気持ちを言葉に

Alphyne
小説
甘め
連載

 波の音の中から微かに人工的なアラーム音が聞こえる。コテージから届くその音はアンダインの携帯からのものだった。魚人は舌打ちをしながら体を起こすと、目下のアルフィーをもう一度見つめる。アルフィーは息を切らせながらアンダインを見上げていた。魅惑的な番のそんな姿にアラームを無視してキスを続けたい気持ちが擡げたが立場上そういうわけにもいかない。アンダインはアルフィーを抱きあげて重たいトレーンを軽々と肩に担ぎ、引き摺りながらコテージへ戻る。彼女をソファーに降ろしテーブルのスマートフォンのアラームを止め、アルフィーのコルセットの編み上げリボンを緩める。

「一人で脱げそう?」

「う……うん」

 アルフィーが頷くのを確認し、アンダインはさっさとドレスを脱いでしまう。アルフィーにつけてもらったヘアアクセサリーを大方毟り取り、いつもの私服に着替える。

「今夜またここで」

 そう言ってアルフィーに最後にもう一度口づけて、仕事へ出かけて行った。

 アンダインが去った後のコテージはしんと静まり返っていた。アルフィーはしばらく放心しながら、一時前の嵐のような数時間を思い返す。

「……こ……これが結婚式……?」

 一人呟く。もしこの呟きをフリスクが聴いていたら首を振っただろう。

「私も仕事しなきゃ」

 うつけた頭を振って体を起こすと緩めてもらったコルセットを外してドレスを脱ぐ。アンダインが脱ぎ捨てたドレスと一緒に重たい自分のドレスをなんとか壁にかけて砂を払った。

 ノートPCを開いてタスク一覧を確認している間に、思考がクリアになっていく。

「今週はあんまりサボってられない」

 と呟いて自分を鼓舞した。なんせ、折角の別荘宿泊。アンダインが帰宅する頃に自分の仕事が残っていたら彼女と過ごす時間が削られてしまう。普段以上の集中力でアルフィーは仕事を片付けて行った。
 そんな時に限って次から次へと仕事は舞い込むもので、管轄のシステムトラブル解消に明け暮れていたアルフィーはその日、アンダインと約束していた夜の浜デートの予定を守ることが出来なかった。

「気にするな。私だって連絡が入ればお前を置いて出かけなきゃいけないんだ」

 寝室のベッドでアンダインの胸に顔を埋めて落ち込んでいるアルフィーのトサカを、魚人が優しく撫で摩る。アンダインの体力的には丑三つ時であれ、そこを少し散歩するぐらいわけはなかったが、今日は夜明け前の起床に加え仕事で疲れ切ったアルフィーを連れ出すのは良くないと判断した。
 案の定、アルフィーはアンダインの腕で数分も経たないうちに寝息を立て始めてしまった。パートナーが利巧で多忙な科学者であることを誇らしく思う一方、それが負担をかけていることがアンダインには一つ心配の種だ。それでも、地下より高度な地上の科学技術が前よりずっとアルフィーの負担を和らげていたし、科学者の仲間や新しい人材も豊富なことで、夜通し作業することは今はほとんど無くなっていると言ってアルフィーは笑っていた。
 
 
 
  ◇
 
 
 
 翌朝、アルフィーが目を覚ますとアンダインは仕事に出向いた後だった。夜になれば帰ってくることは解り切っていたのに、とてつもない寂しさに襲われる。昨夜のシステム障害の状況を確認すべくPCを開き、それが問題なく稼働しているのを見て息をつく。

 アルフィーはコテージの外を眺めた。軽いタスクがいくつか入っていたが、緊急性が低いそれを一旦おいて浜辺へ出る。日差しが肌を焼いた。

 寄せては帰る波の際。昨日そこで、日の出を背にアンダインが言った言葉を思い出す。

ー「ごちゃごちゃ考えるのを止めろ。今だけは」

「今だけ……なら……」

 それはある意味正しい。今からでは変えられない過去を哀しんだり、未だ来もしない将来を顧慮したり、現在の事象を見ていないと、アルフィーは自分でも思う。しかし、どれだけの者が今をしっかり見つめて生きているだろうか。誰もが過去を思い出すこともあれば、未来を心配する。でもきっとあの英雄は、普段は「今」を生きているのだろう。時折過去を思い出しては、悲しそうに生きた番を抱きしめることがあるだけだ。
 アルフィーはアンダインの腕の感触や抱擁の強さを思い出して一人で赤くなった。目を閉じると白い浜辺から照り返される太陽の光が瞼を照らす。光が瞼を超えて目に届くなんてことは当たり前の事なのに、太陽のそれは何度経験しても新鮮な心地がする。

(私、どうしたいの?)

 もしも、過去の柵や、未来への杞憂が無ければ、一体自分は何を望むのだろう。自分自身の愚かな姿を、一切懸念しなくて良いとしたら、何に手を伸ばすだろう。今まで「どうせ現実はそうじゃない」とインテリぶって、無視していたものは一体何なのか。

(全部同人誌に描いたじゃん)

 瞼の向こうで自分が言う。浜にしゃがみこんで砂を拾った。太陽に焼かれ、海水に撫でられれ、それを幾度も繰り返す砂がどこか、過去のモンスターの残留思念ようにも感じられる。鏡のように輝くそれに自分が写っているよう。

(大好きなアンダインと同じ屋根の下で、彼女を毎日見つめながら暮らすの)

「今、そうだよ」

(そうかな……。アンダインのことちゃんと毎日見てるかな)

 アルフィーの心拍数が上がる。自分は彼女の事も自身の事も満足に観察できていない。

(私、自分のことすら見てないね。アンダインは、彼女自身のことも、周りのことも、ちっぽけな私のことも、ちゃんと見てる)

「アンダインが、私の事……見てくれてる……のかな……」

 アルフィーはそう口にしたが、そんな自分があまりにも滑稽に見えた。そして、砂の向こうの自分が苛立ちを顕にした。

(そういうところが嫌われるんじゃない。本当は自分が大事にされてることなんか百も承知の癖に、知らない振りをしてるから)

 言われながら、様々な羞恥心でソウルが潰れそうになる。大事にされている事なんか分かっている。それでも不安の種は足を竦ませ、目を閉じさせる。人間がよくこの感情で苦しむのを本の中で遠くに感じていたが、アルフィーは少し彼らと親和性があるのだと自分で感じていた。自分はモンスターとしては異質なのかもしれない。

(アンダインが欲しいと口にしなければ、彼女の嗜好も知らないいままだったかも)

「あ……そんな……」

(自分と向き合わないくせに自分のことばっかり)

 アルフィーは胸を押さえた。質量の無いはずの心が、何かに押し潰されたように痛む。

「だって……」

(自分と向き合うのが怖いんだもん)

 自分のソウルを叩いたって埃しか出てこない。覗いたって闇しかない。突けばヘドロも出てくるに違いない。
 フリスクが言うには、モンスターは人間と違って純粋な存在だという。それならやはり、自分は他のモンスターとは違う、出来損ないの何かなのだと、そう思った。

 心が揺れているのは、アンダインの惜し気無い愛情がアルフィーの深層心理に少しずつ届いているためだ。今までのアルフィーの信じていた価値観が、無惨に崩れようとしている。愛されるはずがないと思っていた自分が愛されているという矛盾。ソウルの輝きが高純度の崇高な騎士に選ばれてしまった畏れ多さと、それに相反する喜び。彼女を愛することさえおこがましいのに愛してしまっている罪悪感。

 当然、何かを愛することに資格など必要無い。罪も無い。それでも、アルフィーは自問自答しながらそれを振り返った。
 直近のアンダインの表情、仕草、言葉を、出来るだけ鮮明に思い返してみる。瞼を強く瞑っても、限界はある。アンダインの表情を自分はあまり見ていない。見ていないものは覚えていられない。見つめ合うことを恐れて避けていたから。
 
 
 
  ◇
 
 
 
 アンダインがコテージのドアを開けると、デスクに座っていたアルフィーが飛び上がって椅子を降りた。近づいてくるアルフィーをアンダインが、もう癖になったように自然に抱き寄せる。

「ただいま」

「お、お帰りっ」

 アルフィーはいつも通りの強い視線に何とか耐えようと見つめ返すも、顔は熱くなり、震えが出てくる。

 アンダインが帰ってきたらちゃんと彼女の目を見るんだと決めていた。目は口程に物を言うらしい。アンダインが表情で何を語っているのか知りたかった。アルフィーは震える口元に手をかざして極力相手に不審がられないよう、慣れない笑みを作った。それでも虚勢は伝わってしまったようだ。
 アルフィーの様子がいつもと違うことを察したアンダインの瞳が心配そうに細められ、縦長の瞳孔が黄色の全身を確認するように動く。

(アンダインはいつもこうやって私を見てくれてた)

 そんなことも、見上げなければ気付かなかった。

「海風で冷えたか」

 アルフィーは俯いて首を振ると、もう一度息を吸って顔を上げた。でも、それに必死になってしまって何を言えばいいのか分からない。

「あー、えっと、ア、アンダインが、疲れてないかなとか、機嫌はどうかなって……」

「……なに?」

 アンダインは慌ててアルフィーの肩から手を離した。自分のご機嫌をうかがって震えている番。一体自分は彼女に何をしてしまったのだろうか。この強面が、苛烈な性格が、またどこかで彼女を傷付けてしまっただろうか。

(あっ……!)

 振り返ると確かに今朝、浜辺でアルフィーに誓いの言葉を強引に迫った。あれがいけなかった。自分だけは、ロマンチックな時間を過ごしたと勝手に浮かれていた。情けなさに眉に皺が寄った。

「どう……したの……?」

 アンダインの表情が険しくなるのを見て、慣れないことをするのではなかったと、アルフィーは後悔した。何か気に障るようなことをしたのだ。どうして自分は上手に愛情表現ができないのだろうか。アンダインのようにスマートに相手を見つめられない自分を恥ずかしく思う。

―「今二人で此処に居ることだけ、感じていれば良い」

(アンダインはそう言うけど……)

 気弱なトカゲにとってそれはアンダインの言うように簡単なことではない。アルフィーの脳内で色んな蟠りが過っていく。それを一つ一つ寄り分ける。

-「それ以外の事はもう、どうでもいいだろ」

 大事な気持ち以外のこと。執着していた料簡を、一つ一つ捨てて行く。幸か不幸か、アルフィーのアンダインへの想いは、羞恥心のブロックがあったから暴走せず燻っていられた。アンダインが傍に居なければ

(アンダイン、私を抱きしめて~~~!)

 と願望を叫んでいただろう。

(……ハッ、だめだめ!こんなのきっと引かれちゃう!)

 目の前の愛しい魚人を、いっそ憎らしいとさえ思う。アンダインが自分を求めなければこんなことで悩まなかった。どうせ欲しがっても彼女が期待するようなものは自分は持っていない。
 アンダインが発掘してしまったのは、アルフィーが普段抑圧しているアンダインへの熱い恋心。本人はそれを喜んで受け取るだろうが、アルフィーにそんな想像出来るわけもなく、捨てたはずの惨めさが再度トカゲを蝕む。

「今朝のこと、怒ってる?」

「えっ……?」

「お前の気持ちを無視して、強引にしたか」

「別にそんなこと……」

 まさに、今朝の事が原因ではあるが、そうではない。アルフィーはアンダインに強引にされたことなど思い出せなかった。魚人が強引なのは態度と口だけで、番のトカゲに対してやっていることはソフトである。

「悪かった。謝る」

「アンダインが謝ることなんか、何も無いよ」

「いや、今朝の私は浮かれていた」

「ち、違うよ……っ」

「……どうして言わない!?」

 アンダインの語気が強まるのにアルフィーの肩が震える。

「……そういうのはもう、嫌だ。お前はいつも黙ったまま、勝手に自己解決して、悲しそうにしてる」

 アンダインが苦しそうにアルフィーを見つめた。それから、口にした言葉を後悔するように頭を垂れる。

「い……いや、ごめん。私が、アルフィーの気持ちを上手く汲み取ってやれないのが悪いんだ。でも、お前がなにか無理しているのは解るから……!」

 見上げたアンダインの瞳は涙こそ流していないものの今にも泣きそうに細められていた。

(私、いつもこんな顔させてたんだ)

 誰よりも強いはずの英雄。誰もが傷付かないと信じて疑わない希望のソウルを、本人が許すからと懐から傷付けて、自分はなんて罪深いのだろう。

(最低だ……! ごめん、ごめん、アンダイン……!)

「こんな……私なんか、捨てちゃえばいいのに……!」

「そんなこと絶対にしない!!」

 間髪入れずにアンダインが叫んで、アルフィーを強く抱きしめた。
 気まぐれなアルフィーの心に翻弄されようとも、それが辛くとも、アンダインが一番我慢ならないのは彼女を手放すこと。それ以外は甘んじて受けるが、アルフィーを失うことだけは絶対に受け入れられない。

「まだ分からないのかッ! 私から逃げられないという事が!!」

 自身でも分かる、なんて傲慢な言葉。アンダインはアルフィーに接しているときの自分がいかに勝手か自覚していた。対等と口では宣いながら、自分がその気になれば小さいトカゲを力ずくで閉じ込めることも、恐怖で言うことを聞かせられることも出来る。備わっているソウルが違うのだから仕方ない。だからこそアルフィーが憂うときアンダインは、腕力も、牙の脅威も、覇気も棄て去り、彼女の前に跪かなければならない。
 アルフィーはアンダインの怒りをまともに感じて声を上ずらせた。

「だって……私、あなたの事……」

「それ以上言うな!!」

 アンダインの大きな手がアルフィーの口を塞ぐ。アルフィーの言葉の続きに望まない台詞が待っている気がした。万が一にも鍾愛する彼女から「嫌い」と言われたら、自分がどうなってしまうかわからない。

「私を嫌っても無駄なんだ。お前は此処にいるしかない」

 アルフィーの瞳からとうとう涙が零れた。誤解させるような事ばかり口にしてしまうし、吃音が激しくなる。
 アルフィーの涙に狼狽えたアンダインが手を離した。

「アンダインを、か、悲しませることしか出来ないし、怒らせてばっかりだし……。私、馬鹿だよ……大好きなはずなのに、き、嫌いになんかなれないのに、アンダインのこと、誤解させちゃうし……なんにも見てないし、わかってないし、喜ばせてあげられないの」

「そっ、そんなことない!! 私はアルフィーと一緒にいるだけで嬉しいんだ!!」

「……で、でも」

「本当だ!!」

「……」

「怒鳴ってごめん……でももう止めろ。お前は私を喜ばせる必要も機嫌を伺う必要も無い。そこにいるだけで良い」

 俯いたままのアルフィーの瞳から何粒か涙が零れて床に消えた。
 本当は喜ばせたいのに、アンダインはそれは無用と言う。無力な自分に対する情けなさと、諦めと、無償の愛を惜し気も無く注ぐアンダインの気持ちが嬉しいのとで、アルフィーの感情は迷子になっていた。

「アルフィーの本心が知りたい。ソウルに聞くしかないのか?」

「あっ!そ、その……!」

 アンダインが、アルフィーの胸に顔を埋める。うっかりするとベッドに連れ込まれてしまうと思い、アルフィーは慌てた。いや別に、アンダインとのセックスが嫌なわけではない。寧ろ嬉しいから、嫌とも言えず、口ごもる。

「嫌?」

 と甘えた声で聞かれると全力で首を降るしかなくなる。アンダインが暫く黙った後、ふっと笑った。アルフィーの本心なら、就寝まで待てば良い話だ。自分が知りたいのはもっと具体的なアルフィーの言葉であり、アルフィーの自由意思であって、そんなものではない。
 アルフィーはアンダインが微笑んだことにホッとした。安心感が彼女の思考をクリアにしていく。アンダインが笑うだけで、こんなに落ち着いた気持ちになれるし、喜びがわいてくるのだから不思議だ。

「知らないで……良いよ。わ、私の気持なんか」

「どうして」

「だって、きっと、気持ち悪いよ。引かれちゃう……」

 アルフィーの口からポツリとポツリと気持ちが紡がれる。アンダインは首をかしげるだけ、アルフィーの言葉をじっと待った。

「恥ずかしいの……言葉がでないのっ、ア、アンダインみたいに出来ない」

「そ、そうか。ねだってごめん」

「ううん! 悪いのは私だよ!言葉にしないのは、やっぱり、冷たい、よ……寂しいよ……」

「……」

「私は、ア、アンダインがいつも言葉にしてくれるから、寂しくない、けど……アンダインが、言葉足らずの私にイライラするのは、仕方ないよ」

「別に私は……ッ!」

 アンダインは昂る気持ちを押さえようと一度深呼吸をした。そして、アルフィーの手を取る。

「……お前が側にいてくれればそれで良い」

「う……嬉しい。それ。凄く、嬉しいよ」

 その言葉に今度は金の目が見開く。

「そ、そうなのか? 勝手を言ってるぞ、私は」

「ううん! 嬉しい!」

 アンダインの顔が徐々に赤面していく。束縛と解っていながらアルフィーにそれを押し付けてきた。それ故に泣かせてきたと思っていた。自分の欲ばかりの気持ちを受け入れてもらえていた嬉しさと、それが負担になっていない……喜ばれていたと知った安堵でアンダインはもう一度息を吐いた。

(アルフィーは私のもの……!!)

 という気持ちが再度沸き上がる。

「こんな私でも、アンダインの傍に居て、良いんだって思えるから」

「いつも言ってるだろ」

「そうだよ、ね。だ、だけど、私、めんどくさいから……さ……。ご、ごめんね。……へへ」

 アンダインが耐えられずアルフィーをまた抱き締める。

「何度だって言ってやるぞ!」

「だ、だ、だから! わ、私もね……!」

「アルフィー!好きだ!!」

「あ、あのねっ……その、聞いt」

「好きだ!!!」

「……」

 興奮した英雄の叫びを、一体誰が止められるだろう。アルフィーは苦笑いしながら口を閉じた。後でまた、ちゃんと言おう。(今はともかく)アンダインはいつも自分の話を真面目に聞いてくれるのだから。
 アンダインがアルフィーを抱き上げて夜の浜辺へ駆け出した。見上げた魚人の表情は高揚していて愉しげだ。トカゲもつられて笑った。

 星空のロマンチックな帳にアンダインは更に気持ちが昂り、夜空に向かってアルフィーへの愛を何度も叫んだのだった。
 
 
 
END