Memories of Soul 1

Alphyne
小説
連載

※「敢えて理由を述べるなら」「失せ物探しと後悔と」の後の話(読まなくても大丈夫です)
 
 
 
 
 
 
「私は絶対にお前を忘れたりしない」

 金の鋭い牙を見せて、魚人が笑った。
 
 
 
  ◇
 
 
 
 目が覚めて直ぐ、隣の気配に気づいて音も無くベッドを離れ、息を殺した。眠っているトカゲのモンスターを見下ろし、瞬時に記憶を漁ったが、脳裏に相手の姿はどこにも思い当たらない。

(……この私が誰かと一夜を?!)

 アンダインのソウルが急速に音を立てて騒ぐ。こんなに動悸が激しいのはアズゴアと手合わせた時以来だ。何かの間違いで見ず知らずの女性とベッドに入ってしまったのか。自分は昨晩何をしていたのだろう。
 アンダインは額に滲み出た汗を拭うように髪をかきあげた。少しの違和感があったが、それを気にしている余裕は無かった。

 自分の体を静かに見回し、撫で擦ったが、フィジカルなまぐあいをしたような形跡は見当たらない。まさかとは思うが、魂の交わりでもしたのか? そう勘繰った。
 そも、信頼の証であるソウルセックスは何も時間をかけてのみ到達する最終的なコミュニケーションというわけではない。理屈上、出会って直ぐにお互いを信頼し合えば可能だ。だがそういった稀有な話はあまり聞かない。「勢いで一夜を」などは可能性として無くもないが、もしそうであれば一夜では終わらない事案だ。単純に体だけ重ねることも出来るが、モンスターは肉体だけのセックスを衝動的に行うような欲求は持ち合わせていなかった。故にこの状況はアンダインだけでなくおそらくモンスター全般にとって困惑モノだ。

「…………」

 アンダインはアルフィーを注意深く観察した。身体を丸めて眠っている姿に脅威的なものは一つも感じられず、むしろ愛らしさすらある。可愛いからという理由で襲ってしまったのだろうかと自問自答に入り、そうであれば破廉恥極まりないぞと自分を叱咤する。

 そうこうして居るうちに、横たわる黄色いトカゲはもぞりと動いて、そっと目を開けた。ベッドサイドに立ち尽くしている魚人と視線が合う。

「……アンダイン! も、もう大丈夫なの?」

 アルフィーは目を擦りながら体を起こして、サイドテーブルのメガネをかけた。

 自分の名前を呼ばれはしたが、相手の名前が解らない。アンダインは必死に思い出そうとするが、無駄な努力にも思えた。いよいよ白状して言ってしまおうと、改めてアルフィーに視線を戻す。

「まだ、い、痛むの?」

 アルフィーが、がベッドから降りて、あっさりアンダインと距離を詰めた。下心や悪意などは微塵も感じない無害そうな相手に、アンダインはうっかり近づくのを許してしまう。黄色い指は、青い額に手を伸ばして垂れた髪をそっと払った。

「傷は治ってるねぇ」

「傷……?」

 アルフィーから半歩下がり、アンダインは自身の額を撫でる。髪をかき上げた際の違和感は傷の痛みだったらしい。

「私は怪我をしたのか」

「そ、そうだよ? 覚えてないの?」

「すまない。お前のことも、覚えてない」

 アンダインが頷きながら言った言葉に、アルフィーの顔はさっと青ざめた。表情の歪んだ相手に困惑しながらも、アンダインは改めて寝室を見回し、朝日を遮るカーテンのかかった窓に目をやる。

「ここはどこだ。随分外が明るいな。ホットランドか?」

「えー……っとぉ……。ああ、どうしよう……。おおおお落ち着いて聞いて欲しいのっ、こ、こ、ここは」

「お前が落ち着け」

 アルフィーが眼鏡を抑えながらあたふたと落ち着かない素振りで視線を泳がせたので、アンダインが眉を寄せて腕を組んだ。言われたアルフィーはそれでも冷静になれず、薄い部屋着の自分がなんとなく恥ずかしくなりベッドサイドの椅子の背凭れに掛かっていたカーディガンを羽織る。
 そして昨晩のことを思い出していた。

 昨夜部下の二人に背負われたアンダインが家へ運ばれ、その時のアルフィーのソウルは止まるかと思うほど飛び上がった。狼狽える彼女を先制するように、02が

「命に別状はありません」

 と言った。
 01が搔い摘んで説明するには、人間の要人家族を警護している最中に、護衛対象の一人であった幼児が階段から足を滑らせ、下階に衝突直前、庇ったアンダインが代わりに頭を打ったという。

「あれは仕方無かった」

 と付け加えた02。人間警護で厄介なのが、魔法を禁止されている場合があるということだ。特に公の場の場合、トラブルを避けるために課されることがある。勿論、危険性の低い警護に限る制約だった。普段のアンダインなら槍や足場を具現すればよかったが、今回は咄嗟にそれが出来ずに頭打ち、脳震盪を起こしたという。
 幼児の動きは読みづらい。その場でただ一人素早く動くことができたアンダインに、子の母親はいたく感謝しており、騎士の怪我を案じていた。

「姉さんて真面目なんすよね。使えばよかったのに」

 01は愚痴を漏らしたが、当のアンダインも後に同じことを言った。(幼児がモンスターの魔力で傷を追う可能性はゼロでは無かったので、アンダインはそう言いながらも自らの判断を反省することはしなかった。)

「傷は軽いです」

 アンダインを診た医者がそう診察しており、彼女の身に問題は無いというのは本当だった。しかし数時間ほど経っても目を覚まさないので、部下の二人が自宅まで上司を送り届けに来たという。
 アルフィーはベッドに運ばれたアンダインを見つめながら神妙に二人の話を聴いてた。
 「最近気を張る仕事が続いてたから疲れたのかもしれない」と、龍と兎はアルフィーに余計な心配をかけまいと言い残して、忙しなく家を後にした。

 心配して損したような気分にさせるほど穏やかに寝息を立てるアンダインを前に、アルフィーはようやく息をついた。そして、打った額にそっと触れながら、彼女が早く目を覚ますことを祈った。

(でも、いっそこのまま暫く目覚めなければ、ゆっくり休んでもらえるんだ)

 アンダインの静かな寝息を聞きながら、小さくため息をつく。アルフィーは以前から彼女の仕事が危険なことを危惧していた。アンダイン自身はこの仕事を自分の生き方だと言い切っていたが、それを分かっていても心配は尽きない。

― 「私を助けると思って、傍に居て。アルフィーじゃなきゃ、私の傷は癒えない」

 アンダインの表情は冗談を言っているわけでも嘘をついていたわけでも無く、本当にそう思って口にしていた言葉だった。それが伝わるだけにアルフィーは彼女の助けになっていることが嬉しい反面、余計な苦しみも感じている。

(いっそ私の事なんか忘れちゃえばいいのに)

 数か月前、何を隠そう自分の方が記憶喪失に陥って大事なアンダインを忘れていた。それも、愚かな自分自身への呪いの為に。けれど自分に呪いをかけたところで地下一の英雄から逃れられるわけは無く、結局は彼女を悲しませるだけだったことを何度も反省している。の騎士は、番になった自分の事をとても大事にしてくれていた。それ故ではあるが、時にアンダインはアルフィーの事で気を荒立て、不機嫌になり、悲しんで涙すら流してしまう。感情の忙しい英雄だ。

(そうだよ、アンダインが私を忘れてくれたら、今よりちょっとぐらいは、休んでくれる……)

 アルフィーはただアンダインの休息を願い、彼女の傷に手を当て続けた。

 それが、ほんの数時間前のこと。

 アルフィーは自分がそんな思考に耽っていたことなどすっかり忘れてしまっていた。

「……今アンダインは記憶障害の可能性が高い……っていうか多分そうなんだけど、きっと昨日頭を強く打ったからだと思うの」

 アンダインが頷いた。魚人の落ち着いた様子に、アルフィーは「肝が座ってるんだなぁ」と呟く。

「記憶喪失ならお前を知らないのも納得だ。頭も痛む」

 アルフィーは慌てて部屋を出ると、保冷剤を丸めたタオルを持ってきて、アンダインにすすめた。だがそれを差し出されると「そこまでじゃない」と魚人は断る。

「ああ、そ、そ、それでね、取り敢えず、あなたの知ってること、教えてほしいの」

「知ってること?」

「昨日はどこで何をしたか、とか」

「家で、パピルス……友人と修行料理をしていた」

「家って、ウォーターフェルの?」

「よく知ってるな」

「……ここが地上だって言ったら、信じてくれる?」

「……何だとッ!?」

「ヒッ」

 急に吹き出したアンダインの気迫にアルフィーは身を縮めた。そんな相手を残して、アンダインは大股で窓へ駆け寄るとカーテンを開け放つ。そこで、彼女は太陽光を受けたまま口を開けて固まった。