perfume

小説
捏造設定あり
迫バン

  「次の授業までに今のところ、復習しておけよー!」

 授業終わりを告げるチャイム音に負けない声を放ちながら、先生は教室を去って行った。
 クラスメイト達はガヤガヤと談笑したり帰り支度をはじめている。今の現国で今日の授業が終わったのだ。

「バーンビ!一緒に帰ろう!」

 廊下から教室内へ向かって私のあだ名を呼ぶ声がする。あだ名をつけた張本人が手を振っていた。いつも教室へ入ってきたら私の机に一直線に来る彼女だが、教壇のところで立ち止まる。

「カレン、どうしたの?」

「ねえ、さっきまで何の授業だったの?」

「現国だよ。大迫先生の」

「じゃあ、これ、大迫先生のかな」

 彼女が指差すのは教壇に置かれた淡いブルーの綿のハンカチだった。色と良い素材と良い、確かに成人男性のデザインではあるし、先ほどそこに立っていたのが大迫先生である事を考えると、ほぼ彼の物で間違いないだろう。
 カレンが、それをつまみ上げる。

「そんな持ち方しなくても」

「汗臭いかも知れないじゃん」

 確かに、汗臭いイメージのある熱血教師ではある。

「ん?」

 臭いそう、とは言いながら鼻を近づける彼女が、眉をひそめた。私だって、先生のハンカチ嗅ぎたい…という片思いの変態な気持ちを隠しながら見ていると、彼女が意外な事を言う。

「良い匂いがする」

「えっ」

 くんくんと無遠慮にハンカチを嗅ぐカレン。今度は手のひらにのせて、石鹸でも持つような仕草だ。カレン、汗の匂いフェチだったの?!と驚くがどうも違うらしい。

「香水ね」

「香水?!」

「う~ん…これは、何の香水だろう」

 おしゃれ上級者のカレンであっても、香水はそうそう詳しくないのか、それとも、彼女の専門外の匂いなのか、彼女から香水の名前が出てくる事は無かった。
 けれども、何の匂いかはさておき、あの教師がハンカチに香水を使っているなんて意外すぎる。私はこの香水が何なのか、知りたくてたまらなくなった。
 好きな人が愛用している香水…恋する乙女には非常に気になる物の一つである。

「先生も香水なんて使うんだ。ふぅん」

 私一人が勝手にドキドキしている横で、カレンが何でも無いような顔でハンカチを元あった場所に置いた。
 そりゃあ、彼女にとって恋の相手ではない男性のハンカチなんて、たとえ香水がかかっていても興味の対象外なのだろう。
 それでも私はこのハンカチから薫る匂いの正体を知りたくなった。カレンが置いたハンカチを手に取る。

「これ、先生に渡してくる」

「じゃあ、帰りに職員室寄って行こう?」

「う、うん…」

 今考えている計画を彼女に打ち明けてしまうことは出来ない。そう思って、悪いとは思いつつも私は彼女に嘘をついた。

「…ごめん、先に帰っててくれる?さっきの授業の質問もして行くから」

「そっか、じゃあ、また明日ね」

 私の嘘等微塵も疑わない彼女が鞄を持ち直し、きびすを返した時、ちょうどミヨが廊下からこちらに顔を出した。彼女と軽く挨拶をして、二人を見送る。

「…」

 別に盗みを働こうとか、そういうわけじゃないのに、私は人の目を気にしながら先生のハンカチをスカートのポケットにしまい込んだ。そして、どうしようか3分ほど迷うと、逃げる様に学校を出る。
 向かう先は近場のショッピングモールだ。そこに、パヒュームショップが有るのを知っている。入った事は無いが、友達と歩いているときにたびたび目にしていたのを思い出した。意を決して店の自動ドアを通る。

「いらっしゃいませー」

 と店内の店員の女性が商品を並べながら声をかける。様々な形のボトルに入れられた色とりどりの香水が、店のショーケースに美しく並べられていた。店員の女性はこちらに一瞥もしなかったが、私が声をかけたらにこやかに応じてくれた。ポケットからハンカチを取り出して、店員の前に差し出す。

「この匂い、分かりますか?」

「え…?」

 いきなり不躾に聞いてしまって慌てて謝る。

「す、すみません。えっと、これ、か、か、彼氏の物なんですけど…香水がかかってて、何使ってるのか知りたくて…!」

 どもりながら説明する。ハンカチの持ち主のことを、彼氏と嘘をついた自分が恥ずかしくて顔が熱くなった。それを店員が良いように解釈したのか、ニコニコしながらハンカチを受け取る。

「う~ん…これは恐らく、エターナルボーイ」

「え、エターナル?」

「歴史の長い有名なメンズの香水ですよ。あちらの商品になります」

 そう言いながら店内を案内されて、とある商品の前でテスターを手にした店員が棚にあった一つのボトルの香水をしゅっと吹きかける。テスターの紙を渡されて嗅いでみるが…

「…あれ…?」

 ハンカチから香ってきたものとは違うような気がして、何度も鼻を近づける。

「ああ、トップの香りはちょっとキツいんです」

「とっぷ?」

「香水は時間経過で、トップ、ミドル、ラストと香りが変わるんですよ。このハンカチはエターナルのラストの香りですね」

 そう言って棚に残っていた誰か別の客が使ったテスターを取り出し、香りを確認するとそれを渡してくれた。嗅ぐと確かに、ハンカチについた匂いだった。

「長く愛されているメジャーな香水です。トップは何となく男らしすぎますが、しばらくするとフローラルな香りがしてきます。爽やかで清々しい男性にぴったりですよ」

「…」

 それは、彼にぴったりだ。でも、やっぱりあの人が香水をつけているのが似合わない気がして、もしかしたら女性からの贈り物?と勘繰ってしまう。

「レディースもございますが」

「え」

「メンズの物と合わせるとより良い匂いがしますよ。カップルにも人気です」

「へ、へぇ…それって、こっちのボトルですか?」

 隣に飾られた女性的なデザインの同じ名前の香水を指差すと、店員はにこりと肯定した。

 
 
 
 ・ ・ ・
 
 
 

「お買い上げ有り難うございましたー」

 店員の声を背中に聞きながら、私は店を出た。手には、香水の入った小さな紙袋。

「買っちゃった…」

 子供みたいにそわそわして、ショッピングモールの化粧室で箱を開ける。店員に教わった通り、耳の後ろにしゅっと一吹き吹きかけると、トップの香りがした後、徐々に清涼感のある香りがしてくる。嬉しくなって鏡前でニコニコしていたが、はっとしてショッピングモールを飛び出した。
 学校に戻ってハンカチを返さなければならない。
 まだ、先生は居るかな?

「森瀬、どうした、忘れ物か」

「あ!」

 学園の校門をくぐりかけたとき、求めていた人の声がして振り返る。ジャージ姿の先生が立っていた。先生はいつも浜辺へ走りに行くのが日課だ。今から行くのだろう。もう、そんな遅い時間になってしまったのか。こんな時間までハンカチを借りていてしまった事に罪悪感を覚えつつ、私はそれを差し出した。

「これ、放課後拾ったんです。先生のですよね」

「あ、探してたんだ!すまんなぁ。ありがとう!」

「そのハンカチ…香水がかかってますよね」

「おお、よくわかったな!」

「贈り物…とか?」

「氷室先生に「香りを気にするのは社会人のマナーだ」って言われてなあ。自分で買った。先生、そんなに汗臭いかあ?」

 そう言ってまた笑う先生にほっとして、つい「なあんだ」なんて口をついていた。

「ん?もしかして、お前も香水つけてるか?」

「え…!」

 先生が、私の方に顔を近づける。

 

「…!!」

 

 近い!

 

 息が、出来ない。

 

 すんっ、と先生が鼻を鳴らす音がして、心臓が飛び上がる。

「つけてるだろ」

「は、はい…」

 彼が私の首筋に鼻を近づけたのはほんの1秒ほどだった。でも、私には長い時間に感じられて、やっと息苦しさから解放された気分で息を吸った。途端に、ハンカチから香ってきたあの香りがふわりと香ってきて、心臓を掴まれた。彼の残り香だ。

 

 残り香で、落とされる。

 

 そう思った。

 

「良い匂いだな。最近の女子はオシャレだなぁ!」

 何でも無いように笑う先生。
 この匂い、先生とお揃いなんですよ。男女の香りで混ざると良い匂いがするんですって…

 そう言いたいのを、我慢した。

 
 
 
 
 
 

 元ネタ
 Calvin Klein(カルバンクライン)の eternity for men (エタニティフォーメン)

 
 
 
 
 
 

 後日談

「お前、その香水、学生の頃から使ってるよな」

 力さんが私の肩口に鼻を付けてすんっと匂いを嗅ぐ。それがなんだかくすぐったい。

「覚えてたんですか?」

「今思い出した」

 私の髪をかきあげてくんくんと匂いを嗅いでいる彼は犬みたいで何だか可愛い。

 今なら、言ってしまってもいいかな…。あのとき私がこっそり彼のハンカチを持ち出した事。

「…これ、力さんが使ってる香水と対になってるんですよ」

「え。対って?」

「メンズとレディースがあって、二つをカップルで使うと香りが重なっていい匂いがするんですって」

「へぇ。偶然だ…な……」

 力さんがそう言いながらふっと何か気付いた顔で私の顔を覗き込んできた。

「偶然じゃないな?」

 彼の笑みを含んだ声に私も白状してふふっと笑った。

「貴方が忘れて行ったハンカチをこっそりパフュームショップに持って行って、店員さんに教えてもらったんですよ」

「そうだったのか」

「勝手に持ち出して、ごめんなさい」

「あはは!コラァ!」

 教師と生徒だった時の様にくしゃっと頭を撫でられて、私は首を竦める。でもそのあと、あの頃は絶対にしてくれないような優しい手つきで私の髪を撫でて

「重なると、良い匂いがするんだろ?」

 と言いながら、互いの香りを混ぜるように抱き締めてくれた。
 香水も良いけれど、その匂いに隠れた彼の香りをもっと感じたくて、私は強く抱き返したのだった。

fin