怒れる太陽 -1-
モンスターが精神的な存在であることは、地上に上がってしばらくたってからもあまり人間に認知されていない。人間の美醜の感覚から言えば醜い姿をしたモンスターが多数だったのと、長い間地下に追いやられていた彼らの存在が忘れ去られていたのも要因だ。
フリスクという心優しい少女がモンスターたちの導き手になったのは彼らにとって幸運なことの一つであったが、地上には彼女のような人ばかりではない。そういった悪意を振りまく人間によるモンスターへの有害性は社会問題の一つとなっていた。
過去の大戦も、モンスターと人間のすれ違いに起こった悪意を増幅させた悲劇だったのかもしれない。
今のところ、過去の悲劇を繰り返すまいと啓蒙に励んでいるロイヤルファミリーや人間側の政府のお陰で大きな事件は起きておらず、元から気の穏やかなモンスターたちはのんびりと専用の地区で安寧を享受していた。
アルフィーとアンダインが住んでいるのは、モンスター界の中心区のまた中央エリアにあるアズゴアの居住城から少し離れた住宅エリアだ。アンダインのために、城から離れすぎず、郊外へも飛んでいける場所に住み処を決めた。アルフィーの仕事はリモート可能だったので、インターネット環境が良ければそれで良かった。
「サジェストにアンダインの名前がある! 最近人間の街でも活躍してるからなあ」
相変わらずアンダーネット依存のアルフィーであったが、地上へ出て暫くしてからは新しいSNSに夢中だった。人間のSNSの使い方はアンダーネットと大きく差異は無く(というのも元はアンダーネットが地上のSNSを真似たものだった)彼女は揚々と興味のあるコンテンツを検索しては貪欲に人間の情報を収集していった。
-彼女、本当にかっこいい!
-モンスターだけど好きになっちゃった
-クールなヒーロー!
ガールフレンドの名前が羅列されたタイムラインを眺める作業は楽しかった。アンダインが地上でロイヤルファミリーに付き添って公の場に姿を表すと、そのたびにSNSが騒いだ。人間にも親しみのあるヒューマンタイプの容姿を持つアンダインは地上でも注目の的だ。なんなら地下に居た頃より忙しい。
タイムラインに流れた動画に、警備中のアンダインがマイクを向けられ「仕事の邪魔をするな」と一喝しているものがあり、それに大量のリプライが付いていた。そのストイックな姿にどれも好意的な感想だ。
「ふふ、嬉しい」
一緒の時間が大きく削られているアルフィーにとって、間接的にアンダインを感じることができるネットニュースやSNSの情報は寂しさを紛らわせるツールの一つとなった。地上に出てから一新したスマートフォンをポケットから出して、仕事の合間にアプリを開く。
-知ってる?彼女既婚者なの
-どんな男だよ
-知らないの?同性愛者だよ
-トカゲのメスモンスターと歩いてた
-あれは違うでしょwww
-あのトカゲの科学者、地下で問題起こしたんだって
-なんでそんなヤバイやつとアンダインが?
-アンダインは私のヒーローなの!あんなトカゲとなんて信じられない!
目に飛び込んできたツリーに、アルフィーのソウルが冷えた。よせばいいのにツリーを読む手が止まらず、読み切ってから我に返ってアプリを閉じる。幸い、無遠慮で無粋なツリーに苦言を呈する引用リプライが沢山ついていたが、それでも悪意が籠った投稿はターゲットとなっているアルフィーにはショックが大きかった。
人間好きなアルフィーにとって、こんなことは百も承知だ。彼らは別に悪人でもないし、アンダインやアルフィーに面と向かってそんなことは言わないだろう。それにモンスターに好意的な人間の投稿を多く見るに、やっぱり優しい人は多いのだ。そう頭では思えてもソウルが凍っていくのを止められなかった。
それでもアルフィーは定期的に、情報収集の為に半ば中毒になっていたSNSの投稿をチェックしていた。自分に向けられたものだけでなく、アンチモンスターのアカウントの呟きも流れてくる。そしてようやく
「人間のSNSはあんまり見ない方が良いかな……」
そう思うようになっていた。よくある「SNS疲れ」というやつだ。仕事で使わなければならないアルフィーにとっては割り切って使う必要があったが、その度に嘆息して肩を落さなければならなかった。
「アルフィー」
後ろからの声に、飛び上がってうっかりスマホを落としかけた。背後でアンダインがジャケットを脱いでソファに投げている。いつもなら「ちゃんとクローゼットに仕舞って」と苦言を呈するが今はそんな気になれず、忙しいパートナーが数日ぶりに帰宅してそれだけで心が軽くなった。
「やっと帰ってこれた」
「お帰り!」
アルフィーが駆け寄るとアンダインは彼女をきつく抱きしめて、黄色くまるい頭部に頬擦りした。アルフィーがくすぐったそうに笑う声にアンダインは目を細める。アンダインのシャツから外気の冷たい匂いを感じ取り、彼女を風呂へ入るよう促した。
「いや、お前が先に入れ」
「私はさっき入ったよ」
「でも、体が冷たいぞ。外に出てたのか?」
「え?」
アルフィーは自分の手を合わせて擦った。確かに指先が少し冷えていたが、湯冷めするようなことはしていない。
「風邪か」
首を振ってみたものの息苦しさは感じる。きっと嫌なものを見たせいだ。それだけだ。そう軽く考えた。
「風呂が済んでるなら、もう寝ろ」
アンダインの言う通りアルフィーはその日早々に布団に入った。
一人で掛け布団を被ってじっとしていると嫌なことばかり頭に浮かんでしまい、ソウルの鼓動が自分の耳に届くのがまた不安を煽る。アンダインと同棲して数年、暗闇への恐怖を克服した気になっていたが、今日はベッドサイドのランプシェードの灯りを消す気になれず、アルフィーは薄明りの寝室でじっと目を閉じていた。
1時間ぐらいでやっと意識を手放すと、久しく見ていなかった夢を見た。冷たい研究室、禁忌の研究に携わる罪悪感、好きな女の子に嘘をついていた時の後ろめたさ、夢ゆえの混沌さに脳が許容を超えて覚醒すると、アンダインが既にアルフィーの肩を揺すっていた。
「おい、どうしてこんなに冷たいんだ……ッ」
アンダインの大きな手がアルフィーの頬を包む。普段は自分より低い筈のアンダインの手を暖かく感じた。
「冷や汗かいたからかな」
アルフィーがなんとか笑顔を返すと、それを聞いたアンダインはアルフィーの寝間着に無遠慮に手を突っ込んだ。アルフィーは小さく悲鳴を上げたが、アンダインが真剣な表情をしていたので彼女の大きな手が体を這うのを黙って耐えた。アンダインの手は暖かく、心地良ささえ感じる。アルフィーの体は汗をかいていなかったし、冷たいままだったのでアンダインは手を引っ込めて自身の顎を撫でた。
「おかしい」
アルフィーの為に冬場の寝室は暖房を効かせており寝具は暖かく、部屋の温度も低くない。それなのに、彼女だけ冷たいのはどうしたことだろう。
「大丈夫だよ。もう寝よう?」
アルフィーがそう答えても、アンダインは安心できず彼女を毛布にくるんでそれごと抱きしめて横になった。太腿に触れた彼女の足が冷えている。
(やっぱり変だ)
モンスターにも冷たい個体は居るが、アルフィーの体温は普段高いのをアンダインは知っている。熱を分けるように冷たい足を自身の太腿に挟むと、彼女はやっと心地良さそうに目蓋を閉じたが、そのソウルはアンダインの腹部に伝わるほど脈打っていた。疲れていたのかあっさり眠りに落ちてしまったアルフィーの額に口付けて、一緒に目を閉じる。
翌日、アルフィーは中々ベッドから出てこなかった。アンダインが寝室を覗くと、浅い呼吸をしたアルフィーが薄目を開けてベッドの中で冷たくなっていた。一瞬、止まっているような彼女の呼吸にアンダインのソウルの方が止まりそうになる。
「ごめん、動きたくなくて」
「そ、そうか。なら、寝ていろ」
アルフィーの蚊の鳴くような声に狼狽えながらも、アンダインは笑って寝室を出た。その足でガーソンの小屋まで走ったのだった。