約束の洞窟
※もしもアンダインとアルフィーが幼少期に出会っていたらというIFストーリーです。
※アルフィーとアンダインは3つ年の差設定です。
ウォーターフェルは水が流れる静かで穏やかな地区だったが、所々に設置された柵はそこが一歩足を踏み外せば危険な場所であることも示していた。奈落へ繋がる水のエリアには、子供は立ち入り禁止の箇所が多い。
アンダインは特に管轄地区の危険性の高い場所を念入りに見て回った。そして、普段は誰も寄り付かない滝の下の崖に、崩れかけた柵を見つけた。
「ここの設置は10年前か」
老朽化している。インフラチームに報告しなければならない。携帯を取り出しながら、アンダインは周囲を見回した。特に修繕な必要な箇所に目星を付けて写真を撮り、その場を去る。しかし心は、暫くこの場所で漂っていた。
10年前、まだそこには柵は建っていなかった。水の勢いも、もう少し穏やかだったと記憶している。あの頃自分はまだ十歳の稚魚で、年齢が二桁になったことを喜んでいた。
誰も居ないこの場所を、秘密基地を見つけたような気持ちでしょっちゅう訪れていたのを覚えている。そして、そこに現れた年上の可愛い初恋の女の子のことも……
◇
「ねえ!」
かけられた声に振り返ると、自分と同じぐらいの背丈の子供。近所の学校の生徒だろうか。ウォーターフェルは水棲モンスターの住処なので、この子供もどこかの稚魚だろう。トカゲの少女アルフィーは読んでいた本を閉じて、携帯ライトをポケットにしまいながら、寄ってくる子供から後ずさった。
「な、なあに?」
「ここ、子供は入っちゃダメなんだぞ!」
「ごごごごめんなさい……!」
すばしっこそうな青い裸足、子供ながらに鋭い目、気の強そうな赤毛を一つに縛っている。アルフィーは、小さいながらも迫力のある子供から、思わず距離をとって目を逸らしたが、それが気に入らなかったのか、魚の子、アンダインがさらに詰め寄った。
「怪しいぞ。ここらのヤツじゃないな? どこから来たんだ」
「私、ニューホームに住んでるの。ホ、ホットランド寄りの端っこだけど……」
「遠いな」
「さ、最近、直通エレベーターが出来たから、そうでもないよ」
「何しに来た」
「えっと……」
アルフィーは言葉を濁した。ウォーターフェルへ来たのに特別な理由は無い。静かに本を読める場所を探していた。ニューホームの学校は賑やかだったし、居辛いということはないが家に帰りたくない時もある。ちょっと遠出して自分の事を誰も知らない場所に行きたくなった。
「ニューホームには王さまが居るんだろ? いいなぁ」
「王様、好き?」
「うん、強いからな。いつか戦って勝つんだ!」
「へ、へぇ……強いんだね、あなた」
「学校で一番強いぞ! もっと強くなる。それで、ロイヤルガードに入るんだ」
「凄いね」
アルフィーの賞賛にアンダインは気を良くして鼻の頭を撫でた。
「お姉ちゃん、悪いやつじゃないな」
「へへ、ど、どうも」
「でも、ここに来てるのがバレたら怒られるぞ。ガーソンに」
「だあれ、それ?」
「知らないのか?!英雄だぞ」
アルフィーは、歴史の教科書にその名が載っていたのを思い出した。亀のモンスターである彼は過去の大戦の経験者ではあったが、ウォーターフェルで考古学者をやりながら未だに健在らしい。
アンダインが頭をかきながらニカッと笑い、金色の牙を無邪気に見せた。
「内緒にしててやるから、私のことも言うなよ!」
「あれ、もしかして、あなたも良く来るの?」
悪戯っ子のようにニイっと笑ってアンダインは頷く。
「ヒーローの秘密基地」
アルフィーはそんな可愛らしい答えに釣られて笑った。そんなことなら、隠し事に付き合ってあげてもいいと思ったのだ。
ふわっと笑うトカゲの緩い口許に、魚の視線が一瞬奪われる。
「お姉ちゃんいくつ? 私もう十だぞ」
魚人の胸を張った姿にアルフィーはまた笑った。
「大きいね。私十三だよ」
「大人だ!」
「残念、大人は二十歳からだよ」
「え!……まだ半分か」
残念そうに口を尖らせる魚人の子に、アルフィーは小首を傾げる。
「大人になりたいの?」
「ガーソンみたいな英雄になるんだ。そんで、王様と一緒にニンゲンと戦うんだ」
アンダインは楽しそうに語ったが、急に眼を見開いた。そしてアルフィーの手を取ると、滝に向かって歩き始める。戸惑うトカゲに向かって青い人差し指を口元で立てた。
流れる滝の内側は小さな洞窟になっており、古びたラグの上に簡易なクッションがいくつか転がっていた。他にも玩具や本が乱雑に落ちており、子供らしい秘密基地の様相を呈していた。
滝の外に、大きな影が落ちる。それを二人は黙って見つめ合いながら、大人のモンスターの影が去るのを待った。その影は暫く周囲をうろつくと、滝の裏の空洞には気付かず去っていった。
「誰かな」
「多分、学校の先生。ここ、柵がないし、危ないから見回りに来るんだ」
言われて、アルフィーは滝の奥の深淵を思って背筋をぞくりとさせた。人気のない場所を探して危ないところを歩いてしまっていたようだ。
「……ここが秘密基地?」
「そう!良いだろ~」
魚人は持ち込んだ本の山から、得意げに一冊を取り上げてアルフィーに見せた。アルフィーはポケットから携帯ライトを取り出して、その柄の部分を引っ張ると、ライトの灯りはランプのように周囲を明るくした。
「すごい、なにこれ!」
「えへへ、作ったの。た、大した構造じゃないけど」
「お姉ちゃんが?!」
アルフィーはランプをラグに置いて、差し出された本を覗き込んだ。古びた英雄譚の本だ。かなり読み込まれたようなそれに、この子の「英雄になる」という意気込みの年季の入りようが見て取れる。そしてトカゲの少女は憧憬の眼差しを本に向けて輝く金の瞳に若い美しさを感じた。この魚の子供の未来が輝いているように思えてならなかった。暗い洞窟を明るいとさえ感じてしまうほど。
「大きな夢があっていいね」
「お姉ちゃんには、夢無いの?」
「う、うん……」
困ったように笑う爬虫類型の女の子の寂し気な笑みはまた、魚人の視線を攫った。
一方、溌剌と輝く魚の子が視線を向けてくる度に、アルフィーはその子が鏡のように我が身の小ささを映している気がした。
「私、何にもできないし。大人になって、何するんだろうな……」
「何にもできないなんて嘘だ。こんなすごいの作れるんだから」
アンダインは足元のランプを取り上げ、アルフィーの真似をして柄に灯りを入れたり出したりしている。
「そ、そうかなぁ」
「うん」
年下の子供に褒められて照れ臭いアルフィーは、冷えた手を頬で温めるように顔を隠した。ランプの灯りにぼんやり照らしだされたトカゲが照れる様から、アンダインはまた目が離せなくなる。大人から見れば幼気なその姿は、稚魚には年上の可憐な仕草に見えたのだ。体が熱くなるのを感じソウルが一つ大きく跳ねた。
「可愛い……!」
言ってから、アンダインの青い頬が赤くなる。だが、放ってしまった言葉は引っ込められない。謎の動悸にも、自分の言葉にさえも驚きながら、アンダインは俯いてしまった。
「え、何が……?」
「な、何でもないっ」
「そう……」
「……」
アンダインはアルフィーのことを何も知らない。名前すら、この時はお互いに知らず、知ろうともしなかった。子供の語彙では説明できない感情に少女は戸惑う。
言ってしまえばそれは純然たる子供らしい恋だった。相手のことなど知らないのに惹かれてしまう自分勝手な感情。それについて当時のアンダインに自己分析出来るはずもなく、誰も彼女に説明してやる機会はなかった。
とにかく目の前の黄色い女の子のことを知りたくてたまらなくなったアンダインは、アルフィーに矢継ぎ早に思いついた質問をした。好きな色、好きな食べ物、好きな天気、学校の得意な科目など。単純な会話と心地よい洞窟の静かな空間を少女たちは楽しんだ。
「ここのことは二人だけの秘密だぞ」
秘密の場所へ計らずもアルフィーを招き入れてしまったが、どうやらこのトカゲの女の子は口の軽い様子もなく、頷いてくれたのでアンダインはほっとした。
「秘密にしてくれるなら、また来ても良い」
そう言って顎を上げるアンダインにアルフィーは「ありがとう」と言って笑った。それから自分の肩を抱くと、ぶるりと震えてから小さくくしゃみをした。
ウォーターフェルはアルフィーの体には涼しく、加えて滝を潜ったときに濡れた体は冷えていた。
「寒い?」
「う、うん……」
アンダインは「待ってて」と言い放って洞窟を飛び出す。毛布を一枚家から抱えて帰ってくると、アルフィーの姿は洞窟から消えており、自分が洞窟に持ち込んだスケッチブックには「ごめんね」と一言、書き残されていた。アンダインは自分の字より幾分優しい字体のメッセージを何度も食い入るように見つめ、寂寞たる洞窟に暫く立ち尽くしていた。
◇
「僕、君のことが好きなんだ」
それは、隣の学級の男の子が先日アンダインに放った言葉だった。去年一緒のクラスでよく遊んでた。彼は大人しく利巧な優しい子だった。勿論アンダインも彼の事は好きだったが、相手が自分に向ける好意が自分のそれと違うものだということぐらいは、子供ながらにもわかっていた。
「将来、僕の番になってよ」
友人の真剣な言葉と声に、アンダインは一瞬戸惑ったが、友だからこそはっきりと首を振った。
「ごめん、私、そういうの解んないし。番を持つ気はないんだ」
「……そっか」
「でも、友達だよな?」
「……うん!」
男の子が安心したように微笑んだので、アンダインも胸を撫でた。
今ならわかる。彼の気持ちが。きっと心が潰れる想いだったに違いない。今の自分がトカゲの女の子との約束の日を毎日待ち侘びているのと同じように。飛び上がりたい気持ちを堪えているように。彼女をもっと知りたいと思っているように。恋というのは自分に対しても相手に対しても非常に厄介なものだとアンダインは思った。
彼女が書置きを残して消えてから数日後。あのまるくて愛らしい「お姉ちゃん」は自分の夢だったのではないかと疑い始めていた頃に、何の前触れもなくトカゲの女の子はアンダインの前に姿を現した。洞窟で静かに本を読んでいたのだ。
「夢じゃなかった!」
と叫んだアンダインにアルフィーは可笑しそうに笑った。
「こ、この前はごめんね。帰る時間だったの」
アンダインは首を振った。あの時の寂しさより今出会えた衝撃の方が今の彼女にとって重大だった。アンダインは持ち込んだ毛布をアルフィーに差し出して、二人でそれに包まった。
数日に一度、二人はそこで顔を合わせて取り留めのない話をした。通信手段など無い子供同士、時にすれ違うこともあったので、アンダインは洞窟にアルフィーの姿を見かけると幸運にすら思った。
アンダインはアルフィーの開く本に視線を投げた。
「それ面白い? どんな話?」
「これは……人間のラブロマンスだよ。ロミオとジュリエットって知ってる?」
「……知らない」
「貴方には興味ないよね。こ、恋物語とか」
「あるぞッ」
アンダインは慌てて首を振る。他者の恋愛に興味はなくとも好きな女の子と話を合わせたくなるものだ。
アルフィーは意外に思ってアンダインを見つめた。普段目を合わせてくれないアルフィーからの視線に、アンダインの方が俯いてしまう。
「もしかして、好きな子でも居るの?」
「えっ!」
言い当てられたアンダインのソウルが飛び上がった。目の前のモンスターがその相手だと、本人に伝えたい。好意を伝えて今以上に仲良くなりたかった。先日クラスメイトが自分に言った言葉を思い出して、幼稚な独占欲が暴走する。
(私の番にしたい!)
アルフィーは下を向いて黙ってしまった子供に手を振った。
「あ、ご、ごめんね。言いたく無いなら、聞かないよ」
その優しさが余計、稚魚に火をつけた。アンダインは自分のソウルが激しく鼓動するのを煩く思いながらアルフィーを睨み付ける。
「お姉ちゃんが好き……」
「えっ……?!」
しかし、それ以上に何を言えば良いのか解らず、アンダインはまた黙ってしまった。今度はアルフィーも一緒になって俯いて黙りこくる。数秒の沈黙が永遠に思えるほど、二人には長く感じられた。
じれったくなったアンダインが、もじもじと胸の前で所在無げに絡み合うアルフィーの指を取る。アルフィーは肩を震わせたが、そんな相手を気遣う余裕など稚魚はまだ持ち合わせていなかった。
「ねえ、お姉ちゃんは、私のこと好き?」
「えと……ッ」
「嫌い?」
「う、ううん、嫌いだなんて……」
はっきりしないアルフィーの返答に焦らされている気持ちと、赤くなって困っている女の子を可愛いと思う気持ちで、アンダインは混乱した。ただじっとアルフィーを見つめることしかできなかった。
「ご、ごめん、わかんない……」
アルフィーが顔を上げ、それを見てアンダインは息をのんだ。小さい瞳に涙を浮かべていた。そんなに困らせただろうか。悲しませてしまったか。稚魚は慌ててアルフィーの手を離した。
「ごめん…!」
「ううん、違うよ」
「怒ったの……?」
「ううん」
アルフィーはただ、急に自分に向けられた好意に戸惑っただけだった。他人事として恋愛を楽しみはするものの、当事者になることなど想定していない。ロマンチックな妄想はすれど、恋愛など遠い世界のお話だと思っていた。だが目の前の魚の子の想いは単純に嬉しかった。
それでも、美しい魚の子と醜いトカゲの自分とでは、釣り合わない気がしてしまう。
「私なんかの、ど、どこがいいの……?」
「えっ!」
「私、自分の事、嫌い。だって、良いとこ一つも無いもの」
アンダインの眉が悲しげに下がる。好きな女の子がしょげてしまったのに、慰めてやれる言葉が見つからなかった。彼女を泣かせて落ち込ませてしまったのは自分なのではないか。思案に余ってアンダインは唇を噛んだ。
「でも……」
アンダインは自分の胸のシャツを掴んだ。アルフィーを想うと跳ねるソウル。もし本当に彼女の言う通りだったとしても、このときめきは嘘ではないはずだ。
「好きだ!」
「……」
アルフィーは急に悲しくなった。根暗で弱い自分が誰かから好かれるに値するとは思えない思春期の少女は、目の前の稚魚も「良くある年上に憧れる子供の気の迷い」に浮かれているだけだと思った。勿論、アンダインは年相応の暴走気味な恋に踊らされていたのは確かだ。
アルフィーの瞳が涙で歪んだのを、アンダインはいち早く気付いた。まだ涙も落ちてない無いうちにアルフィーの頬に触れる。
「ありがと……。私もあなたのこと、す、好きだよ……。でもね……その……」
「分かった」
「え?」
「私が弱いから、お姉ちゃんを泣かすんだ」
「ち、違うよ」
それでもアンダインは首を振った。現に彼女を泣き止ませられないでいるのは自分の無力さなのだ。
「強くなるよ。お姉ちゃんを泣かせないように。地下で一番強くなる」
「……」
「強いモンスターは好き?」
アルフィーは頷いた。自分が弱い自覚がある彼女にとって、心身ともに強いモンスターは尊敬の対象なのだ。いつしか、魚の子に対しても同じ想いを抱くようになっていた。
「そしたら絶対迎えに行くから」
「む、迎え……?」
「絶対、強くなって、お姉ちゃんを守る騎士になる。太陽を見せてあげる」
そしてアンダインはアルフィーの手を掴んで小指を絡ませた。強くなれば、アルフィーを泣き止ませるどころか、太陽の下へ連れて行って幸せにしてやれるだろう。彼女は地上の本を好んで読んでいたのだから。
「約束する!」
あっという間に終わった指切り。一方的な、稚魚の幼い誓いだった。アルフィーは真剣な相手になんと言って返して良いかわからず、黙って頷いた。
◇
それから、アルフィーは洞窟に姿を見せなくなった。アンダインは何度もそこへ通って黄色い姿を探したが、ついに再会することは無かった。アルフィーは何度もウォーターフェルの入口まで足を運んでは、その度にアンダインへどう顔向けしたらいいか迷って苦しくなり踵を返してしまっていたのだ。
アンダインも、本格的に師や王から手ほどきを受けるようになり、洞窟へ通うことは無くなってしまった。稚魚の頃の夢は徐々に現実の道を歩み始めていた。子供のころの淡い恋はいつしか遠い記憶の引き出しにしまわれていったが、悲しくて優しい年上の女の子の騎士になることを、薄いヴェールのように自分の夢に重ねていた。
もう会えないだろうと解っていたが、時折思い出しては
(あの時なんて言えば、お姉ちゃんの涙を止めてあげられたのかな)
などと思案することもあった。
まさに先ほど、滝の洞窟の傍を見回っているときに鮮明にそれを思い出してしまい、アンダインは瞼を伏せてふっと笑った。可愛い思い出になってしまった彼女。今はもう顔も思い出せないけれど、どうしているだろうか。
アンダインはブーツを濡らしながらゴミ捨て場の方へ向かった。あそこをチェックすれば今日の見回りは終わりにしよう。ついでに、武器でも落ちていないか見ていこうか。
そして、滝つぼを見つめる白衣の女性の後ろ姿を見つけて、アンダインがその不穏な空気と無自覚の愛しさにソウルを震えさせるのは、あと数分後のことだ。