欲しいのはうつつ -Bambi Side-

小説
甘め
迫バン
連載

「昔は荒れてた」とは、いつか聞いた言葉。今の彼を見ていると全然想像できない。氷室先生がぽつりと「手を焼いた」なんて言ったという噂もきいたようなないような。噂という物はなんと曖昧でぼやけていることか。

「不思議です」

 2004年のはばたき学園卒業アルバムを眺めながら呟いた短い言葉に、アルバムを挟んで向かい合うように座っていた力さんは意味を訪ねるように首をひねった。

「不良だったんですか?」

 集合写真に小さく映る十数年前の彼から目を離さず聞いた。何となく写真というのはその人の内面を覗いている気恥ずかしさがあり、本人と目を合わせづらい。アルバムの力さんは無愛想な顔をしていたり緊張していたり友と笑い合っていたりと様々で、”荒れていた”様子は見受けられない。もっとこう、奇抜なファッションや髪型をしていたのかもしれないと思っていたがそんなものじゃあ無いらしい。

「不良というのとは違うが…」

 普段あまり言葉の歯切れは悪くない彼が、この時は言い難そうに眉をひそめた。だがそれも一瞬だった。

「お前達とそんなに変らない。特に代わり映えもない泥臭い青春してたぞ。進路に迷ったり友達と馬鹿やって怒られたり。恋人に振られて落ち込んだり。普通だ」

 淡々と過去を語る力さんの表情はあまり読み取り難かったが、-恋人に振られた- の台詞をどんな心境で口にしたのかは気になった。
 そういえば、前に元カノと一緒に映っていた写真を見つけて、私が勝手に動揺して喧嘩になった事があった。ちゃんと仲直りできたけれど、詳しい事は聴けず終いだったのを思い出す。こういう話を蒸し返してまた険悪になるのは嫌だったから。黙る事に決めた。それなのに

「すまん」

 と言う言葉が落ちてきて、また私は動揺した。彼もまた、自分が口にした一言を気にして詫びている。私はもう大丈夫なのに。そう伝えたかった。「今はお前だけだ」と言ってくれたから。
 でも、新たにできた疑問が、油断した口から出てしまった。

「力さんが振られちゃったんですか?」

 この人が”振られた”など、私からしたらあまり考えられない事だった。
 なぜ彼の昔の恋人は彼を振ってしまったのか。どうしてこんなに素敵な人と別れを決めてしまったんだろう。
 でも、結局この疑問は先ほどの問題を蒸し返す事に繋がってしまうと瞬時に理解して口を急いで閉じたが後の祭りだった。それでも力さんは不機嫌さ等微塵も見せず

「うん…まあ、しょうがないな」

 と呟いた。そして私が何か言う前に言葉を続けた。

「夢を追いかけるのに夢中だったんだ。彼女の事を大事にしなかった。だからあの子は、俺よりも彼女を愛してくれて、俺よりも背が高くて美しい、優しい男の所にいっちまった」

 本当に、ほんのすこしだけ眉をひそめて苦々しい思い出を語ってくれる力さんに、私は申し訳ない気がした。自分勝手な好奇心で何を語らせているんだろう。そんな私の気持ちは顔に出ていたようで「昔の話だ」と苦笑いされる。その言葉には「だから未練や悲しみはもう無いよ」という意味を余韻に隠しているように思えた。
 力さんはきっと今はもう悲しみも未練も無いのだろう。でもその時の彼の気持ちを思うと切ない。それに、彼が語る「俺よりも」という言葉に多少の悔しさを感じてしまったのだ。女の私には解らない、恋人の心を奪われた男の悔しさが大なり小なりあったのではないかと想像してしまう。でも今、私がこの人に言えることは、その時を慰める言葉ではないのだ。

「力さんが一番素敵です。力さん”より”格好良い人なんて居ません」

 私は瞼を上げて思い切って目の前の恋人の瞳を覗いた。
あまり覗くと彼特有の真っ直ぐな黒い瞳の眼力に耐えられなくなるから普段は顔を反らしてしまうが、今はじっと耐えて見つめていたかった。
 昔の彼の事を私は知らない。でも、今目の前に居る彼は私に取って誰よりも魅力的な一人の男性なのだ。そう伝えたかった。伝えるだけで良かったから喜んでもらえるか困らせるか、どんなリアクションが待っているか構えていたが、この人は予想に反して、ふぅん…と唸ると、舐めるような視線でこちらを見た。

「俺よりお前を愛してくれる男が現れたらどうする」

「え!」

 突然の質問に間抜けな声が喉から上がる。考える暇を与えず更に畳み掛けるように

「俺よりも容姿端麗で」

「利口で」

「優しい。そんな男は巨万と居る。そいつがお前に求愛してきたら?」

 と力さんは問うた。
何を言っているんだろう?それってどんな人?と様々な疑問が一気に思考をかき混ぜる。

「そ、そんな事現実には…」

「もしもの話だ」

「もしも…」

「いつも元気な先生は蓋を開ければ休日はかなりダラダラしてるしベッドから中々起きられないけ男だけど」

 そう一旦、自分の事を落とすように言った。

「もしも毎週お前を元気よくデートに誘って、優しくエスコートしてくれる男が交際を申し込んだら」

 彼が本当に自分を卑下するような人じゃない事は解っている。だから、想像しろ。ということなのだろう。
そう理解して、大人しく目を瞑って想像の世界に入る努力をする。

「…」

 自分の隣に要るのがこの人ではなく、今彼が言ったような”理想的な男性”だったら。

「…う~ん」

 思わず困惑の声が漏れた。
 世間一般で言われている理想的な男性…に、恭しく手を引かれて、甲にキスを落とされそうになった。そこで「う」っと手を引っ込める。もう一度想像する。口元が引きつり、やはり手を引っ込める。
 脳内の自分がその更に脳内で力さんの事を考えていた。どんなに”理想的な男性”でも、私にとって所詮”力さんではない男”の一人に過ぎない。そんな男性に触れられて不快な気持ちになりはしても、ときめきを覚えるような事はなかった。
 手を引っ込めたまま愛想笑いをしていると今度は彼は花束を差し出した。それを半ば面倒臭い気持ちで受け取る。部屋に飾るスペース無いなとか、力さんに見られたらなんて説明しようとか、そんな考えなくても良い事ばかり浮かんで来る。
 もう考える事が面倒になってきた。楽しい妄想ではない。あとはそつなく一緒に歩いてデートの終わりを拷問のように待っていなければならないのだ。

「疲れた…」

 とても長く感じられた想像の世界だったが、現実では恐らく数分だろう。
 うんざりしたような声音に現実の恋人は声を上げて笑った。

「とても困ります」

「良い男に言いよられて困るなんてお前も隅に置けないな」

 脳内での事に対して何を言っているのだという突っ込みは二人各自が行う事にした。

「いくら格好良くても、力さん以外の男性に手を握られるのがもう…なんだか…気持ち悪くて…」

 想像するだけで気持ち悪いのだ。現実にそんなことされたら失礼と解っていても顔を歪めてしまうだろう。だって、私の体は安かろうとこの目の前のたった一人の男だけの物。勝手に触ってもらっては困るのだ。それがどんなに素敵な人でも、である。

 彼だけが、私が触れて欲しい人なのだ。

 想像で触られた手を擦っているいると不意にその手を奪われた。

  「…ぇ」

 意図を計り兼ねて思わず顔が熱くなる。その最中に手の甲に力さんの柔らかい唇が押し付けられた。喜びに体が身震いする。
 彼は想像の男性のようにそっと手をとったりしない。それでも、まっすぐに目を見つめてしっかりと手を取ってくれる。ロマンチックなキスじゃなくて、こうして押し付けて匂いを嗅ぐようなキス。でもその愛情表現に私は舞い上がった。
 顔を反らしているのに視線だけは感じて、このまま彼の鋭いまなざしに刺されて死んでも良いとさえ思う。ふっと見上げると、彼が笑っていた。

「なんで笑ってるんですか…」

 その笑顔はなんだか意地悪くて、私の好きな顔の一つだった。

「想像でもお前が他の男とデートしてると思ったら妬いた」

 妬いたと言いつつ笑っているのだから訳が分からない。どうしていつもこう余裕なんだろう。それをズルいとも思えないから不思議だ。

「力さんでも、妬くんだ」

「当たり前だ」

「嬉しい」

 アルバムがぱたんと閉じられ、端に追いやられる。私たちを隔てる物は何も無く、彼の腕は悠々と私の腰を捉えて抱き寄せた。

「俺を放っといて誰と浮気してたんだ。こいつは」

 そう恨みがましい言葉とは裏腹に楽しそうに脇腹に伸びた指は私の弱いところをこちょこちょと擽りだす。
 これは溜まらんと、なんとか彼の腕から這い出ようとする。でも一方で、自分はくすぐったくも何ともないくせに私が悶えている様子を見て大笑いしている男を可愛いと思った。

「もう許して」

 と息も絶え絶えに頼むとやっと擽りの刑は修了する。

「そんなに俺がいいのか。ん?」

 ぎゅうっと抱きしめられて今度は心臓が飛び上がる。抱きしめる腕はなんだか艶めかしく私を撫でるのに声だけは笑っておどけた言葉を放つ。
 息を整えている最中なのに動悸までおかしくなってしまった。声が出なくて何度も頷くことで意思表示する。

「俺のこと、好き…?」

 と念を押すように聴いてくる。解っている癖に。どこからそんな甘い声が出てくるのか不思議だった。普段は明るくて元気な覇気のある彼の声とは全然違う。いつも私はこうして彼の声の呪文にかかってしまうのだ。

「好きです…好きです…」

 哀願するような事でもないのに縋り付いて私は同じ言葉を何度もつぶやいた。彼がまた笑う気配を感じる。いつもの爽やかな笑顔ではない気がしたが確かめる余裕はなかった。
 彼が何を考えているかなんて私には半分も読み取れないが、それでも彼が楽しんでいるということが解ればそれでいいと思う。

「あんまり男を調子に乗らせるな」

「駄目なんですか?」

 私の言葉に力さんは声を上げて笑った。なんで笑うんだ。彼はしょっちゅう私の理解の超えたところで笑う。力さんが調子に乗ったところで何か問題なのだろうか。
彼は一通り笑った後「いいさ」と勝手に何か完結させていた。

「もっと言ってくれ」

 ため息交じりに漏れた言葉は抗いがたく、私はされるまま、床に押し倒されていく。こんな風に強請られるのは珍しい。私は嬉しくて、この人が望むなら何度でも伝えようと、そう思った。

Fin