Memories of Soul 3

Alphyne
小説
連載

 毎晩夜になると、アンダインはベッドの端で眠るアルフィーの寝顔をじっと観察した。どこかに記憶を呼び覚ますものが無いかと探ってはみるものの、それが功を奏したことは今のところ無い。
 トカゲの閉じた瞼を見つめるうちに、ソウルの高鳴りが緊張なのか戸惑いなのか、別のものなのか区別が付かなくなっていった。長い睫にいつかどこかで何度もときめいたような気がするが、やはり、覚えていない。

「……っ」

 我に返り、誰かの寝顔をうっとり見つめている自分を客観視して急に照れ臭くなった。唇を引き伸ばして緩んだ気を引き締めると、サイドテーブルのスマートフォンを手に取る。アルフィーの写真の待ち受け画面が表示された。
 これがいけない。待ち受けを変えてやれば変な気は起きないだろう。そう思って味気ない初期設定の画像に変更しようと設定画面を開いた。
 そこで、指が止まる。そもそも、意味もなく自分が背景設定など面倒なことをするだろうか? 待ち受けにするほど、彼女を気に入っていたのではなかったのか。
 スマホを枕元に置いて再びアルフィーに視線を戻す。

(番だったのではないか)

 という仮説はずっと頭の隅にあった。そうだとしても、アルフィーの口から「友人だ」と話されていたところ、向こうは番の関係を不満に思っていた可能性がある。だが、仲が悪かったような空気は感じられない。

(密かに、嫌われていたのだろうか。それとも私の片想いだった……?)

 そう推測した。気の弱そうなアルフィーに、無理矢理迫って同居を強いているのではないか。そうであったら彼女が気の毒だ。
 アルフィーが寝返りを打って身体を丸めると、そっと瞼が開いた。眠気眼をぼおっとこちらに向けている。アンダインはその微睡んだ瞳に視線を奪われ、釣られたように声をかけてしまった。

「私の事、嫌いだったのか?」

「好きだよ」

 寝ぼけていながらもそう呟くアルフィーに、アンダインのソウルが飛び上がった。それから数秒後、アルフィーはぱちりと目を開いた。

「…………えっ、な、なに? 急にそ、そんなこと聞いて」

「いや、そ、その……!」

 アンダインも自分の質問の意図をどう説明して良いかわからず、返答に困り言い淀む。
 同居者に嫌われていないことを一旦は安心したが、そうであれば益々この状況は分からない。アルフィーの言う通り、仲の良い友人同士でルームシェアをしているだけなら、自分が彼女に抱いている複雑な感情は、少々厄介そうだ。アンダインは頭を振った。

「アルフィーは、誰か……。想ってるモンスターとか、い、居ないのか?」

「へ?!」

 これも我ながら唐突な質問だと思う。だがもし、アルフィーが他のモンスターを想っていたら、この関係も理解できる。
 ただの世間話を装うために笑顔を取り繕おうとしたが、アンダインは上手く笑えなかった。

「そ、そそ、そんなの……ッ」

「い、居るのか?」

 目の前のあなたがそうです、とも言えず、アルフィーは黙る。戸惑う相手の様子に、アンダインの方もソウルが音を立て始めた。

「どうなんだッ?」

「いいい居ないよッ」

 アルフィーが叫ぶと、アンダインは開きっぱなしだった自分の口をゆっくり閉じた。アルフィーを戸惑わせてしまったことを反省して、視線をベッドに落とす。 

「……番だったんじゃないかと。私達」

「へ!?」

「なんとなく。勘違いだ」

「……」

 アルフィーが咄嗟についてしまった嘘。だが、今更本当のことを言うのも気が引けるし、白状したら嘘をついていたことを咎められてしまうかもしれない。

(私って本当にダメだ……)

 こうして勝手に落ちていく。罪悪感と自己弁護心から、アルフィーは苦笑いを浮かべた。

「で、でも、別に、アンダインだったら……か、可愛い女の子を選び放題だし、わ、私と番じゃない方が、良かったでしょ?」

「え……」

 アルフィーの言葉に一瞬反論したくなったが、アンダインはそんな自分の気持ちの根拠も解らず、言葉が出なかった。
 好きになる相手は誰にとっても自由だから「相手を選び放題」はある意味正しい。しかしアンダインはそもそも誰かと番に成りたいと願った事が無かったし、だからこそ「もしもそれがアルフィーだったら」という希望を持っている自分が不思議だった。

「私は誰かと番になろうと思った事は無い」

「そ、そっか……」

 そこでもう一つの推理が、アンダインの脳裏に浮かんだ。嫌われていたのではなく、アルフィーに片思いされていたのだろうか。自分は番の関係を拒んだものの、友人として一緒に暮らしているということだとしたら。

(なんだそれは……!)

 記憶を失う前の自分がもしそんな勝手な選択をして相手の心を弄んでいたとしたら……。自らに殴りかかりたくなる。アンダインは身体を起こした。

「アルフィーは私の事が好きなのか?」

「ええっ!? あ……ああ~……そのぉ……っ それは、好きだけど……」

「私と番になりたかったんじゃないか? 私はそれを拒んだのか?」

「い、いやっそ、それは……!」

「お前が好意を持ってくれているのを良い事に、身の回りの世話をさせていたんじゃないか?!」

 そうであれば、アルフィーの甲斐甲斐しさも納得である。
 記憶喪失のアンダインを気遣ったアルフィーは相手の身の回りの殆どを世話していた。アンダインが呆れて「自分で出来る」と断ったが、アルフィーからすれば、自身が以前同じように記憶障害に陥った時にされた事を返しているだけだ。
 アンダインの気迫に、アルフィーも体を起こした。

「そんなこと……っ、してないよ!」

「……本当だな?」

 アルフィーは思い切り顔を縦に振った。アンダインが誰かを使用人のように扱うなど在り得ないし、誰にも……勿論本人にも、そんな誤解をさせたくない。
 そうして数秒の沈黙の後、アンダインがベッドの上で胡坐をかいて、漸く納得した顔をした。不健全な関係で無いのは本当らしい。

「アルフィーの事を、もっとよく知りたい」

 単なる仲の良い友人関係だとしても、どんな仲だったのか知りたかった。自分達は何処で出会って、どのように交流を深めたのだろうか。
 一方問われたアルフィーは自分の事などあまり話題にしたくなかった。ましてや愛している相手に二度も醜態の体を曝け出すなど。それに、今のアンダインに本当のことを言って、番どころか友人関係も解消されてしまっては悲しい。

「わ……私の事、なんか……知らなくて良いよ」

「えっ?」

「知らないままで、いてよ……」

 予想外の解答に、アンダインは目を細めてアルフィーを見つめる。

「記憶を失う前の私も、お前の事を何一つ知らなかったのか?」

 その返しにアルフィーのソウルが震えた。アンダインが忘れたことを良い事に、また自分は嘘に嘘を重ねている。二人の関係も隠していれば自分の醜い過ちも隠している。嘘どころか罪も重ねている自分に恐ろしくなって、アルフィーは俯いて黙り込んでしまった。じわりと後悔の涙が浮かぶ。
 アンダインは青く潤む瞳に目を見開いた。

「何もかも、知られてた。忘れて欲しかった。は、恥ずかしいところ、ばっかり……だから、私……」

「……」

「それでも……! 貴方は私の事、だ、大事にして、くれたよ。優しいから……だから……」

 だから、自分の事など忘れて欲しかったのだと、アルフィーは数日前の自分の願いを思い出した。偶然にも本当にそうなってしまったのだけれど。

「だから、変な心配しないで、いいよ」

 アンダインは暫く押し黙った。アルフィーが沈黙に耐えられず口を開きかける前に、アンダインが「隠したいのかもしれないけど」と呟いた。

「何もかも知っていた私が、お前を大事にしていたという事は、ありのままのお前の事を好きだったということだ」

 アルフィーについて何も覚えていなくとも、アルフィーを想えば心が震えるし、ずっと寝顔を眺めていたくなるのは、記憶ではなくソウルが彼女を覚えているからだ。それが正しければ、自分は彼女が好きだったのだろう。例え小さなトカゲが哀れな境遇だったとしても、アンダインはそれだけで誰かを特別に扱うような情けは持ち合わせていない。自分でもそんな巧緻な事は出来ないと解っている。己は英雄であり、あまねくすべてのモンスターを悪意から守るために生きているのであって、繊細な慈善活動は別のモンスターの使命だ。
 だからもし、自分が誰かを特別に想っていたら、それは本当に相手を愛していたと言うことだった。

 自覚すると途端、アルフィーに対して愛しさが募り始める。今までは記憶を失ったことでアルフィーに対する単純な感情がかき消されていたが、今のアンダインにとって記憶など些細な問題と成り下がっていた。
 では、彼女と友人ではなく、より特別な関係になりたいという衷情を、もう一度(かどうかは解らないが)訴えるのは無駄な事ではない。

「アルフィーのこと、好きだ」

「……え?」

「友達じゃなくて、番になりたい」

 友人同士で同棲している理由が何かあったのだろうが、アンダインはそれをよく考えもせずそう言った。もしも以前振られたのであれば、もう一度振られたってこの関係が続くだけだ。
 アルフィーの涙が引っ込む。しどろもどろに黄色い指を動かす様を見ながら、アンダインはつばを飲み込んだ。

「い、嫌なら、今のままで良い!」

「あわ、ご、ご、ごめん、私、ああの、でも、ほら、だって、私たち友達だし……!」

 言いながらアルフィーは内心、頭を抱えたい気持ちになった。どうして嘘をつき続けてしまうのだろう。アンダインの表情が落胆を浮かべているのがチラリと見えてしまい、更に落ち込む。

「き、急に、言われたから、その……」

 と、適当な言葉が口をつく。急でもなんでもない。その場を取り繕う事を言っても仕方ないのは分かっていた。

 アルフィーの言葉が半分予想していた解答だっただけに、アンダインは「そうか」と言って引き下がった。しかし、すぐに顔を上げる。
 「急に」ということは、自分はこの気持ちを隠していて、彼女にまだ想いを伝えていなかったことになる。アルフィーが戸惑うのも当然だ。アンダインは唐突に伝えてしまった大事な告白を、せめて今からでも印象良く振る舞おうと背筋を伸ばした。

「急にとは言わん」

「へ……?」

「今は私を友達としてしか見れなくても、今後は分からないじゃないか」

「……」

「他に好きなやつが居るってわけじゃないなら、今はお前の一番は私だよな?」

「そ、それは……そう……」

 アンダインは満足そうに微笑んだ。

「其れで良い」

 どうやら片思いは自分の方だったらしい。アンダインは複雑な気持ちになったが、それでも嫌われていないのならもう一度プロポーズの機会は来るだろうと、期待を込めて笑った。
 
 
 
  ◇
 
 
 
 騎士隊長のオフの日は、直近の私的な混乱で放置しがちになっていた掃除から始まった。アンダインが軍手をして、アルフィーが掃除機を構えて始まる。力自慢の魚人が家具を持ち上げ、その下を小さいトカゲが掃除機を走らせる。その繰り返し。
 換気しながらの清掃は清々しいもので、アンダインは地上の空気を気に入って、何度も部屋に通る風の匂いを吸い込んだ。

「散歩に行きたいな」

 そう呟く。勿論仕事ではなく、プライベートで地上を観光したいという意味だ。
 アルフィーは小さい箱を持って玄関棚の前に設置した脚立を登ってその呟きを聴いていた。アンダインが下で脚立の足を支える。

「私たちは一緒に出掛けたりしなかったのか?」

「よく出かけたよ。と、都内の公園、とか」

「行きたい!……覚えてないから」

「う、うん。行こうね」

 その時、落としかけた箱を庇おうとアルフィーの体がよろめき、アンダインがとっさに黄色い手を取って彼女を抱き寄せた。一瞬の間、固まる二人。

(マズかったか?)

 どこまでアルフィーに触れて良いのか解らず、距離感も掴みきれていないアンダインはそれでも時折無性に相手に対する接触欲求を覚え、むず痒い衝動をもて余していた。頬を叩いてみたり、伸ばしかける腕を叩いてみたりと、自分でも不振な行動を取っているのを自覚している。

(今は仕方ない!)

 安全性を言い訳に、そのまま脚立から降ろしてやる。不自然にならないようにアルフィーの体からさっさと離れた。

「……高い場所は今度から私がやる」

「あ……あり、がと」

 自分の武骨な指数本にすっぽり収まってしまったアルフィーの手。見れば彼女はどこもかしこも柔そうで、自分の指一本で簡単に潰れてしまうのではないかと恐ろしくなる。
 こんなに真逆な二人が同棲して問題無かったのだろうか? 繊細な相手と一緒に暮らして怪我をさせはしなかったのかと、細々した心配が浮かんだ。

「私はアルフィーを傷付けたりしなかったか?」

「え! そんなことないよ! 貴方は優しいから、私のこと凄く、優しく……えっと……」

 アルフィーの頬がさっと赤くなる。彼女が何を思い出しているのか、アンダインには予想することしか出来ない。少しぐらい、甘い関係ではなかったのかと期待してしまう。

(……ええい! 過去の事などどうでも良い!)

 と、気を持ち直す。いつまで経っても戻ってこない記憶に頼って手をこまねいていてはなにも始まらない。アンダインの気質上、展開が変わるのをじっと待つなどということは出来なかった。

 だが、こんな時友人のパピルスなら何とアドバイスをくれるだろうか。彼は別に恋愛アドバイザーでも何でもないが、その純粋すぎる視点からアンダインはいつも様々な事に気づかされる。
 パピルスは王の不在時に、アズゴアが大事にしている花畑の世話を任されていた。丁度水やりをしているところをアンダインが見つける。そして、彼に事情を話して一番最初に返ってきた言葉は

「大丈夫!」

 というシンプルなものだった。あまりにも単純過ぎて、アンダインは眉を寄せる。

「何がだッ! 話を聞いてなかったのか。私は脳震盪を起こして」

「それって、頭で忘れちゃっただけでしょ?」

「……」

 頭で忘れる以外に「忘れる」ことがあるのだろうかとアンダインは口を曲げた。

「アンダインは別に、アルフィー博士を頭で愛してたんじゃないもんね」

 その言葉に反論できずに自身の閉じた口元を撫でた。
 彼の言葉を聞いて解ったことは、自分はやはり彼女を愛していて、それはパピルスの知るところだったということだ。

「それは、そう……かどうかは解らん! なんせ忘れてるからな」

「忘れたら、アンダインの気持ちが無かった事になっちゃうの?」

 アンダインがうっと唸り声をあげる。
 丹念に磨かれた鏡が正しく相手を映すように、パピルスは相手を悟らせるような言動をするわけでも無く、余計な解釈も加えず、ただ思っていることをそのまま返してくれる。彼の言葉にはアンダインも同意見だった。自身は既にソウルに刻まれたアルフィーへの執着心を雑感として受け止めており、問題はそれをどう整理するかだ。

 アルフィーが言いたくない過去を背負っているのは明白で、自分はそれを知っていた筈だった。思い出すべきなのか、忘れたままがいいのか、はたまた聞き出せばいいのか、そっとしておくべきか、その問いはずっとアンダインの脳裏をぐるぐると駆け巡っている。

「アルフィーから話して貰えるようにできないか」

「オレそんな方法知らないよ」

 パピルスは言いながら足元に広がる金色の花びらをぽんっと撫でる。

「知ってるのは、オレはフリスクの手伝いで忙しくて、それがエキサイティングってこと!」

 フリスクというのがモンスターを解放した人間の名だということは既に聞いていたし、アンダインも仕事で何度か少女と出会っていた。悪意を微塵も感じないフリスクの微笑みは「伝承の天使が彼女を指すならそうなのだろう」と騎士に思わせた。
 アンダインはパピルスの理解不明な言動を聞き流しかけたが、数秒黙った後顔を上げる。

「お前の言う通りだな。アルフィーが嫌と言うなら仕方ない。私は普段通り振舞うだけだ」

 どんなに愛していようが繋がっていようが他者である限りコントロールなどできない。知れるのは自分の気持ちであり、出来るのは自分の行動を決め、実行することだけなのだ。アルフィーがどんな後ろめたい自分を隠していても、それを知っていたのなら、もう一度詮索せずとも普段通り接すれば良い。
 アンダインは自身の言葉に頷いて、中庭を去っていった。取り残されたパピルスはまばたきしながらアンダインの背中を見送り、

「オレそんなこと言ったっけ?」

 と呟いた。