相性の悪い二人 – 3
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連載:相性の悪い二人
「ここのケーキ、有名なんだ。一口、食べてみてよ」
都内の公園は広い。散歩している間にケーキのクリームが溶けてしまうからと、適当なベンチで二人は箱を開けた。メタトンはアルフィーの好みを知っていたのか、彼女の好きそうなクリームたっぷりのショートケーキが入っていた。
アンダインがアルフィーの差し出すフォークからケーキを一切れ口に入れると、思ったほど重くないクリームとフレッシュなイチゴは、彼女の予想に反して美味しかった。
ケーキを食べるアルフィーの横顔を眺めながら、メタトンの言葉を思い出す。
― 「君たちはどっちもお互いに悪い相性だったのさ」
(まあ、味の好みも違うしな)
と胸中呟く。言われたときは多少ショックだったものの、相性が悪いからなんだ、という気持ちがアンダインの中で沸々と沸き上がった。
(相性が悪くたって、私たちは愛し合っているじゃないか!)
だが「だから何も問題ない」と嘯けないのは、自分がアルフィーから言い渡されたセリフにショックを受けているからだと、アンダインは心の隅で自覚した。
メタトンに向けるように、思ったことをなんでも伝えてほしいと思うのに、なぜかアルフィーは自分に対してはそれが出来ないらしい。
― 「大事な相手にほど……弱みを見せたくない気持ちなんか、ア、アンダインには、わかんないでしょ……ッ」
過去に彼女が訴えた言葉。自分がアルフィーから愛されているから、話してもらえないのかもしれない。複雑だ。アルフィーの捻くれた思考に付いていけないが、まあ、それはそれで愛されている証である。
「ねえ、アルフィー」
黄色い頬についたクリームを指で拭ってやると、アルフィーは慌てて紙ナプキンを箱から取り出した。それを余所にアンダインは続ける。
「お前が逃げて、私がそれを捕まえる。それで良いと思ってたけど」
「よ、良く無いよ……。困らせてる……」
確かに、アンダインはアルフィーの扱いに参っている。が、止めようとも思わないし、自分の手に負えないと匙を投げる気にはならない。アルフィーの言葉に首だけ振って、アンダインは続けた。
「閉じ込めるだけ閉じ込めて、お前の辛さを消してやることができないから、何度も逃げられるんだ」
「ア、ア、アンダインはなにも……」
アルフィーはナプキンで口を拭いながら、顔を伏せた。アンダインから逃げたくなる理由は一つや二つではない。色んな心配や憂鬱が相互に作用してアルフィーを搔き立てる。アンダインを熱愛すればするほど、アルフィーは自身の気持ちの許容を超えてしまう。
アンダインがその気になればアルフィーのソウルから気持ちを読み取ることは出来た。何度もそれで心を通わせてきた。アルフィーの複雑なソウルの哀切は、アンダインも感覚として理解している。ただ、ソウルの交流で出来ることは相手の心を感じ取り、自分の想いを放つことだけで、他者の思考を変えることは出来ない。
沈黙に耐えられず、アルフィーはアンダインの顔をチラリと見上げた。そして、か細く呟く。
「そんな顔させたくなかった……」
言われたアンダインは思わず自身の顔を撫でた。自分では気づかないが、痛々しい顔でもしていたのだろう。深くなっているであろう眉間を指で抑えた。
「私の事で、怒らせたり、悲しませたり……そ、そりゃ、どんな顔してもあなたの自由だけど、でも、きっと、私のせいで、辛い思いをさせてるんじゃないんじゃないかな……って……」
アルフィーが真剣に悩んでいるのは明白だった。それなのに、アンダインは急に胸が震え出した。
(そんなこと……!)
当たり前じゃないか。と口に出かかった。大事な大事な彼女が傷ついたり、悲しんだりしたら、アンダインは正気ではいられない。自分では、多少怒りで我を忘れたこともあったかもしれないが……という程度の認識で(おそらく周囲のモンスターは「いや多少ってレベルじゃない」と口を合わせるだろうが)アルフィーをそんなに困らせているとは思っていなかった。少々戸惑わせているが、彼女はいつでも笑って許してくれていた。
自分の愛情が重い自覚はあれど、自身が思うよりアルフィーに翻弄されているのを相手から間接的に伝えられたことで、アンダインは急に可笑しくなった。照れ臭いような、申し訳無いような、珍妙な気分だった。
「……ふ……」
「……?」
「ふふ……」
先程まで泣きそうに眉を寄せていたアンダインが、急に笑い出したので、アルフィーは口をあけて彼女を見上げた。アルフィーの真剣な気持ちを笑ったわけではないと弁解して、アンダインは大きな身体を縮めた。
「私、そんなに顔に出てたか。カッコ悪かった?」
「……ア、アンダインはいつだって、カッコ良いよ?」
アルフィーの言葉に口元はにやけるし、目元も笑みを隠し切れない。軽く自分の頬を叩いて、アンダインは咳払いをした。魚人の青い頬が急に赤らむのを不思議な気持ちでアルフィーは見つめた。
「愛してるから、小さい事でもムキになるし、涙が出そうになるし、胸が痛くなる。それだけだ。気にするな」
「……」
「私はお前の為に不幸に成ったりしない」
アルフィーは数秒言葉を失った。そんなことは、重々知っていた。アンダインが自分の事を愛しているから、彼女は不幸なのだと、そう思っていた。愛されているから、困るのだ。それなのに、アンダインはそれを笑い話にしてしまった。彼女が言うように「それだけ」のことで「気にするな」ということだ。
「アルフィーの傍に居るのは私の幸いだ」
「で、でも、でも……! アンダインは、私を守って戦おうとするから……。私が居なければ、アンダインが傷付かないで済む……! 私みたいに弱いモンスターは、傍にいちゃいけないんだよ……」
「それは間違いだ」
アンダインがベンチから立ち上がった。そして、公園の広場で憩うモンスター達を遠くに眺めた。
「モンスターに脅威が迫れば、私はどうせ戦う。その過程で傷を負っても、誰のせいでもない」
「あ……」
「アルフィーが傍に居なくても、私はアルフィーを愛しているし、どうせ、お前のその懸念は消えないぞ」
アンダインがアルフィーに以前言った。「私は騎士で、英雄だ」という言葉をアルフィーは思い出した。アンダインの生まれながらの使命。持って生まれた正義の心。愛の魂。それがある限り、彼女が戦線から引くことはない。
「……わか……てる……! あなたは、優しいもん……」
青い瞳が揺れ、瞬きすると涙が一粒こぼれた。青い指がそれを掬う。
「私が優しいか」
アンダインは鼻を鳴らして笑った。アルフィーを閉じ込めて自分だけのものにしようとしてる自分が優しいとは滑稽だ。
「どうして、私なんか好きになっちゃったの……? こんなトカゲのどこがいいの……っ 意気地無しで、汚くて、捻くれてて、いっそ……嫌ってくれたらって、思う……。でも……いつか本当に嫌われるんじゃないかって、怖いよ……」
「だから、逃げるのか?」
アルフィーの睫毛が震えるのを、アンダインはずっと見つめていた。今すぐ抱きしめてしまいたいが、アルフィーが少しずつ気持ちを吐露しているときに、それを遮ってはいけない。
「アンダインには、わかんないよね。あ、あなたにとっては、取るに足らないことだもの……」
アンダインはアルフィーの足元に跪いて、下から彼女を見上げた。
「私だって、アルフィーに嫌われるのは、怖い」
アルフィーがハの字眉をさらにハの字にする。アンダインが自分を嫌う理由ならいくらでも挙げられるけれど、自分が彼女を嫌う理由はどこにも無い。アンダインが何を怖れているのか、アルフィーにはいまいちピンとこない。
実際にはアンダインにとって他に恐れるものが無いだけに、アルフィーの愛や信頼を失うことは一層脅威だった。
二人のすれ違いはどんなに心を重ねても解消されない。言葉や五感を駆使して探り探り相手を理解していかなければならないことは、モンスターも人間とそう変わらない。
「離れるのも嫌だ。アルフィーの心も体も全部欲しい」
アルフィーの頬がさっと熱を帯びていく。
「勝手だけど、本心だ。嫌わないで、アルフィー。頼む」
「……へっ?! あ、えと」
アルフィーは真っ赤になって震えていた。辛うじて頷くと、アンダインが破顔してアルフィーの手を取る。そして軽い笑い声をあげた。それには安堵のため息も混じっていた。
「安心した!」
「あ……安心?」
「別れを言われてから、ずっと気にしてたんだぞ!」
「ご、ごめん! 私、酷い事言ったよね……!」
アンダインは首を振った。
「辛い気持ちをわかってやれないくせに、強引に束縛して、お前を傷付けたのは私だ」
アルフィーも、アンダイン以上に大きく首を振ってそれを否定した。
「アンダインは私の事、すっごく大事にしてくれてる!」
それから、アンダインの首に手を回して抱き着いた。小さい膝に辛うじて乗っていたケーキの箱が落ちそうになって、アンダインはアルフィーごとそれを受け止めた。アルフィーからの積極的な愛情表現は珍しく、アンダインは喉を鳴らして息を止める。
「ごめんね! そ、束縛なんか、全然、もっとしていいんだよ! だって私……!」
一緒に過ごすようになって、随分時が経ったのに、アルフィーは何時まで経ってもアンダインは怖れなど抱かないと勝手に思い込んでいた。いや、ヒーローとはいえアンダインも一生命なのだから、恐怖心ぐらいあるだろうが、それでもまさか、自分の事で彼女がこんなに気を揉んでいたなどと、考えもつかなかった。
アンダインの安堵の表情に心苦しくなったアルフィーは彼女を安心させようと慌てて口を開いたものの、自分の台詞が恥ずかしくなって体を離した。
「ああっ、や、ちちち違くて! 私は別に束縛してほしいとか危ない性癖は……無くも無いないかな……な、な、無いよ! アンダインだけだから!」
言葉を放てば放つほど墓穴を掘っている気がしてアルフィーは真っ赤になっていった。アンダインはそれが可愛らしくて、愛しくて、思わず笑い声をあげた。それを聞いてアルフィーは口を閉じてもごもごと小声で
「私も、に、逃げないように、頑張り……ます……」
と呟いた。
「逃げない」なんて約束できないと思っていたけれど……そんな頑なな思いがアルフィーの中で少しずつ溶けていく。アンダインが言う「傍に居て」も、自分では叶えてあげられないと思っていた。
それでも、少しずつ変わっていくかもしれない。確信はまだ無いけれど、小さいトカゲの希望は徐々にソウルの中で光を燻らせていた。
「アンダインの事、大好き……だよ。でも、そ、それしか、自信持てるもの、無いの」
「それでもいい」
アンダインはアルフィーの膝にケーキの箱を戻した。箱を覗くと、中のタルトは崩れてしまっており、それを見て二人は声を上げて笑った。アンダインは不格好なケーキを指して、それも食べたいと甘えたが、備え付けのプラスチックのフォークがベンチの下に落ちてしまっていたので。困ったアルフィーは指先でそっとケーキを掴んで、アンダインの大きい口元へ持って行く。落ちそうになるフルーツを何とか口に入れたアンダインの頬がクリーム塗れになったので、アルフィーは箱に残っていた紙ナプキンでそれを拭ってやった。
「一口で食べちゃうなんて」
「あっ、ごめん」
アンダインは照れ臭そうに自身の腕でも口周りを拭い、金の牙を見せて笑った。嬉しそうな魚人を見ているとアルフィーも思わずにやけてしまう。アンダインが自分と一緒に居る間の少しでも、楽しい時間を過ごしてくれたらとアルフィーは思う。
「いいよ。いっぱい食べてね」
ケーキの箱はもう空だった。アルフィーの意図と違うことは解っていたが、アンダインは彼女の黄色い指を取り、そこに残っていたクリームを舐めて、アルフィーをまた真っ赤にさせた。
FIN
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