怒れる太陽 -3-
「教えて。お前をこんなにしたのは誰だ」
仕事から帰ったアンダインは真っ直ぐにコテージを訪れ、アルフィーに詰め寄った。魚人の気が立っているのがわかる。警備中に殺気を放つ彼女を見かねたアズゴアが早期帰宅をすすめたほどそれは誰が見ても明らかだった。
「誰でもないよ」
「これは人間の悪意の症状だってガーソンが言ってた。アルフィーが教えてくれなかったら私……」
アンダインが切な気な思い詰めた顔をアルフィーに向けた。言われてからアルフィーは原因について何点か思い当たり、ぎくりとする。そして、アンダインはアルフィーへ愛を囁くのと同じトーンで
「人間を全員殺しちゃうかも」
と続けた。
「……ッ! 待ってッ、ち、ちがうの、私、ちょっと、嫌なニュースを見て。ほら、地上って悲しい報道多いでしょ?それで気が滅入って」
「本当か……?」
「……その、えっと」
「言え」
アンダインが睨むとアルフィーの体が更に固まった。嘘は止めようと誓って以来、地上に出てからアンダインに対する嘘は悉く失敗する始末だった。にじり寄るアンダインに壁へ追いやられ、アルフィーは引きつった笑いを引っ込めて観念したように俯いた。
「許して、違うの。アンダインが居ない間、寂しくて人間の記事を読んでいたの。あなたの記事だよ。アンダインは人間の間でも大人気なの。私、嬉しくて……。そ、そしたら、ほら、その……わ、私のことが、少ぉし書かれてて」
「お前を攻撃したんだな」
「違ッ!攻撃なんて大袈裟な……。それに、それを注意してくれた人間もいっぱい……」
「お前を傷付けたやつがどこにいるのか分からないのか」
勿論、IPアドレスを辿れば特定できないことも無いが、アルフィーにそんな権限も無いし、もし方法があると知ったならアンダインが血眼になって探すだろう。そんなことになったら最悪の場合、暴走した英雄が引き金となって大二次大戦は避けられないかもしれない。そこまで思い至り、アルフィーは震えながらインターネットの匿名性を理由に首を振った。自分の番が魔力、戦闘力以上に、存在として大きな力を持っていることを改めて痛感する。
「それに、特定の人間が悪いんじゃなくて……その、私が弱いから、罪にもならない小さな悪意にちょっと体調崩しただけなの!ほら、そんなの、いっぱいあるでしょ?」
「そうか。やっぱり、人間か」
アンダインの瞳が冷たく細められたのを見てアルフィーは慌てた。なだめるように笑みを取り繕うとしたが、そんなアルフィーの表情を読み取ることなど今のアンダインには容易いことだった。アルフィーが痛みを隠しているのを分かっているアンダインは彼女の笑みを一瞥して肩を怒らせながらアルフィーに背を向ける。それを追うようにアンダインの背中のシャツを掴んだ。
「ま、待ってよッ。ねえ、人間だって色々居るよ。優しい人も」
「他の奴の事なんか知るか!」
「ヒーローが、そ、そんなこと言っちゃ駄目だよ」
「私は人間のヒーローじゃない!!」
「でも、直接何かされたわけじゃ……」
「間接でもお前を傷付ける人間なんか敵だッ! 現にこうしてアルフィーは冷たくなってる!」
アンダインが自身の服を握るアルフィーの手首を掴んだ。その体温にゾッとする。これは人間の悪意のせいだろうが、今は多分、自分が怒りを彼女にぶつけているのも原因だと思った。
「やめて……お、お願い……っ」
「……私は、お前を助けたいだけなんだ」
「もういいの。だ、だってほら、その、間違ったこと言われたわけじゃないし」
「何を言う!!」
怒りのあまりアンダインは震え、赤い髪が逆立つように揺れる。アルフィーは失言を悔いた。アンダインと数年暮らしているうちに彼女の逆鱗に触れるものが何なのか把握し始めていたが、分かっていても時々まだアンダインを怒らせてしまう。
アンダインが怒るときは大抵アルフィーが危険に見舞われた時や、卑下するように二人の関係を少しでも否定的に述べた時、そして、離れる仕草をした時だ。アンダインにとってアルフィーを失う要因は憂憤の対象だった。
「ッ、ごめんなさい……」
「……ッそんな顔をするな!私に……黙って眺めて居ろと言うのか?!大事なお前が衰弱していくのを指を咥えて見て居ろと?!」
アルフィーの怯えた表情でアンダインの怒気は一時的に弱まったが、後から際限なく沸き起こるそれを止めることが出来ずに、アンダインは部屋を飛び出した。食いしばった牙に力が入るのを止められない。
イビト山の森を駆けているうちに自分の怒りが収まってくれはしないかと期待したが、自然の優しい魔力はアンダインを鎮めてはくれなかった。モンスターの居住地区へ差し掛かり屋根屋根を飛び越えて、住人らが彼女を指さして不思議がっているのも気にしなかった。月明かりに赤い髪が逆立つ様はモンスターたちの目にはまさに怒れる太陽に映った。
「人間めッ!!」
アルフィーと暮らす家へ戻り、玄関のドアを乱暴に開け放って鍵もかけなかった。直接人間の生活地区へ乗り込んで暴れなかったのは彼女の残った理性故だ。アルフィーがいつも「私を扱うようにして」と言っている自宅の家具やインテリアすら、今のアンダインには気に留める対象ではなかった。弱った理性でせめて水を飲もうとグラスを手にしたが、それは彼女の手の中で簡単に割れた。苛立ちをぶつけるように握り潰すと、ガラスが手のひらを薄く裂いたが、アンダインにはかすり傷にもならなかった。
「アルフィーがもし……」
それ以上は口にしなかった。愛する彼女の治癒か、然らずんば人間すべてこのガラスのように粉々にしてやると、怒りの感情のまま思った。そして城下中に響き渡る雄叫びを放ちながら、アンダインはまた夜を駆けて行った。
・・・
飛び出していったアンダインを追ってアルフィーが夜道を歩いていた。咄嗟の事だったので出かける支度も出来ず、携帯電話も置いてきてしまった。後から思えばアンダインの俊敏な足に追いつくなど到底不可能だとわかるものだが、今この時のアルフィーにはそこまで判断できなかった。見たことも無いほど怒り狂ったアンダインの迫力に気圧され、混乱していたアルフィーにはただアンダインを追うことしか考えられなかった。会って何を言えばいいのかも分からず、なんて顔をすればいいのかも決めていなかったし、会えばきっと怯えてしまうことも予想できた。
さらに、疲弊しきったアルフィーは、足も思うように動かせなかった。整備されているとはいえ森林の夜道で何度も転んで落ちていた小石や小枝で傷を負った。
「アンダイン……どこ……?」
一度コテージへ戻った方が良いだろうか。アンダインを見失ったアルフィーは戻ることも進むことも困難となり、それでもその場に座り込みたい気持ちを堪えながらとぼとぼと歩いた。
「私のせいでまた……」
自分はいつも大事なモンスターを不幸にする。地上に出ても同じ。どうせ変われないの。全部、全部、自分が弱いせいで…。
アンダインは自分には勿体ない程の素晴らしいモンスターで、傍で彼女の寵愛を受け不器用にそれに応えている自分は烏滸の沙汰である。そんなふうに脳内で自責の声が反復する。自分がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのだ。
体中が痛くて冷たくて、どんどん固くなっていく。希死念慮とアンダインに対する執着が葛藤し、どちらも譲らなかった。消えてしまいたい気持ちをアンダインへの愛が辛うじて押し止めていた。
「アンダイン」
夜中の森林には誰も居ない。愛しい名前を呟いても聴くのは月ばかり。アルフィーは恥ずかしさを忘れて息を切らしながらアンダインの名を呟き続けた。
見上げた月が、炎を吐いたように赤く煌いた。目を細めると、それは探していた彼女の髪。アンダインがアルフィーを見つけ、慌てた顔色で降りてきた。
「アルフィー!!」
アンダインがアルフィーの体を攫うように抱き上げる。冷たいアルフィーの体を自分のジャケットの内に包む。アンダインに会えた安堵でアルフィーは気を失いかけていた。力なくぐったりと身を任せているアルフィーにアンダインは更に動揺した。
「戻ったら居ないから……ッ 心配した……!」
「アンダイン、ごめんなさい。あの……」
「帰るぞ!」
アルフィーの言葉を遮って、アンダインが走り出す。長い時間をかけて歩いてきたはずなのに、アンダインがアルフィーを抱いて駆けるとものの数十分でコテージに戻ることが出来た。自分のどんくささを実感する。アンダインが疲れたアルフィーをソファに座らせ、その前に跪いてアルフィーの手を取った。
「転んだのか、怪我をしているな。そ、それに、冷たいままだ。私のせいなのか……。さっきは怒鳴って悪かった……ッ」
こんなに狼狽えるアンダインを目の当たりにできるのは番の彼女だけだろう。湯を絞ったタオルでアルフィーの体を優しく撫でながら、アンダインは眉を寄せて謝罪の言葉を何度も放った。
「アンダインのせいじゃないの。私が弱いせい……。こんなの、駄目だよね」
「駄目なものか!弱くても良い!」
アンダインは沈痛な表情をアルフィーの太腿に押し付けた。せめて自分の体温が彼女に伝わればいいと願いながら。
「愛してる。傍に居ろ」
途端、アルフィーの体がほんのり熱を持った。彼女の体温の変化を感じたアンダインがアルフィを抱き上げて暖炉の側へ連れていく。
「そ、そんな顔しないでよ……。あなたが許してくれる限り、傍に居るから」
アルフィーは自分の肩に顔を埋めてじっとしているアンダインの髪を撫でた。
いつもこうだ。自分を責めて、嫌って、故にアンダインから離れたくなると、それを察知した彼女が悲しみを怒りに変えて喚き、そのあと切なそうに縋ってくる。一番悲しませたくない相手を自分がしょっちゅう悲しませていることにアルフィーは何度も反省しては、また繰り返している。「傍に居るよ」と口にしてもそんな大事な約束を破ってしまいそうになるのはいつも自分だ。この病気はその罰なのかもしれない。
「私の前から消えるな」
「うん……」
「愛してるんだ」
「わ、私も。あなたの事愛してるよ」
アンダインの真っ直ぐで鋭い真摯な言葉が、申し訳なくて、でも嬉しくて、照れくさくて、アルフィーの頬は熱を持って赤くなっていった。気付けば体中熱くて、甘い痛みでソウルが大きく躍動する。普段感じる暖かさをアルフィーの全身から感じ取り、アンダインは息をついてアルフィーを腕から降ろした。
「不思議なの。アンダインが抱きしめてくれると暖かい」
「そ、そうか……!」
アルフィーの頬が色づいているのを見てアンダインもようやく放神し、安堵の笑みを浮かべた。アルフィーをもう一度強く抱きしめて、彼女の存在を存分に確認する。
「魔法を使ったの?」
アンダインは一考したが、自分には癒しの力など無いことは分かり切っていた。一つ自負していることは、アルフィーに対する愛情は誰にも負けないということだ。その気持ちがアルフィーの治癒に有効だとしたら…。モンスターは愛と希望と思いやりの魔法の存在。であれば、自分がアルフィーへ愛情を傾けることで人間の呪いから守ってやれるのではないだろうか。アンダインの仮説は結果的には正しかったが、彼女は本能でそれを分かっていた。
アンダインはアルフィーの頬にキスをして、もう一度彼女の耳元に唇を寄せて囁いた。
「愛してる」
アルフィーは体中を真っ赤にして、アンダインの腕の中でビクついた。症状は治まったようだ。アンダインは確信を持った。アルフィーを愛するなど自分には造作もない。もしも今後彼女を傷付ける人間が現れたら消してやるが、今はこれで安心しよう。アンダインの狂愛による騒動は、一先ず事件とならずに治まったのだった。
さて、そんなことも知らないアルフィーはこれ以降アンダインの愛情表現は更に過激さを増していった原因が自分とは気付かず、嬉しいような複雑なようなアンビバレントな困惑に悩まされることとなった。
「ごめんね。私、時々忘れちゃうの。アンダインが私の事、あ、愛してくれてること」
そう言ってしまったのも良く無かった。アンダインは一瞬異論を述べたそうにしたが、鼻で笑ってアルフィーの額を撫でた。急に甘い顔をする番にアルフィーは戸惑う。
「どうして忘れちゃうんだ」
「そ、それは……」
「いい。何度でも思い出させてやる」
熱を取り戻したアルフィーの体を更に抱き寄せて、アンダインは彼女を抱いたままコテージの寝室へ入っていった。
翌朝、一晩中嫌と言うほど愛されたアルフィーの体調はすっかり快復し(……体力は消耗したようだが)アンダインの機嫌も頗る良くなったという。
END
・・・ おまけ
「えっちしたら治った」
「ばっかもんッ!それは性行為で間接的に愛情による魔力の増幅があったからじゃ!ソウルセックスは愛情交換の行為だからの」
「ってことはアルフィーの体調が悪くなったら私がいっぱい愛してやればいいんだな?」
「まあ、そういう……色ボケも大概にせい!」
英雄らしからぬニヤついた顔のアンダインの額をガーソンが呆れて引っぱたいた。しかしこれを機に、治療法の一つとして周囲の愛情が有効になることは、後世に残ることになった。