怖い顔して拗ねないで

Alphyne
小説
甘め

※2023年バレンタインネタです。
※「Memories of Soul」の続編的なものですが、読まなくても大丈夫です。
 
 
 
 アンダインはカッコイイ! それはもう揺るがない事実なの! ええ、みんな解ってるよね。
 私が彼女と出会った時、アンダインはスマートに私を滝壺からラボまで先導してくれたし、話を聴いてくれたし、ああ、今でも覚えてるけど、自分の電話番号をメモした用紙をさっと渡してくれた。そんなことが様になるの彼女ぐらいでしょ? 
 それに、いつも「アルフィーは可愛いな」って言ってくれる。そんなお世辞を言っても嫌みが無いのはアンダインが優しいから。……えっと、まあ、たまに大暴れして物を壊したりするけど、わざとじゃないし。スケールが大きいせいだよね。口が悪くても下品な冗談を言っても、やっぱりどこか気品があるっていうか、そういうオーラが出ちゃうのよね騎士様は。

 ……と、アルフィーの口から流れるようにつらつら語られる言葉をしばらく聞いてから、メタトンはオーバーに手を叩いて笑い出した。彼が何を面白がっているのか解らず、分厚いレンズの眼鏡の奥でアルフィーの瞳がきょとんと見開く。

「無い無い。彼女のどこにそんなもの感じるの」

「えっと、こう、なんとなく」

「アルフィーはヒーローに夢中だから、贔屓目でそう見えるのさ。可哀想に」

「可哀想ってなに」

「恋に盲目ってこと」

 アルフィーはむっと唇を曲げた。メタトンは彼女のそんな素の表情が好きだった。単純に友人が可愛いというのもあるが、彼女の偉大なる推し様―アンダインには絶対向けない顔だと分かっているからだ。アイドルはお忍び用にかけたサングラスをずらして彼女の表情を確認し、またサングラスをかけ直した。
 
「ファンだもの」

「ファンねえ」

 何を言っているんだこのトカゲちゃんは、と言いたくなる。二人はファンとアイドルのような遠い関係ではない。お互いを唯一無二とするパートナーなのだ。
 アンダインが悪いモンスターじゃなくて良かったとメタトンは心底思う。地下のモンスターに悪人は居ないが、それでもアルフィーは憧れの相手に直ぐ心酔し、無理な献身を向けてしまう癖があり、彼はそこを心配していた。

「一緒に暮らしてるんだから、カッコ悪いところも見てるでしょ」

「え……?」

 いくら完全無欠のヒーローでも、オフの顔ぐらいあるだろう。プライベートでは、だらけた姿も晒しているかもしれない。勿論そうであればアルフィーは知っている筈だ。だが、メタトンに言われても、そんな姿は思いつかないといったような顔でアルフィーは思案していた。

「君だけに見せるロマンチックな顔とかしないの?」

「ぎゃッ」

「『ぎゃッ』て……」

「や、その……」

 途端に赤くなったアルフィーがモゴモゴ何かを言っているがメタトンには聞こえなかった。たとえ彼女が何を言い訳していても、二人の親しいモンスターたちは知っている。周りに誰かが居ようが居まいが勝手に甘い世界を構築して、アンダインがアルフィーに対して甘ったるい視線を送っているという事を。
 なので、メタトンは「今更なにを照れているのだ」という気持であった。

「そうで無かったら、君に甘えきってだらしなくしてるんじゃない?」

 言われて、アルフィーは黙る。

「……いっそ、甘えて我が儘言ってくれたらなぁ……」

「……どういうこと?」

 メタトンはアルフィーの顔を一瞥した。

「最近、アンダインを怒らせちゃったの」

「痴話喧嘩でしょ」

 アルフィーが俯いて首を振った。

「嘘、ついちゃって……」

 メタトンは足を止めた。アルフィーがそれに合わせて立ち止まる。

「アンダインが君に怒るような嘘なんか、思いつかないよ。きっと気のせいだ」

 メタトンの言葉は半分当たっていたが、アルフィーが先日アンダインの逆鱗に触れたのは本当だった。相手が記憶喪失になったことに戸惑ってつい関係を偽ってしまった。その事はアルフィーが思う以上にアンダインにとってショックだったが、メタトンの言う通りそれでアンダインがアルフィーに対して怒りを向けることは無かった。
 いっそ責められた方がまだマシだと思うのに、そんなアルフィーをアンダインは責めることはない。

 それに、そもそも今日メタトンが呼ばれた理由は「アンダインからの贈り物のお礼をしたいから、探すのを手伝ってほしい」というものだった。アンダインが怒っているなら、その相手にわざわざプレゼントなんかしないだろう。英雄様は相変わらずこの黄色い友人を溺愛しているらしい。

 アルフィーはアンダインに何か物を贈る時、決まってメタトンに相談する。自分では洒落たアイテムが思いつかないと泣きかれて、メタトンは面倒臭そうにため息をつくものの、決まって付き合ってあげては良いものを見繕ってくれる。
 メタトンは傍の売店に目を向けた。

「ほら、アルフィー、こんなのどう?」

「綺麗……!」

 二人が歩いているのは都内のデパ地下。ショーケースの中の装飾美しい菓子がアルフィーの目に飛び込んできた。

「年越したと思ったら、もうバレンタインだね」

 アルフィーが呟く。人間社会の流行の移り変わりの速さには、メタトンも目が回りそうになる。地下出身のモンスターといえどもアイドル活動をしている彼はその波に乗らなければならないが、それは同時に彼にとって目まぐるしくも楽しいものだ。

「既製品も良いけど、手作りのお菓子も良いんじゃない? そっちの方が、アンダインは喜ぶと思うけど」

「私が作ったものなんて……。それに私、魔法、と、得意じゃないから」

 メタトンはふうんと相槌を打つが、内心では同意しかねた。アンダインならどこぞの高級チョコレートよりアルフィーが作る拙い菓子の方が嬉しいだろう。確かに彼女は炎を上手く扱えないが、METAブランドのコンロを使ったって、かの魚人様は文句無いはずだ。

「今回は何を貰ったの?」

 アルフィーがコートを少し開けて纏っているワンピースを見せた。ビッグカラーのついた上品な花柄のそれは、フェミニンかつモードでクラシカルなデザインだ。

「ファッションセンスは良いんだよな。彼女」

 メタトンはアルフィーのコートの襟を撫でて言う。
 改めて二人はショーケースに視線を戻した。可愛らしい絵のアイシングクッキー。鮮やかにフルーツの乗ったタルトレット。カラフルなマカロンのセット。装飾の凝ったラスク。甘いのが得意でない彼女には、有名製菓店の抹茶を使ったチーズケーキなんかも悪くない。色々見ていけばいくほどアルフィーは余計に迷っていった。

「わぁ……!」

 思わず足が止まる。貝や魚、サンゴ等、マリンなイメージのチョコレートが並ぶショーケース。高級チョコレートを販売するので有名なブランドの、新作ギフトらしい。

「可愛いね」

 彼の言う通り、可愛い。アンダインの好みじゃないかもしれないとアルフィーは思った。だが、マーメイドをイメージした菓子の詰まった缶は宝石箱のようにキラキラと輝いて、アルフィーはそこから目が離せなかった。魚人の彼女にピッタリだと思う。

「これを見て彼女を思い出すなら、いいんじゃない?」

 どうせなら見目麗しい物が良いだろうと、メタトンは背中を押した。
 
 
 
  ◇
 
 
 
「今日は誰かと出かけてたのか?」

 アンダインが帰宅早々アルフィーを問い詰めた。勿論、いつ、どこへ出かけるかはアルフィーの自由で、お互いが身に着けているウェアラブルアクセサリーが位置情報を常に相手へ知らせているので、わざわざ外出先を知らせる必要も無い。それでも普段アルフィーは、外へ出る際にアンダインへ事前にそれを知らせていた。ところが今日は黙って人間の居住エリアへ足を運んでいたので、アンダインはGPSアプリを見ながら訝しんだ。

 ちょっとしたサプライズのプレゼントについて明言したくはなかったが、それ以外に特に隠し事も無いアルフィーは頷く。

「メタトンと」

 アンダインは「ふん」と鼻を鳴らして、ジャケットをソファの背もたれに投げ掛けた。自身の髪止めも雑な仕草で解いてしまう。メタトンと自分は相性の合わない相手だが、アルフィーの良き友人である彼が一緒ならば比較的安全だ。だが少しだけ気に食わない。

「買い出しなら、私とでも良いだろ」

「えっ……。うん……」

 普段着になり、ソファにどかりと座ったアンダインの隣に、釣られるようにアルフィーが座った。それを確認すると、魚人はトカゲの膝に頭を乗せてその柔らかい腹に顔を埋め、彼女の腰を抱いた。アンダインが前触れもなく触れてくるのはもはや珍しい事ではないが、心の準備が出来ていても、結局はいつもアルフィーをどぎまぎさせる。
 黄色い足を伝いソファの下まで無造作に流れる赤い髪を、アルフィーは指でまとめるように掬い上げて梳かした。

(地下の頃を思い出すな)

 ラボの自室を思い浮かべる。二人が出会ってから暫くしてアルフィーの部屋で人間のアニメやドラマを鑑賞するようになると、体内時計だけは規則正しいアンダインが零時を過ぎたあたりからアルフィーの膝で眠りこけるようになった。今でもアンダインは好んで狭い膝の上に頭を預けることが多い。

「覚えてるかな。ラボで一緒に、アニメ観ながら、アンダインが寝ちゃって……。その時も良く、ひ、膝枕してた。こんな風に」

「……あの時と今は違う」

 当時は目を覚ます度に謝っていたアンダインだったが、今は当然のような顔をして膝どころか腹にも顔を埋め、番になったアルフィーを好き勝手に抱いている。関係が変わったのだから、フィジカルな触れ合いの意味も違ってくるのはその通りだ。

「そう、だね……」

「私たちはもう友達じゃない」

「そ……だね……」

 アンダインの声音から不機嫌を感じ取ったアルフィーはたじろぐ。喪失した記憶を取り戻してから魚人は不機嫌な顔をすることが多くなった。だからと言ってこちらを責めたり乱暴したりすることは一切無かったが、吊り上がった眉が眉間に皺を作る度にアルフィーは自分のを責め、睨むような相手の視線を甘んじて受けている。
 アンダインが身体を起こし、金の瞳でじっとアルフィーを見つめた。

「……なあに?」

「何も」

「そ……」

 アルフィーが視線に堪えられなくなって目を逸らす。

「番同士が見つめ合うなんて普通だ」

「う……ん……」

 そうかなあ、なんて思いながら頷いた。アンダインの手が、這うようにアルフィーの背中にまわり、腰を抱き寄せる。そうすると、アルフィーのソウルが煩いほど跳ね上がった。

「友達じゃこんなこと、出来ないだろ」

 有無を言わさぬオーラに再度頷くしかできない。じりじりと距離を詰められて、アルフィーは逃げられないことが解っていながらも逃げ腰になった。憧れの相手の顔が至近距離にあるのに冷静でいられるオタクが居るだろうか(否、居ない)。そのままソファのひじ掛けに押し倒されてしまう。
 ささやかな抵抗を腕に感じたアンダインは口を曲げた。

「私を煽ってるの?」

「えっ……」

 言われ、自分のどこの言動が彼女を煽ってしまったのかアルフィーは頭を巡らせる。アンダインの帰宅から彼女が不機嫌だったのを思い出し、無断で出かけたことを責められているのかもしれないと憶測した。元はと言えば彼女へ贈るチョコのための外出であり、隠すことではない。

「き、今日、メタトンと、バ、バレンタインのお菓子を買いに行ってたの!」

「ばれんたいん?」

「人間のイベントで、だ、大事な相手に、お菓子を贈る日、だよ」

「な、なに?! 聞いてないぞッ!」

「地下には、無かったもんね」

 資本主義社会が主流な人間世界の企業戦略のイベントでもある。地下にはそういったものはあまりない。
 しかし、何とロマンチックな日だろうか。そうと知っていたら、アンダインは勿論アルフィーに何か用意しようと思ったし、ロマンチックな夜を考えていただろう。アンダインから十分贈り物をされていたアルフィーは、あえてそれを教えなかった。たまには自分が彼女を喜ばせたい。そんなアルフィーの思惑が、更に誤解を生んでいることに本人は気付かなかった。

「それで、あいつと出かけたのか」

「そ、そう」

 冷蔵庫に入っているチョコを見せたくて、アンダインの腕から出ようと試みたが、アルフィーの腰に回された腕に力が入り、それは叶わなかった。
 赤い右瞼が痙攣するようにひくつく。アルフィーがメタトンとデートをしていたなんて馬鹿らしい妄想だと頭では分かっていたが、それでも沸き上がる苛立ちを抑えられない。

「はは……。分かっている。私は勘違いなんかしない」

 自らに言い聞かせるように呟いたが、自分でも声が震えているのがわかる。待て待て、勘違いも勘繰りも止めろ。何か理由があるはずだ。メタトンはアルフィーの「大事な友人」なのだから、菓子を贈る相手として相応しいだろう。そう冷静さを装って何度も脳内で反復してみるが、苛立つ声は

(理由などどうでもいい! アルフィーにとって結局私は何なんだ?!)

 と身も蓋もない疑問を叫んでいる。
 アンダインが無意識にたてる歯ぎしりにアルフィーが背筋を凍らせた。弁明のための言葉は効果無しであるばかりか、より一層アンダインを怒らせているように感じられた。

 アルフィーから怯えた気配を感じ取り、アンダインは我に返る。自分の苛立ちの誘因は結局、勝手な独占欲であることは既に解っているのに、アルフィーに拗ねた感情を向けるのを止められない。
 アンダインは自分の気持をすぐ口にするタイプだが、何故かアルフィーへの気持ちを繊細に言葉にすることは苦手だった。「好き」だとか「愛している」という単純な言葉しか出てこない。どうして自分がこんなに心をかき乱されて不機嫌なのか、説明できないでいた。アルフィーを想うようになってからずっと続いている葛藤は、未だに解決策を見つけられない。
 地下に居た頃、アルフィーを想って燃え上がる気持ちを抑えようと、枕に顔を埋めて悲しくもないのに涙が溢れることが度々あったことを思い出した。

(アルフィーは悪くない。けど、アルフィーのせいだ)

 自分を翻弄するアルフィーが原因であっても、罪なのはそれに抗えない自分である。

「お前は素気無すげない」

「え……! ご、ごめん!」

 そんな態度を取っているつもりは無い。しかし実際にはアンダインにそう思われる態度を取ってしまっているという事だ。実際に自分は恥ずかしがってアンダインに対する愛情表現が不足していると反省していた。そう思われても仕方ない。
 どうやったら上手にアンダインへ愛情を伝えられるのだろう。折角日頃の感謝を伝えるためにプレゼントを用意したのにそれをスマートに渡すこともできない自分に嫌気がさす。

「私、う、上手く言えないし、気が利かないし、嘘つくし」

 アルフィーの瞳から涙が零れそうになったので、その前にアンダインがアルフィーを抱きしめる。自分のせいで泣かせているのに、何と言って慰めて良いのかわからなかった。

「どうしたら、あなたに喜んで、も、もらえるかな」

 アンダインが望めば何でもしてあげたいと思っているのに、普段は不安や怖れで忘れてしまう。それを度々思い出してはアルフィーは反省していた。

「アンダインは……い、いつも、私の欲しい言葉をくれるのに……。抱きしめて、甘やかしてくれのに。私は何も返せてないよ」

「……必要、無い……」

 アンダインはじっと目を閉じた。本当は見返りなんか必要ない。ただアルフィーが傍で幸せに笑っていてくれればそれでいい。それなのに、つい拗ねて我が儘な気持ちが甘えたことを考えてしまう。アルフィーを好き勝手したいわけではないが、自分の狂愛を受け入れて欲しい。自分が想うのと同じぐらい彼女から想われたい。でもアルフィーは迫れば迫るほど逃げてしまう。挙げ句の果てに、関係を偽って友達扱いされ、自分はそれをずっと根に持っている。番なのに、片思いをしている気分だった。

「でも、私ばかりお前を追いかけて、求めて、愛しているみたいだ」

「な、なんで……!? 違うよ!」

 意外な言葉を突き付けられて、アルフィーがアンダインの腕から顔を上げた。アルフィーにとってそれは聞き捨てならない物だった。

「わ、わ、私の方が、絶対! アンダインが私を想うより、貴方のこと想ってるよ……!」

「はあ?!」

「ひっ!」

 アンダインがアルフィーを腕から離す。彼女は何を言っているんだ。態度と言葉があべこべじゃないかと、アルフィーの矛盾を突きつけたくなった。

「どう考えたって、私の方がアルフィーを強く愛してる!」

「ええ?! そ、そうかなぁ……。最初は私の片想いだったし」

「ハッ!」

 アンダインは煽る様な表情で鼻で笑った。アルフィーは一瞬たじろいだが、こればかりは反論しなければならないと思い、なんとか上目で睨み返す。アンダインから見るそれは、到底睨んでいる顔ではなかったが……。

「私の方が先にお前を好きだった」

「そ、そんなはずないよ! じゃあ、い、いつから? 私は、貴方と会う前からファンだったよ」

「ふうん」

 アンダインは目を細めて口角を上げた。アルフィーが何を言っても先に彼女を想っていたのは自分の方だ。一度出会いをやり直しているのだから、それは覆しようがない。それに、アルフィーは自分のファンだったと言うが、所詮はファン。憧れ以上の感情なんか端から無いだろう。

 というわけで

「私の勝ち」

「なんでよ!?」

 特に説明もされずに勝利宣言されたアルフィーはアンダインを精一杯睨んだ。

(怒ってる顔も可愛い)

 口にしたら更に相手を怒らせそうなことを考えて、アンダインはそれを口にするのをぐっと堪える。

「毎日お前にキスをして、愛してるって言ってるし、抱きしめて撫でているのは私の方だ」

「ウ”ッ……!」

「それに、アルフィーは私から逃げようとするじゃないか」

「そ、それは! あの、別にアンダインのこと、す、好きじゃないから、じゃ、なくて……その……それは…………ごめん……」

 珍しく露になったアルフィーの怒りは、一瞬で沈んでいった。アンダインは気落ちしてしまったアルフィーをそっと抱き寄せる。

「流石に拗ねたくもなるぞ」

「す、拗ねてたの?」

「だから、怒ってないって言ってるだろ」

「…………え、も、もしかして、ずっと、拗ねてたの?!」

 アンダインが言い淀んで「うん」と呟いた。アンダインがじっと睨んできたのも、不機嫌な態度も、全部甘えられていたのだと、今更知る。
 アルフィーはアンダインの胸で暫く黙っていると、広い背中に出来る限り腕を伸ばしてアンダインを抱きしめた。アンダインの息が一瞬止まる。アルフィーの顔を覗き込むと、黄色い頬が赤くなっている。精一杯愛情表現しようと努めているアルフィーに対する愛しさが溢れ、背中にまわる彼女の指の感覚に集中するだけで恍惚となった。

「愛してるよ、アンダイン……」

 潤んだ瞳で見つめられながら大好きなダミ声でそう呟かれ、途端アンダインのソウルが早鐘のように大きく鼓動し始める。喉でひゅっと息を呑んだ。早急に気持ちが昂ったアンダインががアルフィーをまた押し倒して、ゆっくり顔を近づける。唇が重なる寸前、黄色い指が青い唇に触れた。

「ちょ、ちょっと、待って」

「ここでお預け?!」

「そ、そ、そうじゃなくて! た、たまには私の方から……」

「我慢できない」

「で、でで、でも」

 アルフィーの小さい手はアンダインの指に簡単に制されてしまう。二人の鼻先が触れ、アルフィーの瞼が震えながら閉じる。不規則な二人の息を聴き合いながら唇が重なった。
 地上に出てから、やっと覚えたばかりの甘いコミュニケーション。強さや角度を変えて何度もソフトな口付けを繰り返す。
 アルフィーからのキスは勿論、アンダインからしたら喉から手がでるほど欲しい。でもどうせ、照れ臭がって待たされるに決まっている。今はそれをクールぶって待つ余裕は無かった。

 本当は噛みついてアルフィーの唇を思い切り堪能したいけれど、単純なキスでも一杯一杯で息を弾ませている相手にそれは酷だろう。アンダインは暴走しそうになる衝動を抑えた。唇が離れた一瞬の隙に、アルフィーが声を上げる。

「あ、あの!」

「もお、今度は何?」

「れ、れ、冷蔵庫」

「冷蔵庫?」

「チョコレートがあるの!」

「……チョコレート? 何で……」

―「大事な相手に、お菓子を贈る日、だよ」

「……バレンタインの?」

「そ、そう」

「私に?」

 アルフィーが思い切り頷く。
 折角の甘いひと時を中断してどうしてキッチンまで行かなければならないのか。しかし同時に彼女がバレンタインの日に自分以外のモンスターと楽しくデートをしていたわけではないと分かって、アンダインは思わずホッと息をつく。

「一応聞くが、他に誰に買ったんだ?」

「え?……あ、もしかして、ぎ、義理チョコのこと?……お世話になってるし、ガーソンさんにも買えば良かったかなぁ」

「……私だけ?」

「そうなの、ご、ごめんね?」

 アンダインは笑い声をあげた。

「いいよ。ガーソンには」

「だ、だめだよ、ちゃんとお礼しなきゃ」

「ふふ、そうだな」

 自分の祖父のようなガーソン。彼が先日「後で荒れても知らんぞ」と言った言葉を思い出した。その予言通り、自分のソウルは良くも悪くも荒れている。それもこれも彼女が可愛いからだ。
 アンダインは漸く気を良くして体を離した。そして、惚けているアルフィーを残してソファを立つとキッチンへ入っていく。冷蔵庫を開け、マリンブルーを基調とした美しい絵の缶が一つ、大事そうにしまってあるのを見つけて取り出した。

「これ?」

 それをもってソファへ戻ると、アルフィーが体を起こして期待を込めた瞳でアンダインを見上げた。アンダインが缶の蓋のテープを剥がす。そっと蓋を開けると、可愛らしいチョコ菓子が上品に敷き詰められて並んでいた。

「可愛い」

 思わず呟く。アルフィーは知らないが、アンダインは可愛いものが大好きだ。

「こういうの、嫌じゃない?」

「アルフィーがくれる物はなんでも好き」

「も、もう……」

 チョコを一粒口に放り込む。ほろ苦いカカオが口に広がる。滅多矢鱈に甘い菓子を嫌うアンダインもこれは気に入った。

「美味い」

 青い指はもう一粒チョコをつまむと、それをアルフィーの口元へ持って行く。

「わ、私は、いいよ」

「一緒に食べよう」

 強請られ、アンダインの指に摘ままれたシェルの形のチョコをおずおず咥えた。口の中であっという間に溶けていくチョコレートは上品なカカオの香りを漂わせた。まだ口にチョコが残っているうちに、アンダインがまた顔を近づけてキスをしようとする。

「むんんっ」

 まだ食べてるよ!と訴えるジェスチャーを無視してアンダインがさらにアルフィーに迫った。

「一緒に食べようって言ったろ」

 凶悪そうな笑みを浮かべてアンダインが黄色い唇を舐めると、普段自身が読んでいる恋愛小説みたいな甘い展開にアルフィーは目を回して真っ赤になった。混乱する頭でなんとか「もしかして、これも甘えられてるんだろうか」と思い至り、それなら彼女の好きなように、されるがままになろうと観念して目を閉じる。
 チョコレートの甘さに酔ったアルフィーは夢見心地の最中にいつの間にかアンダインの舌を受け入れていた。お互いの熱い舌が絡んでいるうちにチョコは溶けてしまったが、そんなことも忘れて新しく覚えたコミュニケーションに二人は夢中になっていった。
 
 
 
END