失せ物探しと後悔と
※記憶喪失ネタです
「砂を掬う水掻き」後の話(読まなくても問題ありません)
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寝ても悪夢なら現実も悪夢で、どちらを選べと言われたら、まだ体を休められる夢の方が幾分かマシだ、とトカゲは目を覚ますたびに憂鬱になる。
地下研究施設の固いデスクか、遺体安置用のベッドか、眠る前の自分がどこを選んだのか思い出そうとするが、ベッドのシーツに横たわっているところ、多分、後者だろうか?
少し肌寒さを感じて、傍に有るはずの薄い掛け布団を手探りでまさぐった。指先に、とんっ、と何かが触れる。アルフィーは薄目をあけて指先に視線を投げた。
青い
魚人の 寝顔
「……ひゃぁあぁああ!?!?!?」
「ヌアッ!? な、なんだ!?」
アンダインが文字通り飛び起きてベッドサイドに立った。捲れ上がる掛け布団と大きく揺れるベッドに弾かれるように、アルフィーが反対側に落ちる。
「どうした!」
落ちたアルフィーに気付いたアンダインが彼女に駆け寄り、覆い被さらん勢いでアルフィーの肩を掴むと、トカゲはまた悲鳴を上げた。体は固まって動けない。
「ああぁあなたっ、だっ、誰ぇ!?」
「はァ!?」
顔を両手で覆って蹲ってしまったアルフィーからアンダインが離れる。距離を取られた隙に薄目を開いたアルフィーが自分の足元見れば、見覚えの無い床に、見覚えの無い寝巻きを身に付けた自分の下半身。少し顔を上げれば、見覚えの無い部屋。
アルフィーから離れたアンダインが、状況把握のために部屋のカーテンを開ける。上がったばかりの太陽の光が寝室に差し込み、アルフィーに届く。
「眩しいっ! な、なんの光!?」
「ただの朝日じゃないか」
アルフィーがまた小さくなったので、アンダインは慌ててカーテンを閉めた。そして、仕方なくベッドサイドのランプを付ける。
地下ではあまり日常で口にしない「朝日」という言葉に蹲ったトカゲは顔を上げた。
「…………太陽!?」
アルフィーはメガネをベッドの上に見つけて、こそ泥のようにそれをひったくった。そして眼鏡を装着すると、ようやく目の前の魚人を見上げる。
「…………おおお思い出した! ああああなた、あなた……ロイヤルガードの、た、た、隊長様!」
その通りだ。が、アンダインはこの状況に既視感を覚えた。アルフィーとの二度目の出会いと酷似している。
アンダインもベッドのスマートフォンを拾って日時を確認した。日付はおかしくない。周囲を見渡しても。昨晩の通りである。フリスクのリセットの力に引っ張られたわけではなさそうだ。
「ここ、どこですか……。わ、わ、私が寝てる間に、バリアが壊れたんですか? ほ、他の皆は? アズゴア様は……メタトンは……」
潤んだ瞳を忙しなくキョロキョロさせているアルフィーを哀れに思ったが、何をどこからどう説明してよいか分からないアンダインは質問に順を追って答えようと口を開けた。
「ここは、私とお前の家。……の、寝室だ。それから」
「わわわ私と、隊長様の??」
さらに混乱していくアルフィーにアンダインはどう言葉を選んだらいいか分からなくなる。
「誰か上手く説明してくれ……」
こういうのはアルフィーの方が得意だ。その本人がこれとは。アンダインはこめかみを指で抑えて眉間の皺を深くした。
◇
「お前さん、この科学者の事で困ったらすぐワシんとこ来るのぉ」
「だって、アルフィーの次にガーソンは物知りだし」
「『次に』とは何だ。ワシの方が長生きだわい」
真っ先に向かったのはガーソンの家……ではなく、近場の医者だった。そこで受けた診断結果は単純な「記憶喪失」。メンタルもしくは肉体的にいくらか負担があったとの医者の診察を受け。それらの可能性を指摘された。アルフィーの身体を確認しても外傷は見当たらないところ、だとすれば精神的なことが原因に考えられるという。
医者は一時的なものだからと、暫く休むようアルフィーに言った。
「自分を責めとらんか、アンダイン」
稚魚のころから親しんできたアンダインを気遣って、ガーソンは眉の間から彼女を見上げた。言われたアンダインはぐっと息を呑む。彼は魚人の返事を待たず、アルフィーに向き直った。
「どこら辺の記憶が無くなっとるんじゃ」
と聞いてみたところで、それを失くしている本人にわかるはずは無いとガーソンは頬を掻いたが、持ち前の聡明さで質問の意図を理解したアルフィーはそれにぼそりと答えた。
「昨日、ラボで眠ってから、目が覚めて、地上に居て、隊長様の、べ、べ、べ、ベッドに……!」
言いながら青くなっていくアルフィー。自分が覚えていないだけで、アンダインの家に押し掛けてしまったのだろうか。ついに頭がおかしくなったかもしれないと自らの振る舞いに恐ろしくなる。
「心配せんでいい。番が同じベッドで寝ても不思議じゃないからのう」
「つぅ……ッ!?」
アルフィーの様子からガーソンは「ふむ」と顎を撫で、片目を瞑って苦い視線をアンダインに向けた。
「お前さんの記憶が抜けとるようだな」
「私が原因なのか」
「そうと決まっとらん。……ええい、情けない顔をするでない!」
ガーソンに憚らずしょげた顔を見せるアンダインの背中を、彼は引っ叩いた。
「医者の話の様子じゃ、すぐ思い出すじゃろうて」
アンダインは叱られた子供のように頷いた。
◇
「ひゃっ!!」
「え?」
ガーソンの家を後にして山道を降りながら、アンダインは無意識にアルフィーの手を取った。触れられたトカゲが飛び上がらんばかりに驚いて固まる。
「ごめん」
アンダインは手を引っ込めながら、今朝医者へ向かう時にアルフィーを抱き上げた際も叫ばれたのを思い出して口を曲げた。事ある毎にアルフィーに伸びそうになる手を堪えるのが難しい。
二人は歩きだす。沈黙に耐えられず、アルフィーがアンダインの背中に話しかけた。
「ああ、その、ごめんなさい。ペア同士触れるぐらい、し、自然ですよね……! ででででも。あああなたと私が番なんて……」
「おかしいか?」
「いや、ほ、ほら、接点が無いなぁ……って……」
「私達はどちらも王室所属で同僚みたいなもんだったぞ」
「じゃあ、ア、アズゴア様の紹介で? まさか、命令?」
アルフィーの言葉にアンダインが吹き出して笑った。あの優しい王は多少頼りないが、部下の気持ちを無視するような無粋なお節介などしない。アンダインは首を振った。
「たまたま私がごみ捨て場でお前を見つけたんだ」
「あっ、ご、ごみ捨て場……」
それなら、自分はよく行く場所だ。と、アルフィーは思い返して独り言つ。
「隊長様と、そんなゴミ漁りのトカゲがどうして……」
アルフィーが今以上に卑屈なことを連発しているのでアンダインは鼻を鳴らした。
(まぁ、出会った頃はこんなもんだった)
だが、あんまり自分を卑下するようなアルフィーに、アンダインも腹立たしくなってくる。彼女に対してではない。愛する者の悪口を一々訂正したくなってしまうためだ。厄介なのはそれを口にして居るのは可愛くて堪らない番本人。意地になったアンダインはいつもより大袈裟にアルフィーを褒めた。
「お前があんまり可愛かったから、一目惚れしたんだ」
「へ!?」
嘘ではないが、盛った。初対面で可愛いと思ったのは本当だ。
「お前に会いに何度もラボへ通って、会う度にプレゼントして、デートに誘って、ロマンチックなフレーズも考えて」
これも間違いではない。
アルフィーがあたふたと意味のない動きをしながら所在無い腕で顔を覆った。
「ちょ、ちょ、ちょっと……!」
「なんだ。詳しく聞かせてやるから黙ってろ」
言われた通り口を噤んだトカゲは前歯を両手で隠しながら目を白黒させる。
「アルフィーは可愛くて、頭が良くて……でも、責任感も強いから、一人で大きな秘密を抱えてた。お前が消えてしまうのが耐えられなかったから、プロポーズして、囲った」
「待ッ……!! あ、ああ、あ、あれを知って……!?」
「知ってるから、安心しろ。王も王妃も知っている。だからお前は科学者の任を解かれたけど、お前だけの罪でないことも、皆知っている」
アルフィーは黄色い顔を青くして絶句した。
確かに、自分は王にケツイの研究を任された。前任の科学者はバイオテクノロジーの専門家で、その道の第一人者だった。ガスターの名を聞いたとき、アルフィーは激しく後悔した。それでも、彼の残した資料を読み込み、可能な限り理解しようとしたが、それでも解らない点は多かった。アルフィーが得意なのは機械テクノロジーで、全くの専門外だったが、憖優秀な頭脳と引っ込み思案な性格を持っていたために「出来ない」とも言えずズルズルと引き受け続けてしまった。手探りで何でもやったが、その結果自分は罪深いことをしてしまった。
アンダインから自分が科学者の任を解かれたことを聞いて数秒、アルフィーは寧ろ安堵さえ感じた。
「アマルガムたちは」
「家族の元へ戻って、それから、皆息を引き取った」
元は一度死んでしまったモンスターたちである。一時的かつ中途半端に魂を引き留められたアマルガムたちが、長い間生きていることはできなかった。融合していようとも意識と肉体が残っているうちに家族に元に戻せたのは幸いだ。つまり、早急に事実を公表するのが最善だった。
そんな判断も出来ないほど、自分には周りが見えていなかったのだと、アルフィーは俯いた。目の前の魚人やその他の周りのモンスターたちにどれほど迷惑をかけたのだろうか。
「私を忘れたい原因が、何かあったのかもしれないな」
アンダインが小さく溜め息をつくのを聞いて、アルフィーはハッと顔を上げた。自分の事ばかりで頭が一杯になってしまうのは自分の悪い癖だ。
相手の視線が逸れているのを良い事に、アルフィーはアンダインを見上げた。モニター越しにしか見たことの無い完全無欠の英雄が、いろんな顔を見せてくる。それも含めて、目覚めてから驚きの連続だ。アンダインはアルフィーにとって、遠くから「格好良いな」ぐらいにしか思ってなかったモンスターだった。
魚人が噂通りの優しい英雄だということは彼女と数時間顔を合わせていれば誰にでもわかること。アンダインに番が居るとすれば、幸せなモンスターだろう。それはどうやら自分らしいが、実感は沸いてこない。
「あなたを忘れたいモンスターなんか、居るのかな」
「……」
(アルフィーは私から逃げたがっていた)
アンダインには心当たりがあったが、それを言いたくはなかったし、アルフィーが時々吐露する「自分達は不釣り合いだ」という言葉も、アンダインは自身の口から吐きたくなかった。もしもアルフィーの記憶が戻ったとしても、そのことは忘れたままで居て欲しいと思ってしまう。
「まあ……隊長様と根暗オタクじゃ、不釣り合いだし、忘れたいというよりは、居心地よくなかったのかも……」
アルフィーがボソリと呟いた台詞にアンダインは目を見開いた。睨んだわけではないが、金の独眼の迫力にアルフィーはビクつく。
「アッそ、その、ご、ごめんなさいっ。だから、わ、私みたいなやつは、きっと、あなたと番になって、幸せな反面、死……に、逃げたくなっちゃったんじゃないかなって」
「……」
「隊長様が、素晴らしいモンスターであればあるほど、自分の汚いとこが、浮き彫りになった……の、かも」
「私はお前が讃えるほどのモンスターじゃない。もしそうなら、泣かせたりしない」
愛してるのに、と付け加えて、アンダインは顔を背けた。
(多分、そういう優しいところが、眩しかったんだろうな……)
「……わ、私は、あなたのこと良く知らない……けど、あ、忘れてるだけ、だけど……。もしそうなら、私達、お似合い、ですね」
「…………ぇ」
「だってあなた、私を好きなんて、趣味悪いし、優しいけど大雑把だし、それなら……」
「私みたいな多少傷付いても良いモンスターがピッタリだ」と、アルフィーは続けるつもりだった。そう、大事にされるよりずっと心地よい。アンダインのような誰も制御できないモンスターなら、自分みたいなものを振り回していれば良い。
言葉を続ける前に、アンダインが振り向いてアルフィーに迫った。肩に触れかけて、やめる。魚人の慌てた様子にアルフィーは咄嗟に自身の肩を抱く。
「ごごごごめんなさい!!ししし失礼ですよね趣味悪いとか!!」
「いや!そ、そうだろ!? 私達は愛し合っていたし、お似合いの番なんだ!」
アルフィーに触れられないもどかしさに、アンダインは内心悶えながら言った。アルフィーの口から「私達はお似合いだ」なんて聴ける日が来るとは思わなかった。金の瞳が潤む。
「……ふふ」
これは本当にモニター越しに見ていた凛々しい騎士様なのだろうか? アルフィーはおかしくなって笑った。プライベートの彼女のことは知らないが、(忘れてしまっただけだが)どんなモンスターにも喜怒哀楽があるのだから、当たり前だ。頻繁に表情を変えるアンダインが、可愛らしく思えた。きっと記憶を失う前の自分も、彼女のそんなところに翻弄されて、同時に可愛いと思ったのだろう。
アンダインが訝しげに首を傾げた。
「あわわっ ごめんなさい! あなたの気持ちを笑ったんじゃ……! で、でも、やっぱり、私達は、ふ、不釣り合い……ですよ。やっぱり、あ、あなた、とても素敵だもの」
「そんなこと、言うな……」
しゅん、と青菜に塩のようなアンダインが哀れになり、アルフィーは彼女に歩み寄る。
「わ、私が消えてしまうって、さっき」
「あれは……!」
「ずっと、消えたかった気持ちを、隊長様は知ってたんだ。たぶん、わ、私、自分のことが許せなくて、逃げたくなっちゃった……の、かな。それできっと、い、一番、近い、あなたのこと、忘れちゃった」
「どういうことだ」
なぜ、消えたいから、大事な相手を忘れるのか、アンダインには理解できなかった。
「うー……ん……。きっと、私、隊長様のこと、好き……だった」
「知ってる。アルフィーはそう言ってくれていた」
アンダインは彼女の言葉を信じていた。アンダインはいつも、アルフィーが少しの嘘を混ぜたところで、その言葉を一旦は全て信じた。虚言を感じても、まず受け止めた。
アルフィーは照れ臭くなる。番というからには、ソウルセックスはもう済ませてしまったのかもしれない。それに、これだけ魅力的なモンスターを好きにならない者なんか居ないはずだ。
(だって、あなたのこと、もう、ちょっと好きだもの……)
と言いかけたが、恥ずかしすぎて、やめた。
「不釣り合いかもしれなくても、一緒に居たい。でも消えたくて、どうしようもなくて……」
アルフィーは記憶を失う前の気持ちを予想しただけだった。自分が考えそうなことだし、記憶は無くても気持ちがソウルに残っていた。それを本人が無意識に感じ取っていた。
ある意味で、失ったものに対して実感が無い故に自分自身を客観視出来ている。そんなアルフィーの言葉は、アンダインからすれば貴重な彼女の本音であった。
「……それは、必要なことだったのか?」
「わ、分かんない…………」
「もし必要なら、忘れたままで良い。また私のことを好きになってもらう。何度だってプロポーズする」
アルフィーは胸が痛くなった。もう一度やり直してでも、彼女は自分を選ぼうとしてくれている。
でも、自分はまた嫌になってしまうのではないか。そして、この素晴らしい英雄を、何度も悲しませてしまわないだろうか。
「隊長様なら、もっと可愛い女の子が選び放題なのに……。私が良いなんて、や、やっぱり、変なモンスター」
「何とでも言え」
「ご、ごめんなさい……」
アンダインは笑った。記憶を失ったからと言って、アルフィーが変わってしまうわけではない。すぐ謝る癖なんか、健在だ。
いつの間にか止まっていた歩みを、二人は再び進め始める。イビト山の麓に来ていた。夕日がアルフィーを射す。日光の美しさに思わず足を止める。
「綺麗……」
アンダインもアルフィーと一緒に夕日に目を向けた。
「毎日見れる」
「すごい……。でも……」
「でも?」
太陽の光に照らされたアルフィーの額を見下ろす。彼女を日の光の下に連れ出すために自分の使命は存在していたと、アンダインのソウルは密かに震える。
その視線に気づいたアルフィーが彼女を見上げると、細められた金の瞳と視線がぶつかり、胸を刺されたように苦しくなって目を逸らした。太陽の神々しさや魚人の瞳の美しさを観た時に感じた感動を、以前から知っていたような気がするのに、アルフィーにはそれを言語化できなかった。
◇
心身共に疲弊した時に見る夢は支離滅裂になりがちで混乱するものだが、記憶障害になるとさらに厄介だった。その日アルフィーは身体をベッドに横たえてすぐ、一日続いた緊張の為にすぐ入眠した。
目の前のアンダインが夢か現かも判断できなかったが少なくとも眠っている間は現実に思えた。彼女に言いたいことが一杯あったのにソウルばかり騒いで口が開かない。愛する彼女が尊いあまり、直視も出来ない。彼女に向かって長時間目を開いていられない。アンダインの青い肌や赤い髪が視界に入る度にソウルが早鐘を打つのをとめられず蹲るしかできなかった。
輝かしい彼女を前に足が竦み、何も言えなくなってしまう。自分は彼女の光の前に消えてしまう影なのだ。あの栄光に焼かれて溶けてしまえたらどんなに楽だろうと、アルフィーは思った。
いっそアンダインなんて好きじゃなかったら、と思うこともあったが、アルフィーは自分が彼女に惹かれることは避けられない事だと解っていた。
(なら忘れてしまいたい)
いつしか夢の中でそう願う様になっていった。
どうせ忘れるなら自分の境遇を忘れる方がはるかに楽だと思うが、そんなことになるぐらいなら本当に死んだ方がマシだ。自分の罪が忘却によって現実に消えるのなら初めからやっている。
それならいっそアンダインを忘れる方が良い。彼女を知らなければこんな苦しみも悩みも無かったのだから。アンダインに出会わなければ自分はただの罪深いトカゲのまま影に隠れていればよかった。いつから光に恋焦がれて苦しくなってしまったのだろう。
(あそこでアンダインと出会ってから)
「おはよう、お姫様」
瞼をあけると昨日同様魚人の顔。しかし、昨日よりだいぶ近い。悲鳴も出ず固まっているアルフィーにアンダインは苦笑いして身体を離した。
「朝から襲ったりしないから、そんな顔をするな」
「……や、それは……っ、お、おはようございます」
頷いたアンダインがアルフィーと少し距離を取ってベッドに横になる。
(ああそうだ、昨日は……)
と昨晩のベッドの譲り合いを思い出した。アンダインは、アルフィーが床やソファで眠るのを許してくれなかった。かといって、アルフィーはアンダインを差し置いて自分だけベッドを占領するのも心苦しかったので、距離をとって二人は床についた。
(大事なこと思い出しそうだったな)
夢の内容を思い出そうとしたが、その相手である魚人を前にそれは難しかった。彼女のオーラのせいか、もしくは彼女と昨日一日一緒に過ごしたせいかわからないが、ソウルが鼓動して仕方ない。
(このモンスター、こうやって何人落としてきたんだろう)
さぞ自分は彼女に振り回されていたに違いない。朝から「お姫様」と声をかけられて舞い上がっていたのだろうか。もしそうなら自分は滑稽だ。だが、解っていてもアンダインの台詞一つ一つに心が大きく揺れてしまう。
「ま、毎朝そんな起こし方を……?」
アンダインは「いや」と苦笑いした。
「本当なら、抱きしめて、キスしてる」
「ひぇ!?」
「心配しなくても今のお前にはしない」
アンダインは笑ったが、アルフィーはそれにつられて笑うことなどできなかった。彼女の言う通り、今の自分がそんなことをされたら気が遠のいてしまうだろう。色んな意味で。記憶を失くす前はそんなとんでもないスキンシップを受けて平気な顔をしていられたのだろうか。
距離が多少近いとはいえ、それでもアンダインは不用意にアルフィーに触れようとはしなかった。
(パートナーに触れられないって、もしかして辛い事かもしれない)
昨日一日混乱していたとはいえ目の前の騎士隊長を気遣う余裕を持てなかった自分を反省する。強い戦士だと知ってはいたが、それでも、アルフィーの事で落ち込んだ姿を見せたり慌てたりするアンダインが、時々不憫に思われた。
もしも愛している相手が自分を忘れてしまったら、悲しいはずだ。せめて抱きしめたいと思うかもしれない。
(どうせ、私なんか、どうなったって良いんだし、それなら……)
アルフィーはアンダインに手を伸ばした。ソウルが激しく音を立てる。英雄の逆鱗に触れないだろうかと心配になって、手を止める。
「どうした」
「や、そ、その、あの」
「何かついてるか?」
アンダインは自分の頬を撫でて、手の平を確認したが、勿論何も付いていない。アルフィーに視線を戻して笑った。
「私はお前のものだ。好きな時に好きな場所に触れろ」
アンダインが枕に頭を預けたまま目を閉じた。アルフィーのソウルは先程より更に騒いでいた。
(ソウルに悪いモンスターだな)
好きな場所、と言われれば逆に迷ってしまう。アルフィーは二人の間に投げ出されたアンダインの指にそっと触れた。すると、アンダインの長い指がゆっくりとアルフィーの指を包む。お互いの指先が熱いのを感じ合う。
もう手を離してしまいたいアルフィーと、抱き寄せたいアンダインの視線が絡む。
「番なら、わ、わ、私だって、あなたのもの……だよね」
「それは違う」
「えッ」
「私はお前に身も心も捧げるけれど、お前がそうする必要は無い。私を忘れているなら猶更だ」
「…………」
「もう自分を犠牲にするのはやめろ」
こちらの心を見透かされているようなアンダインの言葉にアルフィーは戸惑った。それはそうだ、彼女は自分と長く付き合ってきたのだから、予想されても仕方ない。
「でも、私……」
アルフィーの根底に漠然と流れる消極的な消滅願望。それは時に、誰かのために犠牲になりたいとすら、彼女に思わせた。美しい自己犠牲の精神とは違う、自分勝手なそれをアルフィーは自覚していた。自分が楽になりたいから、誰かに乱暴に扱われる方が安心する。責め苦を受けた方が罪深い自分にピッタリだと思う。
「せめて誰かに使われてから消えたい」
アルフィーの呟きに、間を置かずアンダインが勢いよく体を起こした。魚人が焦慮を顔に表してトカゲを見下ろす。その気迫にアルフィーは体を硬くする。
「……ッそれなら、お前の望む通り、使ってやる。私の物になれ。私が飽きてお前を捨ててから死ねばいい!!」
魚人の威圧的な影がトカゲにかかる。アルフィーは恐ろしさに身を縮めたが、ちらりと見上げたアンダインの顔に慨嘆が見て取れた。
「私の物なのだから、他の所へ勝手に行くなよ。私がお前を所有しているうちは」
アンダインは自分で吐いた冷然なセリフに胸糞悪さを感じて唾を飲み込んだ。アルフィーの小さい瞳がじんわり塗れているのを見て、罪悪感に襲われる。
それはアルフィーも一緒だった。優しいモンスターに冷たい事を言わせている罪悪感に苛まれる。けれども、彼女はアンダインの言葉に一切の凄然さを感じなかった。
(意気地なしな私も受け入れてくれるんだ、彼女は)
もう、それなら、余計にアンダインに対して、全部明け渡しても構わないと、小さいトカゲは思う。
「ご、ごめん、アルフィー。狼狽えて……」
アルフィーに背を向けてベッドの端に腰掛け、アンダインは自身の発言を後悔した。だが大意では嘘は言っていない。アルフィーをモノ扱いしたいわけでは無いが、彼女を手放したくないと思っているのは事実だ。そして、アルフィーが約束を守ってくれるなら、彼女が死を選択することは今後一生無い。アンダインが彼女を捨てることなど絶対にできないのだから。
しかし、アンダインが施した枷がアルフィーにとって幸か不幸かなど、彼女に判断できるはずもなかった。
(隊長様……)
アンダインの落ちた肩を見つめながら、アルフィーは必死に自分の記憶を蘇らせようと脳裏を巡った。
(ごめんなさい。私、いつも大事なこと忘れちゃう……)
王から指令を受けた時も、メタトンのボディを作っている時も、本当に大事なことを忘れて、自分可愛さに間違った選択をして、結局自分が嫌いになってる。アンダインが大事なら、忘れるなんて馬鹿げた選択だ。
アンダインも「思い出さなくてもいい」と言ったし、アルフィー自身もアンダインとの関係を思い出すことを、心のどこかで恐れていた。記憶喪失以前の自分が彼女から逃げたいと思ったのは恐らく本心だったろうが、それでも、アンダインに惹かれていたことは確かで、今も既に惹かれていて、自分の性が、惹かれたものに対して好奇心を抑えられないということも、自覚していた。
そこで、アルフィーははたと気付く。
アンダインが自分の希望だったのだと。
記憶を思い出さなくても解る。追い詰められた自身が滝壺の深淵に身を投げかけた時に現れたであろうかの英雄は、その時から自分の暖かい慰みの太陽であったのだ。そしてアンダインはアルフィーに自分を忘れられたとしても彼女をその光で包み込み続けている。
アルフィーはアンダインの背を見つめながら、溢れる涙を拭うことも出来なかった。
「馬鹿、馬鹿……!」
アルフィーの震えた呟きにアンダインが振り返る。
「ごめん」
アルフィーは首を振ってさめざめと泣いた。元来そんな彼女を放っておくことなどできないアンダインは、怖ず怖ずアルフィーの背にゆっくり腕を回す。アルフィーが逃げようと思えば簡単に逃げられるような速度でゆっくりと。それでもアルフィーは逃げもせず、黙ってアンダインの腕に抱きしめられた。
途端、アルフィーの脳裏にゴミ捨て場のアンダインの姿が映る。
― 滝壺って、何処に繋がってるのかな
そう言って話しかけた彼女は、辛そうに眼を細めてこちらを見つめていた。
それから、彼女との思い出が、断片的にアルフィーの瞼の裏に浮かび上がった。時系列もシーンもバラバラだが、それが何時で、何処なのかを思い出すことができる。
何がきっかけか解らない。ただアンダインがアルフィーを抱きしめただけだった。ソウルを繋げたわけでもない。アンダインはアルフィーのそんな内なる衝撃に気付きもせず彼女をじっと抱きしめていた。
「アンダイン……っ」
記憶を失っていた時の自分の言動を思い出して急に恥ずかしくなり、けれども遅れてやってきた彼女に対する愛しさもあり、急な感情の波にアルフィーの体が熱くなる。堪らず相手の名を囁いて広い背中に手を回すと、それを合図に徐々にアンダインの腕に力が入り抱擁が強くなった。
そんな甘い抱擁の最中に、アンダインは違和感を察知した。自分の名を紡ぐアルフィーの声。その微かな音の感覚。そもそも、記憶を失ってからアルフィーは恐縮してアンダインを名前で呼ばなかった。
「ねえ、もしかして、思い出した?」
アルフィーの顔を覗き込むが、当のトカゲは照れ臭そうに俯いてしまっている。金の瞳が期待を込めてじっと視線をアルフィーに向け、それに根負けしたのか
「ご……ごめん……」
と呟いた。
「思い出したか!?」
「あの、その……」
何と言えばいいか言葉が思いつかないアルフィーは取り合えずこくりと頷いた。彼女がなぜ謝っているのか全く理解できないアンダインであったが、それよりも、少しの安堵とアルフィーの続く言葉が気になった。それなのに黄色い口元は一向に開こうとしない。業を煮やして、アンダインがアルフィーの頬を撫でてこちらを向くように誘導した。
「私のこと、好き?」
「う、うん……!」
唐突な問い。でも、理由がある。そもそもアルフィーは何故記憶を失わなければならなかったのか。理由を聞こうにも、アルフィーはひたすら照れて謝ってばかりだ。取り合えず、嫌われていないことを確認してアンダインは息をついた。
アルフィーも、自分がなぜ記憶を失ってしまったのか明確な原因が分からず、心当たりあることに関しても、アンダインの激情を誘う可能性を考えて口に出来なかった。ただひたすら彼女を忘れてしまったことに対して罪悪感を感じ、反省する。
「ごめんね……」
彼女愛しさにソウルを焦がし、苦しみから逃れたいばかりに「アンダインを知らなければよかった」などと一瞬でも考えてしまった自分を恥じた。実際にアンダインを忘れたとしても、今回同様どうせ何度も惹かれてしまうのだから、無意味なのだ。
「私は怒ってない。でも、その……」
アンダインが項を撫でて照れ臭そうに目を逸らす。
「アルフィーに触れられなくて辛かった」
そう言ってアンダインが切なそうに眉を寄せたので、アルフィーは恥を捨てて大きな魚人を抱きしめ、彼女を大いに喜ばせたのだった。
FIN