 けれど今度は言葉にならない拗ねた声で唸ると

  「ただ、力さんといちゃいちゃしたかったんです」

と半ば投げやりに言い放ち、俺を喜ばせた。
 今日はデートの予定だったけれど、今朝からエアコンの故障でこうして出かけるのが中止になっていた。
 今まさに、家デートしているようなものだ。それならそれでいい。デートを楽しもう。それに、普段照れ屋の彼女がこんなに素直なのも珍しい。
 観察しているとみるみる頬を赤くする恋人。それが熱中症などでないことは、今は解っていた。
扇風機が程よく涼しい。

「じゃあ、いちゃいちゃしようか」

「え」

 奪われた腕を開放してもらうと、恋人をゆっくりソファに押し倒す。急なことで息を止めている鹿乃。
 鼻先から落ちた汗が彼女の頬を濡らしたので、一旦顔の汗を半袖の襟で拭う。腰に手を回されて、促されるように彼女の上に体を落とした。

「熱いだろ」

「いいから…力さん…」

 誘われている。俺は顔がにやけるのを隠しもせず、上から閉じ込めるように抱きしめて、彼女の唇を食んだ。汗で濡れたシャツの上から体を撫で、身震いする首筋の匂いを嗅ぐ。汗のためか、彼女の匂いがいつもより感じられて気持ちよかった。
 体を離して顔を覗くと、いつの間にか息を弾ませて潤んだ瞳でこちらを見ていた恋人と目が合う。
 非常に困る。軽い気持ちで戯れていたのに、急にその気になってきた。恋人の名前を呼ぶ自分の声は思ったより切な気で、もう観念して彼女をベッドに連れ込んでしまおうと思って抱き上げる。

― ピンポーーン

「「あ」」

 二人で同時に声が出た。時間は午後を少し過ぎた頃。玄関から「はばたき電化でーす」という男性の明るい声が聞こえてくる。呼んでいた修理業者が来たようだ。
 俺はそっと彼女を腕から下ろして玄関に向かった。エアコンが直ったら涼しい部屋で存分にさっきの続きをしようと心に決めた。

Fin