魚と蜥蜴の馴れ初め -3- 謁見まで

Alphyne
小説
捏造設定あり
連載

 子供の頃からヒーローに憧れていた。強くて、不屈の決意を持った、誰にも負けないヒーローに。悪に容赦しない。正義感の強い存在に。

 その点で言えば、アンダインの目から見ればアズゴアは”英雄”ではなく、やはり”王”であった。あの生っちょろさが、王としての彼を完璧にしているようにさえ見える。本人はそう思っていないだろうということもアンダインは解っていた。

 この王を支える英雄が必要だった。人間と戦うために。

 人間は、自分達を閉じ込めた強大な存在。でもヒーローならきっと立ち向かう。ガーソンはもう歳だ。新しく、若い、強い者が居なければ…。

(私が戦うんだ)

 宿命めいたものを子供の頃から感じていた。周りの子供の中でも抜きん出て力も強かったし、魔力も高かったので、迷うことはなかった。誰から強制されたわけでもなく、心の赴くままへ歩んでいた。最初は憧れだったそれは使命へと姿を変えてアンダインのソウルに輝き続けた。

 今も。

 ある時、アズゴアがアンダインを棺の間へ呼び出した。普段は閉ざされていたそこは、スノーフルより冷たい空気が充満していた。それでもアンダインは勇んでそこへ踏み入った。アズゴアに一太刀食らわせた直後だった。だからきっと、なにか重大な使命を与えられるんだと思って高揚していた。

「その棺桶は、私が殺した人間の遺体が入ってるんだよ」

 哀しげな王の瞳は忘れ去られた鏡のようにくすんでいた。永い年月は彼から何を奪ったのだろうか。おそらく涙は枯れてしまっただろう。

「人間は塵にならないのか」

「そして、この世界に居る限り腐敗もしない」

「焼き消してしまえ。もう死んでいるのだから」

「それは……可哀想だろう?」

 アンダインが棺の一つに手を伸ばしたが、それを王が制した。

「いつか、魂を返してやるつもりなのか」

 アズゴアは明瞭な返事をせず、アンダインと部屋を出た。永い廊下を歩きながら、アンダインはアズゴアの背中を食い入るように見つめた。

(なぜ悲しそうな顔をする。人間は悪だろ? 違うのか……?)

「お前は優しすぎる。アズゴア」

 
 
ー あなただって
 
 

 分厚い眼鏡の奥の小さい瞳に自分が映ったのを見て、アンダインは目を覚ました。

「私は違う」

 と言葉にしてみたものの、それに頷いてくれる人は居ない。自分一人の部屋なのだから。
 夢心地の浮いた感覚は久しぶりだ。普段は夢など見ないアンダインはそれでも習慣からさっさとベッドから立ち上がって照明の灯りを付けた。
 ウォーターフェルは昼も夜も暗いエリアだし、水棲生物たちは目が慣れているが、折角のお気に入りの壁紙や家具や雑貨を並べた家に居る間は電気をつけているモンスターが多い。

 馴染みのジーンズをはいて、手ぶらで外へ出た。ニューホーム向かい、王へ定期報告をしなければならない。面倒だが、これも騎士隊長の務めだ。

 ホットランドのパズルエリアの上を飛び越えていくこともできるが、暑さは避けたいのでMETAホテルの直通エレベーターを使うのはいつもの事。「MTT Resort」の派手な文字の門を通ると、丁度エレベーターのドアが閉まりかけていたので飛び込んだ。知った顔と目が合う。

「アルフィー博士、奇遇だな」

「隊長様…!」

 アンダインに驚いたアルフィーが両手に抱えた書類を落としてエレベーター内に紙が散らばった。

「すまない」

「いいえ、これは私が」

 アンダインが足元の書類を拾おうと手を伸ばしたところに、それを先に引っ手繰ろうとアルフィーが手を伸ばして、お互いの指が触れた。

「失礼しました!」

 トカゲの黄色い頬がカッと染まる。アンダインはそれを見て、初めて出会った時の事を思い出した。
 急いで書類をかき集めているアルフィーの視線に腰を下ろして拾いきったものを彼女に手渡す。俯いて申し訳なさそうに眉を顰めたアルフィーが震える手でそれを受け取った。

「これからアズゴアに会いに行くんだろ。私もだから一緒に行こう」

「わッ私の足は遅いので……! お先にどうぞ」

「嫌われたか」

「どんでもない!あ、あ、あなたを嫌いなモンスターなんか居ません。……ごめんなさい、私、人と話すのが苦手なんです…だから……」

「苦手には見えん」

「そうでしょうか」

 アルフィーは俯いて、書類をしっかり握り直した。確かに、彼女はよくかむし、どもるし、流暢とは言い難い。だが、ごみ捨て場で共に過ごした数時間を思い出せば、アンダインはアルフィーの知識量に素直に感心したし、それをひけらかすような態度もなく事細かに説明してくれる科学者に対して、単純に「話すのが下手」だとは思えなかった。

 もっと気軽に口をきいて貰いたい。そう思った。

「なあおい、敬語はやめないか。同じ立場だ。それに私、苦手なんだ」

「隊長様にそんな」

「アンダインで良い。私も名前で呼ぶ」

「あ……アンダイン様」

「敬称も要らん」

 そう言ったものの、少しばかり無茶なお願いをしている気がした。たった数回の会瀬だが、この気難しいトカゲが馴れ馴れしく話をするのが得意な性格ではないことは解る。
 それでも、エレベーターに乗り合わせた縁がそれを叶えてくれるのではないかと期待して、アンダインは笑いかけた。階層表示を見れば、もうすぐニューホームへ到着する。

「アンダイン……は、よく笑う……のね」

「そうかな」

「う……うん、羨ましい」

「羨ましいなら、お前も笑えばいい」

「で、でも、私、笑うの苦手」

「最初に出会った時、楽しそうに笑ってたのを覚えているぞ」

「ああ……わ、忘れて……」

 下唇を噛んで手で顔を覆ってしまったアルフィーがまた書類を落としそうになったので、アンダインはさっと手を伸ばしたが、アルフィーの肩がびくりと震えたので触れずに腕を降ろす。

「どうしてだ。可愛かったのに」

「かッ揶揄わないで……ッ」
 
ーチンッ
 
 ドアがゆっくり開く。エレベーターがニューホームへ着いたのだ。アンダインがドアに手を掛けて、先に出るよう促した。涙目になったアルフィーがペコリとお辞儀をしてエレベーターを出る。

 城下は相変わらず都会らしい喧騒で賑わっていた。学校帰りの子供の集団がアンダインを指さして騒ぐ。老若男女に声を駆けられ、一言二言返しているアンダインが目を逸らしている隙にアルフィーは歩き出した。

「待って、アルフィー!」

 先へ歩いて行ってしまうアルフィーに声を駆けたが、そうしなくても数歩大股で歩けば、小さなトカゲに追いつくことなど大きな魚人には容易い。

「ごめん。揶揄うつもりはなかった。私、思ったことをすぐ口にしちゃうんだ」

「……」

 本人の言葉通り、アルフィーの足は遅かったが、アンダインに気を遣わせまいと足を早めていた。それを見て魚人の方も歩みを緩める。
 そんな英雄の優しさが、アルフィーには痛かった。

(ああ、この人は噂以上だ。遠くの人からも近くの人からも愛されるヒーローだ)

 隣を歩くアンダインのブーツを横目に、呟く。

「あなたはカッコいい」

「そうか、ありがとう!」

 自分のように、折角の褒め言葉を否定するような卑屈さはない。なんて気持ちの良いモンスターだろう。
 アルフィーは一層アンダインの視線から逃げるように視線を落とした。城下ニューホーム大通りの石畳の小洒落た施工に意識を向けて、この時間が早く終わることを祈っていた。それなのに、ホットランドのラボへ戻った後も、一瞬だけ見えた英雄の笑顔がアルフィーの瞼から暫く消えることは無かった。