魚と蜥蜴の馴れ初め -2- 英雄の訪問

Alphyne
小説
捏造設定あり
連載

「怖かった」

 というのがアンダインとの初対面時の印象だった。アルフィーは地下のあらゆる箇所のカメラを管理しているので、アンダインの姿を見るのは初めてではないし、かのヒーローはどこでも名が知れていたので予てより認知はしていた。
 けれども実際に彼女と対面すると、画面越しに眺めるのとは全く違った。大きな体躯から放たれるオーラは自分のような卑屈な者を覇気だけで払ってしまう迫力がある。
 魔法が得意でないアルフィーには感じることができないが、他のモンスターよりアンダインの体を構成する魔力は強く、濃いのだろうということが、金の瞳の輝きから推測できた。

 音に聞いていた通り、彼女はとてもフレンドリーで優しいモンスターだった。アルフィーの苦手なタイプだ。眩しすぎる。光り輝く存在のアンダインの前で真っ暗な自分が消えてしまいそう。

 滝壺で交わした約束を、アルフィーは信じていなかったし、また彼女に圧倒されるのも嫌だったので、もう二度と会うまいと決めていた。そうでなくてもお互い用の無い関係だ。

 だが、あの数時間の語らいが苦痛だったかと言われればそうではない。

「楽しかった」

(といっても、私がただ好き勝手喋ってただけだったけど)

 呆れられたかもしれない。否きっとそうだ。そう思うとため息が漏れた。
 モニターを一通りチェックし、不審者不審物の通知が無いことを確認すると、地下の研究室へ向かう…という毎日のルーティンに則って席を立とうとした直前。

 ラボの入口の監視カメラに見慣れない影が映った。画面越しでも映える赤い髪が揺れている。アンダインが、こちらへ向かって歩いていた。

(まさか、まさか、こっちへ来る!?)

 その魚人がラボの前の十字路を過ぎて真っ直ぐ向かってくるのを確認すると、アルフィーは椅子から転げ落ちた。声にならない小さな叫び声をあげながら、逃げるように部屋へ駆けのぼる。直後、ラボのドアが開く機械音がした。

「博士。邪魔するぞ」

 よく通る声だ。「聞こえませんでした」と偽ることを許さないような清々しさ。

(ああ、どうしよう!)

 居留守を装っても、百戦錬磨の戦士にそんなものが通用するとは思えない。それに、ロイヤルガード隊長が直々にラボに来るのだから、何か大事な用事かもしれない。

 アルフィーは部屋から声を張り上げた。普段大きな声を出さないのが災いして、震えた情けない声しか出なかった。

「何かご用ですか…ッ」

「別に。近くに来たから寄ったんだ。なあに、長居はしない。忙しいか?」

「あー……そうっ……いや、別に……。あっ、サボったわけじゃないけど、えっと…」

「どうした。トラブルがあるならロイヤルガードに言え」

 これ以上隠れていられないと踏んだアルフィーはエスカレーターのスイッチを切ってゆっくり研究室へ降りて行った。
 彼女の姿をとらえたアンダインが、瞳と同じ金色の牙をむきだして笑うと、アルフィーも笑顔を返すしかなくなる。

「ご、ごきげんよう。隊長様」

「ごきげんよう!博士!」

 ロイヤルな役職に就いている自分たちにピッタリな、上品な挨拶だ。だが、性に合わない。そのチグハグさと、そんなアルフィーが可愛いらしいので、アンダインはまた笑った。アルフィーは首をかしげて汗をかいた。

「急に邪魔して悪かった。息災か」

「ご挨拶に行かないで、ごめんなさい。た、隊長様は、お忙しいかと思って」

「そうだな、家にいないことの方が多いかも。私から会いに来て正解だった」

 豪快に笑っているアンダインに、アルフィーはデスクの椅子を勧めた。散らかった書類を除けて、給湯室へ駆けむと、適当に紅茶を用意する。友人が愛用している上品なデザインのカップを使おうと思ったが、勝手に使ったことを知られたら何を言われるか分からない。小言が止まない友人の顔を思い浮かべながら、咄嗟に隣のカップを取り出した。

「可愛いカップだな」

 そう言われるまで、アニメのイラストが入ったマグカップを使ったことに気づかなかった。
 出会って二回目で子供じみた趣味を披露してしまうなんて…!
 そんなオタクの戸惑いなど知らないアンダインは紅茶を啜る。

「ホットランドは暑いからな。お茶は嬉しい」

「はぁ……」

「……今日は静かだな。この前はあんなに饒舌だったのに」

 などと言って無遠慮にトカゲの顔を覗き込む魚人。ヲタクには居心地悪い。視線から逃れるように後ずさる。

(これだから陽キャは…)

「私の話はつまらなかったでしょう?」

「面白かった!また聴きたい」

「でも、地上や人間の話なんて」

「ダメか? もしかして、人間は嫌いか」

「いいえ!逆に……」

「……好きなのか」

「あ、いや!その……でも、だって、人間は敵だし」

「そうだな。だが人間好きは居る」

 確かに、なにも珍しい思想ではない。この地下世界は人間の文化や技術が此処彼処に散りばめられているからだ。モンスターたちは人間に対して恐怖していると同時に、自分達と全く異なる存在へ不思議な親しみも感じている。
 どんな顔を向けたら良いかわからず、アルフィーの笑顔はより歪んでいった。

「そんな顔するな。取っ捕まえたりしない」

「でも、隊長様は、地上に出たら人間と戦うんでしょう?」

「戦う」

「……に、人間の味方するかもしれない私みたいなのは、き、嫌いでしょ?」

「お前のように戦いを望まないモンスターも居る。それでも、私はモンスターを守るために戦う。お前も守る。安心しろ」

 アルフィーが返答に困っているとアンダインが続けた。

「私には難しい事はわからん。ただ、守るために戦うだけだ。皆が太陽を望むなら、私が取り戻す」

 私にしか出来ないことだ。とアンダインは付け加えた。

「人間を殺すつもりの私とは、仲良くなれんか」

「い、いいえ!そんな……」

 魚人はまた笑う。良く笑うモンスターだとアルフィーは思った。

「アズゴア王だって好戦的な奴じゃない。だからこそ、私が付き従わなければ彼は負けてしまう。誰も…王すらも非情になれないのなら、私がやるしかない」

 その言葉は、アルフィーには悲しいものに聞こえたが、本人がどういう気持ちで言ったのかはわからなかった。アンダインは相変わらず根暗ヲタクには眩しすぎる笑顔で笑っている。

 アルフィーは、最近顔をみていないアズゴア王を想った。目の前の英雄よりも穏やかに笑うあの王は、彼女の言う通り、戦の途中で悪意に絶望してしまうかもしれない。

「……アズゴア様は、優しいから」

 対面の魚人は頷いた。

「強いのにな」

「あなただって、強くて優しい」

 その言葉に、アンダインは眉を寄せてニヤリと笑った。狂気的な笑みを向けられたアルフィーは肩をすくめる。この魚人のモンスターは一見単純に振舞うのに、その気持ちを読み取るのは難しい。

「……王直属のよしみで教えてやる。私はモンスターに情けをかけても、人間には容赦しない。アズゴアとは違う」

「そ、それは……やっぱり、優しいから」

「え?」

「誰もしたくないことを、笑って引き受けようとしてる隊長様も、やっぱり優しいのよ」

 そうじゃないのは、私だけ。という言葉をアルフィーは喉の奥に引っ込めた。アンダインが黙っているので途端、不安になる。

「お、お茶のお代わりは?」

「いい。邪魔したな」

「わ、私、なにか気に触ることを」

「いいや。むしろ、また今度、話がしたいから。約束して」

「約束って……」

「次は私の家へ招待するから」

 そう言って、アンダインは席を立った。そして、彼女は最後まで笑顔のままラボを後にした。それなのに

「きっと怒らせた」

 とトカゲは一人胃を痛めるのであった。