無頓着女神と無自覚姫
「惑いの騎士」の続き
・・・
「ンァ……ッ」
飛び起きると、アルフィーが隣で驚いて同時に飛び上がる。
「な、何でこんなところで寝てるの?」
「えっ……」
言われてる最中に私はソファから滑り落ちた。座り直しながら回る頭で昨晩のことを思い出す。
酒を飲んで帰ってきて、アルフィーの寝顔を見て、風呂を済ませて寝室で眠ろうとしたところまでは覚えている。
「あ」
……いや違う。寝室に入ってから引き返してリビングのソファで横になったんだった。
その日は何故かいつにも増してアルフィーが欲しくて仕方無かった。ゆっくり眠っている彼女を起こして甘えてしまいたくなり、酔いの中にも残る理性で寝室を出た。布団に入ってしまったら手は出さずとも悶々としていただろう。
そんな個人的な葛藤など朝っぱらから本人に言えず、笑顔を取り繕って平常心を振舞おうとしたが、返す言葉が情けないものしか思い付かない。乾いた笑いが出た。
「今日は非番?」
「うん」
私の返事を聴いて、アルフィーがキッチンへ向かう。後ろ姿も可愛いな。あの太い尻尾、最高だ。……おい、馬鹿! 顔がしまらん!
アルフィーの「暖かいので良い?」という声がするが、しまった、何の話だ? 聴いてなかった。適当に返事をすると、珈琲が運ばれてきた。いつもなら喜んだだろうが、今は冷たい水が良い。いや、冷水を浴びたい。
寝起きだからだろうか、それとも朝日のせいだろうか、アルフィーの柔らかい肌が黄色く光っているように見えて仕方ない。うっかり生唾を飲んでしまったので、それを隠すように珈琲を後から喉に流し込む。アルフィーがいれてくれる珈琲は温かくて彼女らしい。まぁ、私が入れるそれが煮立ってるだけでこれが普通なのだろうが。
「昨日は遅かったんだね。今からでもベッドで横になりなよ」
アルフィーはそう言いながら窓を開けた。今日は良く晴れている。何の脈略もなく、日光を浴びるアルフィーを尊く思う。思わずため息が漏れた。
ただそこに居るだけで私をこんなに翻弄するアルフィー。なぜ自覚してくれないんだ。彼女は自分の魅力が全く理解できないらしく、だからだろう、無防備であどけなく、危うい。そこがまた可愛いのだけれど、心配だ。純粋が故に人間の悪意に直ぐ侵されがちで、体調を定期的に崩してしまう。
私のため息に気付いて寄ってきたアルフィーがソファに座った。そんな心配そうな顔をするな。ああ、でも、疲れたのを装って甘えてしまおうか。
「膝貸して」
自分でも甘えた声を出しているのは解っている。でもアルフィーは優しいから、ほら
「い、いいよ」
赤くなってソファの端へ座り直してくれた。……いじらしい! 抱き締めたい!! 待て、折角だから膝枕して貰おう。
アルフィーの膝に頭を乗せると柔い感触が耳鰭を包む。幸せだ。
「このまま寝ても、いいんだよ」
アルフィーの優しいダミ声に思わずニヤついてしまう。甘えてもらいたいのに、逆にアルフィーは私に凄く甘い。私が言ったことは大抵「いいよ」と許可してくれるし、私がうっかり「欲しい」と口にしたものはあっという間に作ってしまう。
お前は天才だ、アルフィー。が嬉しい反面、お前は自分の気持ちをあまり口にしてくれないし、希望も言わないので、私の方は歯痒いのだよ。
都度都度彼女に望みを尋ねても、苦笑いして首を振るだけだ。アルフィーが何を思っているか、それが知りたくてつい見つめてしまうけれど、彼女はそれも居心地悪そうにしている。またそうして私の視線を奪うのはお前なのに。
アルフィーが私の髪を遠慮がちに撫でている。愛する者に髪を撫でられるだけなのになぜこうも幸せな気分になれるのか謎だ。他の奴にこの髪を触られたら払ってやるし捕まれたら躊躇なく髪ごと切ってやるものを、アルフィーに愛でられていると思うと髪の一房も惜しくなる。
きっと私がこうやってデレデレしているからアルフィーが甘えられないのだ。私はアルフィーの膝から起き上がって彼女を抱き寄せた。そうするといつも弱々しい悲鳴を上げて顔を両手で覆ってしまう。いつも思うが、何故だ。照れてるだけか? それなら良いが……嫌がってないよな!?
「たまにはお前が甘えろ」
「ええっ、変だよ。私、いつも甘やかされてるのに」
そうだろうか。こうやってアルフィーに擦り寄って好き勝手して楽しいのは私の方だ。無遠慮に腰に手を回し、黄色い頭部に頬擦りし、それが当然に許されていると思っている。彼女は私だけの番だし、アルフィーは優しいし、それに、だって、可愛いから仕方ないだろ!!!
私のせいじゃない(私のせいだが)何故か腹が立ってきたぞ。
「怒ってる……?」
アアッ!ち、違うんだ!!クソ!この強面がァッ!! 落ち着いて、優しい顔をしなければ……。
「ご、ごめん。私、鈍臭いから」
どうして謝るんだ。彼女が鈍臭かろうが、薄鈍だろうが、何の問題も無い。ああそうだとも。もっと我が儘を言って、彼女のペースで私を困らせれば良いのに。……何を考えているんだ私は!? 別にアルフィーに対してマゾヒスティックな気持ちもサディスティックな気持ちも無いが!?
ただ……いつもそうするように、何かを諦めた顔じゃなく、然も当然手に入る前提で何かを求めるような、そんな顔を向けてもらいたいだけだ。私に求めればそれが手に入ると、期待を込めた瞳で見つめられたい。アルフィーが何かを諦めているのは、きっと私の愛がまだ足りないのだ……! ……否、足りている!示し尽くしていないだけ。湯水の如く有るとわかれば、アルフィーはきっと身を委ねてくれる。
「こんなの甘やかしてるうちに入らん」
「そ、かな……」
「アルフィーはちっとも甘えてくれないし、我が儘も言わないから、甘やかせられなくて困る」
「ご、ご、ごめん……?」
謝るのが癖なのだろうが、けれど今は首を傾げていた。「何が困るんだ」と言いたいところだろう。だが、他人を頼らず、何も言わず、一人で抱え込んでひっそり消えられるほうが、こちらは余程困るのだ。そんな彼女だから、小さなサインを見逃してはならないと思うと、やはり目が離せない。実際、アルフィーはたまに、私との仲をやんわりと否定することを言ったり、距離を取ろうとしたりする。それで私の心が乱れ狼狽えるのを知らないようで、怒りや悲しさを訴えると途端に涙を流して謝るのだ。その姿が痛々しくて、こちらが泣きそうになる。そんな事思わせたくはない。どうしたらいいんだろう。
アルフィーの方が困ったように俯いて指を絡めてしまった。私だって困る。何がって、この女はそんな憂いを帯びた姿も可愛いのだから。
「お前は安心して私に身を任せていいんだぞ。私はお前の騎士なんだから」
「……ね、ねえ、それ、どういう、意味なの?」
「え?」
「だって、騎士って、その、ロイヤルガードの事でしょう? アズゴアを守るのが、お仕事だよね。私の騎士って、変だよ」
「騎士は正義と忠誠の使徒のことだ。決めた相手に奉仕し守護る者として、私はお前の騎士なんだぞ」
「……」
アルフィーは口をあんぐり空けて目を見開いていた。
「そ……そんな大層な事言ってたのっ?!」
「なんだ、伝わってなかったか」
「ま、ま、待ってよ! それは、その、建前というか、ロイヤルガードの口説き常套句なの?」
「建前? 私は本気だぞ!」
「その、でも、そんな、私、まるで、お姫様みたい……そんな傅かれるような扱いされても……」
「ああ、そうだ、お姫様!」
度々彼女をお姫様扱いしていたが、言われてみれば確かに、こっちが騎士なら私にとってアルフィーはお姫様なのだ。
「へ?!」
「アルフィーは私のお姫様なんだ」
「……」
アルフィーが困って空けっぱなしの口をそっと閉じた。言葉が見つからないようだ。戸惑わせてしまったか。でも、この表現が一番しっくりくる。
「……柄じゃないよ」
「『私にとって』というだけだ、柄とか無いぞ」
「…………やっぱり、だめ!」
「え?!」
「だって、わ、私にとってアンダインは、き、騎士じゃないもん……!」
「なッ?!」
言われ、流石にショックを受けた。私は騎士の称号を剝奪されてしまうのか!? そりゃあ直々に彼女からアコレードを受けたわけではないが、そんな些細な儀式など無くても私の心は最初からアルフィーと決めているのに……!
「何故だ?! 私はお前を必ず守ってみせる! 上手く甘やかしてやれないのは、こ、これから頑張るから……!」
「そういう事じゃなくて……っ ア、アンダインは、私にとって、その……」
アルフィーが急にもじもじしながら腕の中で俯いてしまった。騎士じゃなければ、何だと言うんだ。
「神……様……」
「……神様?」
「う、うん、その、へ、変な意味じゃなくて……うん、女神様!」
「……」
神様? 女神様? それってあの、居るかどうかわからない? 空想の? 崇拝対象の? 地上のさらに上の天国とかいうところに鎮座している?
思わず私は声を出して笑ってしまった。アルフィーには悪いと思った。機嫌を損ねたかもしれない。いや、わかるぞ。アルフィーを女神と見紛うことも、私にだってあるんだ。でも、ああ、アルフィー、お前ならわかるがなぜ私なのだ。私みたいな女神が居たら面白いな。いや、神も色々居るだろうから、魚人顔の女神もいるかもな。そこまで考えて、また面白くなって笑ってしまった。そろそろアルフィーに弁解しなければ。
アルフィーは恥ずかしそうに真っ赤になって俯いてしまった。そこで私の気持ちは萎えてしまう。
「ご、ごめん。お前を笑ったのではない」
「恥ずかしい事、言ったよね……」
「そんなことは無い」
「でも、私にとって、あなたは、神様みたいに美しくて、強くて、神聖で……。だから、あなたになら何をされてもいいし、あなたが喜ぶことは何でもしたい……けど、私、上手くできなくて、なんか、その……ただアンダインを想ってばっかりで」
アルフィーがうっとり空を見つめたような瞳で語る。腕の中に閉じ込めている筈なのに、遠くに感じてしまう。急に寂しさに襲われ、私は彼女を強く抱きしめた。呻く声が聞こえ、腕を緩める。
「私は神とやらのように遠くで手を拱いたりしない。お前の傍でお前を守る。隣で笑ってくれたらそれで満足だ」
「だからね、『私にとって』ってこと」
ああ、私もさっき同じことを言った。だが、納得いかん! だってなんか遠い気がするだろ!!もっと彼女にとって気軽な存在になりたいんだ。
「怒った? へ、変だよね。漫画の読み過ぎかな……」
「いや。でも……」
私はアルフィーの手を取って自分の頬を軽く叩くように当てた。それが、アコレードになればいいのにと、本人に許可も取らず、説明せず、一人悦に浸った。
◇
今朝目が覚めて、隣にアンダインが居なかったの。「今日は遅くなるけど帰る」って言ってたのに。慌てて確認したスマホにメッセージも無くて、先に起きてるのかと思ってリビングに走ったら、カーテンから除く隙間から入り込んだ朝日を受けて、アンダインがソファで眠っていた。その姿が神々しく見えてしまって、思わず眠る彼女の前でヘタり込んで手を合わせてしまったよ。やっぱり、アンダインは神の化身だったんだ。そう信じちゃったの。朝日が当たったぐらいでそんな、て言われちゃうかも知れないけど、本当に何気ない瞬間に、ふとした一瞬に、彼女の中に聖なる何かを感じてしまう。
それを伝えたら、アンダインはいつも寂しそうに眉を下げて、嫌そうにしてるから、きっと良くないんだろうな。
「側で侍らせて」
そう言うの。変なの。もしも本当にアンダインが神の権化だったら、優しすぎて、天国から落とされちゃったのかな。なんて妄想しちゃう。
「それを許してくれたら、どう見てくれても、まぁ、今は、良い」
金色の瞳に見つめられると、太陽を直視したように眩しくて、目をそらしてしまう。私の醜い心を見透かされているようだ。いや、既にソウルは何度も覗かれてしまっているけれど、でも私の本性にある真っ黒い部分まで、もう知られてしまっているような……。
そして彼女が望まなくても、やっぱり私にとってアンダインは強烈な神様で、私には相応しくないと思ってしまう。そんな神聖な相手を侍らせるなんて、罪深いよ。罪の重さに耐えられなくなって、時々アンダインから逃げてしまうし、彼女は意地になったように私を連れ戻すけれど、そんな茶番をさせて私はまた愚かに拍車をかけるんだろうな。
アンダインが私の手の平に頬擦りする。彼女の唇が当たる度にソウルが飛び上がる。ずるいよ。ずるくて可哀想な女神様。小さな蜥蜴に情をかけたばかりに、跪いてしまうなんて。
「うん……」
私は悪い蜥蜴。彼女に抱きしめられているのが気持ち良くて『今は』という甘い言葉に流され、頷いてしまった。
FIN