砂を掬う水掻き -5-

Alphyne
小説
連載

 アルフィーが一人で抱え込む癖があるのは知っていたが、それでもいつか打ち明けてくれると思っていた。その楽観が彼女を失った原因の一つでもある。アンダインは焦り始めていた。フリスクが来たということは、アルフィーの決断の日が近づいているということだ。どうにかして彼女に自決の選択をさせないよう誘導する必要がある。闇雲に「死ぬな」と言っても無意味なことはわかっているし、無理矢理秘密を暴いても追い詰めるだけだろう。

「あ……!」

 と足を止めたのは、ブティックのショーウィンドウ。どことなく、フォルムがアルフィーに似ているマネキンが、白いドットの濡羽色のワンピースを着せられていた。色は地味だがささやかな光沢が上品なそれに、目が釘付けになる。

 普段はこんな場所は通らないアンダインだったが、城下で巨漢のモンスターが一匹怪我をして、誰も運べる者が居なかった。緊急性は低いものの、力自慢のアンダインがわざわざ出向かなければならず、ニューホームの洒落たショッピング街に出動要請が入ったのだ。
 運び終えたモンスターはブティックの店主だった。

「隊長さん、それ気に入った?」

「えっ」

「お礼にお譲りするよ」

「礼は良い。仕事だ。でも、プレゼントに包みたい」

 店主は手を叩いて店員の一匹にそれを包むよう指示した。上物のワンピースだったが、譲ると言って聞かない店主に、アンダインは値段をまけて貰うことで何とか金銭を支払った。アルフィーに贈るのに、貰い物では格好がつかない。

 洒落たプレゼントボックスに心が弾む。アルフィーが喜ぶ顔を思い浮かべて、アンダインは意気揚々と管轄地区へ戻っていった。

 誰かの心を手に入れようとか、奪おうとか、そんなことを意図したことがなかった。アンダインはずっとアルフィーの心が欲しかったが、それはあくまで彼女の裁量に委ねるべきものだ。しかし、大事なモンスターの命がかかっているとなれば強行手段に出なければならないこともある。力ずくは得意だったが、こと恋愛についてはテクニックなど持っていなかったし、自分のままで自然にしていれば周りはヒーローとしての自分を慕ってくれていたアンダインにとって、そんな努力などしたことがなかった。だがアルフィーはそうはいかない。

「厄介な女の子に惚れちゃったな」

 呟きながら、手に持った土産を見つめた。物で釣れるとは思ってないが、ラボを訪れるのについアルフィーの好きそうなものを買ってきてしまう。
 
「今日はニューホームで仕事があったから」

 アンダインが言いながら差し出したそれは、普段渡される菓子の袋よりずいぶん大きく、アルフィーを驚かせた。

「ありがと……」

 受け取りながら驚いていると、アンダインがそんなアルフィーを見てまた

「今日も可愛いな」

 と言った。最近はもう挨拶のようなものだが、アルフィーには慣れなかった。毎回動悸がするのはきっと慣れない自分のせいではなく、アンダインのせいだろう。油断しているとすぐ、アンダインが甘い言葉を吐くのだ、フローズンヨーグルトなんか目じゃないほど甘い。だから昨夜だって、夜食のポテトチップスが喉を通らなかった。

「なあに?これ」

「服」

「ふ、服?!」

 驚かれてから、アンダインも自分の行動を振り返ってきまり悪くなった。衝動的に贈ってしまったが、恋人でも番でもない関係の相手から服をプレゼントされたら困ることもあるだろう。上手い言い訳も思いつかない。

「アルフィーに似合うと思って。気に入らなかったら捨てて良い」

 心の中で店主に謝ったが、プレゼントを押し付けるのは嫌だったのでそう言った。アルフィーは高級感のあるボックスをどう扱っていいか分からず突っ立っている。見かねたアンダインがそれを取り上げて、アルフィーのデスクに置いた。開封すら、アルフィーの好きにしてほしい。話題を変えてしまおうと思った。

「困ったことは無いか。昨夜は寝れた?」

「あ……あんまり……」

 『あなたのこと考えてたら眠れなかった』なんて言えずに言葉を濁す。それを聞いたアンダインは眉を下げて、アルフィーの頬に触れるか触れないかの所を指で撫でた。

「じゃあ、今日はもう帰るから、ゆっくり休め」

「え!も、もう帰っちゃうの?」

 アンダインが振り返ってラボを出ようと一歩歩き出そうとしたとき、アルフィーがアンダインのタンクトップを掴んだ。一瞬で、アルフィーは手を離してしまった。やってしまったことに顔を赤らめているアルフィーの前に膝をついて、アンダインが彼女を見上げる。

「お前が望むなら、ここに居るぞ」

「そ、その……えと……」

「どうした。お前が望めば帰るし、許してくれるならもう少しここに居る」

- お前が望むことは何でも叶えてやりたい

 先日言われた言葉を思い出す。自分が何を望んでいるかなんて、アルフィー自身にも分かっていなかった。今だって、一人になりたい気持ちと、一緒に居たい気持ちが交錯している。

「……お、お、お茶していかない?」

 アンダインは屈託ない笑顔で頷いた。
 
 アルフィーは、半分誘ったことを後悔した。どうやって話せばいいのか、どんな顔をすればいいのかわからなかった。いつも通りに話そうと思えば思うほど上手くいかなかったが、アンダインはそんなアルフィーの話をいつものように楽しそうに聞いていた。
 
 
 
 アンダインがラボへ通うようになってから紅茶の消費が激しく、アルフィーの食器棚に常備されたそれはとうとう在庫の底がついた。あまり賑やかな場所まで出ていきたくなかったが、アンダインのためにちょっと遠出をして都会まで良い茶葉を求めに行きたいと考えたアルフィーは、翌日朝からシャワーを浴びて外へ出た。
 最近はゴミ捨て場へアンダインと通うことも多いし、毎日訪ねる彼女のためにお風呂へ入って小綺麗にする習慣がついている。以前はセルフネグレクト気味だったのをメタトンに指摘されていたが、アンダインのために身綺麗にし、部屋を片付けているので最近そのお小言も無い。
 ラボに常駐するようになってからは白衣以外の服は手放してしまったので、何時もの格好のままラボを出た。

 
 
 
「アルフィー、居るか」

 アルフィーが出掛けて数分後に留守の彼女を呼ぶ声。アンダインがラボを訪れた。いつもはアルフィーの昼休みや自身の仕事終わりに来ていたが、今日は一日時間の空きを作れず、少しでも顔を合わせようとやってきた。
 もう一度家主の名を呼ぶも、出かけたアルフィーに返事が出来るわけも無く、誰も居ないラボはアンダインの声を反響するだけで、静まり返っていった。アンダインはアルフィーの自室を覗き、研究室も見て歩いたが、会いたい彼女の気配はどこにもない。焦る気持ちで例のエレベーターのドアに手を掛けるが、勿論そこは鍵が掛っていた。

-ガチンッ

 と鈍い金属音を立てながら容赦なくドアの鍵を壊し、こじ開ける。ただ出掛けているだけならそれでいい。だがそうでなかったら…。アルフィーが消えた時、周りはみんな「出掛けているだけだ」と口を揃えていた。楽観視は出来ない。
 さらに失敗だったのは、自分は彼女の電話番号を渡しているのに自分は彼女のそれを知らなかったということだ。毎日顔を合わせていたため、通話記録が無かった。このご時世にこんなこともあるのかと苦笑いが出る。

 見覚えのある研究施設は、以前見た時と同じように薄暗かった。アルフィーの悲痛なメモも同じものだった。2度もそれを辿らなければならないなんて思わなかったが、それでも1度目よりは正気を保っていられた。
 忘れもしない最奥の部屋には、アマルガムたちが自由に寛いでいた。あの時と同じ光景がなかったことに多少安堵したものの、彼女の姿を一目見なければ安心できない。フリスクの言う通り、未来が変わってしまったのなら、アルフィーの結末も変わってしまってもおかしくない。例えばそう、ラボではなく、滝壺に身を投げてしまったとしたら……。
 ソウルが胸を叩く。アンダインは青い顔をさらに青くさせて、ラボの入り口の自動ドアから外に出た。

「アンダイン?」

 ラボの前の十字路を通り過ぎようとしたとき、彼女を呼び留める声で足を止めた。アルフィーが、買い物袋を抱えて立っている。
 アンダインは黄色い姿に駆け寄り、彼女を抱き寄せて胸に押し付けた。塵ではない、確かな感触に大きく息をつく。
 アルフィーの持っていた紙袋が落ちて、紅茶の缶が転がり出た。

「どこへ行っていた!」

「か、買い物に……。どうしたの?」

 腕の中の戸惑う声にアンダインが抱擁を緩めると、アルフィーは彼女の額に浮かぶ汗を袖で拭ってやった。狼狽えた姿を見せてしまったことを少々気まずく思ったアンダインは、笑顔を取り繕うとしたが、上手くいかない。

「お前を失ったかと思って」

「……大げさだよ。ちょっと出掛けてただけ」

「そうか、ごめん。でも」

 アルフィーを腕から離し、アンダインは彼女の前に跪く。アルフィーはそれを見て、いつか参加した城のロイヤルガード隊長任命式の光景と重なり、その恭しさに動揺した。アンダインは恐らく何の気構えもなく自然にやってのけているのだろうが、アルフィーにはなぜか儀式的な謹厚さを感じさせて、緊張が走った。

「私の手の届くところにいて」

 乞われているのに、アンダインの眼差しからは誓いにも似た視線を感じる。アルフィーに首を振る理由も無く、頷いたものの大事な約束をしている気になった。

「なんで……」

「そんなに、理由が欲しいか?」

 幾度と無くアンダインに投げられた疑問。条件や、もっともらしい筋書き。もしそれがアルフィーの不安を取り除くのに必要であれば…… 

「なら、私はお前の騎士だ」

 アルフィーにとってアンダインはユーモアも持ち合わせたモンスターであったが、さすがに冗談を言っている顔でないことは分かる。

「あなたは、皆のヒーローなんだよ。ロイヤルガードなんだよ。わ、私の事は放っといて」

「放っとけない!私の使命は英雄だけど、私の願いはお前の騎士だ」

 アンダインの真っ直ぐな瞳がアルフィーを刺す。それに耐えられなくなったアルフィーは、体を真っ赤にして震えながら両手で顔を覆った。そして、ラボの方へ走って逃げて行ってしまった。

「あ……」

 アルフィーを追いかけて捕まえるなんてことは雑作もないが、アンダインは去っていくアルフィーへ弱々しく手を伸ばしただけで、無理に引き留めることはしなかった。照れ屋で恥ずかしがりなアルフィーに、無理矢理迫りすぎたのではないかと反省し、寂しい気持ちで頭を垂れる。足元に転がった紅茶の缶を見つけ、それを拾い上げるとアルフィーを追ってラボへ入った。彼女の部屋へ続くエレベーターの前に立って、アルフィーの名を呼ぶ。

「気を悪くしたか」

「そんなことは……」

 上から歯切れの悪い震えた声が返ってくる。アンダインは安堵の息を吐きながら、缶をアルフィーのデスクの上に置いた。また明日謝ろう、そう思って出口へ足を向ける。

「アンダイン……!」

 エスカレーターから降りてきたアルフィーが、ラボを去ろうとするアンダインを呼び留めた。

「また、会に来てくれる……?」

「!」

「ああ……その、私……。あなたの事、好きだよ。でも、でも、私の気持ちはあなたのそれより綺麗なものじゃないし、大事に守ってもらえるようなモンスターじゃないから……」

 アルフィーがごにょごにょと何か言い重ねて居たが、アンダインは急に舞い込んだ好意的な言葉に有頂天になっていた。体が熱くなり、破顔するのを止められない。
 新しい時間でアンダインが望むことはアルフィーを救うことであり、彼女が自分に愛着を持ってくれるかは二の次だ。自分の愛念とは天秤にかけられないほど、彼女のそれが軽いものだったとしても、好きな女の子からの好意は嬉しい。

「私の事、好きになってくれたのか?」

「そ、その、だから、好きだけど、でも」

 アルフィーが上手く気持ちを説明できずに言葉を選んでいる間に、辛抱できずアンダインがアルフィーを抱きしめた。心底嬉しそうなため息が耳にかかり、アルフィーのソウルが飛び上がる。
 真っ赤になったアルフィーを離して、彼女が逃げないことを良い事に、アンダインの欲がむくむくと擡げ上がった。

「明日も会ってくれるなら、私とデートしない?」

「へ?!」

「私たちが初めて出会った場所で、待ってるから」

 浮かれきったアンダインはアルフィーの頬に唇を落として、颯爽とラボを出て行ってしまった。

「…………デート?!」

 暫く放心していたアルフィーは我に返ると部屋の端から端をパタパタ走りながら慌てだした。それからクローゼットを開け、白衣しかかかっていないそこに落胆した。白衣を睨んでいても素敵なワンピースが現れるわけも無い。しかし、それは既に目の前に落ちていた。クローゼットの足元に置きっぱなしになっていたアンダインからのプレゼント。彼女は『服』と言っていた。『アルフィーに似合うと思って』とも。
 ボックスを覆うサテンのリボンを解き、蓋を開けると波のように光るワンピースが一着畳まれて入っていた。手に取ると生地の質感心地良く、着心地もよさそうなそれに、鼓動を速めながら袖を通す。サイズはぴったりだ。何より

「素敵……」

 自分の体は嫌いだったが、それはそんな自分の体のラインを強調しながらも美しく見せてくれた。他に着るものもないアルフィーは、明日のデートのためにそれをベッド脇のハンガーにかけた。一日中仕事の合間にそれを思い出してはため息をついて明日の事を考えていた。そして夜、疲弊した頭でベッドに入ると、心配していたような不眠は無く、あっという間に眠りに落ちてしまった。