砂を掬う水掻き -3-

Alphyne
小説
連載

「そ、そんなにじっと見つめられると……」

 『話しづらい』という言葉まで言わずにアルフィーがもごもごしていると、アンダインがハッと我に返ったよう目を開く。そして、苦笑いしながら視線を逸らした。テーブルのカップに目を落とすと、アルフィーが入れてくれた紅茶はすっかり冷めていた。カップの琥珀色の液体に自分の情けない顔が映って、アンダインはまた気を引き締める。
 アルフィーが何を嫌がって、何を好んで、どう反応すれば怖がられないか、アンダインは既にある程度知っていたが、それでもこうして時々彼女を戸惑わせてしまう。結局、アルフィーの事を本当に知ることなんて出来ていないのかもしれないと、一抹の寂しさが彼女の胸を過ぎる。

 地下世界一の英雄様は、約束通りアルフィーを尋ねにラボへやってきた。それも毎日のように。勿論アンダインも暇ではないが、一度経験している時間を過ごす彼女にとって、アルフィーに会に行く時間を作るのは難しい事ではない。今もこうしてラボを訪ねてアルフィーからお茶を振舞われている。

「ごめん。夢中で話すお前が可愛いなと……」

「えっ!」

 アンダインは言ってから慌てて口を閉じた。自分は言い慣れていたが、アルフィーには聴き慣れない言葉だろう。以前…もう消えてしまった時間軸で、アルフィーから「揶揄わないで」と言われたことを思い出す。
 土産に持ってきたナイスクリームが、アルフィーの持っているスプーンから皿に落ちた。

「揶揄ったんじゃないぞ。本当にそう思って……。よ、良く言われるだろ?」

 アルフィーは頷きそうになった。確かに、誰かにやたらと「可愛い」と言われていたような気がしたが、思い出そうとしても記憶にない。

「……初めて言われた」

「そ、そうか?」

「……それ……誰にでも言ってるの……?」

 アンダインが驚いて眉を寄せたのでアルフィーは慌てた。スプーンが皿に落ちる。

「アッ! ご、ごめんなさい! 変な意味じゃ……!あなたは、ほら、優しいから」

「……お前にしか言ったことは無いぞ」

「そう……へッ?!」

 こんなことを言って更に戸惑わせてしまう気がするが、それでも嘘は極力言いたくない。アンダインは無意味な嘘が苦手なのだ。彼女と二度目の出会いを果たしてから数か月は経っていたが、アンダインは過ごした時のズレからくる話辛さを感じていた。

「ア……アンダインは、その、どうしてそんなに、私を気にかけてくれるの? もしかして……出会ったあの時、私が、あそこで身投げしようとしてたと、お、思ってる?」

「……ッ!」

 アンダインが一番恐れている事。アルフィーの口からその一端でも出たことで、彼女の背筋に悪寒が走った。

「ち、違うの。ただ、考え事をしてただけで……。だから、もう、大丈夫」

「会いに来るのは、迷惑だったか」

「そ、そんなことない……よ……」

 よく考えれば、初対面の相手が毎日見回りと称して顔を出すのだから、人見知りのアルフィーは良い気はしなかっただろう。それでも、いつアルフィーが消えてしまわないか、アンダインには毎日気がかりだったのだ。

「なら良かった。もし、また……ああそう、考え事か。そのために暗闇へ行きたくなったら。ウォーターフェルの私の家へ来い。別に、取って食ったりしないから安心しろ。茶の一杯ぐらい出すぞ。ソーダもある」

 自分がソーダを好んでるなんていつ教えたっけ、なんて思いながらアルフィーは自分のデスクに目を向けた。ソーダのボトルが置いてある。きっと彼女はこれを見たのだろう。でも、目の前の英雄はいつも敏すぎる気がする。

「私はお前が本当に望むことが知りたいんだ。お前が望むことは何でも叶えてやりたい」

「ど、どうして……」

 アルフィーの疑問はもっともだ。この数か月、アンダインがアルフィーに情をかける度に彼女は困った顔をして理由を気にしていた。アンダインはいつも説明できずに言葉を濁していたが、それが毎度煩わしい。

「お前のことが好きだから」

 そして、アンダインはハッキリとそう言った。一々返答に困ることが面倒になったのだ。こんなことは隠していても話しにくいし、隠して嘘を重ねたところで賢いアルフィーに訝しげにされるのがオチだろう。よく考えたら、自分の気持ちを伝えたところでどうということは無い。過去はそれでラブレターの一つも出し渋っていたが、今のアンダインの望みはアルフィーを守ること。それだけなのだから。

 単純に好意があるから親切にしている。それなら理由がつくだろう。変に嘘をつくよりずっと良いし、単純だ。

「だけど、アルフィーが私を好きになる必要も、愛する必要もない。お前はただ、私の好意に甘えていればいい」

「ず、随分、その……えっと……」

 アルフィーはあっというまに顔を真っ赤にして、自分の膝に視線を落としていた。ナイスクリームはすっかり溶けてしまっていた。胸の奥でソウルが騒いでいる。まるで銃口を向けられているような気分だが、撃ち込まれているのは鉛玉などではなく口説き文句のような愛の言葉だ。何と真っ直ぐで鋭いのだろう。

「私が求めることは、お前がただ生きて幸せになることだけ」

「わ、わからないよ……急だし……理由が、無いし」

「理由って?」

「あ、あなたが私を……その……」

「愛してる理由?」

「だ、だ、だって、私、そんな、大事にされるようなモンスターじゃ……」

 さらに理由が必要なのだろうか。アンダインは頭を捻って返答を探した。アルフィーの探求心に心底感心するが、今は困る。アルフィーを愛している理由など無いのだから。

「『なぜ』なんて考えるだけ無駄だぞ。愛することに理由なんかあるか」

 アルフィーはつばを飲み込んで、アンダインの顔をチラリと見上げた。大胆な告白をしたはずの相手は涼しそうに笑っている。

「また明日来る」

 そう言ってアンダインは立ち上がった。
 アルフィーはいつも、アンダインが傍に居ると逃げ出したい気持ちになるが、ラボを去るために彼女が立ち上がると、途端に寂しくなり、去ってほしく無いと思ってしまう。おそらく、騎士はまた明日自分を訪ねて来てくれるだろう。それなのに、毎日別れ際は切ない。

「待って!」

「なんだ」

「アンダインは……もしかして、知ってるの……?」

「……知ってるって?」

「わ、私の……」

 もしも、アンダインが自分の非道な研究を知っていて、それで言い寄ってきているのだとしたら…。アルフィーのソウルがさらに揺れた。

「私が何を知っていても、知らなくても、お前を守るだけだ」

 今日はこれ以上顔を付き合わせてもアルフィーを困らせるだけ。アンダインはそう判断し、戸惑っている彼女を残してラボを出た。

 
 
 
・・・
 
 
 

「まごうことなき愛の告白」

 ズバリ言われてしまう。なんなら、肉体を持たない幽霊の方がそういうことは明るいのかもしれない。メタトンは天井に浮遊して上から自分の機械の体が彼女に弄られている様子を見ていた。そんな惚気みたいな相談しないでちゃんとメンテナンスしてほしいと思うが、友人は真剣に悩んでいるようなので無碍にはしない。

「そこまであからさまに言われて、なにを疑えば良いの。出会って数か月。毎日顔を合わせていたら、恋に発展するのもおかしくないよ」

「そうなのかなぁ……」

 アンダインは最初から一貫して自分に目をかけてくれていた気がする。それも、自分の自惚れか勘違いだろうと思ってしまえばそうなのだが…。

「君は彼女が嫌いなの? まあ確かに、あんな粗暴な奴は君みたいな気の弱いモンスターには合わないかもね」

「そ、そんなことないよ!アンダインは優しいもん!」

「へえ、じゃあ好きなんだ」

「でも、こ、これは、憧れって言うか……わかんないっていうか……」

「それでいいじゃないか。彼女は好きになってもらわなくていいって言ったんだから。君の気持ちが決まるまで、ゆっくり待てばいいんだよ」

 メタトンはそう言ってアルフィーの頬を撫でるようにそばを通り過ぎた。アンダインは見返りを求めていなかったが、それでも何かを返さなければならない焦りと、発展途中の恋心と、覚えのない懐かしさに混乱していたアルフィーは、友人のちょっとした優しさに一瞬だけほっとする。

「明日からどんな顔して会えば良いかわかんない」

「いつも通りでいいよ」

 メタトンはメンテナンスを終えた体に入り込んで、床に降りると器用に車輪を走らせる。今度は実体のある手でアルフィーの肩を軽くたたいて慰めたのだった。