魚と蜥蜴の馴れ初め -1- ゴミ捨て場
- 1 魚と蜥蜴の馴れ初め -1- ゴミ捨て場now
- 2 魚と蜥蜴の馴れ初め -2- 英雄の訪問
- 3 魚と蜥蜴の馴れ初め -3- 謁見まで
- 4 魚と蜥蜴の馴れ初め -4- お呼ばれ
- 5 魚と蜥蜴の馴れ初め -5- 自覚
- 6 魚と蜥蜴の馴れ初め -6- Into True Pacifist Route
連載:魚と蜥蜴の馴れ初め
ウォーターフェルは薄暗い。だが、そこかしこに充満する生命の塵や、それに照らされた鉱石の光が闇特有の気味悪さを払っているエリアだ。少なくともそこに住む水棲のモンスターには居心地が良い場所だった。
その魚人も、勝手知ったる暗がりを不便無く歩いていた。冷気を伴った水の匂いの中に、重たく息苦しい嗅ぎ慣れないものが混じっているのを感じ取る。形容し難いそれを彼女は、誰にともなく
「死の臭い」
と呟いた。違和感の正体を突き止めようと、再度匂いを吸い上げる。実際には匂いなどしなかったが、直感から気配の方へ足を向けた。向かう先はすぐに見当がついた。地上からの廃棄物が積みあがったゴミ捨て場だ。
物好きなモンスター以外は来訪者など珍しい場所だったが、時々子供がゴミ捨て場へ迷い込んで怪我をする。
魚人は足早に水辺を駆けた。一番危険なのは滝壺だ。
心配した通り、小柄なモンスターが滝壺の側にぽつりと座っていた。普段ならひっつかんで淵から離してやるところだが、魚人はそれを躊躇した。水に腰を下ろして座っている小さな背中が、似つかわしくない重い影を背負っているように見えたのだ。自分を引きつけた気配がそれだということも、すぐに分かった。
「……滝壺って、どこに繋がってるのかな」
口を付いて出てきた言葉は、本当に聴きたいことではなかったが、後にこれは正解だったと思い返すことになる。
驚いたように肩を跳ねさせて、爬虫類型のトカゲの女性が振り返った。子供ではないようだ。
「だれ?」
トカゲのモンスターは背後に大きな影をとらえて、分厚いメガネの奥に恐怖心を露にしたが、それもほんの一瞬だった。青くなった顔を今度は真っ赤にして、視線を巡らせている。
自分の顔がお世辞にも眉目秀麗とは言えない強面であることを重々承知していた魚人は、そんな反応に特に何か思うこともなく笑って見せた。
「アンダイン」
「え」
「私の名前」
アンダインは、普段は自慢にしている金の牙を極力隠して、背の低い相手のために膝を折った。
相手の名前を聴いた途端、トカゲはさらに顔を赤くして体を縮こませた。そのあまりに腰が低い様を見て、彼女が浅瀬に潜ってしまうのではないかとアンダインは心配した。
「……隊長様」
言われた通り、魚人は地下世界の王とモンスターを守護する組織、ロイヤルガードのリーダーだ。愛、希望、思いやりで構成されたモンスターが長い間居住している平和な世界といえども、事故は起きるもので、ロイヤルガードと言われるグループのメンバーが各々の能力を駆使して一般のモンスターを守護していた。
王から隊長に任命されたアンダインは組織の中でも一際強く、地下世界で英雄のように讃えられていた。いずれ王が地上への封印を解いて人間へ戦争をしかける時、彼女が矢面に立つだろう。そしてアンダインが必ず太陽を取り戻す。皆そう信じていた。
「ここは危ないぞ。あー……。名前は?」
「わ……私。名前は、アルフィー、です」
随分な吃音だ、というのがアルフィーに対するアンダインの最初の印象だった。視線は泳いでいるし、手は忙しなく空を掴んだり眼鏡を摘まんだり顔を隠したりで落ち着きが無い。が、細かいことに一々気を使わない性格のアンダインは特に気にしなかった。
「ホットランドのアルフィー博士か」
アルフィーと名乗ったトカゲは肯定の意味を込めて歪に笑う。アンダインはその名をアズゴア王から聞いていた。王からご指名で任命された新任の研究者の名だ。それにしては少々頼り無い…が、嘘はついていないようだった。
アンダインが滝壺に視線を投げたのを見て、アルフィーがまた肩を震わせた。
「ああ、た、滝壺の先ですか? み……水は……ええ……地下を通って、いずれ海へ……」
「海って、地上にある、あの?」
「はい、あの……う、海」
「広くて大きな塩水の湖なんだろ?」
「ひ、広いなんてものじゃない。地上の殆どは海なの」
アンダインが目を見開いて「へえ」と感心したように相槌をうつ。アンダインが話に集中して黙っているので、沈黙を避けようとアルフィーは話し続けた。
彼女は、話すことは苦手だが、好きなことを語るのは得意だった。もじもじと指を絡めていただけだった小さい黄色の手は、やはり忙しなく動いてはいたが、次第に手遊びのように楽し気に振舞うようになった。
相手が地下世界一の有名人だということを忘れて、好き勝手に語り続けた。友人にでも話すように、時に自分の気持ちや解釈を混ぜ込ませながら。
「もっと話して」
アルフィーがちらりと見上げると、不思議な昔語りに耳を澄ます子供のように、アンダインの金の瞳がきらめいていた。
(綺麗)
まっすぐ相手を見つめるそれを、アルフィーは美しいと思ったが、澄みきった強い光を感じて恐ろしくも思った。相手の目を見ることすら満足にできない自分と、それを簡単にやってのける目の前のモンスターに大きな乖離を感じる。不快感と憧れが瞬時にアルフィーの感情を駆けたが、話を続けながらそれに浸っていられる器用さは無かった。
それから二人は各々、瞼の裏で地上の海を想像した。お互い言わずとも、隣で泳ぐような心地で脳裏の景色を眺めていた。冷たいウォーターフェルの空気を、頬を撫でる海水に置き換え、エコーフラワーの揺蕩う光を海中へ降り注ぐきらめく太陽の光に置き換えるのを、目を閉じて楽しむ。
アンダインが思考の海から上がり、目を開くと、うっとりと瞼を閉じて高揚したように話を続けるアルフィーの横顔が見えた。
(可愛い子だ)
と思ったが、勿論、初対面の相手に対して口にはしない。その代わり
「また聞かせてくれ」
そう言って立ち上がる。
あっという間の夢のようなひと時に思えたが、時計を確認すると数時間は経っていた。
平和な地下とはいえ、パトロールはロイヤルガード隊長であるアンダインの仕事だ。いい加減この場を離れなければならないのに、このトカゲのモンスターと別れることが少し惜しい気がしてしまう。
「ここへ来ることがあったら、私を訪ねてほしい」
ようやく、アルフィーはアンダインを見上げた。我に返り、自分が長いこと一人で話し続けていたことに恥ずかしくなってまた顔を赤らめる。
魚人からのお誘いにどう応えようか迷っていると、アンダインが重ねて言った。
「約束だぞ。また会ってくれくれるだろ?」
アルフィーは滝壺をチラリと覗いた後、曖昧に頷いた。それを確認して、アンダインはこっそり息をつく。他愛もない約束だけれど、彼女の死の影を払ってくれればいい…。そう願った。
「ホットランドまで送る」
言うと、アルフィーはまた歪んだ笑みを見せ、差し出された手に自分のそれをおずおずと重ねた。トカゲの手が自分と比べて驚くほど小さいので、アンダインは握り返すのを一瞬躊躇したが、極力優しく握り返して彼女を水から立たせる。
もう死の気配は消えていた。
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