敢えて理由を述べるなら

Alphyne
小説

「ひっ!!!」

「な、なんだッ?」

 帰宅早々、自分の姿を見て息を吞むような悲鳴をあげた番にアンダインは驚いた。アルフィーが困ったときに喉の奥から漏れる小さい悲鳴とは違う、咄嗟のものだ。さっと青ざめたアルフィーの視線は青い腕に釘付けのようだ。そこには乱雑に包帯が巻かれていた。

「そそそそれ、なに、どうしたの?!」

 アルフィーがあたふたとアンダインの周りを一周し、彼女の怪我が他にないか確認しながら、包帯に手を伸ばす。しかしそこに触れることもできずに所在無く手を震わせていた。アンダインは狼狽えるアルフィーになだめる為に、視線を斜め上へ投げながら昼間の事を思い返した。

「これは人間に……。アッ、いや、私は負けてないぞ! ちゃんとそいつをとっ捕まえて」

 持ち前の負けん気が説明をややこしくする。アルフィーはアンダインが何を言わんとしているのか解らず、「薬箱」と呟きながら治療キットを取りに走り出した。その間にアンダインは彼女に昼間の仕事内容を搔い摘んで説明した。
 
 
 
  ◇
 
 
 
 モンスターへヘイトを募らせている人間は一定数居り、それ故にモンスターの象徴である王へ悪意を向ける人間が稀に現れる。ロイヤルガード隊長であるアンダインの仕事は、そういった悪意から王やモンスターたちを守ることだった。無論、彼女はその悪意を真正面に受けるリスクを担っている。相手がサイコパスであればあるほど攻撃に込められる悪意は強いものだ。
 人間特有のそんな”毒”の込めた弾丸が、アズゴアの隣のトリエルへ向けられた。騎士は瞬時に王妃を庇い、トリエルは無傷で済んだが、その代わりアンダインの腕に弾丸が掠った。

 モンスターの中でも特に強力な英雄であるアンダインが怪我をするなど滅多に無い。アルフィーはアンダインの話す怪我の経緯を聞きながらも余計に慌てた。顔色を更に青くしていくアルフィーに、アンダインも釣られて戸惑う。

「落ち着行け。傷は浅いんだ。弾に込められていた悪意が強かったから、治癒が遅れてるだけ」

 実際にかすり傷程度のものだった。アンダインが面倒臭がって乱暴に包帯を巻いたのが、アルフィーの目に仰々しく映っただけだ。それでもアルフィーの瞳から不安の色は抜けなかった。

「心配かけたな。ごめん」

「あ、アンダインが、何で、謝るの……」

「私がもっと強ければこんな傷直ぐに治っていた」

「ちちち違うよ! モ、モンスターが人間の悪意に極端に弱いのは、私たちの構成上、もう、仕方ないんだから……」

「そうか。アルフィーは頭良いな」

「こんな時に……。ちゃんと手当したの?」

「あー……咄嗟の事だったから……」

 アンダインが口ごもるところを見るに、応急処置的に包帯を巻いているだけなのはアルフィーにも伝わった。アンダインをソファに座らせて、そっと包帯を外すと、少しばかりの塵がまだ滲んでいた。怪我をした自分より痛そうな顔をするトカゲの丸い頬を青い指が撫でる。

「平気だぞ」

 英雄の笑みにアルフィーは胸が痛くなる。こんな小さな傷であるが、それはアンダインの担っているものがいかに重いかを表していた。アンダインが居なければ、誰かがもっと大きな怪我をしただろうし、それは世界的な問題になっていたはずだ。二人はまだ知らないが、実際に今日の襲撃事件はネットニュースで大きく取り上げられていた。
 アルフィーはアンダインの傷口に軽く息を吹き掛けて塵を払い、傷薬をそっと置く様に塗った。新しい包帯を巻いているうちに、涙が流れる。

(アンダインが居なくなったら私、生きていけない)

 アルフィーが落とした涙にアンダインは身を乗り出す。かすり傷で汗など流さないアンダインも、アルフィーの涙一つでヒヤヒヤさせられる。

「このくらいの傷でそんな」

「だって」

 いつもはアンダインが向けている人間への鬱憤。それは皆を守るための警戒心の現れだったが、アルフィーは自分の内に沸き上がる怒りがアンダインの純粋なそれとは似ても似つかない醜い憎悪なのに気づいていた。
 自分の口からはアンダインに「人間が全員悪いわけではない」などと正論を宣いながら、大事な騎士を傷付けられた途端に全てのものが憎らしく思えてくる。アンダインが人間を憎むのと同等かそれ以上に、今のアルフィーは人間を憎らしいと思っているし、不均衡な二種族のパワーバランスと、それを存在させる世界そのものに対して腹立たしい気持ちになった。そして、自分が普段そんな憤りを感じないで居られるのは、アンダインがモンスターの壁としての力を世界に見せつけてくれているからだ。

 それでも、アルフィー自身は人間に歯が立たない。アンダインを奪われたとしても、復讐したところでて返り討ちに合うだろう。そんな強かさも冷静さも持っていない自分はきっと、アンダインを追って死ぬしかない。せめて、人間を呪いながら死ぬのだろうが。

「地上になんか、来なければ良かった……」

「……アルフィー」

「アンダインが、た、戦って傷付かないと得られない太陽なら……私、要らない」

「……」

「アンダインが危険な仕事してるの解ってたのに、わ、私、馬鹿みたい。人間に憧れてたなんて、馬鹿みたい。アンダインが生きててくれたら、それでいいの。地下に閉じ込められてても良かった」

 アンダインは黙ってアルフィーを抱き寄せた。

「でもそんなの、今更だよね……。貴女が怪我してから気付くなんて、私、馬鹿」

「私は大丈夫だ」

「アンダインは強いよ。で、でも……」

 柔らかいトカゲの体を強く胸に押し付けて、彼女の耳元に唇を当てながらアンダインが「Shh」と息を吐いた。それでもアルフィーは言葉を止めることが出来ずに、小声で

「万が一、貴女が居なくなったら私……どこにも行けない」

 そう呟いた。

 常に心の奥底で、アンダインから逃げたいと思っていた。でもそれは、彼女が生きていてくれるから出来ること。アンダインがどこかで存在してくれるから。眩しすぎるアンダインの光も、アルフィーは遠くで享受することが出来る。
 アンダインが傷を負ってしまったら、塵となってしまったら。アルフィーの逃げる場所はこの地上の世界にも、地下にも、どこにも無くなってしまう。

 結局、アンダインの傍に居ようが居まいが、アンダインの存在がアルフィーを塵にせず構成している要因のひとつであった。

(アンダインが生きているだけで、私も生きていけるんだ)

 アンダインが頻りにアルフィーに対して「傍に居て」と懇願している様に、今になってアルフィーは共感を覚えた。なぜこの騎士様は自分に対してこんなに執着するのだろうと、疑問に思っていた。その理由はともかく、アルフィー自身もアンダインに対して同じように失う恐怖を強く抱いている。アンダインが誰にも存在を脅かされないほど強く崇高な存在であるため、アルフィーがそんな心配をすることが、普段無かっただけだ。

「ごめんね」

「何がだ」

「……いろいろ」

 アンダインはその言葉に笑った。何となくアルフィーの言いたいことが分かった気がしたが、確信は無かったし、そうでなくても彼女の返答は可愛らしかった。

「もう心配するな。こんなの怪我のうちにならん」

「う、うん、そうかもしれないけど、でも、そ、そりゃあ、私は頼りにならないかもだけど……痛いときは痛いって言って……よ……」

 アンダインは思わず苦笑いした。それは、いつも自分が相手に言っている台詞であった。アルフィーも承知で口にしているだろう。お互いが頭の片隅で反省する。

「うん……ああ、えーっと……じゃあ、少し痛むから、その……」

 アンダインが言い淀んでるのに耳を傾けながら、アルフィーは無言でアンダインの傷の周りを撫でた。

(早く、治りますように。せめて痛みが和らぎますように。アンダインが傷付きませんように)

 アルフィーは胸中でそれを何度も祈る。祈りながら、アンダインからどんな甘えた要求が来ようとも、絶対に叶えてやるつもりで構えていた。それなのに、魚人は先を言えずに黙ったままだ。

 痛みを忘れるほどの心地よい感覚が、アンダインの傷を覆っていた。傷はアンダインを苦痛にさせるほどの物ではなかったが、それでも急に引いた痛みに思わず息を付いた。
 アルフィーが何を祈っているかなど、アンダインには想像も付かなかったが、ただ彼女が自分を心配してくれていると言う気遣いだけは解る。アルフィーの祈りが無意識の魔術となってアンダインの傷の痛みを緩和させたことなど、二人はこの後も知る由もなかった。

「傍に居て」

「う……うん……」

 首を捻って頷いた。彼女がいつも言ってる願い。でも、アルフィーにとってこれが難しい。アンダインの傍にただ座っているだけ、突っ立っているだけ。そういった、ちんちくりんな自分の姿しか思い浮かばないのだ。

「そ、それだけ?」

 今度はアンダインが頷く。

「どんなに傷を負っても、アルフィーが傍に居てくれたら、痛みも忘れる」

「……」

「お前が居ればどんな敵にも負けはしない」

 アンダインはそう確信していた。彼女さえいれば傷など些細な障害であり、人間に立ち向かうのも恐ろしくはない。
 アルフィーは顔を伏せた。結局は、アンダインはモンスターの守護神に代わり無い。自分が居ることで一層使命を強めるだけ。

「そんなこと、い、今は忘れてよ」

「……」

「今は、休もう?」

 アルフィーの顔は相変わらず青ざめていた。新しい涙が瞳を覆っていた。

「どうして、そんな顔するんだ」

「私、アンダインを勇気づけるための一匹になりたくない」

「え……?!」

「傷なんか付けて欲しくないし、ついた傷の痛みもを忘れて戦い続けて欲しくない」

「……誤解だ。アルフィーの気持ちも解るけど、私はお前を守るために無理をしてる訳じゃない」

「本当?」

「アルフィーが傷を撫でてくれたとき、痛みが引いた。それは本当だ」

「……」

「私は騎士で、英雄だ。この生き方は私そのものだ。変えられない。だから、私を助けると思って、傍に居て」

「……!!」

「アルフィーじゃなきゃ、私の傷は癒えない」

 アンダインは嘘を言ったつもりはないが、確証も理論も根拠も無いまま口に出した。例え科学がモンスターを悪意から守る術を発見しようとも、アンダインが求めている愛情がアルフィーのものだけである限り、それはある意味正しく、アンダインの傷を癒す唯一の魔法となっている。

 アルフィーを愛するのも、傍にいて欲しいのも、アンダインにとって理由なんか無い。それは以前からアンダインがアルフィーへ伝えていた通りだったが、理由を敢えて述べるとすれば、それだけだ。
 アンダインの言葉が与えた衝撃はアルフィーのソウルを密かに震撼させた。アンダインがアルフィーを手放したくない理由など無いのも事実なら、あるのも間違いではない。「どうして」とずっと纏わりついていたアルフィーの疑問は、アンダインの言葉で払われた。そして、彼女がずっと「理由なんか無い」と言っていた意味も、アルフィーのソウルにすんなり、染み入る様に理解できる気がした。

「そ……っか……」

「うん。アルフィーが居てくれないと困る」

「う、うん……!」

 例えアルフィーが持つアンダインへの治癒魔法が失われてしまったとしても、アンダインは変わらず同じことを言い続ける。

 アンダインはアルフィーの膝を借りてソファに寝転んだ。そして黄色くて柔らかい指に髪や額を撫でられながら傷の痛みを忘れて瞼を閉じ、心地良い治療に身を任せた。
 
 
 
FIN