恋心を喰む
期待はしていた。
でも、こう…もう少し控えめなサイズの箱を想像していたんだ。リボンのついた、いかにも!というチョコレートを。
「4年間分のチョコです」
彼女がデートに持ってきた大きな四角い箱に、少しだけ気圧される。
誰かの誕生日パーティにでも持っていくような、四角く大きな白い箱。中身は恐らくケーキ。
人通りの多い場所ではなんだから、と、広い公園まで散歩がてら歩く。ベンチを見つけて座ると、俺はやっとその全貌を拝むことができた。
大きなチョコレートケーキの上に、ホワイトチョコの拙い文字で「力さんへ」とハートマークまで添えて書かれていて、なんだか照れ臭い。
それでも、丁寧に作られたそのケーキから愛情が感じられて、照れ臭い気持ちを押し込めて素直に感嘆の声を上げる。
「上手く作ったな!すごいぞ!」
彼女の表情に目を向けると、不安そうに、でも恥ずかしげに笑っていた。2月の寒空の下、彼女の頬だけが熱を持っているように赤い。
ふとこの子が、どんな気持ちでこのケーキを作って、今この時、俺の前に披露しているのか考える。
差し出された紙皿と、フォークとナイフを手にして、俺は無遠慮に彼女の4年分の恋心が詰まったケーキに刃を入れた。
そのケーキの味がどんなものかわからなかったし、彼女の料理の腕が下手でも上手くもないことを知っていたけれど、俺はそれが「美味い」ものだと信じて疑わなかった。大きく切り取ったケーキの一角を、俺はなんの躊躇もなく頬張る。頬張ってから、もうちょっとスマートに食えなかったのかと思った。まあ、そんなところでかっこつけていても仕方ない。
スポンジにチョコを乗っけただけのケーキでないことがすぐにわかった。ケーキ全体に染み渡ったチョコレートが、優しすぎる食感で歯に当たり、噛むまでもなく溶けて消えていくようだ。
正直、本気で
「美味い」
「ほんとに?!」
無意識に口に出していた感想に、彼女が身を乗り出す。返事をする間も惜しんでもう一口分をフォークにさし、喰む。さっきと同じように口内で消えていくチョコケーキ。なんて甘いんだ。甘いのは好きだけれど、甘すぎるほど。でも、不快でないような。
返事をしない俺の口元をじっと見つめる彼女の視線に気づいて、口をもぐもぐと動かしながら肯定の意味で頷く。
「よかった。練習したんですよ。絶対失敗できないと思ったから」
「…」
彼女の恋心についと気づかなかった、まだ俺たちが教師と生徒だった頃の事を振り返った。
あるとき彼女がクラスメイトから集めたプリントを職員室まで持ってきて俺に手渡した。かすかに触れた指に驚いて、逃げるように職員室を去って行ったのを、なぜか今思い出す。
何でもない思い出。
「嫌われているのか?」とも思ったけれど、その時はそんなに気にしなかった。俺のようなお節介な教師は嫌われることもある。でも今思うと、単に彼女が照れていただけだったのが解る。
口の中のケーキが喉の先に消えて、また一口、口に運ぶ。
浜辺で生徒と一緒に走ったのはこの子が初めてだったな。と、今度は別の思い出が蘇った。
彼女が足を挫いて俺の前に素足を見せた時の、熱っぽい瞳を今でも覚えている。痛みに耐えていたのではなくて、その瞳に恋慕が宿っていたことを、数年後の今気付かされた。
口いっぱいのチョコケーキがまた消えていた。無心でもう一口また食べる。
バレンタインで生徒達がソワソワと落ち着かなかったとある年の2月14日。
この子もほかの女子と同様に誰かのために作ったチョコレート菓子をささやかなリボンを巻いた箱に秘めて持ってきていた。
それを、彼女は空高く放り投げて捨てた。太陽の逆光に消えるチョコレートの光景がいやに思い出される。あの日も、今日みたいに晴れていた。
「…」
「力さん…?」
そうだ、俺は知っていたんだ。彼女のスカートのポケットから落ちたメッセージカードに、細い文字で「大迫先生へ」と書かれていたのを。彼女の想いに応えられないからと、見なかった振りをした。
それでも何の縁か、俺たちはこうして恋人同士で隣に座っている。
黙ってケーキを食べ続ける男をじっと見つめる隣の恋人に、何でもいい。何か言わなければ。
「美味いぞ」
「…」
「美味い」
「…」
「有り難うな」
なぜか泣きたい気持ちになった。それなのに、先に涙を流したの俺ではなく彼女だった。
「有り難うございます」
「うん。有り難う」
「ずっと好きでした。今も、大好きです」
「ああ、分かった」
この甘ったるいケーキが教えてくれた。スポンジの隅々まで染み込んだチョコレートのように、隙間なく、絶え間なく注がれる彼女の気持ち。
4年分の熱い片思いを、俺はしっかり味わう。
1ヶ月後のお返しに、俺の気持ちどう詰め込もうか。今から考えておかなければならないな。
そう思いながら、俺はまた彼女の恋心を贅沢に頬張った。
fin