砂を掬う水掻き -2-

Alphyne
小説
連載

 川の流れはいつ、その滝壺へ繋がっていったのか。どこまで上流へ戻れば、流れを変えられるのだろう。

 フリスクが落ちてきたときか。

 アルフィーが、あの部屋へ入るのを拒んだときか。

 それとも、初めて出会ったあの時から、結末は決まっていたのだろうか。

 滝壺を覗き込んでいた瞳がこちらに振り替えって揺れていた。出会った時の、あの瞳をハッキリと思い出せる。アンダインはそれに手を伸ばし、叫んだ。

「アルフィー!!」

 手は、空を掠める。見慣れた天井を徐々に認識し始めた。目覚めた感覚も、瞼を開いた感覚もない。目を開けたまま夢を見ていたのだろうか。それなのに、丸一日眠っていたような……そう感じさせるほど永い夢を見ていた錯覚だった。もしかしたら、三日…一週間…もっとかもしれない。そんなはずは無いだろうが……。
 暗い部屋で体を起こす。慣れたベッドの感触から違和感に気付き、腕に抱いていた筈のアルフィーの残骸を探した。

 無い。

 飛び起きて、電気をつけると、勝手知ったる自室。ここは数ヵ月前燃えた筈の我が家だ。

「……夢?」

 とは言うものの、何が夢で、どちらが夢で、どこからどこまでが夢なのか、まるで解らない。ベッドサイドのスマートフォンをひったくり、時刻を確認すると、昼の時刻を指していた。それよりも、重要なのは日付だった。最近カレンダーすら確認しない日々を送っていたので、一瞬、日付の数字が何を意味するのか理解するまでに時間を要した。瞬きして目を擦ったところで、表示は変わらない。だがそれはおそらく、過去の日時をさしていた。

 先程まで疲れきっていた身体とは違い、力が漲っている。久しく忘れていた身軽さに、家を飛び出した。兎に角、誰かに会って何が起こっているのか確かめたかった。
 直ぐに近場のガーソンの店に飛び込んだが、彼は留守だったらしく、店内のカウンターに【closed】の卓上スタンドが置かれていた。だが、壁にかかったカレンダーは、アンダインのスマートフォンと同じ日付のものだった。

 「そうだ、パピルス」

 スマートフォンの電話帳を開き、友人へ電話をかける。幸い、相手は直ぐに電話に出てくれた。

「もしもし、アンダイン……じゃなくて、隊長! どうしたの?」

「パ、パピルス!お前……今、何をしている?」

「命令通り、遺跡の近くまで見回りに来てるよ。サボってないから!」

 勿論そんな言いつけを直近彼に出した記憶はない。だが、彼がロイヤルガードの仕事をしたいというので比較的安全な見回りをさせていた時期があった。随分過去だが。

「あー…パピルス。その、人間は居たか?」

「まだ!早く会いたいな」

「そ、そうだな。じゃあ、その、ア、アルフィー……は?」

「アンダイン、アルフィー博士を知ってるの!? オレアンダーネットで相互フォローなんだ!さっき投稿してたよ、ゴミ箱の写真」

「そうか!!」

 アンダインは高鳴る胸を押さえながら通話を切り、電話帳にアルフィーの番号を探した。しかし、何度スマホの画面をスワイプしても、スクロールしてみても、その名が見つからない。履歴にも残っていない。
 まだ状況はわからなかったが、兎に角ラボまで行けば彼女に会えるかもしれなかった。アンダインは電話をズボンの尻ポケットに突っ込み、ホットランドへ走り出そうとした。

 
 
 
 その時、ふわりと不穏な気配を察知する。
 
 
 
「……死の、臭い」
 
 
 

 嗅いだことのあるそれ。アンダインは以前と同じように、いやそれ以上俊敏に駆け出した。ごみ捨て場は直ぐそこだった。

 そして、夢にまで見た後ろ姿がそこに立っていた。

「アル……ッ」

「誰……?」

 アルフィーが振り返り、その瞳を見て、アンダインは徐々にこの状況を飲み込み始めた。きっと彼女は自分を知らないだろう。なぜなら……

「滝壺……」

「え……?」

「……滝壺って、何処に繋がってるのかな」

 あの時、彼女にかける良い言葉を思いつかなくてこんなことを口走った。もしこれが自分の勘違いなら、アルフィーはきっと『懐かしい』と言って笑ってくれるはずだ。しかし、戸惑ったままのトカゲのつぶらな瞳はアンダインと視線を合わせようとせず

「み、水は……ええと……地下を通って、いずれ海へ……」

 そう言った。聞き覚えのある台詞だ。

「あの、私、怪しいものじゃないです。ホットランドのラボの、アルフィーって言います」

「そ……そうか。私は、アンダインだ」

「隊長様!」

「私を知らない……よな?」

「し、知ってますよ!あなたは有名だし……」

 アルフィーは自分を知らない。それなら今の状況は、あの出会いの時を繰り返しているのだ。やはりこれは過去だった。なぜ時を遡ってしまったのか。そんなことが、本当にあるのだろうか。自分の脳が勝手に長い予知夢でも見ていたのかもしれない。しかし、それはそれで不思議なことだ。いずれにせよ、目の前にいるのは確実に、求めてやまなかった彼女で、幻想や夢ではない。

(生きている……!)

 アルフィーが怖々とアンダインを遠慮がちに見つめていた。呼吸をして、動いている。ただそれだけで、今のアンダインにとっては堪らなく愛しい。だが、彼女の方はこちらと初対面だろう。抱きしめたくても、伸びそうになる手を握りしめて、潤む瞳から涙が零れないよう瞼を閉じた。

「……あなた、どこかで……」

 アンダインが瞳を固く閉じた数秒の隙に、アルフィーが目を細めて彼女を見上げた。以前も同じような角度で彼女を見上げ、その見慣れたような金の瞳と牙を隠れて見ていたような、ソウルの底に懐かし気な熱を感じる。『デジャブってやつだ』そう思って、口走った言葉を後悔した。

「ごめんなさい、私……ラボで監視カメラの管理もしてるから、た、隊長様を見かける事も、よ、良くあるんですよ。アッ、別に隠し撮りじゃなくて、お、王が定めた箇所のカメラで……あ、そんなこと隊長様もご承知ですよね、あはは……。その、だから、私、あなたのこと、初めてな気がしなくて……ああ、馴れ馴れしくてごめんなさい……!」

 懐かしい。

 出会ったばかりの頃の彼女はこんな風に、吃音激しくなにか捲し立てることが多かった。昨日までの事は悪夢だったのではないかとも考えたが、それならば現実の彼女がこんなに夢と同じな訳がない。

「いいんだ、私もそんな気がしてる」

「そ、そうですか……」

 アルフィーは研究の事を重く悩んでいた。今思えばこの時も、身を投げようとしていたのかもしれない。アンダインは背筋をゾッとさせて、しかしそれを悟られまいと笑った。

「ここは危ない。ラボまで送る」

「じ、自分で戻れますから」

「そう言うな、アルフィー……博士。王室所属のよしみじゃないか。ああそうだ。道すがら、お前が好きな人間の話が聞きたいな」

 1年ほど前だった気がする。遠い記憶を辿っていた。アルフィーが語る地上の世界が新しく、新鮮で、当時はとても面白く聞いていたものだ。それが彼女と親しくなるきっかけだった。それならば

 もしもう一度やり直せるのだとしたら……

「ど、どうしてそれを……?!」

「え?あー……。博士は物知りだし、詳しいだろ?」

「はぁ……多少は……」

 アンダインはアルフィーに近づいて、彼女の背中にそっと触れながら滝壺から離すように歩き出した。されるがままアルフィーも歩を合わせる。出来るだけ話す時間を稼ごうと、アンダインの脚はゆっくり歩を進めた。アルフィーは質問攻めにあって、始めは混乱していたが、それが自分の得意分野である人間や地上のことであると、饒舌になっていった。過去にも聞いた話だが、逆にそれがアンダインを安心させていく。

「アルフィーは凄いな。何でも知ってるんだ」

「そんなことは……」

「次会うときに話の続きを聞かせて。また来るから」

 アンダインは彼女をラボまで送り届けると、例の地下研究施設へ通じるドアを睨む。そして、自分の顔の狂暴さが出来るだけ隠れるように、アルフィーに可能な限り優しく微笑んだ。

「私が必ずお前を守るから」

「え?」

「何かあれば、すぐに私を頼れ」

 そう言ってアンダインは、アルフィーのデスクの引き出しからポストイットとペンを取り出して、自分の電話番号を書いて手渡した。そしてさっさと踵を返して、ウォーターフェルへ帰っていった。

「……ペンとメモの場所……」

 なぜ、勝手知ったるように彼女はそれを取り出せたのか。アルフィーは不思議そうにつぶやいたが、『デスクにペンがあるのは当たり前か』と深く考えず、メモをディスプレイに張り付けた。
 帰宅途中ずっと、過去にしたような同じ内容をアンダインに聞かせている気がして仕方なかった。不思議な親しみと安心感は、きっと彼女のオーラのせいだろう。

- 私が必ずお前を守るから

「あれぐらい度量が広いと、誰にでも言うんだろうな」

 嫌味ではなく、ただただ感心していた。アンダインのような英雄なら、もし人間が襲ってきても、モンスター全てを守ることができるだろう。
 初対面の相手に対していつも感じる恐ろしさを、今日はあまり感じていなかったのも、彼女の度量の広さの賜物だとアルフィーは思った。それでも『また来る』というアンダインの言葉には半信半疑だった。

「本当にまた来てくれるかな」

 夜、布団に潜りながらアンダインの事を思い出して瞼を閉じた。引き籠っていたいオタクであるはずの自分がどこかであの英雄とまた会えることを期待している。それに気付いて顔が熱くなった。

「違う。私、リアルの相手に一目惚れなんかしない……」

 とぶつぶつ言ってはそれを枕に押し付けた。噂でどれだけアンダインが皆から愛されているか知っている。きっと自分もその魅力に掛っただけなのだ。アルフィーは久しぶりに穏やかな気持ちで眠りにつくことができた。