Hero’s Weaknesses
Selfish Love(18禁ページ掲載)の続き。読まなくても大丈夫です。
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モンスターの子供は皆憧れ、大人は称賛し、人間の子供はその迫力に怯え、大人は畏怖する。熱く、強い、決意の戦士アンダイン。
彼女に弱点など無いと、誰もがそう思っていた。巨大な悪意を持った人間がその矛先をアンダインに一点集中すればあるいは傷をつけられるかもしれないが、モンスターにしては悪意の耐性が強いアンダインは不屈の精神でそれをもはね除けるとも言われていた。
一般的に知られたアンダインのイメージは、悪に厳しく、正義に心を燃やし、甘えや妥協を許さぬような容赦ない姿をしていたが、彼女と親しいモンスターは勿論、違う一面を知っている。それは人間側も興味の対象とするところで、アンダインという話題性の高いモンスターのプライベート情報を欲しているメディアは多く、しかし自ら公に姿を見せるメタトンと違って英雄はSNS発信も積極的でないため、挙ってコンタクトの要望が王の元に届いていた。
フリスクの護衛の立場に立っているパピルスにマイクが向けられたこともあった。
「アンダインの弱点? そうだな、やっぱり、可愛い弟子じゃない?」
スケルトンが大真面目に言うので、彼に聞く人間は居なくなった(アンダインが弱音を吐く数少ないモンスターとして、また、彼女に匹敵する戦闘力を秘めているという意味では間違っていない)。彼だけでなく、アンダインに近しいモンスターは皆彼の騎士の弱点について聞かれると苦笑いをしてはぐらかすので、人間の記者はいつしか「弱点の無いヒーロー」としてアンダインを取り上げるしかなくなっていった。
だが一度、番のモンスターを前にするとその厳つさは鳴りを潜め、隙の無い眼光は弛み、相手を想うばかりに涙を滲ませることもあるなどと、人間の誰に言えば信じるだろうか。
相手に見惚れて物にぶつかり、それを壊したことがあり、一部始終を目撃していたモンスター界のアイドルは事ある毎にそれを思い出して英雄をからかっていたし、その高い身体能力は彼女の愛するトカゲちゃんの前では情けなく腑抜けて骨抜きになり、足を蹌踉めかせることもあった。
当の本人は、昨晩も夜の営みの最中にアルフィーの裸体に興奮して涎を垂らし、我慢できずに前戯もすっ飛ばしてソウルに手を付けてしまったことを、翌日になってから吹き出した慚愧の情のために、いつも以上に眉間の皺を深くしていた。その様子が周囲にはまた威圧を与えていたなどと本人は知らない。
「今日は一段と機嫌が悪い」
「そうか? 逆に良いみたいだけど」
と言った02と01の意見はどちらも正しかった。恥じと反省はあったものの、昨晩も愛する番としっかりソウルを交わらせて気持ちよくなっていたのは事実だった。それを思い出して時にニヤ付き、時に歯を食いしばっている姿は知るモンスターが見れば滑稽だ。
「今なら一本取れるんじゃね?」
と01がアンダインの後ろから得物を構えて近寄ると、あっという間に返り討ちにされ、組みぬかれた様を02にさらして呆れられる。
「良い度胸だな01」
「アルフィー博士の事考えてる姉さん、隙だらけに見えて隙無いんスよね」
「なッ、なぜ私がアルフィーの事を考えていたと断言できるッ」
「鼻の下伸びてたんで」
01が言い終わらないうちにアンダインが一旦は離したはずの部下の袖を引っ張って投げ飛ばしてしまった。
アンダインにも自覚がある。アルフィーを前にすると調子が狂う。それが何故かわかっていないし、原因など探ろうと思ったことはない。しかし、端から見ても解るのであれば当然相手だって自分の体たらくに気づいているはずだ。自分が堪え性が無いばかりに彼女からのアクションを待てず戸惑わせているのはアンダインにとって悩みの種だ。
アルフィーが伝えたいこと、したいこと、それを根気よく待つ。理想だが、果たして自分に出来るのだろうか。
「……アルフィーの為に出来ないことなどないッ!!」
切歯扼腕。次こそは余裕を持った騎士であれ、と決意を胸に宿舎を出る。そして、子供の頃に好んで読んだ英雄譚を思い出した。
地上から落ちてくるそれらを選り好みせず古今東西関係無しに何でも読み漁ったものだ。
愛と忠誠の化身と言われる半神獣の戦士の話では、献身を捧げる王子が一度命じればどんなことでも成し遂げる豪胆さが描かれていた。また別の話では、王の代わりに身を呈して罰を受け、叡知と優しさで妻の呪いを解いた騎士の勇気と賢さが綴られていた。
子供の頃は彼らの強さに心踊らせたものだった。だが今思い出せば、愛する者の為なら何をも恐れない強靭な姿は、現在の我が身からすると見習うものがある。自分だって愛するアルフィーの為なら何だって出来る。その見返りは、相手から返ってくる愛ではなく、自分が彼女へ向ける愛の完成なのだ!
……とはいえ、アンダインにも欲がある。アルフィーから愛して貰いたい気持ちは捨てきれない。そんな煩悩を自覚しつつ、しかし原動力にはなるはずだと言い訳していた。
◇
幾星霜を経ても、アンダインにとってアルフィーというモンスターは心を乱す対象だ。それに理由や理屈は思い当たらなかったし、魚人本人も気にとめなかったが、同棲年数も長いだけにもう少し冷静になりたかった。
アンダインの中でアルフィーは知的で物知り、それなのに可愛らしいという幾重も魅力的な所を持っており、暗さと静けさを愛するトカゲの彼女が、落ち着きのない自分をいつか嫌煙するのではないかという不安も時偶過る。誰に嫌われたって構わないと思っていたが、彼女だけはそうはいかない。アルフィーの感心や愛を獲得するために、出来ることは何でもやるつもりだ。
「お帰り、アンダイン!」
と言った声は聞き慣れた番のものではなかった。帰宅してリビングに入ると、髑髏の友人がソファに座ってこちらに手を振っているのが目に入る。
「なんだ、来るなら連絡しろ。何も用意してないぞ」
「近くに来たから、フリスクが二人に会いたがって」
パピルスが言うのと同時にフリスクがキッチンから茶菓子と紅茶を持ってアルフィーと一緒に出てくる。フリスクはお盆をテーブルに置くと、アンダインの腕に抱きついて人懐っこく微笑んだ。モンスターたちから大事にされて育った彼女は健やかに成長し、身長もアルフィーを超えて青年となっていたが、幼少期から親しんでいるモンスターの前ではまだ少女のように振舞う癖があった。
「またパピルスを連れ回しているのか」
「パピルスだってアルフィーに会いたがってたよ」
「それはそうだね!」
パピルスが頷くのを、アルフィーもアンダインも苦笑いで見ていた。フリスクのわがままをこの髑髏は意に介さないらしい。
アンダインはともかく、アルフィーの仕事は引きこもってデスクに向かうことが多い。そのためフリスクだけでなく、アズゴアやトリエルもアルフィーの顔を見たがって定期的にアンダインに催促してくる。
「晩ご飯の買い物に行かないと」
アルフィーが席を立つのをアンダインが制した。
「私が行く」
「あのマーケット? ねえ、一緒に行って良い?」
アルフィーとアンダインの会話にフリスクが割り込む。近所のマーケットを、フリスクは歩くのが好きだった。
アンダインが少女を伴ってさっさと外出してしまったので、残されたアルフィーはパピルスの隣に座る。
「フリスク、アルフィーに会いに来たんじゃなかったの?」
というパピルスの呟きにアルフィーが笑う。
「さっきキッチンでたくさん話したし、アンダインとも、お、お話ししたかったんじゃないかな」
「そっか!」
パピルスは笑って紅茶に口を付けた。屋敷の外ではフリスクの傍を離れないパピルスだったが、アンダインが少女に伴っているので大人しく待っているようだ。パピルスの余裕にアンダインへの信頼が現れているようでアルフィーは笑った。
「確かに、オレはアンダインと話す機会はあっても、フリスクはそんなに無いかも」
「パピルスは、アンダインとよく話すの? お仕事、一緒のことが多いとか?」
「そうだな。”しばしば”って感じかな」
「あの、その……。最近新しく……。んと、例えば、女性モンスターがロイヤルガードに入ったり、した?」
「さあ。そんな話聞かないし、見ないよ。ただ、ロイヤルガードは最近、養成機関が設立されたから、いずれ増えるんじゃないかな」
「そう……」
アルフィーが口を噤んでしまったのでパピルスは首を傾げた。アンダインが愛情故の好奇心からアルフィーの言葉を待つのと違い、彼はただ瞳を隣に向けたまま黙って相手の言葉を待っていた。番の魚人のせっつくような、求めるような視線とはまた違い、パピルスのそれはまだアルフィーにとって焦燥感を煽るものではない。彼はアルフィーに対してメタトンとはまた違った、ライトで純真な優しさを向けており、その他愛ないともいえる親切はアルフィーの気を軽くさせていた。
「た、例えば、フリスクがつれなくなっちゃったら、パピルスなら、ど、どうする?」
「え!」
瞳の深淵の光をちらりと揺らして、パピルスは思案顔をした。急な質問ではあったが、元々彼は会話の流れをあまり気にしない質だ。
「どうしてか聞いちゃうな。フリスクは理由もなくオレにつれなくしない」
アルフィーは俯いた顔をパピルスにそっと戻す。彼はパートナーを信頼している。それに比べて自分はアンダインを信じられていない。そしてそれ以上に自分自身を信じていない。最近、アンダインが素気無いのも、彼女なりの理由があり、もしそうであれば自分の至らなさが原因のはずだと思い込んでいた。魅力的な女モンスターが現れて、自分に向いていたアンダインの気が逸れてしまっても、それを責めることはアルフィーには出来ない。
「んん? それ、フリスクの話? それとも」
パピルスが言わんとしていることが分かって、アルフィーはソウルをどきりと跳ねさせる。そして案の定
「アンダインの話?」
言い当てられて苦笑いを返すしかなかった。
◇
「ねえ、こっそり結婚式したって、ほんと?」
「アルフィーから聞いたのか?」
「秘密だよって」
「ああ、秘密だぞ」
アンダインがニヤリと笑う。アルフィーとアンダインにとって、フリスクは秘密を暴ける特別な存在だ。
「私も、こっそりやりたいな。だってさ……」
マーケットの通りを出て、二人は石畳の整備された路をゆっくり歩いていた。フリスクの手にはアンダインに土産で買ってもらったリンゴが一つ握られている。その鮮やかな赤色を眺めるように少女が瞼を伏せた。
フリスクは今や、モンスターと人間の懸け橋としてのキーパーソンであり、両界の重要人物だ。それが結婚式など執り行うものなら、騎士のそれ以上に話題になる。
アンダインは自分たちが秘密裏に行った式のあらましを、フリスクに得意げに聞かせた。アルフィーには言っていないが、ちゃんと誓いの言葉も用意して、日の出の時間も確認していたのだ。
「意外と用意周到だ」
「”意外” とは何だ」
魚人の仏頂面にフリスクは屈託なく笑った。
「番になったら、相手のこと何でも分かるようになるんでしょ?」
「何でも、というわけではない」
「でも、心が繋がるんでしょ?」
「心が繋がったって、二体のモンスターは別の個体だからな」
総ての気持ちや記憶、感覚や価値観を正確に共有できるわけではないことを、アンダインは簡単にフリスクに伝えた。確かに、こういうプライベートに踏み込んだことを教えてくれるモンスターはあまり居ないだろう。センシティブだが極めてシリアスな話題を、フリスクは神妙に聞いていた。
気持ちは移り変わるもの。そして記憶も更新されていく。当然それに付随して、価値観も感情も変わる。刹那的な繋がりで理解しきることは難しい。
「じゃあ、人間と同じだね」
「そうなのか?」
「結婚しても、お互いのことを思いやることを止めちゃったら、相手のことがどんどん解らなくなっていく」
人間の結婚は紙面上の契約であり、モンスターのようにソウルを通わせることは出来ない。だがモンスターと同じように相手に気を向け、言葉や態度を尽くすことは、モンスターよりエネルギーの重い存在である人なりの魂の交わりともいえる。
人間とモンスターの違いは一見大きいようだが、実は構成要素のエネルギーの純度や軽さでしかない。
「ああ、モンスターも同じだな」
「そうはいっても、アンダインはアルフィーのことをよくわかってるよね」
「……そのつもりだ」
魚人は視線を逸らせたが、すぐに少女にそれを戻して頷く。
アルフィーのことを本当に理解できているか、それに関して絶対的な自信は無く、何年経っても自己に問いかけていた。自分で言った通り個体の違う生き物が完全にわかり合うことは不可能なのだ。とはいえ可能な限り愛する者を理解したいという気持ちは消せない。
言葉を待って耳を傾けようと、アルフィーに対する接触欲を極力抑えていたこともあり、フリスクとの会話を期に改めて振り返る。
「私、パピルスのこと、時々わからなくなっちゃうんだ。だって彼、ずーっと私を子ども扱いするんだから。約束したこと忘れられてる気がする」
二十歳の誕生日に番になるという約束。パピルスとのそれを少女は待っているが、おそらく、彼女と同じかそれ以上に、髑髏の彼は楽しみにしていることだろう。アンダインはほくそ笑んだ。二人が式を挙げるなら参加したいと思うが、フリスクが内密な式を希望するなら辞退しよう。それもまだ数年後のことだが。
「安心しろ。待っているだけだ」
「そうかなあ」
「直接パピルスに聞け。ヤツの気持ちを私は勝手に代弁できんからな。 だがお前の誕生日を指折り楽しみにしているようだったぞ」
アンダインの言葉にフリスクは照れ臭そうに頷いた。
◇
「アンダインに冷たくされてるの?」
パピルスは眉を潜めた。自分の師匠を信じていないわけではないが、彼女は突っ走ると良くも悪くも破壊的であることは友人として承知していたし、特にアルフィーに対しては暴走する傾向が強いことも知っている。魚人の心がこのトカゲから逸れたとは考えにくいが、態度としては予測がつかない。
「彼女はそんなこと、し、しないよ……」
というアルフィーの返答に、然もありなんと頷く。アルフィーの顔がどんどん熱を帯びていくので、パピルスは更に訳が分からなくなった。そして、自分たち以外に誰も居ない部屋なのに、アルフィーは声を潜めて極めて恥ずかしそうに呟いた。
「でも……最近、淡白だなぁって……」
パピルスは反対側に首を傾げ直して腕を組む。アンダインがそんな素振りは見せたことが無いし、見たことも無い。彼女は地下に居た時からずっとアルフィーに対して周りにもわかりやすく陶酔していたし、そのためマネキンやパピルスに当たり、地上に出て番に成って落ち着いたかと思いきや全くそんなことも無く、堪えられなくなるたびに愛弟子に泣きついていたのだ。
「嫌なの?」
「うっ……」
突き放すわけでも無くパピルスが問うと、アルフィーは言葉に詰まる。パピルスには、アンダインがアルフィーの嫌がることをするとは到底思えない。アルフィー本人が求めたか、もしくは何かを嫌がったために淡白な態度を取っている可能性があるはずだが、アルフィーが首を捻って俯いてしまったので、友人の望んだ結果が得られていないことをパピルスは悟った。
「怒らせちゃったのかな……とか、思ったり、その、前は、もっと、こう……」
「イチャイチャしてたもんね」
主にアンダインが外だろうが他者が周りに居ようが関係なくアルフィーの肩や腰を抱き寄せていた。それを見せつけられる周囲の一人であるパピルス含め皆そう思う。言われたアルフィーは更に顔を赤くした。
濃密なコミュニケーションは恥ずかしいし照れるしで、困ることは困るのだが、長年その調子だったアンダインが接触を控えるとアルフィーは途端に物足りなさを感じてしまう。
「勝手だよねっ……。構われると照れるけど、そうじゃないと、さ、寂しい、なんて」
それを聞いてパピルスはニャハハと笑った。アンダインがアルフィーのそういう厄介な感情に振り回され、それと同時にそんな彼女ごと許容しているという事を知っていた。もっと言えば、本心では楽しんでいるのではないかとすら思う。
「アンダインは、アルフィーのそういう困ったところが、可愛いんだね」
「へ?!」
「まあ、困ってるみたいだけど。自分から」
パピルスの言葉は単純だが時に難解で、今度はアルフィーが首を傾げた。アンダインを困らせているのにそこが彼女にとって”可愛い”なんて、アルフィー本人には理解できなかったが、アンダインや遠目で見ているパピルスからしたら合点できる。
アンダインはアルフィーを極度に大事したいと思いながら、戸惑っている姿も含めて愛していたし、そんなアンダイン自身も好き好んで番に惑わされていると、少なくともパピルスにはそう見えていた。そして、今までは理解できなかった師匠の不思議な言動も、フリスクを想うようになった今なら理解できる。
それからパピルスは「あ」と声をあげて、可笑しそうに笑った。
「アルフィーだ」
「何が?」
「弱点」
アンダインにとってアルフィーは強みであり、それと同等かそれ以上に弱みなのだ。アルフィーにかかれば世界の命運を握るような戦士もだらしなく眉を下げて腑抜けにさせることもできる。パピルスはそれが不思議で可笑しかった。だが、彼もまたアンダインと同じように、彼女と同等の戦闘力を秘めながらフリスクの仕草一つでそれを奪われる可能性を持っていることに、気付いていなかった。
アルフィーが理解しきれず返答に困りながらもパピルスにつられて笑う。
「アルフィーは照れ屋だからね! 理由が知りたいなら、オレが聞いてあげる」
「や、だ、大丈夫!」
◇
「パピルスとどんな話をするんだ」
フリスクとパピルスが帰った後。
二人を残して外出してしまったが、よく考えると不思議な組み合わせだ。そう思ってアンダインは言った。パピルスもアルフィーもアンダインを通じて友達になったが、それでも頻繁に交流しているわけではない。一見共通点など無いように思うが、アルフィーとパピルス、そしてメタトンも含めて、昔から「人間好き」という共通点を持っていたのを、アンダインは思い出した。
「フリスクの話でもしてた?」
「ううん、アンダインの……」
と口にしてアルフィーは言葉を切った。
「私?」
アルフィーは口を滑らせた事を後悔した。最近のアンダインは自分が話を終えるまで、もしくはアクションを起こすまで、辛抱強く動こうとしない。勿論、アンダインは以前からアルフィーの話を遮ったりせずじっと黙っていたが、番の腰を抱き、思考を止めるほどの強い視線を送り、其処彼処に唇を這わせ、体だけは躾のなっていない駄犬のように忙しなく相手に迫っていたものだ。
前のように構ってくれれば無理矢理でも何か話すことが出来るのに、とアルフィーは自身の勝手さを分かっていながら思った。そうやって長々と言葉を選んでいるようなアルフィーに、アンダインの方は内心もどかしく思っていた。
「アンダインの、お、お仕事の様子……とか」
「どうせ、変なことを言ったろ」
「そんなこと……。……あ、あなたこそ、フリスクと何話したの?」
質問を返され、アンダインは揶揄う様に笑った。
「お前、フリスクに結婚式の事を教えたな?」
「え! ご、ごめん」
アンダインは「あの子にだけだ」と言ってリビングのラックの写真立てを取った。アルフィーとアンダインのツーショット。思えばこれはあの少女が撮ってくれた写真だ。写真を撮られることが苦手なアルフィーだったが、フリスクが構えたカメラに気を許して珍しく微笑んで写っている。
それを同じ位置に戻してアンダインは続けた。
「人間もモンスターも同じだって話をした」
普段なら反発する意見だろうが、相手がフリスクとなると自然と頷いてしまっていた自分に、今更ながら気付く。
「何が?」
という問いに返答しようとして、アンダインは急に照れくさくなった。愛する相手を理解する行動を続けること、それは人間もモンスターも変わりない。そんな恥ずかしい話題を共有するのも、普段人間に警戒していている自分がそれを口にするのも、悔しい気がする。
「私の話はいい」
アルフィーは振り返ったアンダインを見上げて、少しだけ笑ってしまった。自分の話も、どうせアンダインの話なのだ。どちらにしても彼女の話になる。自分は呆れるほど彼女で頭がいっぱいだ。そう自覚してしまう。
「よくないよ。私、アンダインの話は、い、いつだって聞きたい。アンダインの事、知りたいし」
「もう十分知ってるだろ」
「そうかなぁ……」
アルフィーがテーブルの茶器を片付けて、キッチンへ持って行く。その後ろ姿を見つめながら、アンダインは瞳を揺らした。数えれば地上に出て数年経ち、長い間一緒に居る気がするのに、アルフィーはずっと自分を知りたがる。心を傾けたものに対する探究心が強い。アンダインにはそれが、アルフィーの持っている強い愛の証のように感じられた。
(私に欠けているものだ)
アルフィーは人間を愛している。だからあらゆる書籍を読み漁り、記録データを開いては解析して貪る。夢中になっているひたむきな姿は、昔からアンダインを惹きつけていた。
小心者のトカゲは「私には何も無い」と言うが、アンダインからすれば自分に持っていない物を沢山備えていて、それは今も尊敬の対象だ。
「私も、アルフィーをもっと知りたい。だから……」
そこまで話して首を振った。ここでネタをバラしてしまうのは賢明か。何のために接触を我慢してまでアルフィーを観察していたのか。直接聞いて彼女が素直な気持ちを易々口にしてくれるのなら、アンダインもこんな慣れない小細工などしていない。隠し事も嘘も得意でない己の性分を恨めしく思う。自分はアズゴアみたいに穏やかなモンスターでも無ければパピルスのように純心の優しさもない。アルフィーに対する想いを好き勝手ぶつけてしまっている。分かっていても、今更彼らの真似事をするのは難しい。
アルフィーがシンクの向かいから心配そうに見上げているのにアンダインは気付いた。いつの間にか深くなっていた眉間の皺を緩めて笑って見せたが、感情がすぐ顔に出る魚人のそんな虚勢はあまり意味がなく、アルフィーをさらに不安にさせた。
黄色い足がアンダインの元へぽてぽてと寄っていく。騎士から悲し気な気配を少しでも察知すると、普段逃げ腰のアルフィーも、彼女を放っておけなくなってしまう。
「どうしたの?」
気遣う優しい声と伸ばされる指に魅かれるように、アンダインはアルフィーの手を取った。結局、多少我慢できたところで手が出てしまうのは自分の性分だし、相手の魔性のせいだと、半ば諦めが過る。
「ア、アンダインだって、私の事なんか、もう、随分、知ってるでしょ?」
「うん……」
そう思っていたし思いたい。そんな気持ちからアンダインが頷くと、アルフィーは冗談めかして
「もう、知り尽くしちゃって、飽きちゃった?」
と、言葉を漏らす。
「…………飽きる?」
緩めたはずの青い眉間の皺が再度深くなる。それは瞬時にアルフィーに伝わった。言ってはいけない冗談だったと後悔したが、遅かった。
「私がお前に?」
「あ……そ、その……最近、ちょっと、つれない、気がしちゃって」
「私がお前に!?」
「い、いやっ、えっと、ご、ごめ」
黄色い手を握っていた青い指に力が入る。なぜ自分はこんなにも簡単に英雄の逆鱗に触れてしまうのだろう。アルフィーは急いで言い訳を探した。
アンダインが自分に対して大きな執着心を持っていることを定期的に忘れ、それだけなら未だしもうっかり言葉に乗せてその機嫌を損ねてしまう。忘れた頃に繰り返す軽微な罪。アルフィーは慌てて首を振って項垂れた。
「誤解ですッ、はいッ、スミマセンッ」
「独り合点で謝るなッ!」
そう、アルフィーが謝ることではない。上手く振舞えなかったのは自分である。アンダインは歯痒さに口を曲げて黙った。彼女を弄びがちな自分の行動を少しでも制御したいという気持ちと実践が裏目に出ただけだ。
「さっ、寂しい思いをさせたかッ?!」
「うっ?! や、その、べ、別に私……ッ」
アルフィーは否定しかけたが、数時間前パピルスにハッキリ「寂しい」と口にしてしまった手前、それはどこかでアンダインの耳に入り、自分の嘘は簡単にバレるだろう。何度もそれで彼女を傷付けている事にはたと気付いて、アルフィーは俯いた。
(地上に出たらくだらない嘘はやめようと決めたんだ……)
そんな自分との約束をたまに違えてしまうことはあるが、その度に小さな決意を抱き直す。
「……さ、寂し……ぃ……!」
「?!」
「い、い、良い歳して、さ、寂しいは、無いよねっ!? ちょ、ちょっとだよ!」
アルフィーから直接「寂しい」と言われたのは初めてだ。何と言って返して良いか分からず、どう動いて良いかも分からず、ただ、彼女を寂しい気持ちにさせた自身の不甲斐無さが悔しいのと、素直な気持ちを言ってもらった事の嬉しさが、アンダインの内心で反発し合っていた。
「アンダインは何も、わ、悪くないよッ!! 全然……全然ッ、平気……!」
「ごめんッ!」
アルフィーの言い訳が終わらないうちにアンダインが反射的に膝を折って相手の前に跪く。
「違うんだアルフィー」
「あわわっ?!」
「私はお前の前で取り乱してばかりだ。それで困らせているから」
「えっ、ええ……ッ そんなこと」
「普段はお前に甘えてしまうが、たまには」
アンダインが慌てて弁明を始めるが、アルフィーも同じく慌てて出し、だが両手はしっかり握られているので視線も顔もどこを向けば良いか分からず、こちらをまっすぐ見つめるアンダインと視線を絡めては逸らし、また絡めては逸らしを繰り返した。
アルフィーの戸惑う姿がまた愛しいと思ったアンダインは、自分のそんな思考に気付いて手を放した。
「ぁ……」
「え……」
一瞬、離れてしまったアンダインの手をアルフィーの指が追い縋る様に伸びたが、直ぐにそれは引っ込んで胸の位置に収まった。彼女の意外な反応に、青い手の方が宙に投げ出されたままになった。
(アルフィー!)
相手の名を叫びたいのを堪え、黙ったままもう一度ゆっくりアルフィーの手に指を重ねる。いけないと思いながらも食い入るように相手の瞳を見つめてしまう。青い瞳のわずかな揺らぎも見落とすまいと、アンダインは目を凝らした。
アルフィーは視線に耐えられず瞼を閉じてしまったが、魚人は変わらずアルフィーの瞳が隠れる瞼を見つめた。そこに気を取られていると、重なっていた指を握り返され、今度はアルフィーの指をじっと見つめた。柔い黄色い指が細やかにそそと動くのがまたアンダインの情緒を乱し、扇情する。気付けば開きっぱなしになっていた口を閉じて魚人が喉を鳴らす。
「ご…………ごめん。私が……天邪鬼なこと、するから……。困らせてるの、私の方だ」
「……」
「触れられるのは、は、恥ずかしいけど、離れたら寂しくなっちゃう、なんて、我が儘……だよ……」
叫びたい気持ちを押し殺し、アンダインは首を振ってアルフィーの手を握る指に少しだけ力を込めた。
(お前が望むならいくらでも傍に……!)
(待て、早まるなッ! アルフィーに調子をあわせろッ!)
脳内会議が騒がしい。辛うじて
「そんなもの、我が儘のうちに入らん」
と口にする。
「お前の我が儘なら、いくらでも叶えてやるぞ」
「…………甘やかさないでよ」
徐々に高揚して赤くなるアルフィーの手を、アンダインが引き寄せる。
「ダメなのか? お前は私を甘やかすのに」
「そ、そうかなぁ……」
アンダインの手にひかれてアルフィーが近づくと、彼女特有の暖かい匂いがアンダインの鼻腔を擽った。腰を抱き寄せて黄色い胸に顔を埋めたくなるのを抑え、せめてと思いながらアルフィーの手の甲に、優しく唇を押し付けた。
アルフィーを極力驚かさないように、おずおずと施されるアンダインの愛撫。普段の激しい接触よりマシかと言われれば、変わらずアルフィーのソウルを騒がせ、いつもより緊張させた。
「アルフィー」
アンダインの金の目に鋭く見つめられていると距離感がわからなくなっていく。顔も火照っていく。近くで囁くように名前を呼ばれ、アルフィーはそれだけでまた体を熱くした。
黙ったままの彼女に、無理に言葉を強いることもしたくないアンダインは、ただ名前を呼んだ。
「アルフィー」
大事な名前を口にする。この自分の気持が伝われば良いと願う。
何も乞わないがアンダインの目は、アルフィーの言葉も仕草もソウルもすべて求めていて、それを強烈にアルフィーに訴えていた。
「アンダイン」
焦がれて待った言葉はまさかの自分の名前。アンダインはまた喉を鳴らして我慢できずにアルフィーの腰を抱き寄せる。名前を呼ばれただけなのにアルフィーのそれはアンダインにとって強烈な重力を持っているようだった。
「いつもみたいに……構って……欲しい、よ……」
蚊の鳴くような声で言われて、アンダインの我慢が限界に達してしまった。熱い吐息がアルフィーの胸にかかる。
(アルフィーが一言私を呼べば、従うしかないんだ!)
そう、許可は下りた。なにを躊躇うことがあるんだと、欲望が騒ぎ立てた。結局アルフィーを振り回してばかりなのは変わらないし、彼女の言葉も満足に引き出せないのに、という理性も後悔を訴える。
だが、気付けばアンダインはアルフィーの胸に頬を押し付けて目を閉じていた。跪いて自分の胸で心地よさそうに目を閉じている騎士の額を小さい手が優しく撫でる。
「私を好きにさせるからいつもお前が困るんだぞ」
「アンダインが楽しいなら、い、良いの」
それは先日も紡がれた甘い言葉と同じだった。
― 「私で遊んで、た、楽しい?」
―「楽しいなら、良かった」
「……私を甘やかすな」
「ご、ごめん」
「甘やかすのは私の役だッ」
「え?……ふふ。そうなの?」
確かに、甘やかされているのは自分だとアルフィーはおかしくなった。アンダインから分不相応なほど大事にされている。だからこそ、アンダインに弄ばれても良いと思えるし、甘えてくれるなら甘えて欲しい。好きにしてほしい。それなのに、アンダインは絶対にアルフィーを我がもの顔で扱おうとはしない。
「自覚があるのか」
「な、何が?」
「私を翻弄していること」
アルフィーは驚いた顔をして、また笑った。
「そんなこと言って」
「冗談じゃないぞ」
漸くアルフィーはきまり悪い顔をして「ごめん」と呟く。それを見てアンダインが苦笑いして首を振った。
「アルフィーになら振り回されても良い。お前が安心して私の傍に居てくれたら、それで良い」
言いながらアルフィーの胸に顔を埋める。態度だけはこんなに甘えているのに、何をカッコつけたことを言っているのだろう。自分で呆れてしまう。アルフィーから体を離して、アンダインは立ち上がった。
「……」
― 「アンダインは、アルフィーのそういう困ったところが、可愛いんだね」
― 「まあ、困ってるみたいだけど。自分から」
複雑な表情で見下ろすアンダインの視線に、アルフィーはパピルスの言葉を思い出していた。
もしアンダインがそう思ってくれたとしたら、自分も同じでありたい。どんなに困らされても番を大事にするアンダインと比べると、彼女の眩しい姿に逃げたくなってしまう自分のなんとちっぽけなことだろう。そうアルフィーは思う。
「お前のペースで話をすれば、ゆっくりでも気持を聞けると……。戸惑わせることも無いと思った。つれなくしたんじゃない」
アンダインがそう白状すると、そんな健気な優しさにアルフィーの涙腺が緩む。
「も、もお……。優しいなあ」
青い瞳が揺れる。それだけでアンダインのソウルが揺さぶられる。
(参った)
アンダインがアルフィーを抱き上げて、内心降参する。いかに負けず嫌いな戦士も、番に対しては対抗心がいつもの勢いを失い、萎えてしまう。
(もう懇願するしかない)
「お前の言うとおりにする。何でも私に望め。だから、アルフィーの話を沢山聞かせてほしい」
アンダインはそのまま彼女をソファへ連れて行き、柔らかい腰に腕を回した。むっちりとした尻尾をそっと撫でると、アルフィーは途端に体を真っ赤にしてモジモジと指を遊ばせる。
緊張と恥じらいで中々口を開けないアルフィーだが、それでもアンダインは急かさず、しかし「構って」という要望には嬉々と答えて、いつもより何倍もゆっくりと愛撫し、囁くように話し、じっと言葉を待って熱い視線を投げ続けた。
そんな騎士の献身に応えようと、アルフィーもぽつぽつと想いの言葉を漏らす。その吐息の一つさえも、絶対に聞き漏らすまいとアンダインは思い切り耳鰭を広げた。
焦らされて気持ちは身悶える程なのに今は甘んじてそれを受け入れようと思える自分がアンダインは不思議だった。けれど、顔を火照らせ、息を乱して腕の中で大人しくしているアルフィーを見ていると、彼女を囲って誑かしているのだからこれぐらいの苦しみは受け入れて当然だろう。
(ごめんね、アルフィー)
ソウルセックスとはまた違った想いのやり取りを新しく発見した二人は、飽きずに懊悩しながら忘我の境を彷徨った。
◇
「アンダインはアルフィーに滅法弱いんだ。秘密だよ?」
とパピルスが漏らすので、人間界に「英雄の番が実は英雄より強いらしい」と一部ゴシップが流れて笑いのネタとなったことは、英雄本人にも、番のトカゲにも知る由の無い事だった。
END