砂を掬う水掻き -1-

Alphyne
小説
連載

※『魚と蜥蜴の馴れ初め』の続編。こちらから読むことをお勧めします。
 
 
 



 
 
 

「私やっぱり……」

 それが彼女の最後の言葉だった。『一緒に暮らそう』というアンダインの提案に対する回答。あっけない。なんの含みも無い。今となっては別れの言葉となってしまった味気ないそれは、思い出すのも難儀した。
 当時アンダインはその返答にしつこく踏み込もうとしなかった。臆病なトカゲには時間をかけてゆっくり近づけばいい。その判断は正しいと思っていたし、今でも間違いだったかどうかわからない。
 ただそれは、望まない結果への単なる通過点になってしまったのは、今思えば明らかだ。

 アルフィーが数日前から姿を消した。

 それに最初に気付いたのはアンダインだった。

 地下世界は王の死という大きな変革で混乱の最中、新しい指導者トリエルは有能だったが、それでも末端の混乱まで鎮めるのは難しい。アルフィーもきっと苦労があるだろうと、アンダインはラボへ毎日顔を出していた。アルフィーが目をかけていた人間の少女も地上へ帰ってしまって、それについて気落ちしていたのも気がかりだった。いつものようにラボへ寄ったアンダインが、その姿が見当たらないので電話をかけたが、その日一日どころか、数日経ってもアルフィーへシグナルが届くことは無かった。

 アルフィーは本当に、ただ忽然と消えてしまったのだ。書置きもなかった。

 周囲の者は最初『遠出しているのだ』などと構えていたが、アンダインだけは胸騒ぎが止まず、地下中を飛び回ったが、彼女の痕跡を見つけることはできなかった。SNSの更新も止まったまま。電話も繋がらなず、目撃情報の一つも掴めずにいたアンダインは、次第に焦りを募らせていった。
 地下世界が喪に服し、女王の指導を受けながら新しい方針へ動き始めている。そのため、周りのモンスター達がアルフィーの安否を心配し始めても、大きな事件にはならなかった。彼女の後任の研究者が決まり、そのころには皆、どこかでアルフィーの安否を諦めていた。彼女が姿を消してから、すでに数か月が経過していたからだ。

「アンダイン。いい加減にして」

 スノーフルの住民が寝鎮まって雪が音を静かに覆い隠していた真夜中に、アンダインは帰ってきた。ソファーで眠りこけていたパピルスが飛び起きて、彼女の手首をつかむ。たったそれだけなのに、アンダインは体勢を崩しそうになった。

「アンダインが倒れちゃう」

 すとん。とソファに座らされる。アンダインの顔は終始驚きを隠せなかった。眠気などない。疲れも感じない。それなのに、気付けば力が入らないのだ。

「ア………」

 『アルフィーが居なくなって何日経った?』と口にしそうになったが、それをパピルスに問うたところで彼は応えられないだろう。それほど長い間彼女は消えていた。さらに自分へ追い討ちをかけるとわかっていたので、アンダインは口を開けたまま黙った。

「ちょっと、今日はオレのベッド使っていいから、寝てよ」

「眠くない」

「じゃあ、横になって、目を閉じて。絵本読んであげる」

「有難う、ベッドだけ貸してくれ」

 そう言って、パピルスの部屋へ向かった。扉を閉めると、立っていられずドアの前でへたり込む。膝が震えている。自分がこんなに弱い筈が無い。親切なスケルトンのせいで張っていたはずの緊張が解けただけだろう。そう思いたかった。
 どうやって呼吸してたんだっけか。と思案しながら床を見つめる。はらりと垂れた自分の髪が目に入ってうざったらしいが、払う気になれない。
 横になれと言われたのに、数メートル離れたベッドまで歩いていくことも出来なかった。視線だけ投げると、ベッドサイドのテーブルにはフィギュアが並んでいるのが見える。アルフィーが愛していたキャラクターみゅうみゅうのフィギュアも立っていた。アルフィーは子供じみた趣味を好んでいながらその事を隠したがっていたのを思い出した。

- この部屋は、趣味のものが隠してあるから、入らないで

 恥ずかしそうにそう言うアルフィー。彼女は、ラボの研究室の一つのドアを、たまに出入りしていた。「入らないで」というのなら、自分が用の無い場所だ。だが、あそこはまだ開けていない。

「アンダイン、パスタ作ったけど食べる?」

 パピルスがドアをノックして部屋のドアを開けると、冷たい外気が廊下に流れてきた。部屋の窓が開けっぱなしになっており、居るはずの友人は消えていた。

 
 
 
・・・
 
 
 

冷たい

 寒がりなアルフィーがこんな場所に隠れている筈がない。頭では「ここではない」と思いながら直感は「ここだ」と叫んでいた。

 アルフィーが出入りを禁止していたドアの先が、広い地下研究施設へ続くレベーターになっていたなどと誰が予想できただろう。入ろうと思えば誰でも入れるような安直な隠し方。アンダインは急く気持ちでそこに飛び込み、施設を走り回った。暗いが、明かり乏しいウォーターフェルで生活しているアンダインには、そこに残されたアルフィーの書き留めたメモに目を通すのは容易なことだった。此処彼処に散乱したそれを辿って行くうちに涙が溢れ、止まらなくなる。

(私はなにも知らなかった。何も分かっていなかった)

 アルフィーが抱えているものについぞ気付いてあげられなかった自責の念でアンダインのソウルが疲弊していく。それでも歩みを止めるわけにはいかない。酸素が薄いのか、呼吸が次第に荒くなる。
 そして、最奥の部屋で、見覚えのあるサンドイエローに輝く塵と、彼女が愛用していた眼鏡、白衣が落ちていた。それの前に膝をついて、腕に抱きしめる。微かにアルフィーの暖かい匂いが残っていた。

「ここに居たのか」

 そしてやっと、アンダインは横になった。白衣と塵を抱きながら。漸く感じた疲れと眠気に襲われ、目を閉じる。冷たく煌めいているアルフィーは、生きていたなら恥ずかしがって逃げてしまっていただろうが、今は大人しくアンダインの腕に抱かれて撓垂れていた。

アルフィー

アルフィー

アルフィー

 彼女の名前だけがアンダインの胸を満たしていく。助けることが出来なかった後悔や懺悔はきっと目が覚めたらやってくるだろう。それまで一緒に眠りたい。冷たい床の感触を感じながら「寒かったろ」と白衣を撫でる。アルフィーは黙って小粒の光を瞬かせていた。

「過去に戻れたら、その時は必ずお前を守る……」

 声にならない呟きを残して、アンダインは眠りについた。