薔薇姫のお相手 – 一目惚れ

小説
平バン
連載

 
バンビ名:源 華鹿(みなもと はなか)
 
 
 
 
 

(女の子が恋に落ちるのは簡単だ。なんて、バカにしてるよね。)

 羽ばたき学園入学式当日。

 源華鹿は、慣れない教室の風景に少し緊張しながら、手元の本にぼおっと目を通していた。恋愛小説は嫌いじゃないが、自分の好みとする作品では無いようだった。一目惚れで恋に落ちるヒロインに共感できないまま、3分の1程度まで呼んだ物語をそっと閉じる。

(見た目なんか…)

 入学当日にしては、クラスは賑わっていた。中等部からの生徒が既に見知った同士で談笑しているのが大半だ。
 華鹿は高等部からの受験組で、周囲のどの生徒も彼女にとっては新しい顔ぶれだった。どこに目を向けることも出来ず、前の席の足元に視線を落とす。

 かちん、と無機質な音が床から響く。前の席の机からペンが落ちたのだ。

「あっ」

 と、思わず声が出る。ペンが落ちたことに気付かない持ち主の男子は、華鹿の声には気付いたらしい。椅子越しに後ろを振り返った。

「なに…?」

 
 
 
 そこで、視線が合った。
 
 
 

 動悸が1つだけ飛び上がる。

 それは華鹿がつい数分前に、うんざりとしながら閉じた物語のヒロインと同じ現象だった。

 
 
 
「わ…」
 
 
 

 声を発したのは男子、平健太だ。

(美人だ)

 彼の華鹿に対する第一印象だった。

 華鹿は彫りの深い顔立ちをしており、日本人の美的感覚から見ると美人に分類された。小綺麗に切り揃えたセミロングの髪も、瞳の色も、色素が薄く日本人離れした特徴を持っていた。彼女のご先祖に西洋人でも居て、潜性遺伝したのかもしれないが、本人は知らない。

 振り返った先にハッとする美人が居たので、健太は一瞬目を見開いた。そしてしばらく視線を奪われてから、我に返って目をそらす。ジロジロと人の顔を見つめるのは失礼だと思ったのだ。

 一方、華鹿はそんな健太から目が離せなかった。見つめられるのは慣れっこだが、見とれるのは初めてのことだ。

 健太の顔は、特に彫りが深いというわけでもない、日本人の平均的な目鼻立ちをしていた。長過ぎず短過ぎでもない髪を奇抜にならないヘアスタイルに整え、平均的な体躯は弱々しくもないが相手に威圧感も与えない程の丈夫さを伺わせた。
 華鹿がそんな、至って身体的特徴の皆無な彼から目を離せなくなったのに理由は無い。ただ、何となくである。それは「直感」とも言った。

 時間は何秒だったか。2人には計れなかったが、少なくとも近くの男子生徒がからかう程の長さだったことは確かである。

「その時、タイラーは恋をしてしまったのです!」

 健太は数人の男子生徒と談笑している途中だった。健太の前の席に座っていた男子が、話題に入らず後ろを向いている彼の肩を小突いてきた。

「ええ!なんだよ、もう」

 と友人らに視線を戻す健太。

(恋…?!)

 華鹿は狼狽えた。

 (いや。そんな、まさか。初めて出会った人に?!)

 黙っている少女が、自分たちの喧騒に迷惑していたのでは?と思った健太は苦笑いを作る。

「ごめん。俺、平健太。はじめまして。よろしくね」

「私、源華鹿。よろしく。あの…」

 健太に見とれていた華鹿は非礼を謝ろうと言葉を探して視線を泳がせた。その視線の先に落ちたペンをとらえる。彼女の視線を追った健太もそれが自分のものであるのに気付いたようだった。

「落ちたの教えてくれようとしたんだ? 有り難う」

 それを拾い上げる指、伏せた瞳、一つ一つの健太の動作に、華鹿は見とれた。その理由が直感以外に思い当たらず、困惑は消えなかった。

 
 
 
・・・
 
 
 

「一目惚れ?」

「邪道だって思ってたけど…」

 見た目で人を好きになるなんて軽薄だと思っていたし、まさに自分が一人の男子に対して一目惚れのようなことになってしまって、華鹿はショックを受けていた。
 姿形の美しさなんて、人間の内面性に比べたら重要じゃない。それは今でも思う。でも、3ヶ月前の入学式の日に、彼女は簡単に恋に落ちてしまったのだ。

「相手の事、なんにも知らないのに、好きになれるなてあり得ないって思ってた」

「そう…」

 宇賀神みよが神妙に頷いた。花椿カレンが、お弁当のおかずを飲み込んでから「それで?」と続きを促す。
 友達になったばかりの2人の女子生徒、みよとカレン。引っ越ししてきたばかりの華鹿を彼女たちはとても気にかけて仲良くしてくれている。女子高生の女の子にとって3ヶ月で同級生と親睦を深めることは難しくはなかった。
 今日は屋上でお弁当。当然のようにコイバナは展開されていた。

「彼を見た途端、ドキーッ!って」

「それはやっぱり、一目惚れ」

 みよが確定の言葉を呟く。ああ、やっぱりそうか、なんて華鹿は照れ臭そうに口をすぼませた。
 確かに華鹿は一目惚れをした。だが、彼女はなにもこの3ヶ月、平健太の容姿だけを見ていたわけではない。

「彼とっても優しいの」

 言ってため息を漏らす。それを聞いた2人は苦笑いして頷いた。
 平健太という少年は、悪く言えば覇気の無い、だが穏やかで優しく、年相応の無邪気な男子だった。ぶっきらぼうでも暴力的でも無く、華鹿から見たら同世代の男子の下品さは見られない。取っつきやすい雰囲気からか友達は多いらしく、男女隔たり無く交流している姿をよく見かけていた。クラス担任の大迫からも気に入られているようで、よく用事を押しつけられているが、面倒臭そうな顔を見せながらら楽しげに手伝っているシーンに華鹿は何度も遭遇している。

「優しいっていうか、人が良いっていうか」

 とカレンが補足したが、華鹿にとっては些細な差違だった。

「知れば知るほど好きになっちゃって」

「ふうん」

「彼の事どう思う?」

 カレンとみよが顔を会わせ「普通」と各々口にした。

「普通?」

「可もなく不可もなく」

 華鹿は驚いた。確かに彼は抜きん出た特徴が有るわけではないが、時折向けてくれる微笑みはそう、華鹿にとって

「王子さま」

「あはは!」

「カレン」

 カレンがニヤニヤしながらわざとらしく口を覆った。ミヨは含み笑いをしている。別に、2人は平健太を笑っているわけではない。友人の恋する瞳に感嘆したのだ。華鹿はそれを分かっているから咎めたりはしなかった。

「まあでも、良く考えてみたら、あらゆる点で平均合格ライン入ってる男子ってこれ貴重だわね」

 カレンなりにフォローを入れるが、その褒め方に華鹿は納得しない表情を返す。カレンがとぼけた顔をしてみせた。

「バンビぐらい完璧な女子だったら、恋人にだってなれそうだけど」

 容姿端麗かつ成績優秀の優等生。なんて、最近噂が立っている華鹿であるが、本人は鼻が高いやら肩身が狭いやらで複雑な心境だった。自分が多少美人なのは認めるが、成績は中の上。運動は普通。悪くはないが、特別優秀なわけではなく、美女に尾ひれがついていた。人の評価などそんなものである。見目麗しさなど、親から貰った幸運に過ぎない。

「バンビの苦労分かるでしょ」

 と、カレンはみよからやんわり諌められた。華鹿以上に容姿に恵まれたカレンも、同じ苦労をしているのである。勿論、3人とも産まれ持った身体的財産に感謝しているが、容姿のプレッシャーは息苦しさを伴った。

「ごめん。でもさ、恋愛するなら得じゃん」

「そうかな」

 男性の気を引くなら美しい方が有利だ。だが、気を引きたくない男性も多く引き付けるのが美人である。その苦労については、カレンよりみよの方が華鹿と苦労を共有できた。みよは華鹿以上に小柄で物静かな雰囲気の少女だった。そのため、悪意や下心を持った男性からも声をかけられがちなのだ。カレンのように身長が高いと、逆にあまり悪い虫は寄り付かない。その代わり、別の苦労があるが…。
 恋愛に容姿が良いのは得なことかもしれないが、損も多い。3人は世間のルッキズムに関してあまり良い印象は持っていなかった。

「恋愛ってなんか怖い」

 華鹿の一言で三人はため息をついた。その言葉に三者三様の悩みが詰まっていた。湿っぽい雰囲気になるのを避けるようにカレンが「見てる分には楽しいよ」と良い、華鹿もみよも笑った。

「男子って、下心分かりやすいし、体が大きいから怖いし、声は大きいし」

「大迫先生は良い先生だよ」

「知ってる」

 みよが不機嫌そうにフェンスの外を睨んだ。視線の先の校舎一階は職員室だ。担任は自分と同じ小柄の癖に、巨漢のような覇気がある。その覇気がみよは苦手だった。他人のオーラを敏感に感じとり易い性質のミヨにとって、担任は威圧的な存在である。良い教師なのは認めているため、複雑な心境だ。

「もしも、平くんが私を好きになっくれたとして…」

 カレンとみよは、華鹿がそこまで呟いて、その先を察した。空になった弁当箱に、箸がカランと落ちる。

「それって私が、”人よりちょっと美人”…だからかもしれないよね」

 という華鹿の呟きは初夏の熱にじんわり消えていった。

 
 
 
つづく