着信音が鳴る度に -間違い-

小説
微エロ
迫バン
連載

 私が慣れない化粧直しにぐずぐずして、ようやく化粧室を出た頃、自分の席に美しい女性が座っているのが見えて、一瞬混乱した。同じテーブルで彼女と談笑している男性は、どう見ても力さんだ。間違いない、私の席はあそこのはず…。

 どうしようか迷っていると、その女性は立ち上がって、可愛らしく眉を寄せて、先生の頬に顔を近づけると、キスをした。

「こらあ!」

 テーブルから力さんの懐かしいような叱り声が聞こえると、その女性は彼の拳骨を受けた。どこかで見た光景だ。それは数年前私がまだ彼の生徒だった頃、彼が生徒を叱るときのような…。

「イッターイ!暴力教師!」

「そういうのは彼氏にとっとけ!」

「ベーっだ!じゃあね、センセ!」

「ああ、また学校でな!もう変なことするなよ!」

「知らない!」

 かすかに聞こえた会話で、彼女が高校生だということが判明して、私はさらに愕然とした、なんて美少女なんだろう。私よりも大人っぽくて、長い髪が似合っていて、先生にあんなに簡単にキスしてしまう。

 きっと並んだら、敵わない。

「…」

 席に戻りづらくしている私の横を美少女が通り過ぎて、一瞬、私を睨んだ。その睨んだ顔すら美しくて、私はとっさに顔を伏せてしまった。

「鹿乃。何をしている、戻ってこい」

 少女を見送っていた先生が私に気付き、声をかける。言われるまま席に戻り、私といえば、完全に動揺して目が泳いでいた。この人は私の恋人で、この席は私が座っていた筈なのに、まるで彼にふさわしいのはあの女の子で、この席も彼女が座るべき席で、そこに置いてあるティーカップもあの子が口付けていたような、そんな気がしてしまう。

「さっきの…」

「担当してるクラスの生徒だ」

「そ…ですか…」

 私が質問する前に先に答えを言ってしまうところ、彼は私の考えてることなんてお見通しなのかもしれない。この動揺を見透かされている気がして居心地は悪かった。

「見ていたのか」

「い、いいえ…ちょっと…」

「そうか」

「…」

 私

 あの子に嫉妬してるんだ。

 それで、顔にも態度にも不機嫌さを出して、空気を悪くして、彼を困らせてる。

「ゴメンなさい」

「どうして謝る」

「私ったら、大人気なく…」

「大人気なく?嫉妬でもしてるのか?」

「…!」

 やっぱり、言い当てられて、私はさらに惨めな気持ちになった。

「バッカヤロー、嫉妬したなら言え」

 小さいことだとでも言いたげな明るい声。これは彼の優しさだ。それなのに、そんな優しさが痛かった。彼は私を責めているわけじゃない、でも、だからこそ、無意識だからこそ、私の悩みが彼の本心で全くの小さな問題だということを突きつけられたような気がした。

(でも…)

 恋人の前でキスなんかされて、平気でいられる力さんも力さんだ。しかしそんな気持ちも私のわがままなのだろう。だって、ほっぺにキスなんて、子供のイタズラだもの、あんなの。そうだよ、気にしてる私が大人気ないの。

 でも…でも…

 ああ

 泣きそう

「あ…」

 と言った頃には遅く、涙が一粒、テーブルクロスに落ちた。

「目にゴミが…」

 と、慌てて弁解を試みるも、自分の声が震えていてうまくいかない。恥ずかしくて、みっともなくて、逃げたしたくなった。彼が慌てた顔をして身を乗り出す。

「おい、わ、悪かった」

「いえ、力さんのせいじゃ…」

 言い訳すればするほど惨めになって涙が溢れる。力さんはこんなに優しいのに、私は何を嫉妬しているんだろう。
 ここには私を泣かせるものなんか一つもない。美しいテーブルクロスに暖かい日差しと穏やかな風。冷めても美味しい紅茶。優しい恋人。何もかもが私を慰めているようなのに、私の心が勝手に泣いていた。

「今日は…今日はもう、帰りますね」

「えっ!」

「お茶代を」

「そんなのは俺が払う。落ち着いてくれ」

 私は狼狽えながら鞄のポーチに入ったハンカチを取り出した。落ち着けと言われても、なかなか上手くいかないものである。幸い周りの客は気づいていないようで、和やかな午後の雰囲気を壊していないことが幸いだった。それでも、力さんを困らせていることが胃を痛める。

「ゴメンなさい、昨日、寝てなくて、目が…」

「誤魔化すのはよせ。俺が悪かった」

 誤魔化していることをあっさり見破られて、さらに恥ずかしくなった。それでも、私はなんとか逃げ出そうとして

「目が痛くて…帰ります」

 とやっと口に出した。そりゃあ、大好きな力さんと、出来ることなら一緒に居たい。けれど、こんな惨めな姿を彼に晒したいわけじゃなかった。

「帰るなら、送らせろ」

「一人で大丈夫」

「わかった、わかった。とりあえず会計済ませるから待ってろ」

 そう言って彼は席を立った。せっかく直した化粧が崩れてるかもしれない。私は外のガラスを眺めた。

 席に戻ってきた彼が私に笑ってくれたけど、苦笑いというか、困り笑顔のような気がして、私は一層逃げたくなった。彼に気を使わせて、一体何様なのだろう。
 手を引かれて店を出ると、勿論まだ日は明るくて、帰るのは早すぎる時間帯だった。

「もう少しだけ、一緒に居てくれないか」

 なんて嬉しい言葉!私は幸せ者だ。それなのに、どうして「うん」と言えないんだろう。

「怒ってるのか。俺がさっきあの子に…」

 そう言われた途端、あの光景を思い出して胸が締め付けられる。そう、ただの子供のイタズラ。それに嫉妬して、大人気ないと彼に思われてしまって、とても恥ずかしかった。私がもっと強ければ、あんなことも気にしなければ、1日デートを楽しむことができるんだ。でも、これ以上彼のそばにいて混乱して変なことを口走りそうだったし、何より涙が止まらなかった。みっともなく泣いている女を連れて歩く先生が、可哀想でもあった。

「こんな顔じゃデートなんて…」

「こんな顔って…か、可愛いぞ」

「優しいですね」

「違う……。そ…その靴、履いくれたのか。よく似合ってる」

「ほ…ほん…と…?」

「おお!綺麗だ!」

「…」

 ああ、ああ、なんて嬉しいんだろう。嬉しくて、ドキドキして、でもどう返事をしたらいいのかわからなくて、私はただ俯いた。印象悪い…。

「えっと…じゃあ、人目が気になるなら、俺の部屋でゆっくりしよう。な?」

 行きたい。行きたいよ…!

 喉まで出かかってる言葉。でも、もし人目がなかったら、私は彼にわがままを言ってしまいそうだった「どうしてキスなんかされるの?」とか「デートの時ぐらい電話切って」とか言って、彼が大事にしているものを、彼を大事にしているはずの自分の手で壊してしまいそうだった。
 それでも、一緒に居たい気持ちが勝って、引き止められたことが嬉しくて、私は頷いて彼に従った。途端、彼が嬉しそうに笑ったから、私はまた胸が苦しくなる。この人が求めることは、本当なら何でもしてあげたいと思うのに、うまくいかない。
 力さんが、勇んだように私の手を引っ張って歩き出す。彼の足は速く、私の足がよろめいて石畳の石に躓きそうそうになると、慌てて謝ってくれた。それから、駅までの並木道を、彼は私のペースに合わせてゆっくり歩いてくれた。その穏やかに歩む彼の足元を見ていると、また涙が出た。

 やっぱり、この人が好きだ。誰にも渡したくない。

 そんな独占欲にまた涙が流れて、慌てて目を指で押さえた。

「ど、どうした?」

 彼が困った顔をして、私の顔を覗き込んできた。

「ゴメンなさい。バカみたい。子供みたいに泣いちゃって」

「大人だって泣いていいだろ」

「でも、困らせて」

「男は好きな女に困らされるのが好きなんだ」

「…」

「お前はもうちょっと俺を振り回していいんだ。今みたいに」

 その言葉に、今まさに彼を振り回し中なのだと実感する。

「ごめんなさい…」

「いい。もっと我儘言え。でも、帰るのは…もう少し待ってくれ」

 私はまた頷いた。

「な、なあ、いいじゃないか嫉妬ぐらい。そんなに俺が好きなんだろ?嬉しいぞ」

 顔が熱くなる。その通りでございます。だから、今はすごく悔しくて、切なくて、私ばかり彼を好きでこんなに泣いてしまって、悲しかった。それでも彼が喜んでくれるからいいとおも思うのに、惨めな気持ちが止まらなかった。きっと泣いているせいだろう、そのせいだ。

「うっ、す、すまん…!」

 また流れた涙に彼が狼狽えていた。こんなに困らせて、どうしよう…。もう、嫌だ。

「涙が止まらないの…私やっぱり今日はもう…」

「…」

「力さんのこと大好き。だから、一人でこんな嫉妬して、泣いて、かっこ悪いです」

「かっこ悪くなんか…」

「恥ずかしい…バカみたい。まるで笑いもの」

「俺が笑ったから怒ってるのか?お前を笑い者にしたつもりはなかった。もうしない」

「力さんは悪くないです。でも…」

 言ってはいけないと思いながら、それでも口が言うことを聞いてくれなかった。

「今は、一緒に居たくないの…」

 言った途端、彼が足を止めた、彼に従って私も足を止める。見上げると、彼は私なんかよりもっと苦しそうな顔をしていた。

 私がこんな顔をさせてしまった。沈黙が、痛くて、辛くて、死んでしまいそう。

「…嫌いか…」

 そう呟いた言葉は小さすぎて、思わず聞き返してしまった。

「俺のこと…嫌いになったか…」

「いいえ!」

 驚いた、彼らしくない覇気のない声。

 私が彼を嫌うはずがない。でも、今の台詞はそう捉えられても仕方ない。だから弁解しようとして言葉を探したけれど、喉が痛くて、詰まっていて声が出なかった。

「一緒に居たくないんだろ」

「ち、違…っ」

「違うなら、このまま連れていく」

 有無を言わさないように、彼の手が私の手首を握り、今度は乱暴に歩き出す。
 私は黙って彼の歩幅に合わせてよろよろと歩いた。彼の先を見る視線が冷たいのも、私がいけないのだ。そう思うと、何も言えなかった。

 部屋に着くと、靴を履いたまま抱き上げられてベッドに連れて行かれて、無言で服を脱がされた。

「力さん」

「…」

 名前を呼んでも、私を睨むだけだった。それなのに、力さんの視線も、触れてくれる指も、何もかも熱い。怒りで燃えているようだ。そんな彼の熱に震えたけれど、拒もうなんて考えは私にはなかった。
 炎みたいに迫ってくるのに、そのくせ焦らすものだから、私の方が彼を欲しがって、泣いていた。泣いて、懇願して、そうしてようやく求めたものを、彼はくれた。思えば、彼のことだって、私が何度もしつこく お願いしたからお付き合いして貰っているんだ。私の中でこの人の存在がとても脆いことを思い出した。私が求めなければ、消えてしまう。嫉妬なんかしてた ら、本当に、捨てられてしまうだろう。

「許して…ごめんなさい。大好き。そばにいて。本当は帰りたくない。側に居たい。ずっと」

 最初からそう言えばよかった。

 薄目で見上げた彼の顔は、目を細めて嬉しそうに私を見下げていた。ほら、こうやって従順に、素直に言うことを聴いておけば、彼は喜んでくれるのだ。どうせ、彼のこんな顔を見られるのも、私だけ。そんな優越感を噛み締めて、あの時の嫉妬心を忘れようとした。

 
 
 

つづく