炎の印 – 出会い

小説
迫バン
連載

 
※人魚姫パロです。
※バンビ名は「カノ」。
 
 
 
 
 

 小さい頃に読んだ絵本。
 海の上から落ちてきたそれは、少し力を入れて捲ると破れてしまうほど儚い一冊だった。遥か海面の先から来たなんて知りもしなかった私は、文字通り宝物を見つけた子供だった。そっとページを捲って、描かれている美しい挿し絵を何時間も眺めていたのだ。

 そのあとすぐに、その本は重要海上文化財として(ここでは海上から落ちてくるものは役場が管理、分析するために徴収する)没収されてしまったが、私はその本をずっと忘れられずにいた。

 海上のことは、学校では「そういう世界がある」程度のレベルの授業しか行わない。現実的な勉学としてというより、宗教観の一つとして存在していた。
 遥か上に私たちを取り巻く水が途切れる場所があり、そのまた更に上に「人間」という、私たちと非常に良く似た生き物が住んでいるのだという。
 人間は私たちよりも野蛮で、強くて、知恵が働くために、海の上に顔を出した人魚たちを狡猾に捕まえて食べてしまうのだとか。

 だから丁度、北の強い海流を渡った先にある迷いの森について大人たちが「泳ぎ入ったら最後、魔女の大きな釜で煮て食べられてしまうよ」と子供に教えるように、国の王様から「不用意に海面に近付かないように」と注意喚起の御触れが出ているのだった。もう何百年も前から。

 海の上についての研究は、私たち人魚の世界からしたら優先度は低かった。何故なら人間が海の中に入ってこれないことがわかっていたからだ。これは時々落ちてくる人間の亡骸を調べてわかったことらしい。彼らにはエラ呼吸の機能が何処にも備わっていないのだ。

 私たちが安全に暮らせるのもこの神秘の要塞である海の恵みの賜物というわけである。

 人間は道具を自在に操り、結束力を持つ生き物ではあったが、その体は水の中では生きていけないうえに、寿命は人魚より遥かに短いのだった。
 私たちが300年前後生きるのに比べ、彼らは100年も生きていない。

「すると、空の雲間から光の梯子が降りてきて、天使が死者を導いていきました」

 学校の授業で来ている国立図書館。ガイドさんか人間の本のイミテーションを指しながら解説している。

「人はこのように、死ぬと彼らの世界の更に上に魂だけ登り、星になるのだそうです」

 そんなことは、人魚たちは何度も何度も聞かされるストーリーだった。有名な話。
 人魚は長い寿命を全うしたら泡になる。人間は短い寿命の先に、永遠の輝きが待っているのだという。

「素敵」

 だから私は、周りが人間を恐れる一方、一人で勝手に憧れを抱いていた。

 こっそりと地上近くまで泳いで行くのは日常茶飯事だ。海面から顔を出すと、それ以上は上へ行くことが出来ないのに驚いた。それは空気というものだと聞いてはいた。私たちが生涯を全うした後、泡になって上ると地上の空気にとけて消える。私はかつての人魚たちの成れの果てである空気を吸い込んだ。なんと、清々しいのだろう。

 そこに居ると、ある時は珊瑚を散りばめたような星の広がる空が見え、ある時は燦々と輝く太陽が鱗を焼かんとするように光を照らしつけてきた。地上のなんと美しいことか。周りに人間の姿が見えないことを確認して、目を閉じる。私はクラゲに混じって海面を漂うのが好きだった。

「あれ?もう夜?」

地上の空気を受けながら居眠りしていたらしい。

「あ!」

 と声を出してしまった口を自らの手で押さえる。目の前に、大きな船が

「なんだ、ありゃあ」

「たまげたなぁ!人魚だ!」

「網持ってこい!」

 咄嗟に水の中へ逃げた。海面すぐしたに、珊瑚礁が広がっていた。こんな浅い場所に来ていたのだ。そうこうしていると、私の手足は網に絡み取られてしまった。

 そして、死を待つだけの人生かと思われた。

 私を引き上げた人間たちは私をじろじろ見回して、

「闇で高く売れるぞ。誰も触るな。傷がついたら値が落ちる」

「見世物にした方が儲かるんじゃねえか」

「馬鹿!足がつくぜ。俺たちゃ密漁してんだぞ」

 そんな恐ろしい会話を聴きながら震えることしかできなかった。真っ暗で不思議な臭いのする部屋で震えていると、密やかな足音が聞こえて息を呑む。そして

「に、人魚…!」

 布の覆いを覗いてきた人間。マスクをしていて解らないが小柄な少年に見えるそれが今度は息を呑んだ。

「助けて…っ」

 今度はなんだ。次はこの少年に何をされるのだろう。私は神に祈るように呟いた。

「…わかった」

 少年はそう答えた。私は固く瞑っていた眼を開けたが、少年は布を戻してしまったので暗闇しか見えなかった。一瞬だけ見えた少年の姿を、必死で思い出しながら一縷の望みで彼を待っていた。

「静かに」

 と、先程の少年の声がして、彼の指が覆いに入ってきた。南京錠を探り当て、カチャリ…と控えめな音をたてると、私を囲う檻が空いた。

「急げ」

 少年が私の腕を引っ張った。

 途端、鋭い熱さが腕を焼いた!私は声を上げた。

「え?!」

 少年は驚いて自分の手と私を交互に見つめたが、彼の手は火傷どころか赤らんでさえいなかった。

 炎の生き物

 人間の別名である。こんなところで身をもって改めて知らされる嵌めになるとは思っても見なかった。私の二の腕は彼の手の痕がハッキリと残っていた。

「女の声がしなかったか」

「人魚のメスが呻いてるんだろ」

「様子を見てこい」

「ガキに行かせた」

 物置の上のから声がする。さっきの強面の人間たちだろうか。私が身を震わせた途端、少年に柔らかい布を押し当てられ、強い力で抱き上げられた。

「声を出すなよ」

 私は頷きも出来ずに口をつぐむ。

「おい下っ端。なんだそりゃ」

「ほら、この前頭にやられた」

「あ、捨ててなかったのかよ。早く行け」

「うん」

 少年と別の男の声が、耳元近くに聞こえて息を飲むのも躊躇う。少年は私をそのまま抱え、歩き続ける。彼がどこに向かっているのか解らなかったが、布を通した彼の腕は頼もしくさえ思えた。

 そして、海の匂いが強くなる頃、私は布から出された。

「ここから降りれるか」

 と彼が指し示したのは、梯子の先の海。私は頷いた。

「行け」

 そう言う少年。私は改めて彼の顔を見上げた。

 若いが、精悍な眉と、鏡のように光る黒い瞳が私を見ていた。

 なんて

 なんて美しい人間

 絵本で見た王子様とは違う。けれども、得も言われぬ彼の力強い瞳に、私は恐怖も忘れて動けなくなった。

「人魚が消えた!」

「下っ端!!どこだ!!」

 少年は私を突き飛ばし、海へ落とす。ホームの海の水を受け、身体中が生き返るような心地がした。それから海の中でしばらく船の様子を見ていると、殴られたのだろう、私を逃がしてくれたあの少年が顔を張らして飛沫をあげながら落ちてきた。

 私はすぐに彼のもとまで泳いでいった。辺りは暗く、船の人間らは私たちの姿を探していたが見つけられないようだった。

 波を荒立てないように、そっと彼を水面に上げる。人間は水の中で息が出来ないのを知っていた。私を助けてくれた人。お願い、死なないで。そう願いながら彼の額に口づけた。

 陸へ運び、月明かりを頼りに少年の体を揺すると、少年は咳き込んで水を吐いた。息を吹き替えしたけれど、傷がひどい。このままでは死んでしまうかも。

 脳裏に、友人たちの噂話を思い出す。

「教会の噂。知ってる?」

「なにそれ」

「魔女が住んでて、代償を払えばなんでも願いを叶えてくれる」

「知ってる。友達が行ったみたいだけど、鍵がかかってたの」

「なあんだ」

「お伽話じゃあるまいし。そんなのあるわけない」

 
 
 
 ・ ・ ・
 
 
 

「教会ってここ?」

 噂の魔女が住むという古い教会。噂では、地盤沈下で地上の建物が沈んだとか。はるか古代の人間の遺物だとか。いろいろ言われている。その教会の扉に手をかけると

 中へ入ると金髪の巻き髪が美しい少女が座っていた。

「あら、あら。貴女、願いがあるのね?」

 私の姿を確認すると椅子から立ち上がりそばまで泳いでくる。彼女はクラゲの人魚らしい。美しい白く透けたドレスが妖精のようだった。

「花椿姫子っていうの。姫子って呼んでね」

「花椿?カレンと同じ…」

「彼女は私を知らないけれど、私は彼女を知ってるわ」

 姫子と名乗った少女は意味深な台詞を吐いて私の周りを漂った。

「ひ、姫子さんは、魔女…なんですか?」

「そう呼ぶ人もいるけれど、私は恋と愛と美の求道者なの。うふ」

 彼女はカレンとよく似た美しい顔で艶っぽく微笑んだ。友のそれより怪しさを感じる笑みにすがって私は叫ぶ。

「私の願いを叶えてください!」

「不躾ね」

「お願い…あの人が死んでしまう…!」

「残念だけど、死人を生き返らせることができるのは神だけよ」

「そんな…」

「あら、あら。貴女の想い人、まだ生きてるのね」

 魔女は背後の豪華な姿見を覗き混んだ。私にはなにも見えない。彼女は魔女なのだ。彼の姿をみているのだろう。今どんな状態なのか、私が言わなくても解っているはずである。

「そんなに気になるなら、自分で助けに行ってあげたら?」

「魚は陸に上がれません」

「人間なら上がれるのね?なら、人間にしてあげてもよくってよ」

「そんなこと、出来るんですか?!」

「姿だけならね。しかも期限付き」

「期限?」

「時が来たら、貴女は泡になって消える」

「そっ、そんな…」

「でも、人間から愛されれば、泡にならずに本物の人間になれるの。貴女は王子様を助けて彼と恋に落ちればいいのよ」

「…」

 そんなこと、保証はない!でも、彼を助けられるなら、かけるしかない。

「私は恋の求道者。乙女が望めば手をさしのべる。けれど、選ぶのは自分なのよ」

 この瞬間にも彼は息を止めてしまうかもしれない。だから

「お願いします!」

「わかったわ。じゃあ、代償を支払ってもらうわね」

 言われ、私は咄嗟に我が身を見回した。なにも持っていない。それを訴えるように魔女を見上げる。

「そんな顔しなくていいの。前に来た乙女からは、海に揺蕩う艶やかな髪を。その前は、優雅に踊る足の自由を。…貴女も持ってるわね、宝物を」

「宝物?」

「もっと訴えて、王子さまを助けたいなら」

「助けて、あの人を!あの、勇敢で優しい人間を…!」

 私が声を上げると、喉が熱く燃えるように熱を帯びた。咄嗟に口を押さえたが、眩い光が自分の喉を通って魔女の胸のペンダントへ吸い込まれていった。

「お支払い有り難う。愛する人を想って助けを求める健気で美しい “声”」

 え?と言葉にしたはずが、私の喉はひゅっと唸るだけだった。魔女の言葉を、私は瞬時に理解した。声を奪われたのだ。

「いい?3ヶ月以内に人間の心を奪うのよ。でなければ3か月後の日の出、貴女は泡になって消える」

 魔女の声が遠くなる意識のなか、微かに聞こえて消えていった。

 
 
 
つづく